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慈光通信 第249号

2024.2.12

健康と医と農 Ⅲ

 

前理事長・医師 梁瀬義亮

【この原稿は、1986年7月6日 西条中央公民館に於いての講演録です。】

 

 

生命力の活性化

どんな生活がよいかという事なのですが、まず皆さん、機械、自動車のエンジンを考えてみて下さい。私たちの体を精巧なエンジンと考えます。するとエンジンが旨くいかない場合、まずエンジンの油がきれると旨く回らないですね。これが一つ、もう一つはたとえオイルが入っていてもそのオイルの中に砂が入っていたとすれば旨くいかないでしょう。人間が我々のもっている生命力を活性化すること、これが生活ですね。この生命力を活性化するためには私たちは大自然からエネルギーを項かなければならない。このエネルギーを頂くのに欠乏があるとこれが病気のもとになる。慢性、急性の病気が起こってきます。もう一つは活性化する活動である生活の中において、自然にない異物、オイルの中に砂が混じっているように異物が私たちの体に入ってくると、エンジンは回らなくなる。即ちこれは毒物です。だからこの二つの立場から健康という事を考えていきましょう。

まず欠乏についていうと食べ物という事になりますね。生活の中の食物は非常に大切な物です。食物の誤りによって色々な病気が起こるのは疑いのない事で、私は過去40年の臨床生活で食べ物とそして起こってくる病気との関係をずーっと調査してきたのです。一人一人どの患者さんも食べ物の傾向を全部調べてきました。全部だから随分私の所は診察に時間がかかるのですから待たされるという非難がでているのですが、私は時間がかかってもよいからゆっくりその人の生活を調べる、そして診察させてもらいその結果、どこが悪いからどういうふうにしたらこれから病気が起こらないかをご指導申し上げる、これが私の治療だけでなく、そういう事が私の天職だと思っています。

 

今の栄養学

さて食べ物について申し上げますと、学校給食でも工場給食でも、栄養士さんはまずカロリーと、動物性蛋白を必ず考えて献立を決めます。カロリーと動物性蛋自の考え方は、そもそも何処からきたかというとヨ―ロッパの栄養学からきたのです。ドイツのルブラーという栄養学者の云った事からきています。皆さんはまずカロリーや動物性蛋白が足りなければ駄目だ、こういうことが栄養の真っ先の関心事になっていますね、だから病気になったらこれは大変だ、栄養をとらなければ駄目だと、すぐに、そら牛乳を飲ませろ、チーズを食べさせろ、肉を食べさせよという調子で蛋白質を沢山とったらよいのだという考えがあるでしょう。お昼の食事でも肉や魚それにつけあわせに野菜、白いご飯、これで動物性蛋白があるから完全だという考え方が、日本人の普通の栄養概念になっています。が良く考えてみると、ヨーロッパやアメリカ、中国大陸とは随分事情が違う、土地が違う。だから栄養に関しても考えなければならない。日本の健康法の会で日光浴をせよという健康法はないでしょう。なぜなら日本では日光が豊富だからそう云わなくても、ひとりでに日光にあたる訳なのです。けれども北欧に行ったら健康法には必ず日光浴がある訳です。何故ならむこうは日光が欠乏しているからです。

(以下、次号に続く)

 

食パンを美味しく保存

皆さんは食パンをどのように保存してらっしゃいますか?

食べようと思った時、パンにカビが生えていてガッカリという経験はありませか。そんなことの多い我が家では、以前テレビで見かけた保存法を思い出し、試してみました。それは、袋にパンときれいに洗って水分を拭き取ったセロリを一緒に入れ、しっかり封をするという方法です。やってみると、カビが生えないことは勿論、パンがいつまでも柔らかく美味しいのに驚きました。これは、パンがセロリから出る湿気を吸うため、新鮮な状態を保つことが出来るという事です。パンにもセロリの香りが移ることもなく、もともとの風味を損なうことはありません。

よくある保存法として、冷蔵庫での保存は乾燥してパサパサになるため、あまりおすすめできませんが、長く保存するなら冷凍保存が安心です。

他にもフタ付きの保存容器に食パンとウイスキーの入った小皿を入れるとアルコールが蒸発し、カビが発生しにくいという方法もあるようですが、まずは簡単なセロリで試してみませんか。

 

 

 

農場便り 2月 

 

