慈光通信 第239号
2022.6.14
有機農法についての私の体験と意見 Ⅲ
前理事長・医師 梁瀬義亮
【この原稿は 1978年 3月号「月刊たべものと健康」に掲載されたものです】
誤った農法による生態系の異変
化肥や農薬、除草剤、洗剤等々の化学薬品や未熟堆肥や生の有機物、或は嫌気性腐敗を起こした堆肥を土中に入れますと、土中では自然状態では起こらない異常生態系が発生します。即ち土中の生物が減少したり死滅したり、或は或種のもののみが異常に増えたりします。(この時有害なものが増殖することが多い。例えばネマトーダーや有毒なガスや中間分解産物を発生する嫌気性微生物等々)。土中の生態系に異常が起こると、その生産物を吸収して生育している農作物の体に異常が起こります。或は栄養欠乏に陥り、或は有害な養分を吸収して異常生育を起こします(両者は共に農産物の生命力の低下した状態です。後者をしばしばよく肥えた、よく出来たと称しています)。するとこの農産物の地上部を媒介として生きる害虫と益虫、或は病原微生物と抗原微生物のバランスが破れ,害虫や病原微生物が増殖する所謂病害虫の発生となるのです。
かく地上の生態系、従って人類の生存は地中の生態系と密接に関連しているのです。
土中の鉱物質(ミネラル)について
土中の適量且つバランスのよい鉱物質の存在は、土中生態系の健全と相俟って、植物生育に極めて大切であります。また土中の生態系の健全化のためにも適量且つバランスあるミネラルの存在が必要な事が実地にやって見て分かります。
人口のミネラル肥料はしばしば過量になったり、ミネラルのアンバランスを起こしたりして、数年後には作物が育成障害を起こしたり、病虫害が発生したりし易いので、私は出来るだけ自然のミネラルを補給する事をお勧めしています。それには山や未耕地の土を客土したり、ミネラルの豊富な水成岩の粉末を用いたり、あるいは海藻を用いたり、あるいは未耕地の雑草や山の下刈りを堆肥材料にしたりします。
堆肥と化肥の併用について
これの賛否で現在の有機農業界は二分される事と思います。私は反対論者です。なるほど化肥を混用すると作物は早く大きくなります。(好気性完熟堆肥を充分に与えれば、化肥を加えなくても大きくなる点で、化肥を加えた場合に比べて決して劣りません)。しかしこの様な成長をした農作物は病虫害に侵されやすいのです。
また化肥を併用していますと、土中の生態系及びミネラルに悪影響を与えて、次第に地力が衰え、作物の病虫害が多くなったり収穫が減少したりします。
私の住む五条市は苺の名産地です。ご存じの如く苺は堆肥、骨粉、油カス、綿実粕などの有機質でつくります。一般農家ではこれに大体苗六本に化成肥料を一握りの割で施します。私たち慈光会の協力農家では化肥は全く使いません。この化肥を併用するかしないかが、一〇年後に大変な違いとなって現れました。ご存じの如く苺は野生で病害虫に強い作物です。然るに一〇年経つと、一般農家では苺の病虫害が大変甚だしくなり、同じ肥培管理を続けているのに収穫が半分、甚だしきは三分の一位になってしまいました。慈光化の協力農家では、味もますますよくなり、収穫は毫も衰えません。
これほんの一例に過ぎませんが、ともかく私の観察と実験によれば、化肥の併用は病虫害を甚だしくして、農薬の使用を余儀なくせしめ、次第に「死の農法」の悪循環にまき込まれて、農家消費者共々悲劇を起こします。
農薬の使用は却って虫害を激化する
農薬の使用は益虫を減らし、抵抗性害虫を増やす事を上にも述べましたが、十六年無農薬栽培をしている私達の稲田と一般農家の稲田を、名古屋大学の昆虫学の先生が調べてくれました。両者共に虫の総数は殆んど変わりませんが、私達の田では虫の種類が大変多くて、自然の草原と余り変わらぬ由でした。これに反して一般農家の田では、虫の総数こそ同じですが、種類が大変少なく、然も害虫が非常に多いのです。また夜間三〇〇ワットの電灯で稲田の一角を照らし、そこを望遠レンズで窺いていますと、私達の田ではウンカがやって来ると共にその辺に蜘蛛が巣をはってウンカを捕食し、青蛙や蟋蟀(こおろぎ)がやって来て盛んにウンカを食べます。一般田ではウンカのみで、蜘蛛も蛙も蟋蟀も来ません。稲の体質がかたくて丈夫であると共に益虫が私達の田をウンカから護ってくれているのを知りました。農薬散布が人間に有利な天然の昆虫の生態系を破壊して、人間に不利な生態系をつくる事が分かります。殺菌剤についても同様の事が言えると思います。
