慈光通信 第182号
2012.12.1
病気のないすこやかな生活 ― 医・食・住 ― 5
前理事長・医師 梁瀬義亮
【この原稿は、1982年(昭和57年)3月6日 熊本県立図書館ホールでの講演録です。】
疾病前の小さな訴え ― 機械に例えてみると
人間というのは、素晴らしい精巧な機械であって、一生回転しつづけるエネルギーを備えている。そしてこの素晴らしい機械がスムーズに回転している時は健康である。
ところがこの回転が悪くなってくると、いわゆる疾病準備状態で身体の調子が悪いのです。これがだんだん悪くなってギアが欠けたり、さびついたりしてくるとこれが病気です。そしてついに機械が止まってしまった時が死です。この機械は回転するエネルギーを外から持ってこなくて自分で持っているのです。この機械の回転が悪くなった時が疾病準備状態、すなわち病気になる前の状態ですが、この時期の訴えを医学でミニクラーゲといいます。
小さな訴えという意味でお医者さんの所へきて、肩がこる、首がこる、頭がぼんやりする、ふらふらするとか体がだるいとか、手がしびれるとか何とかかんとかぐずぐず言う。調べてみても病理検査に出てこない。たいした訴えじゃないのに、ぐずぐず言って、医者を困らす患者さんをミニクラーゲの患者と言います。これは非常に医者を苦しめる人です。検査しても出てこないから大丈夫だといったって、いや私は丈夫じゃないんだと言う。言うけど、どうもないじゃないかという。さがしてくれ。そうだから来たんだという。医者としては面白くない話です。こういうミニクラーゲの患者が実に多いのです。
例えばね、農薬の慢性中毒の患者をいくら病理検査しても何も出てきません。あとから症状を申しますが、肩がこるとか、ふらつくとか、めまいがするとか、あるいは身体がだるいとか、変なことをいっぱい言いますがね、血液を調べても何を調べても何もない。コリエステラーゼ値だって正常値です。これを前の例えで言えば、ギアがさび付いたり欠けたりした状態なら検査に出てくるでしょう。しかし回転が悪いぐらいでは出てこないんです。
あなたは、健康ですか ― 健康の3条件
そこで皆が本当に健康であるか、あまり健康でないかを決める大事な要点を私の臨床経験から申しますと、まず皆さま、朝、目が覚めた時に、さあ起きて何をしようという活動意欲がありますか。これがなくてやれやれ夜が明けた。情けないと思わないですか。もしそう思われたら回転が悪いんです。人間というのは、もう健康な時には目が覚めたらパッと活動意欲があるはずなんです。その気力がなくて、情けないなあ、また1日が明けたかと思われる方は、それは気を付けないといけない。
第2番目は、肩のこる方は気をつけなければいけない。健康であると肩なんかこらないんです。肩がこるという人はどこかおかしいんですよ。最近の子供はよく肩をこらす子が多いのです。マッサージ師に肩もみに来ている子供がいます。子供が肩がこる。これは子供の時からもう回転が悪くなっている。だいたい子供というのは機械が新しいし、生命力が旺盛だから非常に回転がよくて肩なんかこるはずがないのです。
第3番目に大事なことは、疲れやすいかということです。健康な時は疲れないのです。もうふらふらになっても朝起きた時にはしゃんとしているはずです。今日も僕はね、飛行機で来る途中ですが私の後で若い人がね、どうも疲れた、疲れたとそればっかり言っている人がおりましたよ。これはおかしい。そんなに疲れるものじゃないんです。僕もゆうべ休んだのは午前1時ですよ。今朝は6時に起きました。ちっとも疲れないんです。私のようにそう強くないものでも疲れないのです。ところが元気そうでよく太っていながら、疲れた疲れたとばかり独り言を言っている、これは回転が悪いのです。活動意欲と疲れないことと肩がこらないことが大事な健康の目安です。
