TOP > 慈光通信 > 慈光通信 第188号

慈光通信 第188号

2013.12.1

病気のないすこやかな生活 ― 医・食・住 ― 11

 

前理事長・医師 梁瀬義亮

【この原稿は、1982年(昭和57年)3月6日 熊本県立図書館ホールでの講演録です。】

 

 

喜びの有機農法

 

私達のいう有機農法というのは、協力農家がいっていますが、本当にこれは「喜び」と「感動」と「生きがい」のある農法です。たとえ農薬の害がなくても、近代農法をすることができないという、これが本音なのです。有機農法というのは「生命の農法」であって、そして「喜びの農法」であり「健康の農法」なのです。近代農法は土を殺し、益虫を殺し、そして人を殺す「死の農法」だからです。われわれが生存を続けるのに、破ってはならない輪廻があります。例えば、雨が降ります。雨水は地上を流れ、あるいは地下に入り、川に入り、海に入って、おてんとうさまの熱でもって水蒸気になり、雲になり、また雨になって降ります。これが水の輪廻です。この輪廻の中に地上のあらゆる生命が養われているのです。この輪廻を仮に一か所で切りますと、雨が降らなくなって地上は全部枯渇してしまうのです。私たちが今、将来こんなことにならないかと心配していることは、年間数百万トンの廃油が海へ捨てられます。それは薄い膜になって海の上を覆います。これがもし水の蒸発を防げる量になってきたら、ここで切れるわけです。すると地上には非常な干ばつが起こってくるという心配が出るわけです。またご存知の通り、われわれは酸素を吸って炭酸ガスを吐き出します。これを植物が吸ってくれて酸素に変えてくれます。この酸素の輪廻の中にわれわれは生きています。
例えば、いま申した廃油を撒き、海の上に膜を作ると海中の藻が死んでしまいます。地球上の酸素の一番大事な源は、海の藻だと言われています。この藻が死に絶えますと、われわれは酸素の輪廻が一つ切られて、そしてわれわれも死んでしまうわけです。
もう一つ恐ろしいことは、現在の工業による酸素の浪費です。ことに鉄の溶鉱炉などは多量の酸素を使います。従って植物が作ってくれる酸素よりも余計に使うわけで、大気中の酸素量が減ってくる。こういうことも将来のわれわれの大問題の一つであって、全世界の問題として考えねばならない時代が必ずやってくると思うのです。

 

 

迫っている
日本民族の生命の危機

 

日本のこの狭い土地に世界に類のないほど農薬と化学肥料を使わせるような政策は、本当に恐ろしいことです。どんなことかと申しますと、エジプトのサハラ砂漠の中にスフィンクスやピラミッドがあります。これをどうして砂漠の中に作ったのだろうかと不思議に思うのですが、いろいろな文献を拝見しますと、この砂漠は昔は緑野だったそうです。村があり緑の草や木が生える緑野です。今でも砂漠の中から大きな木の根や幹が出てくるそうです。これから申し上げる生態学的な輪廻を人間が切ったために砂漠になってしまった。だから村や町の近くに作ってあったピラミッドやスフィンクスが砂漠の中に建っているということになった。最近やかましく言われていますが、今地球上の砂漠はどんどん広まりつつあるのです。

 

 

近代農法の罪
アメリカの表土流出

 

それから、あの大きなアメリカの表土が流れていくことが大問題になっているということを日本に来られたアメリカの農学者から教えてもらいました。実に大問題だそうです。表土が流れるのは、あれは近代農法の罪です。表土流出問題はアメリカで随分話し合われているそうですが、私達にはそう難しく考えなくてもこういう事実があるのです。山を開墾します。そこへ雨が降ると泥水が流れます。ところが、その山の開墾畑へ一反当たり30トン位の割合で堆肥をすき込むと水がきれいになり、泥水が流れなくなってきます。堆肥を入れた土がスポンジのようになって吸って保水してくれるのです。近代農法で化学肥料、農薬を使ってやっていると、土にスポンジ性がなくなるから泥が流れてしまうということは早くから考えられることだったのです。
(以下、次号に続く)