北風にさらわれた枯葉が宙を舞い、葉を失った小枝にぶら下がるみの虫の蓑が風に揺れる。空き家となった蓑は初冬の景色の寂しさをより深くする。

子供たちが胸躍らせサンタを待つ12月中旬、当園では暮れに向け冬野菜の収穫が本番を迎え、慌ただしい日々を送る。野菜は年末となると毎日のように収穫する白菜やキャベツ、レタス、小松菜、水菜、大根、ゴボウ、カブ、そして赤カブ。他にも土の中で出番を待つ里芋や山芋、ブロッコリーやセロリもあり、年内最終週には雑煮大根もお目見えする。それだけの種類となると、トラックの荷台には収穫した野菜が所狭しと積まれる。

夕方になり屋外の作業を終え、収穫した野菜を作業所に持ち帰ると、そこからは寒さとの戦いが始まる。大きなプラスチックの桶に水を張り、野菜を荷台から降ろし、ポッコリお腹をつかえさせながら首から防水エプロンをかけ、スニーカーを長靴に履き替えて準備完了。勢いよく流れ出る水は間もなく桶を満タンにし、さらに容器を越えて流れ落ちる。この野菜の洗浄と整形が一日の作業の最終ラウンドとなる。

まずは大根。大根やカブは肌を傷めないようタワシの代わりに軍手をして優しく泥を落してゆく。泥が落ち、泥水の中から真っ白な肌の美しい大根が顔を出す。水の中の手はすぐに冷たさでかじかみ、指に痛みを感じながらも作業が進む。そうしているうちに美しく洗浄された大根が山積みとなるが、一息入れるまもなく大中小、白や赤色のカブも洗う。大根にも勝る美肌の持ち主であるカブは、煮て良し、蒸して良し、焼いて良しで、塩漬けや酢漬けにしても美味しく、きめ細かい肌は.火を通すと柔らかくとろける様にお腹に納まってゆく。おまけに青々とした葉も使えるので捨てるところがない。

根菜類の最後はゴボウとなる。水を流しながらの作業にもかかわらず、容器の中の水は台風の時の荒れ狂う河川の泥水の色となった。ゴボウは特に土を持ち込むため、益々水の濁りが激しくなる。ゴボウの香りを逃がさないよう軽くこすり、泥を落とすと大根のような美肌には程遠いが、ゴボウの良い香りが漂ってくる。そうして根菜類すべてを洗い終えると上水道の冷水でもう一度流し、最終仕上げとなる。その頃には滴り落ちる水に泥の色は混じることなく透明の水となる。

続いて葉菜の作業が待つ。寒さで傷み黄色くなった葉を取り除き、根元だけを水で洗い流す。すでに長靴の中は冷たさで足の指の感覚はない。葉菜の掃除で一番手間がかかるのが水菜、細い葉が集まった株の中から黄変した葉だけを取り除いて除根し、軽く水洗いをして完成となる。 同じ葉菜でも小松菜は水菜ほどの手間はかからず孝行者である。

山芋、里芋は水を使うことなく、細い根と泥を落としきれいにする。

収穫後に外葉を整えながらコンテナに入れておいたキャベツや白菜は、倉庫で鮮度が落ちないようにひと手間加えて作業を終える。

24日より、祝いの席に花を添える雑煮大根の収穫が始まる。この細い大根はお雑煮にはなくてはならない野菜である。くせがなく、味が繊細で控えめ、しかしながら気の毒にも定位置は常に椀の中の目立たない場所、真ん中には美しい焦げ目がついたお餅がドカンと鎮座する。この脇役の雑煮大根も一度に200本を収穫し、これもまたきれいに洗い上げる。暮れの野菜の収穫は28日まで続く。

冷え切った身体で愛車にまたがり、夜道を走らせて帰宅の途に就く。途中にある公舎の広場でクリスマスのイルミネーションが暗闇の中にキラキラと美しく輝く。広い会場に人っ子一人いない所で健気に光を放つイルミネーションに一抹の哀愁を感じる。思わず「お疲れ様」と言葉が出る。

29日、雑煮大根は畑から姿を消し、耕作地は空き地となった。青々としていた地が空になる寂しさと共に無事に収穫を終えた安堵感が湧いてくる。28日には寒さ除けにと不織布に包まれていたセロリもあと僅かとなり、大寒が来ないうちにと収穫し、水分調整をしてから冷蔵庫に運び込み、コンテナの中で出番まで休眠に入る。