(以下、次号に続く)
危険なシャンプー 2
前号は、シャンプーに合成界面活性剤としてよく使用されている成分について説明しましたが、怖いのは合成界面活性剤だけではありません。
・シリコン
ジメチコノールなどがよく使われている成分です。シリコンの役割は、合成界面活性剤で過度に洗浄されて傷んだ髪をコーティングし、艶を出したり指通りをよくして綺麗に見せるものです。シリコン剤は髪だけでなく、頭皮や肌をもコーティングしてしまいます。そして1度付着すると中々落ちません。「シャンプーをすると体がヌルヌルするので、まずは頭を洗い、次に顔や体を洗う」という話をよく聞きますが、それはシリコン剤が付くことが原因です。これはボディーソープでは落ちないので、使えば使うほど、体全体に堆積されてしまいます。石けんシャンプーで洗うと、ヌルヌルにはなりません。シリコン剤には発がん性が疑われており、また、手湿疹の原因にもなります。「シリコンはアレルギーの原因にもなりにくく、毒性はないと」いう意見もありますが、天然でないものが人体に付着し、取り込まれるということは基本的に人体によくないことです。
・防腐剤
浴室の高温と湿気に常にさらされるシャンプーは、あらゆる化粧品類の中でも最も過酷な環境におかれているものです。もちろん、腐敗して細菌が繁殖した洗浄成分は、頭の細胞に大きなダメージを与えるので、防腐対策はとても大切なことです。しかし、合成防腐剤として有名なパラベンなどは特にアトピーの方や皮膚の弱い方には、それ自体が刺激になってしまうことがあります。パラベンは化粧品類に最もよく使われている防腐剤ですが、使われる理由は単純です。パラベンを入れたほうが「楽だから」です。パラベンの殺菌力は他の防腐剤と比べて格段に強いので、パラベンさえ使っていれば、工場の製造ラインの衛生管理に少々問題があったり、作業員が雑に原料を扱ったりしても、強力な殺菌力で全てカバーしてくれるのです。パラベンにはいくつかの種類があり、この中で、エチルパラベン、ブチルパラベン、プロピルパラベンが、環境ホルモン物質(内分泌かく乱化学物質)の疑いがあるとされています。環境ホルモンは人の体に入り込むと、もともとある体内のホルモンと結びついて、正常なホルモンバランスをくずしてしまう可能性があるかもしれないと言われています。
・着色料
赤色○号、青色○号、黄色○号などのタール系色素は、発がん性物質で要注意です。食品ではすでに使用を禁止されていますが、石鹸、シャンプー、化粧品等にはまだ使われています。皮膚からの浸透率が高い上、皮膚障害やアレルギーを引き起こすこともあります。
実は、シャンプーに「無添加・天然」と表記する際の基準は特にありません。
天然成分が1つでも入っていれば「天然」を主張して良いですし、特に危険な成分が入っていなければ、「無添加」と表記してもよいのです。もし本当に天然素材にこだわったシャンプーならば、安値で販売できない価格になります。
「ノンシリコン」と書かれている場合も価格が極端に安い場合、シリコン以外の危険な成分が含まれている可能性があります。
シャンプー選びの際は、まず、前回の記事に載せた表のものは入っていないか、表示成分をよく見て下さい。そして、合成香料、着色料の入っていないものをお選び下さい。
慈光会では、安全なシャンプーを取り扱っています。石けん素地のシャンプーなので、水に流れても分解して自然に還るので、環境にもやさしく、おすすめです。
シャンプーの中から、本当に髪に良いシャンプーを見つけ出すことは非常に困難です。シャンプーを「汚れを落とすだけのもの」として見ずに、「頭皮に与えるもの」と考え、まずは自分に合った良質なシャンプーを見つける事が健康な髪、そして体への近道です。