(以下、次号に続く)
農場便り 6月
風薫る季節も間もなく終え、新緑は深い緑にと色を変えて力強く山々を包み込む。4月中旬頃からは湿度が高くなり、重苦しい風が作業中の体に負荷をかけ、額に汗が絶え間なく流れる。
キャベツ畑の畝間には夏草が芽吹き、淡い緑の絨毯を敷き詰めたかのように見える。夕刻になっても生ぬるい風が時折吹いて木々を揺らす。明日の第一の作業は「キャベツ畑の除草」と作業順を日誌に記し、本日の作業を終える。
翌朝、肩に除草グワ、足には定番の地下足袋といつものいで立ちでキャベツ畑へと向かう。この年になると感動することも少なくなるが、今朝のキャベツ畑で目にしたのはいつもと違う光景であった。昨夜吹いたのであろうか、風に舞った山桜の花びらがキャベツ畑一面を覆い、まさに大自然が描く何とも言いようのない美しい風景である。思わず手にしたクワを地面に置き、目を凝らし見入ってしまう。今、このアートをクワで潰してしまうのは少々酷であると思い、除草作業の順番を午後からとする。たとえ半日でもこの自然の造形美を木々や他の生物が目にしてくれれば、との思いで長い一日の作業が始まる。
桜の花びらを残して向かった先は農場の倉庫。そこにある管理室と名付けた男所帯の、お世辞にも決して美しいとは言えない部屋の内壁と外壁の間では毎年イタチの子育てが始まる。初期は小さな鳴き声だが、日増しに声は大きくなり、壁の間を動き回る音も重なり少々耳障りである。2カ月足らずで親子は出て行くが、少しの間は我慢の日々を送る。その代わりと言っては何だが、イタチが間借りしている間は野ネズミの姿は消える。
4月中旬、冬の食卓を賑わす日本食の食材として色々な料理に使用される里芋の作付けが始まる。4月の植え付けに始まり11月より収穫、半年をかけて育てる気の長い作物である。キャベツの除草作業の代わりにこれから行うのが、里芋の植え付けの準備である。倉庫でひと冬寝かせておいた種芋に号令をかけ、眠りから覚ます。一球一球腐りがないかチェックをすること600球。これは、秋から冬にかけて収穫した株の中から大きく形の良いものを選りすぐり大切に室内で保管した芋たちで、今年もまたせっせと植え付けてゆく。植え穴に落とされた種芋は、間もなく大きな葉を広げ、8月のお盆の頃には畑が里芋のジャングルと化す。そして秋風から冬の風へと変わる頃、大きく育った里芋が地中より顔を出す。里芋栽培では畑土の水分管理が大切であることを、しっかりと頭の中に叩き込む。
一方、同じ芋でも山芋は多湿を嫌うため、山の畑へ定植をする。里芋は堆肥を大量に入れ、広い畝に等間隔に掘った穴に放り込み土をかけて終了となるが、山芋は多肥を嫌い、定植までの準備にこれがまた大変な作業が待っている。畑に深い溝を切りその中にプラスチックの薄い板を一枚入れ、そこへまた土を入れる。これは地球のマントルに向かって伸びようとする山芋をプラスチック板に誘導し、後の収穫をやり易くするためであるが、それでも山芋の子の中にはマントルに向け伸びて行く強者もいる。山芋の気持ちを無視し、人間の都合だけを考えた極めて人間中心的な栽培法である。そうして一個120グラムから150グラムに切った種芋を下にプラスチックが敷いてある土の上に植え付ける。やがて芽が出て成長した山芋は、地上に立てたネットにつるを広げていく。