山の畑は朝夕の冷え込みが強い。山の冷蔵庫は一年を通じて3℃に設定しているが、冬になると冷蔵庫の中の方が温かく感じる日が続くようになる。そんな寒さに敗けないよう白菜は大きな株をスッポリと不織布で覆い、今後の収穫は晩生の品種となる。隣の畝で仲良く育った大根は年内でほぼ収穫を終え、畑には残すところ後僅かとなった。この大根や白菜は共に重量野菜のため高齢化の進む農村では栽培を避ける傾向にある。「まだまだ若い、末永く栽培を続けるぞ」と自身に言い聞かせる。白菜の収穫は専用のカマで太い根元からバッサリと切り、外葉を外し大コンテナで運び出す。しっかりと結球した白菜は一つでもずっしり重く、10個以上入れたコンテナは自身の重さも入れかなりの重量となる。大根も同じで、それを肩に担ってトラックの所まで運び込む。肩に担ぐ時に畑で発する奇声は今年も健在、ヨタヨタした歩荷(ぼっか)姿もまたしかりである。外した白菜の外葉から青虫が顔を出す。稀にバッタやオンブバッタも「こんにちは」と顔を出す。不織布を被せてあるため、青虫にとっては暖かい食糧庫での越冬となる。青虫曰く「ここは天国、天国」。しかし天国もここまで、耕人に見つかったのが運のつき、青虫は寒空の下、畑の隅の草むらに捨てられることとなる。人生、いや虫生、いつまでも甘くはないのが世の常である。そうしてきれいに整えられた白菜は他の野菜と共に作業所に運ばれ、それぞれの活躍する地へと旅立っていく。

真冬の畑は毎朝凍て付き、凍った土の中で作物はじっと寒さに耐え生き抜く。そんな土の中で出番を待つ里芋は水管理が出来る牧野地区の畑で、山芋は少しでも味、香り、粘りが上がるようにと厳しい山の畑で栽培を行う。山芋栽培に於いて、地球の中心部へ向かい土中深くに伸びた芋を掘り出す事はほぼ不可能であるため、ない知恵を絞り、プラスチックのトタン板を土中に埋め、その上に土を寄せ種芋を植える。山芋はプラ板に沿って素直に成長していく。と言いたいところであるが、中には板を乗り越えて自由を謳歌する強者も現れる。いつの世もこういう輩はいるものである。荒野に近い山の畑で育った山芋には少々痘痕(あばた)が出来るが、それも自然のなせる業、エクボの一つと大目に見ていただきたい。新しい活力にあふれた山の畑で育つ作物は、悠久の昔から作られてきた畑で育った作物よりも美味で栄養価も高いと自分勝手に自負するが、山の土では中々栽培しにくいのが欠点で、行儀の悪い山芋を当園では「自由を勝ち取った民主のための山芋」と名付け、わが身を呈し人々の健康のために捧げる。山芋の栄養価について少し書かせていただく。

山芋とは、古くから日本で食されている「ヤマノイモ科」の多年草で、私たちが日ごろよく食べているものは主に3種類に分けられる。大きく分けると粘り気の少ない「長芋」、粘り気の強い「大和イモ」や「イチョウ芋」となる。

山芋は昔から「精がつく食べ物」といわれ、薬膳では「腎」を強化し体を潤すことで老化を防止する食材とされる。デンプンを分解し消化を助けるジアスターゼが多く含まれており、摂取した栄養を吸収しやすくする。独特のぬめりは、腸内の食物を包んで糖質の吸収速度を緩やかにするため、血糖値の急上昇を抑える他、体内の粘膜の損傷を防ぎ、胃潰瘍や胃炎、感染症やアレルギー疾患などの予防・改善につながると言われている。

糖質の代謝に不可欠なビタミンB1も豊富で、腸内環境を整える食物繊維や疲労物質を代謝するアミノ酸のアルギニンも多い食品である。これらの栄養素の働きにより、疲労を回復してスタミナを補給、胃腸の働きも活発になり、滋養強壮、夏バテ予防にも効果があるとされている。

山芋は、芋には珍しく生食が可能なため、これらの栄養成分を加熱・調理によって失うことなく食べられる。すりおろして「とろろ」にする料理が代表的であるが、消化酵素であるジアスターゼを含んでいて、でんぷんの一部が分解されるため、生で食べても胃にもたれない。皮をむくと酸化して変色してしまうので、すぐに酢水にさらしてアクを抜くことが大事。

長芋は火の入れ方によってサクサクからコリコリ、ホクホクと、食感が変わっていき、旨味もプラスされる。輪切りにしてソテーや炒め煮にするほか、ステーキなどの焼き料理に。山芋は、すりおろしたものを加熱すると、とろみのある食感がふわふわ、モチモチに変わり、風味もアップ。グラタンや落とし揚げにすれば、やわらかな食感が主役のおかずになり、お好み焼きのつなぎとしても活躍する。