毎日使うものだからこそ「安く」ではなく「安全な」ものを選ぶべきです。微量ながらも毎日有害物質を体内に取り込んでいったら体はどうなるのでしょうか。考えただけでも恐ろしいことです。ただ、今日使用して明日弊害が出る、というような速攻性がないので、私たちが特に重要事項として気に留めることもなく、大手企業の過剰広告によって危機感がなくなってしまいます。体内に吸収され、蓄積された有害物質は、ある1定のレベルを超えると爆発し、表面化します。それがいつになるのかは誰もわかりません。10年後、30年後かもしれません。ただ、有害物質を体内に高濃度で溜め込みながら長期間健康体でいられることは、常識的に考えてもおかしいと考えるのが普通だと思います。私達はさらにこれが自分たちだけでなく、自分たちの子供、孫、その先まで影響することに気づかなくてはなりません。また、決して危険を煽るわけではありませんが「ある日突然花粉症になった、アレルギーが出た、原因のわからない症状が出た」こんなことが、決して低い確率ではなく起こる可能性があるということは認識しておいてほしいと思います。
農場便り 12月
11月も月末となった。例年にない冷え込みと氷雨が周りの山々の色鮮やかな葉を叩く。早朝、道には赤、茶、緑の色とりどりの落ち葉が敷き詰められ、その自然の美しさにはどんな高級な絨毯も及ばない。赤茶、白、黒の3色のヤマガラのつがいが鈴なりに小さな実をつけた山柿の枝から枝へと渡り、柔らかくなった実を探してついばむ。その様子をジッと見つめる私に気付き、雑木林へと姿を消した。そんなヤマガラも以前はよく目にしたが最近はめっきり少なくなってしまった。
年を重ねると共に過ぎ去る時間は早く、1年間書き続けた日記も残すページはあと僅かとなった。この1年を農場から振り返る。
きらめく元旦、仏壇に手を合わせ家族が年始の挨拶を行う。現世利益を説かない仏教である筈なのに、手を合わせた頭の中は願い事のオンパレード。農場の作物が育ちますよう、自分の努力はさておき、ひたすら他力本願で新しい年が始まる。
厳冬の農場は、寒起こしと冬囲いをされ眠りについている野菜を収穫、凍えるような寒さに耐え春の訪れを待つ。しかしながら、凛とした寒さの中の木々の織り成す美しさは素晴らしく、私の大好きな情景である。
生物が眠りから覚めた初春、ようやく春本番を迎える。周りは活気づき、呑気者の私の背中を叩く。冬場に耕された畑も本起こしに入り、畝を上げ、次から次へと播種し準備した苗を植え付ける。空っぽだった畑が一気に賑やかに変わっていく。
4月、取り残された冬野菜が春の陽の中一斉に花を咲かせる。木々も日増しに芽を膨ませ、動き始めた虫、小松菜の葉に空いた所々の窓を春風が通り抜けてゆく。害虫ノイローゼの季節がもうそこまで近づいて来た。畑で無事冬を越した春キャベツやブロッコリーが大きく葉を広げてゆく。
暖かさから少々暑さを感じる頃、夏野菜の苗を植え付けてゆく。ふわふわの豊かな土に小さな苗の姿が畑を埋めてゆく。水分を多く必要とする作物、それを嫌う作物など、私の浅知恵を持って作業は進められる。
春ゼミの鳴き声と共に一気に大気の湿度は上がり日射しが強くなる。一昨年の秋に植え付けたニンニクを収穫、その日だけは農場の空気が中華の空気へと変わる。冷涼な気候を好む作物には受難の季節となった。日中、葉は少し萎れ気味、何株かは既に細菌性の病に冒される。逆に夏野菜はニコニコ顔で高温多湿の空気を胸いっぱい吸い込み、すくすく育ってゆく。
雨天が多いこの頃、山の雑木の根元の薄暗い所にきのこが顔を上げる。色とりどりなそれらは一体どんな味がするのだろうと、ふと誘惑に駆られるが、カラフルなきのこほど毒があることを思い出し、胃のあたりが冷たくなる。そんな毒きのこももちろん無敵ではなく、毒キノコを好む虫たちによってところどころ食害されている。そんな生命力あふれる昆虫の世界に、化学の力を持って戦いを挑む人間の愚かさが目に見える。蒸し暑い中、コーン畑に鳥よけネットを張るのもこの頃である。畑一面ネットで覆い鳥害からコーンを守る。