午後になり、「花の命は短くて‥」と半日の猶予を与えられたアートも土の中へ消え、雑草もきれいに削られた畑でキャベツは順調に育つ。除草の際、キャベツの葉の上の小さな青虫が目に留まる。結球間近ならそのまま放置し自然の力に任せるところだが、このキャベツたちはまだまだ成長半ば。人間ならば15~16才、独り立ちには少し早く、親の力がもう少し必要とされる。一日の作業を終える頃になってもこの時期は中々お天道様が沈まず、周囲はまだまだ明るい。一日の作業で気力は尽きているが、肥えた体に鞭を打って青虫取りに向かう。首から吊るした空き缶にそっとつまんだ青虫をポイッと入れてゆく。何事が起ったのかと青虫は缶の中で動き回る。時間が経つにつれ缶の中は青虫が団子状態。周りがうす暗くなり青虫が見つけにくくなり、やっと仕事上がりの理由が見つかった、と即刻屈めた腰を伸ばす。畑からずっと離れた草地に青虫を放ち「人の作物を盗み食いする事なかれ。これからは自分の力で生きて行くのだよ。」と言い聞かせ農場を後にする。夕刻の虫取りの作業は2.3日で終え、青虫が消えた後の1000株ほどのキャベツはその後大きく葉を伸ばす。その後に産み付けられた青虫については「完全無視」とし、キャベツにも少しの試練を与え力強い夏キャベツへと育ててゆく。
4月下旬、早生赤玉ねぎの収穫を始める。赤玉ねぎの品種は「湘南レッド」さわやかな名前である。ルビー色の丸く肥えた玉を何も考えることなくスポスポと抜く単純作業を進める。畝の上は大きなルビーが太陽の光を浴び美しく光る。玉ねぎはそのまま地上で2~3日地干しをした後、風通しの良い倉庫へ運び入れる。赤玉ねぎは、早生、中生、晩生と3種類栽培し、既にすべての玉ねぎの収穫を終えた。後は表面を乾燥させ、冷蔵庫で保存する。これからやって来るじめじめした梅雨には、冷やしたサラダにレッドオニオンを加えより爽やかに。他にも水にさらした玉ねぎのスライスにクリームチーズとカツオをのせて醤油やポン酢で・・と栄養価高い玉ねぎをしっかり摂取し、夏に向けて体力を養っていただきたい。
赤玉ねぎの収穫を終え、ホッとする間もなく5月下旬には冬に収穫する白ネギの定植が始まる。すでに晩秋用は山の畑に定植し順調に育っている。2月から3月中旬に逐次播種をし、トレイで30㎝位までの苗を仕立てる。その後、事前に準備しておいた畑に溝を切り、5㎝間隔に並べ、根が乾かないように土を浅く掛けていく。現在約4000本を定植し、残すところあと僅かとなった。この白ネギは青ネギと違い栽培面積を多くとる。茎の白い部分を多くするため根元に3回程土を寄せるが、その場所を事前に確保しなくてはならず、使用する面積の割に栽培量は少なくなる。が、この白ネギは「味、香り」は最高に旨し!という事で「栽培面積や手間などは何のその」と力を込め栽培に励む。
その他の夏野菜も温度の上昇と共に力強く育つ。3月に播種をしたゴーヤやカボチャ、ズッキーニ、苗場にあるまだ小さなナスときゅうりも間もなく畑に定植。カボチャとズッキーニは同じウリ科・カボチャ属、種の形も同じで見分けがつかない。春を迎えた3月21日に播種、ビニールトンネルの中とはいえまだ夜間の気温は低く、発芽に時間を要する。2種類の播種を行い後は水分と温度の管理のみ、そうしているうちに土の表面が割れ緑の芽が覗く。双葉が大きくなり本葉が中心から手を振る。日増しに葉の数が増え苗らしくなる。その時点で、何かがおかしいと思い始める。確かに2種類あるはずなのだが、葉の形はすべて同じ。そこで自分がやらかしたことに気付き血の気が引く。種を見間違えすべてがズッキーニ、慌ててカボチャの種を播き直す。それから毎日くどいほどの管理を行い、一ヶ月遅れで畑に定植に至った。先にかぼちゃと間違え繊細な宝物のように育苗していた苗は、もう見向きもされず苗場に放置される。葉物はキャベツに結球レタス、サニーレタス、サンチュ、そして小蕪。先日定植したサラダ水菜の苗は一週間目を離した隙に害虫の胃の中に納まってしまった。