 

 

農産物の農薬について 2

 

 

それでは農薬の毒性とはどのようなものでしょうか。毒性には急性毒性と慢性毒性があります。急性毒性は一度に大量の農薬を摂取して出てくる毒性です。例えば飲んでしまったり、大量に吸ってしまったりした場合など死に至ることもあります。これは有機リン系の殺虫剤使用時に事故が起こることが多く、農業従事者や農薬製造業などに多く見られます。周辺での農薬散布が原因で中毒が起こる場合もあります。それに比べ、慢性中毒は農業従事者、製造業者などに加え、消費者が被害に遭うことが多く見られます。急性毒性は症状の表れるのが急激なためわかりやすいのですが、慢性毒性は微量の物を長期にわたって摂取した結果、徐々に体を蝕む毒性のため、なかなか原因がはっきりわからないのです。それでは、前理事長の文から農薬の慢性中毒の症状を抜粋してみます。

 

・後頭部からうなじにかけて、こって仕方がない。
・頭が空回りする。発想が次々浮かんでくるが実行する気力がなくなる。
・夜寝つきが悪くなったり、朝早く目が覚めたり、夜中に目が覚めて次々発想に悩まされる。
・生きている楽しみがなく、もの悲しい感じになり記憶力が悪くなる。
・自殺しようかという気になってくる。
・胸がつまってきてため息をつかなくてはならなくなる。
・目がショボショボしたり、急に近眼になったりする。
・目まいがしたり、乗り物に急に弱くなったりする(平衡神経がやられる)
・胃腸の調子が悪く、お酒に悪酔いするようになる。
・わけの分からない下痢や便秘になる。
・生理異常になる。
・貧血がおこり手足が冷える。
・口のまわりに吹き出物が出来る。
・色素沈着が起こり、口のまわりや頬にシミが出来る。
・副腎皮質がやられるので、リュウマチが起こる。

 

 

市販されているきれいな野菜には農薬が使用されています。普通に考えれば食糧を生産するのに農薬を使うというのはおかしな話ですが、現に農産物には多くの毒物が使用され、中に浸透しているのです。「よく洗えば大丈夫」といわれる方もありますが、それは洗ってもとれないのです。土を殺し、益虫を殺し、そして人を殺す、そしてこういう農法を人が行っている。前理事長はこの農法を「死の農法」と名付けました。日本は世界の中でも農薬使用量はトップクラスです。虫を殺すための農薬がかかった農産物を人間が食べて安全なはずはありません。時々家庭菜園で農薬を散布しているところを見かけますが、せっかく楽しみで野菜を作るのですから、安全なものを作りたいものです。どうぞ化学肥料や農薬を使用していない安全な作物をお召し上がりください。
また、農薬は果物や野菜などの農産物に散布されているだけではなく、私達の身近なところにもあります。ホームセンターなどで売られているガーデニングなどに使用する殺虫剤、殺菌剤、除草剤なども農薬と同じ成分のものですが、中には農作物の栽培に使わないため農薬登録されていないものもあります。それはゴキブリ退治や蚊よけに使う殺虫剤でも同じです。それらは農薬とは言いませんが、農薬とほとんど同じ成分であり、同じような危険性があります。植物の栽培に使うためのものではないため農薬取締法の規制は受けません。しかし、あくまでも農薬は菌や虫を殺し、草を枯らすための殺生物剤なのです。小さな子供さんに虫よけスプレーをかけることがありますが、それも危険です。ご注意ください。

 

 

農場便り 12月

 

