慈光通信 第232号
2021.4.1
食物と健康 13
前理事長・医師 梁瀬義亮
【この原稿は、1991年1月 日本有機農業研究会発行の「梁瀬義亮特集」に掲載されたものです。】
3、食物と健康
第2 毒物について
農薬の害について
さて、農薬はどのような作用機序をもっているか。農薬が人間の体に入った場合、どのような作用機序をもたらすか。急性中毒の場合は、主として、コリンエステラーゼ障害により、頭痛、眩暈、嘔吐、腹痛、下痢、痙攣、失神、死亡等を来たすが、ここでは深く触れません。微量の農薬が徐々に長期間人体に取り入れられていくとき、人間の体はどうなっていくのか。
まず、脳が侵されます。症状は後から申し上げます。それから、目や耳などを司る脳神経系が侵されます。それから、胃や腸や心臓や肺を調整する自律神経が侵される。それによって、胃が侵され、胃炎、胃潰瘍になり、肺がやられたりする。また肝臓が侵され肝炎や肝硬変になる。十二指腸もやられる。甲状腺が侵され新陳代謝障害が起こる。
それから、副腎にいく交感神経が選択的にやられる。これは非常に恐るべきことであって、このため副腎皮質がやられる。副腎というところは、私たちの体の新陳代謝に一番大切なところであって、ここが侵されることによって、他の障害が出てくる。また造血器も侵されていきます。こういうふうにして全身が、ジリジリとやられていくのです。
医師は、肺はどうだろう、心臓はどうだろう、肝臓はどうだろうと調べてみるわけですが、全体がじわじわと少しずつやられますので、医師にとって全くつかみどころがないわけです。
現在、お医者さんのところへ行きますと、「大丈夫だ、どこも悪くないんだ」と言われる病人で、しかも本人は「とてもたまらなく苦しいんだ」という患者さんが、実に巷にあふれている、と言っても過言でないくらい多いのです。
後から述べるような症状の患者さんが非常に多いのです。
症状について言いますと、まず脳がやられますから、いつも気がイライラして不安になってきます。それから、後頭部からうなじにかけて、異常にこってきます。何をするにも意欲が起こってこない。労働意欲もわかないのです。昼とても眠いが、夜さて寝ようとすると目がさえてきたり、夜中や朝早く目が覚めたりして、睡眠がとりにくくなる。
それから、脳神経が侵されると、東京大学の石川先生、いま北里大学に行っておられますが、この方が最近発表されましたように、目の神経がやられ、視野が急に狭くなる。急性近視になる。私、昭和三四年に、この地方で起きた集団パラチオン(ホリドール)中毒事件の時にも、明かに、先生の言われるような視野の狭窄と、近眼が急に起こってくるケースがたくさんあるのを見ました。しかも片眼が、わずかの期間にひどい近眼になってしまう、ということが起こってくる。
それから、甲状腺の機能性が起こるために、身体が冷たく固くなって、粘土で作ったように冷たくなって来る人がある。これは女の方に時々あります。ぶくぶくと太って、行動がノロノロと緩慢になってしまい、物を言うにも、ゆっくりとしか口が開けなくなってしまう。このような症状が出ます。
それから自律神経失調症を起すために、立ちくらみが起こるとか、内臓の調節機能がやられて、慢性胃炎を起こしたり、胃潰瘍・十二指腸炎ないし十二指腸潰瘍を起こします。あるいは腸が異常に懦動いたしまして、腸がグルグルと鳴る。特に緊張すると余計に腸が鳴り、トイレへ走る。最近都会で、大腸症という名前で、原因の分らない大腸の痙攣が伝えられていますが、このうちのかなり多くが、この農薬禍によるものだろうと想像されるのです。
また症状としまして、別に悪いものを食べた覚えがないのに、みぞおち(鳩尾)が重苦しい。朝起きると特に重苦しく、顔を洗おうとすると吐きそうになる。このような方が多いわけです。
それから、口内炎が起こりやすい。また女の方に多いのですが、口の周りに変なニキビが出来てくるのです。これは四〇,五〇歳になってもできる。ちょっと紫がかった吹き出物です。それから額とか頬とかに、ところどころヒゲが生えたように、薄い褐色の色素沈着が起こってくる。全体にメラニン色素が増えてきまして、今まで色が白くて七難隠していた方が、いつの間にか浅黒くなって来たという訴えが多いのです。
また貧血症が起きます。これは造血器が侵されるからです。
このような状態で、お医者さんに行っても、胃はレントゲンで見たがどうもなっていない。肝臓を調べても大して異常はない。胸がドキドキするが心臓も異常も異常はない。ノイローゼだ、疲労だ、というような患者さんが非常に多いわけです。ことに後頭部がこって仕方がない。最後はどうかというと、まず自殺したくなってくる。不思議に自殺をしたくなってくるのです。
脳をやられるために、ものを間違って判断する。よく信号を間違って判断する。それから、トッピもないアイディアが浮かんでくる。農薬、特に有機燐剤で慢性中毒していると、実に奇妙きてれつなアイディアが、パァッと浮かんでくるようになるのです。以上のような作用機序と症状がございます。
以下、次号に続く
ミツバチがいなくなったら?
