慈光通信 第201号
2016.2.1
患者と共に歩んだ無農薬農業の運動 1
前理事長・医師 梁瀬義亮
【この原稿は、1991年1月 日本有機農業研究会発行の「梁瀬義亮特集」に掲載されたものです。】
医学が病人をつくるという矛盾
最近、大変医学が発達してきました。医療機関、あるいは製薬会社等が完備し、いろいろの薬が出来て、一見いかにも医学は進歩し、人々は病気から救われるように見えるのです。
確かに、急性伝染性疾患からはよく守られるようになって医学の恩典がありますが、その反面、いわゆる退行性疾患といわれるガン、白血病、肝硬変、精神病、心臓血管系の病気、内分泌異常、こういった慢性疾患が驚くべく増加しております。また、流産、奇形児、重症身体障害児等が多いのです。
厚生省の報告を拝見しても、昭和30年と昭和40年の約15年間の間に、日本の病人をかかえている率は3倍に増えております。しかもうなぎ上りに多くなりつつある現状です。
私の住んでいる田舎町でも、若い30代、40代のお母さんがガンになって、あわれに死んでいったり、果ては幼稚園の子どもがこの間、上顎洞のガンで亡くなっていくという有様で、人々は恐々として生活しているのが現状です。一体これはどうしたことなのでしょうか。
医学が発達して、私たちの社会から病人が消えていったら発達でしょうが、しかし、病人がどんどん増えたのでは、これは発達とはいいにくいのです。
昭和23年、私は兵庫県の県立病院に勤務していました。「これで少しでも世の中のためにならせていただいたら」と思って、たいへん希望と感動を持って仕事をさせていただいたのですけれど、そのうち何か非常な疑問にとりつかれたのです。
それは、現在の医学が、いわゆる病気を治すことはできても、かえって病人をつくる、という矛盾です。どんなことかと申しますと、私たちの生活は私たちの世界の中にいろいろな微生物がいるというのではなくて、たくさんの微生物の中に私たちが住んでいると考えた方が正しいのです。
この微生物やその他、暑さ寒さ、湿度の高さ、乾燥の強さ等々、色々の私たちに病気を起こさせるような条件がたくさんあるのにかかわらず、私たちが病気にならないというのは、私たちの中に生命力、自然治癒力、いわゆる自然治癒力といった強力な力が働いて、それが私たちをして病気になる事を防ぎ、健康たらしめるものなのです。
また、医学の恩恵である、手術のキズがうまくくっつくのも、抗生物質を飲んで効くのも全部私たちの自然治癒力の上に成り立っておるのです。それにもかかわらず、私たちは、試験管の中で化学反応を起こすような具合に薬物を投与しておった、試験管の中のバクテリアを殺すような気持ちで抗生物質を使ってきた、このような矛盾に気がついたわけです。
そうすると、生命力という基礎を忘れて、私が医薬品(化学薬品)を使っているが、これは人間の体には一つの異物である。このものを使って、仮に病気が治ったとしても、その人をして病気たらしめた生命力の弱りというものは、決してこの化学薬品によって強くなるのではなく、むしろ障害されて弱くなっているわけです。
例を扁桃腺炎にとってみますと、私のところへいつも扁桃腺を大きく腫らして化膿してくる人に、私が抗生物質を使いますと、1日、2日の間に熱が下がって、最初は非常に喜んで下さるのです。しかしまた、一月、二月たつと同じ事が起こってやってくる。また抗生物質をやる。この繰り返しをする患者―他の病気でも同じなのですが、こういう患者が非常に多い事に気づいたのです。
私は考えました。みんなの咽頭部や喉頭部を調べてみると、たくさんの菌があるのにかかわらず、この人だけがここで化膿してくるということは、この人の体では化膿菌が繁殖するのだ。他の人では繁殖しないのだ。しからば菌が原因であると考えて、私は抗生物質を使っているけれども、この菌をして繁殖せしめる条件こそ、この人の病気の原因ではないだろうか―この菌を繁殖せしめる条件を、これを生命力の弱りというように表現してみるのです。