中旬、じゃが芋の収穫。たくさんの黄金色の芋がゴロゴロ土中から姿を現す。夏野菜の収穫もあと僅かで始まる。周りの山々は深い緑色に覆われ、梅雨の雨水に濡れる。雨天の日に合わせトレイに逐次播種を行う。5月に蒔いたセロリの幼苗も1本1本ポットに移植、細かい作業についつい嫌気がさす。5月から育て、収穫は11月、この間の管理作業は休む事なく続く。気の長い話である。
真夏、パプリカが大きな実を鈴なりに結び、重さに耐え兼ねた枝が弓なりに垂れ下がる。赤、黄、緑の可愛い実が畑を美しく飾る。大暑、日射しが強くあらゆる生物を焼き尽くす勢いの中で、里芋やゴーヤは強い日射しを取り込み大きく育っていく。暑さを避け日中にじゃが芋の選別、その後に冷蔵庫の中へと入れる。
7月上旬に播種したお正月用の金時人参、毎日の水やりの甲斐があり、きれいに芽を出し本葉2枚までの大きさに育つ。毎日畑中にホースを引き回し、潅水の日々が9月まで続く。8月は秋冬の播種が始まる。既にキャベツ、ブロッコリーは本葉を広げ、日よけの下で育つ。その他の作物はネットの中に蒔かれ、足ることを知らぬ虫からその身を守る。
8月下旬、そろそろ暑さ疲れが出てくる時期である。が、食欲は一向に落ちず、夏痩せなどとは縁遠く、体重計の針は順調に○○を指す。この年にしてまだ成長期である。夏作の収穫は日々続く。
秋風が吹き始める。9月は害虫が1番活発に動く時期でもある。定植された苗、播種をして芽を出した作物に頭からすっぽりネットを被せる。それでもどこから入るのか、憎き害虫は隙を見てはムシャムシャ大切な葉を食害する。9月初旬から中旬、冬用大根や葉菜は逐次播種を行う。大根は収穫まで2回追肥を行い、除草も怠らない。熱々の煮大根が、冬の凍えた体を芯から温めてくれる事を思い浮かべながら、額に汗をする。
10月、元旦の席を飾る雑煮用大根も播種された。透き通る肌は祝いの席にふさわしい食材でもある。秋本番、ほっと一息つける季節となった。除草に明け暮れた日々を顧み、きれいに育った畑に自画自賛する。春用キャベツ、ブロッコリーの苗も植え込み、地味な夏ゴボウもこの時期播種される。
晩秋、収穫はこれからピークを迎え、この季節の終わりには作物の冬囲いが始まる。あれやこれやと作業に追われる日々が続いた。害虫にコテンパンに叩きのめされた作物もあり、イノシシに見るも無残な姿に荒らされた畑もある。これも自然のなせる業であろうか。
10月28日秋祭りの宵宮、帰宅途中お宮さんの前を通る。私の幼い頃とは様変わりし、人ごみはなく、楽しみだった露店は1軒も見当たらない。少し前、テレビやラジオでかぼちゃのお化け祭り「ハロウィン」を度々目や耳にし、日本でバカ騒ぎをする姿を不快に感じた事を思い出す。歴史ある我が国の祭りをおろそかにし、触手を海外に向ける。五穀豊穣を願いそして子供の健やかな成長を初祭りに願う、そんな美しく誇り高く豊かな日本は何処へ、と考えてしまう。
晩秋、お宮の大樹から路上へと落ち葉が舞い落ち、散らばった落ち葉を掃き清める。道端のお地蔵さんの落ち葉も取り除き手を合わせる。通りすがりの普段挨拶を交わすことのない人に「ご苦労様」と声をかけられ、私も大きな声で挨拶をする。挨拶や声かけをする事を忘れがちな社会で、落ち葉が心の中に眠っていた言葉を揺り起こしてくれた 。ほっこり心が温まった晩秋の早朝であった。
この1年、慈光会にご協力頂きましてありがとうございました。来年も会員の皆様にとって素晴らしい年となりますよう大自然の中、農場よりお祈り申し上げます。
カマキリの卵が北風にゆれる農場より