いつも私たちの身近にあるハチミツ、思えばあの甘い味と香りは、幼い頃からそこにあるのが当たり前のように慣れ親しんだものです。養蜂の歴史は古く、今から8000年以上前の遺跡からも痕跡が見つかっています。そんなハチミツを運んでくれるミツバチが最近少なくなってきているというのです。
近年、日本をはじめ米国や欧州など世界各国で、蜂群崩壊症候群(CCD)と呼ばれるミツバチの大量死や大量失踪が問題になっています。これは働き蜂が幼虫や女王蜂を残したまま巣に戻らなくなる現象で、世界中のハチの数は何年も前から減り続け、地球上のすべての昆虫は100年以内に絶滅する危機に瀕していると言われています。
これは温暖化による大規模な気候変動や様々な原因が複合的に影響していると考えられていますが、最も直接的な原因とされているのがネオニコチノイド系農薬です。農薬会社は決定的な証拠がないという理由で、その影響を否定し続けていますが、影響が決定的になってから規制するのでは手遅れです。ヨーロッパではネオニコチノイド系の農薬がミツバチに対して有毒性があると明らかになったことから、一部の使用禁止が始まっています。しかし、日本ではまだ使用が継続されています。
日本の慣行栽培ではこのネオニコチノイド系農薬がよく使用されますが、植物の内部にまで浸透するため、残留性が非常に高い農薬です。これは農業や林業だけではなく、一般家庭でも殺虫剤として使われることもあります。子供の発達や大人の神経系の病気を引き起こす危険な農薬です。
ミツバチの役割は花の蜜を集めるだけではありません。私たちの毎日の食事に欠かせない野菜や果物を実らせるための受粉も行っているのです。世界の食料の9割を占める100種類の作物のうち、ミツバチが受粉を行っているのはおよそ7割に及ぶといわれ、一日に3000もの花をめぐり受粉を助けています。そうして植物は実を結び、子孫を残すことができます。ミツバチは生態系だけではなく、人間にもとても重要なものなのです。慈光会でも協力農家さんとお話しする度に「ミツバチが減ってしまって実がつかない」と聞きます。
仮にもしミツバチがいなくなれば食料がなくなるだけではなく、森も消え、森が消えれば森がかん養していた水がなくなり、温暖化に拍車がかかるといったことになってしまいます。ミツバチは環境保全にも大切な役割を担っているのです。
ミツバチや昆虫、そして私たち人間が安心して生きられる世界をつくるために、一人ひとりができることがあります。野菜を買うときは化学農薬や化学肥料を使用していないものを選ぶこと。有機野菜の需要が高まれば、農薬を使用しない栽培方法を選択する農家さんが増えます。旬の野菜を楽しむこと。季節に合わない野菜や果樹は、早く収穫できる分、使用する農薬も増えます。家庭菜園をしている方はネオニコチノイド系農薬はもちろんのこと、化学農薬を使用せずに自然由来の肥料を施し、防虫ネットなどを使いながら手作業で虫取りをし、季節に合った野菜の栽培をしましょう。そして、このような問題に関心を持つこと。積極的な活動はせずとも、今起こっていることを知ることで、食品の選び方や、生活スタイルが少し変えられます。
農場便り 4月
季節を分ける行事、東大寺二月堂の縁より火の粉が闇夜に降り注ぐ。人々は、その火の粉に無病息災の願いを込める。遠い昔から行われてきたこの仏事の中にもコロナウイルスは確実に根を伸ばしてゆく。詣でる人の数を規制し、密を避け仏事は進んでゆく。無病息災を願って行う行事がコロナ禍で変更を余儀なくされ、何やら複雑な思いである。
「本来仏教とは、現世利益を求めるものではなく、永劫の過去から未来へ魂の救いを求める教えである」との前理事長の言葉を思い出し、このウイルスは現代社会への警鐘のように思える。