生命力を無視して今まで医学を考えてきた。現代医学の基礎である解剖学、病理解剖学、医化学等は、みな人間屍体の物質的な分析であって、これによって得られた知識で試験管の中の細菌を殺し、試験管の中に化学変化を起こすような気持ちで医学をやってきました。けれども、もう一ぺん、生命力という問題を考えてみなければならないのではないでしょうか。
繰り返して申しますと、私が使っているクスリは、この患者さんの生命力を弱らしておる。一時病気は治っても、生命力は弱っておるから、また次の病気が起こる一つの原因になってきている。そうしたら私は、患者さんの病気を治して患者さんの生命力を弱める。即ち「病人をつくっている」という結果を引き起こしているのではないだろうか。こういう事を深刻に考えたのです。これが現在の私たちの社会に起こりつつある「医原病」―お医者さんのクスリが原因になって病気が起こってくるという問題に通ずる訳ですが、当時、私は素朴な意味で、非常にこの問題に頭を悩ませました。本当に苦しみ抜いたわけなのです。一時は医師を辞めようか、とも思いました。しかし、生命力ということを思いながら、毎日毎日、苦脳の中に勤務をさせていただいていう間に、私には今まで、いろいろヒントを与えられたことに気がついたのです。
以下、次号に続く
もっと使えるココナッツオイル
まだまだブームが続くココナッツオイル、このオイルには色々な効能や効果があると言われています。ダイエットや病気の予防、ボディケア、フェイスケア、ヘアケア等々・・。
ココナッツオイルに含まれる中鎖脂肪酸は、他の油と違い、体に蓄積されず、既に付いてしまっている脂肪を巻き込んで燃焼してくれる優れものです。また、体にたまった便を除去し腸の働きを整えてくれるため、便秘解消にもなります。
最近よく話題になる認知症は、脳のエネルギー源であるブドウ糖を上手く使えなくなる病気です。そのブドウ糖の代わりになってくれるものが、ココナッツオイルに含まれる中鎖脂肪酸が肝臓で分解されて出来るケトン体なのです。このケトン体がエネルギー源になることで症状が改善していくといわれています。
また、人は酸素を取り入れてエネルギーを作りますが、その過程で一部の酸素は化学変化を起こし、「活性酸素」というものを発生させます。活性酸素は体内に侵入してきた細菌などを排除する作用も持っていますが、過剰に活性酸素が発生した場合は、人間の身体を酸化させ、動脈硬化などを引き起こし生活習慣病や老化を招きます。ケトン体にはその活性酸素を除去する働きもあります。
ココナッツオイルには他にも緑内障の症状を緩和させる可能性があったり、口の中で10分位クチュクチュすれば虫歯予防や歯周病予防にもなるともいわれています。
ココナッツオイルには精製されたものと生成されていないものがあります。ココナッツの甘い香りがあるのは、ヴァージンココナッツオイルです。甘い香りが苦手という方は、精製された香りのないものもおすすめです。無香タイプの場合、クセがないのでお料理に使いやすいのも特長です。
それでは実際にどのような使い方が出来るのでしょうか。
◇食用として
・ココナッツオイルは熱に強いので炒め物や揚げ物に
・ドレッシングに
・トーストに、ココナッツオイルとはちみつを塗って
・ホームベーカリーや手こねの食パンに練りこんで
◇ボディケアに
オイルで全身マッサージ。肌なじみが良いのでかかとやくるぶしもなめらかになります。カサカサ荒れた手に薄くすり込んで一晩おくと翌朝はすべすべの手に。
◇フェイスケアに
・ブースター(導入液)として
化粧水の前に使えば、化粧水の浸透が良くなります。
・保湿液として
化粧水の後に使えば乳液代わりに。しっとりと保湿します。
◇ヘアケアに
(1)ココナッツオイルをたっぷり手に取って髪にぬります。
(2)ラップを巻いて蒸しタオルをして30分。