これらの養分を取り入れ、この寒空の下で猛威をふるうインフルエンザ等から大切な身体をお守りいただきたい。「良薬、口に苦し」ではなく「山芋、口に旨し」と願う。

終日続く年末の収穫作業は、他の畑で育つキャベツの除草を行う時間をも中々与えてはくれない。雑草に神経質な下農の耕人にとっては年内辛い日々が続く。終日腰を屈める作業をしていると、夕刻になると腰の痛さは尋常ではなくなり、気合と共に背中から腰までを一気に伸ばす。そんな多忙な日々も28日で終え、29日の仕事納めの日は、終日掃除と農具の洗浄に費やす。一年間お世話になった農具を洗い、大地を深く耕したトラクターにこびり付いた泥を圧力水で洗い流す。トラクターが持ち込んだ倉庫内に溜まった畑土もスコップと竹箒で掃き清めると、モクモクと上がる土けむりの中からコンクリートが顔を出す。何やかやと最終日も時間に追われる中、あと一仕事が待っている。

当会前理事長の記念碑が農場の最高所450mの地で木々に囲まれた場所にある。そこでは木々の落葉やひと夏の間伸び放題となった雑草が私を待つ。が、そこへ行くためにはまずその場に行く農道を歩いて点検しなければならない。イノシシが道を崩し、そこに覆いかぶさる雑草で下見をせず進めば奈落の底に、となってしまう。道を確認し終えると、イノシシたちが荒らし無残な姿になったデコボコ道を我が軽トラはゆっくり進む。ようやく到着すると、まず枯草を刈り、落ち葉をかき集め、一気にフォークで運び出す。次に記念碑を竹箒で掃き清め、美しくなったところで最後に一年の会の無事を報告し手を合わせる。碑の前には山口さんのリンゴと当会のみかんをお供えし、再度手に汗握るハンドルを取り倉庫へと戻る。広い畑に一年の感謝を述べ頭を下げる。ゲートの門扉を閉め、いざ店へとトラックを走らせる。店に戻ると、職員と一年間の無事に感謝し、来る年に願いを込め各自の家庭へと帰ってゆく。外はすでに暗く、何十回と迎えたこの日ではあるが、何とも言い難い寂しさに包まれる。

12月はクリスチャンから仏教徒、年が明ければ神道へと日本はめまぐるしく過ぎてゆく。新しい年を迎え、家族7名が祝いの席を囲む。この日だけは酒類はすべて敵と見る家人も本日はうるさい小言もなく美酒に浸る。当会の食材を使ったお節が美しく並び、お雑煮の椀には我が分身の雑煮大根がお餅の陰に潜む。祝った後は各自が自由に元旦を心ゆくまで楽しむ。ぼーっと見つめる自室の天井、その時、携帯の緊急警報がけたたましく鳴り響き、しばらくしてからグラリと我が家が揺れた。それでも立ち上がることなく天井を見つめ続け、「すぐに治まるだろう」と平和ボケした頭で考える。

その時には、能登であのような大惨事が起きていようとは考えていなかった。

後の報道で大災害になっていることを知り、家人とテレビの画面に向かいどうか皆が無事でありますようにと祈る。その思いが叶うことなく、能登は壊滅してしまった。以前立ち寄った能登の朝市の賑わい、美しい芸術品である漆器に魅了されるもお財布からOKが出ず、涙ながらに諦めた思い出。もんぺ姿に姉さんかぶりでフグの卵巣の糠漬けを売るおばさん達等々、思い出深い地が猛火に包まれる光景を目にする。

「能登の地に平穏な日々が戻りますように」と初瀬の観音様に手を合わせたのが1月3日の初詣でとなった。この時ばかりは自分の欲はすべて捨て、一心に能登の事を祈る。泥やがれきの中、道なき道や山を越え人々を救うため進む自衛隊員、猛火にも脅えることなく挑む隊員の姿に思わず目頭が熱くなる。

当会が直面する目に見えぬ公害の波、この波にきちんと立向かっているだろうかと自問してみる。恐ろしい公害は目に見えないため人々に伝わりにくく、ましてや平和ボケした社会には危機感はないに等しい。本年、能登で活動する人々の姿を心に土を耕し種を蒔く。一人でも多くの人を公害の渦から守ることが出来ますように。そしてこの一年を皆様と共に健康で過ごさせていただけますように願う。

「命を惜しむな、名をこそ惜しめよ」この言葉を胸に自らを戒め、襟を正す。

能登の地に手を合わせる農場より