立冬を過ぎた14日の朝、冷たい風が吹いた。北風に揺れる秋の名残りのコスモスが、農作業に出かける私の目に寒々しく映る。農場の桧の洗い桶に薄氷が張る。雑木林も一斉に色付き始め、木々にとって一年の集大成の時期でもある。柔らかな日差しの春から酷暑の夏、そして秋へと活躍した畑も晩秋にはほとんどカラになり、殺風景な景色により寂しさが増す。収穫を待つごぼうの大きな葉が寒さに萎える。
12月、カラになった農場に来春の実験栽培のための基礎準備に堆肥の搬入を行う。年内に、堆肥を入れ軽く耕し、ひと冬をかけてカビやバクテリアの力で完熟させ、土となじませておく。山積みされた堆肥をトラクターのバケットですくい上げると、中から真っ白で太くて短いジャバラ状の体のカブト虫の幼虫がうようよと顔を出す。畑に撒いた堆肥に紛れ込んだ幼虫を、畑の中を歩き回りながら一匹一匹バケツの中に拾い集める。バケツ一杯になった幼虫は来年の夏以降に使う堆肥の中に戻される。これが面倒で少々手間のかかる作業である。直営農場は粘土質が強く、少々の堆肥の投入ではフカフカの理想的な作土にはならない。この30年、毎年大量の堆肥を投入するが、まだまだ理想とする土には程遠い。農場を開墾し40年、人類が農耕を始めてからの長い年月を考えると、瞬きにも足りない時間であり、気長に土作りを行う。全国でも新土からの有機栽培園地は少なく、今後有機農業を進めるにあたり、今までのデータや体験は貴重なものである。
この一年の農場を振り返る。新年を迎え新たな気持ちで作業を始める。1月から3月初旬までは冬野菜の収穫、3月よりその年の実験計画に沿って新しく播種を始める。まずは、キャベツをトレイに播種、小松菜、ビタミン菜、大阪しろ菜、サラダ水菜などの葉物は前年初冬に準備した畑に畝を上げ、播種機で畝に直接種を蒔く。その播種機の名前は「ごんべい」、何か小ばかにしたような名前である。山のカラスも呆れたようにこちらを見ていると感じるのは私の被害妄想であろうか。
ビニルトンネルの中ではパプリカ、ズッキーニ、しそ、ゴーヤ、オクラがまだ冷たい外気から守られ育つ。きゅうりは抑制栽培実験のため6月初旬に播種を行う。その頃、協力農家の川岸農園のハウスの中ではきゅうり、トマト、インゲン、ピーマンなどが育つ。4月、蝶々の乱舞が始まる。冬を越したキャベツに卵を産み付けるシーズン到来。10日程で小さな穴がキャベツの穴に現れる。糸のような青虫が食害を始める。葉はアートを施したかのように穴が開き、風通しが良くなる。化学肥料や未完熟堆肥を使用した場合、害虫はその作物が死に至るまで食害するが、当会の栽培法は虫も生かされ、作物もいただくことのできる共存共栄の自然の農法である。冬場、バクテリアやカビにより、時間をかけ、さらに分解させるのは、作物が成長する際に害になる成分を根から吸収させないためである。バクテリアやカビは生命が終えた有機物を分解し、それを土に返し他の生命を育て、地球環境を守る掃除屋でもある。
5月、すべての夏野菜の苗を定植、日々管理を行う。3月に蒔いた小松菜やビタミン菜などの葉菜は収穫を迎える。3月に播種をしたゴボウも力強く葉を広げ、春の日差しは日々作物を大きく育ててゆく。この月セロリの播種も行う。小さな種は半年後大きなセロリへと姿を変える。6月、受難を迎える作物もある。レタスは高温多湿を嫌いこの時期に腐ってしまうことがある。サンチュはどんどん育ち、雨の多い時期はクワでの除草はできず手作業となる。
7月、ナスの収穫が始まるが、ここ2、3年ナスの栽培が良くない。花は咲けども実が出来にくく、てんとう虫だましが発生するようになった。連作障害を防ぐため毎年栽培地を変えてはいるが、年々それも難しく、今後の課題である。その間にも他の夏作物が協力農家から販売所へと届く。この頃になると高湿期へと突入、作業中全身から汗が噴き出し、憎き蚊の攻撃が日々続く。お正月用の金時人参の播種も始まる。人参は水分を好む作物で乾燥は最大の敵であり、地表が乾かないよう毎日ホースで潅水、週に2回、畝間に水を流し入れる。セロリの苗も大きく育ち、圃場へ定植を行う。金時人参の苗は4、5日で芽を吹き、日増しに大きく育つ。少し大きくなってくると間引きを行い、草に負けないよう管理に力を入れる。