(3)しっかりとシャンプーします。
(4)ドライヤーで乾かします。髪の柔らかさにびっくりです。
・ドライヤーの後なじませても良い香りです。
まだまだココナッツオイルには使い方がありますが、まずは簡単なものからお試しください。
農場便り 2月
2016年 1月 寒波が日本列島を呑み込む。気象庁の暖冬との予報にも関わらず、寒波は南国奄美の島々に115年ぶりに雪をもたらした。農場の外気温も下がり、水銀柱はマイナス8℃を指す。畑の土は凍り、不織布の下で出番を待って眠る野菜は寒さに震える。2015年夕刻、本年最後の作業も終わりを告げようとしている。一年の労をねぎらう。この1年、自らの作業をやり遂げた安堵の気持ちが平穏な顔を作る。店では、職員全員で「来る年にまた元気に再会を」と言い合い、帰途につく。
翌日から我が家の外回りの作業が始まる。多忙な農作業を言い訳に手を抜いた一年、庭には晩秋美しく色付いたもみじの落葉が山のように重なり合っている。ヤマボウシやコブシの葉も地面を覆い隠すかのように埋め尽くしている。まずはくま手で落ち葉をかき集め袋の中へ、次に残った落葉をブロアで一か所に集める。その間にあちこちウロウロキョロキョロ、集中力は北風と共にいずこへ。そうしているうちに木の枝に小鳥の巣を発見。晩春から初夏にかけ、ひな鳥が親鳥に餌をねだる鳴き声はこの巣からだったのかと一人納得。もう1か所、早朝に鳴いていた山鳩の巣はもみじの高所の枝に作られ、見るからにお粗末な巣である。ただ小枝を並べただけで、初夏に小鳩が巣から落ち、命を落としたのもなるほどとうなずける。壊れかけた巣に残された一羽が巣離れした時、家族全員で喜んだことがつい先日のように思い出される。それに比べ、この小鳥の巣は持てるすべての技を注ぎ込み、丸く整った素晴らしい巣である。空になった小鳥の巣を覗いてみると、小枝や枯れ草を使い美しく作られている。まさに匠のなせる業。しかしその中に何やら異彩を放つものが、と目を凝らし見てみると巣の中には小枝に混ざって青や赤の化学繊維が使われている。人が住む日本家屋も今や化学物質で塗り固められている世の中であるが、時代は進み、鳥の世界にまでも化学物質が入り込んでいることに困惑する。可愛い小鳥たちが化学物質によりシックハウス症候群にならぬように、などと他のことに気を取られているうちに夕刻を迎える。家の外回りの3分の2を消化したところで周りは暗くなる。そこで、岩よりも強く重い私の哲学が沸々とわいてくる。「全てが終わらなくとも時が新年を運んできてくれる。何とかなるサー。」本年もこの素晴らしい哲学のもと、外仕事はThe endとなった。
真っ赤な火がゆらぐストーブの上でヤカンが蒸気を立てる。ストーブの前の特等席では、時々登場する我が家の駄犬が犬ではなく大の字になってお休み中。ご主人様は寒風吹きさらす中の作業・・・。小さな心は年の瀬まで健在である。部屋の中は暖かく、お正月を迎える祝いの料理の香りに溢れている。出来上がった料理がテーブルの上に所狭しと並べられてゆく。冬野菜のオンパレード、その中でひと際目立つ真っ赤な食材は、祝いの膳に欠かす事の出来ない金時人参である。お正月以外にはほとんど目にも口にもしない食材だが、兄弟分の西洋人参は1年を通して使われる。以前、簡単に書かせていただいたが、もう一度説明させていただく。
人参の起源は、中央アジア・アフガニスタン周辺である。そこから栽培地域が広まり、長い年月をかけ品種改良された。西へと進み改良されたのが西洋人参、東へと進み改良されたのが金時人参で、日本には6世紀に中国より伝わった。名前の由来は、赤ら顔をしていた酒田の金時から付けられたといわれる。