5月下旬、農場の雑木林が賑やかになった。年間行事の一つであるモリ青ガエルの恋の季節がやってきた。山麓合唱団が終日「ゲロゲロ」と小さな体で大きな鳴き声、山にバリトンの歌声が響き渡る。2週間歌い続け、水槽の上の木の枝に泡状の卵を産み付け、雑木林へと姿を消す。後には水槽の上に数多くの小さな提灯がぶら下がり、羽化すると水槽の水の中に落ち、おたまじゃくしとなる。日本の美しい自然が今も残っていることにホッとする。
農場では動物との色々の出会いがある。ちょうど一年前、翌日の昼食用にと夕方トラックの荷台に袋ラーメンを積んでおく。バーナーにコッヘルもコンテナーに積み込み、準備万端。昼を迎え、いざラーメンを、と湯を沸かすもラーメンが見当たらない。犯人は駐車場をうろつくタヌキ。「蕎麦ならわかるがなぜラーメン‥」と歯を軋ませながら、その日は仕方なく家人が持たせてくれたおむすびだけの昼食となった。
それから一年経った本年3月29日夕刻、6時になると周りは薄暗くなる。一日の作業を終えトラックに乗り込む。サイドミラーを確認しバックギアを入れる、とその時何やら赤茶色の動物が。目を凝らし確認するとミラーに大きなキツネの姿が映し出された。動物好きの私のテンションは一気に跳ね上がり、そっとトラックから降り、脅かさないようにと息をひそめる。キツネは10mの距離を取りジッとこちらに鋭い視線を送る。キツネの野生美あふれる姿に、平素することのない優しい目でアイコンタクトを送る。逃げることなくじっとこちらを見続けるキツネに、食べ残しの食パンをちぎりキツネの前に投げる。瘦せ細った身体は驚いて飛び退くも、すぐに食べものと分かりむしゃぶりつく。一枚の食パンをアッという間に完食、「また明日」と草むらの中に姿を消した。その夜から、また家族にとって迷惑な日々が続く。いつもの如く、事細かに尾ひれを付けてのキツネの話が続いたが、家族が一瞬真面目な顔になる。それは、そのキツネには前足が一本見当たらなかったと口にした時であった。傷口は既に癒えているが第二間接から下がない。故に果敢に餌を取ることが出来ないため、少々痩せ気味なのであろう。人間の仕掛けた罠に掛り、自らの足を切って逃げる動物がいることを話には聞いていたが、現実を目にした時、放って置けなくなってしまった。自問自答を繰り返し、野生を忘れない程度の食料を置いておくという答えに至った。そこで我が家の愛犬「はな」のドッグフードを少し失敬し山へ。農作業をする私をジッと見つめる姿を目の端に捉え、そっと餌を置いて帰途に着く。翌朝にはエサは無事キツネの胃の中へ。その夜、空腹を抱えるキツネの姿はなかっただろうとほっと胸を撫でおろす。この片足をなくしたキツネ、人間の業により自然環境が破壊され、生命までもが脅かされている。キツネにコン太と名付け、今後は顔を見た時にのみ少量の食べ物をと。但し、後日判明した事として、男の子ではなく女の子であったことをお知らせしておく。野生動物と人間が共存できることを願い、農の世界へと話を進める。
春作、夏作は共に大自然の慈悲の光を浴び、力強く大きく育っていく。農場から帰宅、食後はニュース番組から目が離せなくなる。ウクライナの問題が長く放映される中、命からがら日本に避難してきた家族が映し出された。小さな子供3人の手を取り、戦禍から逃れてきたという。そのコメントの中の最後の言葉が私の心を射抜く。「平和な日本に助けていただいたことへ感謝すると共に、ウクライナで苦しんでいる人々にそして国のため命を懸け戦っている人々に申し訳ない」と涙ながらにか細い声で話す。今、近代教育を受ける日本の中で、他の人に対する思いを口にすることが出来る美しい心を持った若者はどれ位いるであろうか。そう考えながら自らを省みる。
ウクライナの隣国、ポーランドの音楽家スメタナの「わが祖国」のメロディが頭の中で鳴り響く。アルプスの雪解け水が大河となり、広大な地を潤す東ヨーロッパの大自然を五線譜の中で表現する。一人で古いステレオの前に座り「わが祖国」を聴き、思いにふける。その中、曲は進み、前理事長がよく口にしていた言葉
「戦争や公害、悪しきものすべての事は人類の心が現実に反映されたものである」その声が聞こえる。
卯の花が咲き誇る農場より