7月下旬、キャベツの収穫を行う。数年来、夏にキャベツをとの思いで実験栽培を行い、品種、肥料などの実験を重ね、お盆までには何とか栽培することができた。しかし、他の葉菜類は、未だ苦戦が続く。大地の暑さにも負けることなく成長し続けた真夏のゴボウの収穫も始まった。夏のゴボウ堀、暑さで頭はガンガン、胸はムカムカ、これ程素晴らしい作業はない。夏ゴボウの播種は前年11月、一年を通して最も気候も良く、播種の仕事ははかどり、後の収穫の苦しみを忘れて、ついついオーバー気味に大地に種を蒔く。
8月、セロリの成長が暑さと水分不足で遅れる。畝間に水を入れるが、異常な高温がストレスとなる。きれいに整地され播種を待つ畑には、秋冬用野菜の播種が始まる。秋作は一年で一番害虫が発生しやすく、油断できない時期である。少しでも早く収穫をと意気込んで種を蒔くと、見事に食害され見るも無残な姿になる。白菜やキャベツ、ブロッコリーなどはトレイで苗を育て本畑に移す。
9月、各苗の定植、そして播種と忙しい日々が続く。9月の残暑に早作りの野菜はことごとく叩きのめされた。お彼岸を越えると虫の発生も山を越し、一安心となる。腰をかがめ草取りや間引きなどの作業を一日中行うと腰が伸びずなかなか元に戻らない。早蒔きされた野菜は9月下旬より収穫され、その後はひと冬じゅう野菜は途切れることなく生産が続く。この頃、真夏に播種された金時人参は鉛筆の太さになり、涼しさとともに急速に太くなってゆく。9
月の野菜は食害が多く見た目はよくないが、協力農家が努力を重ねた作品であることをご理解いただき、お召し上がりいただきたい。
10月、暑い日は続く。少雨の地域と豪雨の地域がはっきり別れ、大きな災害に見まわれた地域もある。作物の種を播種した畝に10月なのに夏草が芽を出し、成長する。目を離すと作物と草との見分けがつかなくなる。この時期、キャベツには夜盗虫が付く。そのため少々遅れるが成長は続く。白菜も成長を続け、11月中旬から出荷が始まる。また今年も鍋のシーズンの到来である。
11月初旬、来年の初夏用キャベツの種を播種、同じくブロッコリーも種を蒔き、収穫までの7か月ひたすら管理を行う。農業はなんと気の長い仕事であろうか。日本農業を現代社会の経済ベースにはめ込むのは所詮無理なことで、そのしわ寄せはすべて農民に降りかかってくる。無機質な考えのTPPは日本農業最大の山場だと思う。今後の動向に不安を感じる
中旬、今年最後の種を畑に蒔く。雑煮用大根である。新年の席を飾る大切な食材で、小さな可愛い大根である。
11月も下旬、寒さが農場を包む。北風が時折高揚した山肌を叩き、色とりどりの葉をさらって行く。「あの酷暑に耐え、美しく染まった木々の葉をもう少しの時間、枝に残してあげて下さい。そして私の目を楽しませて下さい」と願う。どんぐりの実が落ち、黒褐色に輝く大きな実が路上にびっしり敷き詰められた。大切な自然からの贈り物で、小動物はこの実でひと冬を過ごす。食べ残した実は春の日差しで芽を吹き、森を作る。森はあらゆる生命を養い、海をも養う。今、人は自然からの恩恵を忘れている。慈光会の農法は農学ではなく、生態学に近い農業である。すべての生命は生かし生かされる。奪い取るのではなく与えられる農法をと。
目まぐるしく動いたこの一年、皆様の健康を願い農に励んでまいりました。反省すべき点を大いに残したまま師走を迎え、すべてを来る年に繋げてまいります。来年も皆様の健康を願い、耕人らしき日々を送りたいと思います。
この一年、当会の作物を愛してくださったことを心より御礼申し上げます。

 

 

白菜の中で寒さに凍えるテントウ虫をみつけた農場より