冬が去り水がぬるむ3月、春は始まる。3月に入ると一斉に元気になる生物にヒヨ鳥がいる。下品極まりない鳴き声と共に当会の農場の上空を自由気ままに飛び回る。見た目も美しさの微塵もなく、まさに招かれざる客である。慣行栽培の畑にはよっぽどでない限り寄り付く事は無く、有機栽培を行っている畑に寄って来る。
まず初めにブロッコリーの葉を前菜とし、次にキャベツ、ケール、最後に小松菜で〆の食事となる。ほうれん草には、まず手・・ではなく、くちばしを出さない。畑の作物は見る見るうちにズタズタに食い荒らされ、外葉を食害されたキャベツなどは大きくならず、小ぶりのキャベツとなってしまう。冬に結球したキャベツの頭のてっぺんに一刀両断とばかりにくちばしを入れる不届き者もおり、傷つけられたキャベツは畑に廃棄され土に還ってゆく。
そこで本年1月下旬、高温期に使用する防虫ネットをキャベツの頭の上から畝ごとスッポリ覆ってみた。さすがの悪魔のヒヨ鳥もこれには完敗したのか、よだれを垂らしながらジッと木の上からキャベツ畑を観察し、けたたましく鳴き声を上げながら遠くの空へと飛び去った。
ヒヨ鳥の次には害虫からの攻撃が始まるが、正しい栽培下ではさほど気にすることもなく、大きく育った真ん丸のキャベツがゴロゴロと姿を現す。春キャベツの収穫は3月より始まる。瑞々しく柔らかな春キャベツ独特の食感と風味をお楽しみいただきたい。
春キャベツの次は初夏のキャベツ。柔らかな春キャベツに比べ、夏向きのキャベツには葉に力強さが宿り、少々の事ではくじけない力が全身にみなぎっている。これは円盤のような形に結球し病虫害にも敗けず、安定した気候が作り易さを後押しする。その初夏型キャベツもヒヨ鳥の害に遭わぬよう、ネットをスッポリ掛ける。先日、ネットの中のキャベツを覗き込むと、大きく広がる外葉の下に脇芽の姿が目に入る。なかには中心部の親株にも引けを取らないほどに成長したものもある。思わず出た大きなため息。本来ならばしなくてもよい作業がまた一つ増える。この脇芽を放置しておくと、中央のキャベツ玉に悪影響を及ぼし、栄養分を横取りされたキャベツは小さくなってしまう。そこで、ネットを外し脇芽を一心に掻き取る。一株から3、4本の芽を摘むこと約600株。寒さや病虫害に強い品種ではあるが、少々野性味が体から抜けきらない。初冬に定植、その後幾度もの寒波に遭いながら冬を乗り切るが、その寒波が幼いキャベツの苗に刺激を与え、脇芽が発生する。半日をかけて無事作業を終え、あとは結球を待つだけとなった。秋から冬、そして春、初夏と平地での栽培はここまでとなる。
夏作は6月中旬から7月下旬まで、収穫、作付けは3月中旬に苗を畑に定植した後、夏草との格闘が始まる。が、本年は少々手を抜き、マルチを利用することにした。作業嫌いというわけではないが、一言でいえば手が回らず、一部夏草に敗北を喫することがあった。昨今の異常な高温多湿から結球後の株の下から腐りが入ることも防ぐことが出来るとのこと、今作は早速これを試してみようと計画を立てる。
雨天の日や夕方農作業を終え、少しでも時間があれば次の栽培予定の種をトレイに蒔く。その作業時間は空腹に耐えられるまでとし、多種の細かい種をトレイに落としてゆく。力仕事の後などは、指の感覚がなくなり、細かい作業をするのが困難で、適量を一マスに落としていく事が難しく「ドバッ」と大量の種を落としてしまい、ヒヤッとすることも度々である。「ヒヤッ」の後はいつもの「イラッ」がやってくる。小刻みな手の震えは決して麦の泡や歳のせいではなく、真面目な労働のせいであることを強調しておく。
夏キャベツの栽培地の準備を始める。少量の完熟堆肥と石灰を散布し浅く耕運、その後一週間放置してから畝を立てる。栽培期間にカタツムリの喜ぶ雨の多い季節に入り、キャベツにとって水分過多は大敵であるため他のシーズンより畝に深めに溝を切る、これがこの時期のいつものやり方である。