金時人参はせり科人参目。生産は香川県が最も盛んで、西洋人参と比べ栄養価も高く、多くのビタミン類、ナイアシン葉酸Cなどを多く含み、香り高いリコピンは女性の味方、肌コラーゲンの増加作用に長けており活性酵素を滅し、がん予防にも一役買う素晴らしい食材である。金時人参の収穫期は12月から2月位と収穫期間が限られる。土の状態によってはタコの足のようになり、また少しのストレスで根の部分が割れてしまう等の難がある。栽培の手順は、何度も土を耕してより細かい畑土にし、100から120cmの高畝を上げる。加湿に弱い金時人参はできる限り高畝とする。
7月下旬、真夏の猛暑の中播種を行う。一畝二条蒔きとする。発芽するまでは、毎日冠水を繰り返し乾燥から種子を守る。発芽後は多湿を避け、生育が遅いため雑草に負けないようにこまめに管理を行う。間引きは2回に分けて行う。西洋人参の間引き菜は利用できるが、金時人参はアクが強く美味しくない。10月に入り気候も安定、猛暑を乗り越えた金時人参は気候の低下と共に大きく成長する。12月、畝を見回りながら太い順に収穫をする。一般の栽培では、まず土壌消毒から始まり、何回かの農薬散布を行い収穫に至る。化学肥料で栽培されたものは香り、味ともに有機栽培のものとは全く違った人参と言え、栄養価も比較にはならない。農薬や化学肥料を使用しない当園の人参は、農薬のホルモンの影響を受けないため一本一本の大きさもバラバラ、引き抜いた時それぞれが違う顔をしている。このようにして大自然の力で育った金時人参は祝いの膳に色を添え、人々を健康に導いてくれる。今一度、金時人参に目を向けていただきたい。
国民的行事となったベートーヴェン 交響曲第九番で心を清め、満たされ、年越しそばでお腹も満たす。掃除も残すところあと僅か、最後に毎朝夕手を合わせた仏壇の掃除を終えた頃、「ゆく年くる年」が聞こえてくる。頭の中を1年の出来事が駆け巡り、センチメンタルな気分になる。ダウンジャケットに身を包み、愛車にまたがり菩提寺へと。暖冬のせいか参詣者が多く、お堂の前には長い列が出来る。一人ひとりが思いを込めてつく鐘の音は腹の底に響き、1年貯め込んだ煩悩を包み消してくれる。
本堂で手を合わせて深夜に帰宅。部屋の中には家人と娘が丹精込めて作ったお祝いのお重や大皿が並べられる。つまみ食いを得意とする私も、今日ばかりはと我慢に我慢を重ねるものの、やはり私の理性は食欲の前では完敗なのであった。数々の食材を駆使し、はるか昔より伝わった良き日本の食文化をいつまでも伝えていきたいものである。ちなみに、私が育てた冬野菜の家人の評価は上から目線で75点。
1月は何かと行事などが多く、知らぬ間に過ぎ去る。2月が近づくと世間はバレンタイン色に染まる。当会も他に遅れを取らぬようにとチョコレートをディスプレイする。このバレンタインもお祭り騒ぎとなるのは日本だけである。バレンタインデーの起源はローマ時代にある。富国強兵を目指したローマ帝国は兵士の結婚を禁止する。そこでローマ市民の自由を求め立ち上がったのが、バレンタイン牧師、しかし帝国に迫害され死に追いやられた。西洋諸国ではその日を「愛の日」とし、人々がバレンタイン牧師を偲ぶのが2月14日である。この日に目を付けたのが商魂たくましき伊勢丹デパート、チョコを愛する人に捧げようとチョコの販売に乗り出したのが1958年2月14日。お祭り騒ぎの日本をバレンタイン牧師はチョコレートだけに、天国から苦笑いというところであろうか。
西成に1人の牧師がおられる。牧師は韓国から西成教会に赴任され、西成の路上生活者のため、日々奮闘しておられる。300名もの人々に炊き出しを行い、温かな食物を提供する。この炊き出しに当会の野菜も活躍する。不定期ではあるが、たくさんの野菜を寄付させていただいている。牧師に連れられ、西成の地へ嫁いでゆく野菜たちは社会的に恵まれない人々のために光り輝く。何年も続くボランティア活動に協力される方々には頭が下がる思いである。慈光会の野菜は他にも五條市近隣の施設にも寄付させていただいている。すべての人が健康で平安な日々を送れますようにと願う。
本年も農の日々が始まった。勇気を持ち前へと進む。人々のために、自らのために。
春まだ遠き農場より