軽く中耕しながらトラクターの座席から畑を見回す。畑がいつも通りに美しく耕されていることを確認した時、遠くで土の上に光るものを発見。「金脈か」と駆け寄り手に取り、まみれた泥を落としてみると大きなナット、エンジンの振動で緩み落ちたのであろうか。どこから抜け落ちたものかはわからないが、この広い畑の中で私に拾われたのはまさに奇跡。奇跡のリンゴならぬ奇跡のナットと名付け、お守りにとトラクターのキーホルダーに変身させた。
畝を立て、マルチを張り、また一週間放置した後土がなじんだところでキャベツ、ブロッコリーの苗を軽トラックの荷台へ積み込み、さあ出陣となる。手製の槍でマルチにズボズボと40cm間隔に穴を開け、トレイから抜き取った小苗をその中に挿し込み指で軽く押さえる。山の農場の本年第一弾として600株を植え込み、第二弾も同じく定植をする。これより7月の収穫まで管理は続く。
春は一気に作業が重なり、多忙な日が続く。考えるだけでため息が出る春の日、満開の山桜も頑張れ!とでかいお尻を叩く。終日、泥まみれになり牛馬のごとく畑の奴隷となる。春は耕人にとっては残酷な鬼になる季節でもある。晩秋から初冬にかけて芽を切った春草は、小さな体ながら風雪に耐え少しずつ成長し、2月中旬の春の訪れを待ち、一気に成長を始める。成長の速さは日増しに加速し、3月中旬には土の養分を独り占めし、青々とした大きな株へと成長し白や黄色の花を咲かせる。3月吉日、草にしてみれば凶日となるのか、トラクターの力を借り、畑の地表に敷き詰められた緑色のジュータンを茶色のジュータンへと変えてゆく。太陽に向かって小さな花を咲かせた草は、ロータリーの爪で木端微塵に切り刻まれ土の中へ。
初冬、私は畑に向かい、「春先には耕運を行うから雑草よ、芽を切ることなかれ」と慈愛に満ちた言葉をかけたにも拘らず、全く聞き入れなかった哀れな雑草の末路であった。同じく、親の愛ある助言をことごとく無視してきた私の末路はいかなるものであろうか・・。
昨年、販売部よりネギの数が足りないとの連絡を受けた単純な私は、それならば、とばかりにトレイにひたすら播種を行った。病害虫にも侵されることなく、一冬は十二分に食卓にお届けすることが出来た。しかし、ブタもおだてれば・・・で少々作付けし過ぎたようである。これから冬のネギは花を咲かせ実を結ぶ。ここでも残酷にも耕人はネギ坊主を名刀草刈カマでバッサリ地上10cmで刈り取る。新芽はすぐに出始め見る見るうちに青々としたネギに変身してゆく。ネギの持つ再生能力の高さが発揮される。他の株は掘り起し、一か月間陰干しした後また畑に植えこむ。この乾燥してシナシナになった苗は一週間もすると発根し芽を伸ばし始める。2ヶ月もすれば青々としたネギが育つ。ネギについては以前に詳しく書かせていただいたが、大型化したネギ栽培は大量の化学肥料と大量の化学農薬を使用して栽培される。またカットネギなるものがあるが、カットされてどうして長く日持ちがするのか不思議な事の一つである。どうぞくれぐれもご注意頂きたい。
中国からのありがたい(?)季節の贈り物、黄砂で山々が霞みに包まれたように見える。桜の花も満開となり、エセ春霞の中、遠くの山で咲く山桜の風景もなかなか美しく、ソメイヨシノと山桜が同時に咲き誇る。農場の周りは山桜の花で美しく彩られ、コロナ禍の中とは思えない静かな時間が流れ、年に一度の大自然からの贈り物が届けられる。他の雑木にも薄い緑の芽吹きが始まり、パステル画のような風景が描かれる。美しい桜を詠む句は多々ある中、見事に詠まれた一句を最後に紹介させていただく。
京都帝国大学のトイレの壁に書かれた一句
「急ぐとも 右や左に たれかけな 吉野の花も散れば見苦し」
頭の中は年中花盛りの耕人より