慈光通信 第153号
2008.2.1
生命を守る正しい農法の追求 4
前理事長・医師 梁瀬義亮
【この原稿は、昭和47年8月20日 財団法人協同組合経営研究所主催 第2回夏期大学における梁瀬義亮前理事長の講演録です。】
生命力低下はどんな現象か
この生命力の強さには、私どもも驚かされたわけですが、生命力の低下というのは、どうしておこるのかということを、医学的に考えてみましょう。
第一に考えられることは、私たちの体というのは、たくさんの―何千あるいは何万かも知れませんが、酵素が複雑なギアのような組み合わせをして、動いているわけです。複雑な酵素形態をなしている。この酵素形態がうまくいかないところに、まず生命力の低下がおこってくる。
第二番目には、その酵素形態の行われている細胞をひたしている血液とかリンパ液が、非常に悪い変化をうけ、異常をおこしている。そのために酵素系統の作用がうまくいかないことが考えられる。
第三番目は、私たちのからだの中の生理を調節する自立神経系統、胃や肺や心臓の働きを調節する調節系統に異常をきたしている。あるいは内分泌系統、ホルモン系統に異常をきたしている。こういったことが考えられるのです。
こういったことをおこす要因はなんだろうかと、私は一臨床医としてたんねんにみてまいりますと、たしかに食物の影響、その他空気とかの物質的要素が非常に大きいですね。しかし、精神的要素もばかにできない。これは今の医学では忘れておりますけれども、ばかにできない要素です。
精神的要素は、たとえば最近あった例ですけど、ある患者がせきが出て、タンが出てどうしてもとまらない。ほうぼうの病院をまわり、私の所にもこられたんですが、大した病気もないのにとまらない。それで、」よくきいてみると、その方の兄さんが、肺臓ガンでなくなったんです。ご自身非常に肺臓ガンの心配をしておられるんです。潜在意識的に肺臓ガンを非常におそれていられるんです。それに気がつきましたので、無駄だと思ったんですが、レントゲンを縦・横、方々からとりまして、たくさんみせまして、「このとおりあなたの肺はなにもないんだ」ということを申し上げて、いままで随分薬を飲んでいたために、胃を悪くしていたので、胃と肝臓の薬だけあげて帰っていただいたんです。
すると、不思議にその晩から、咳もタンも全部とまってしまったんです。それっきりです。いまさらながら、病気とは、気を病むと書きますが、たしかに精神的要素は大きい。おそらく昔のように、自然生活をしている場合には、物質的な要素はそう大きく占めずに、精神的な要素が大きかったんじゃないかと、勝手に想像するんです。
生命には不思議がいっぱい
それから、こんなことを申し上げると、変に思われるかもしれませんが、あえて、ご参考に申し上げたいのは、決して神がかりで申すのではありませんが、公平にみて、現在のわれわれの精神力とか、物質の力ではわからないような病気の治癒例があります。たとえばこういうことなんです。
ある七十数歳のおばあさんです。若い時分に、病気がもとで関節が動かなくなりまして、手はやっと動くんですが、足の関節は全く動かないんです。あわれな一生で、若い時から寝たきりだったんですが、一生懸命に仏さまをおがんでいたわけです。ところがある時、プチッと音がしたとたんに、足が動き出したというんです。私のところに電話がかかってきたんで、そんなはずはない、といいましたら、いや、たしかに足が動き出したんだ。そしてばあさんがうれしい、うれしい、といって歩き出したというんです。
行ってみますと、いかにも足が動く、そして、よぼよぼですけれど、歩いて台所へ来て、うれしい、うれしい、と喜んでおります。医学的にいって、完全に固定してしまった関節が動くはずがないんですが、そういうことがあるんです。二日ほどたって、うれしい、うれしい、と手をたたいて、歌をうたいながら亡くなりました。これは事実だから申し上げるんです。ほんとに不思議なことがあるものです。
もう一つ、自信をもって申し上げたいことがあるんです。これも決して、神がかりではないんです。私も医者のはしくれですから、非常に敬虔な一生を送った方、これはどの宗教に限りません。仏教徒でもクリスチャンでもいいです。非常に敬虔な一生を送った方は、死後硬直がこないんです。これは理屈じゃなくて事実です。私はこれを、同窓会で作っている医学会で発表したら、みなが笑い出して、そんなばかなことがあるものかという。
人間の筋肉の中には、グリコーゲンがある。それが、死んだら乳酸にかわるから筋肉が硬直いたします。牛でも犬でも死ぬとかたくなります。牛肉はしばらくおいとかないと食べられないというのはそれです。しばらくたつとやわらかくなって食べられる。
ところが、敬虔な一生を送った方は死後硬直がこない。私は二十年も患者さんを調べているが、事実なんです。わからない世界のあることは、実際に臨床にあずかっていますと、よく出会います。
こういうことをご参考に申し上げながら、私たちの酵素系統の運営が、非常に異常だったり、血液やリンパが異常をきたしたり、あるいは自律神経、ホルモン系統に異常をきたすという要素に一番大きな役割を占めるのは、物質的なもの、ことに食物でございます。これについて、二つのことが考えられます。
一つは、さきほど申しました、私たちの複雑な、何千何万という酵素が、複雑なギア装置のようになって運営しているが、このギアがうまくまわらないことについては、まず油ぎれが考えられるわけです。これが欠乏であります。欠乏という要素によって、私たちの体に異常をきたす。
もう一つ考えられることは、このギア装置の間にカスがたまったり、へんなものがたまって、ギアがうまく動かない場合です。なければならないものが欠乏するかわりに、あってはならないものがひっかかってうまくいかないということが考えられます。これは毒物でございます。
(以下、次号に続く)
地球温暖化を防ぐために その2
慈光会職員全員が、アル・ゴア氏出演の映画「不都合な真実」を見て、「温暖化」という柔らかい表現ではなく「気候の危機」を膚で感じてきたことを、昨年、4月号でレポートさせていただきました。何とか早急に温暖化をストップさせたいとの思いから、まず、第一番目として「1.個人で出来る省エネ」について調べ、4月号でお伝えいたしました。 今月号では、その続きとして、個人ではなく、「2.電力会社が取り組める省エネの工夫」を集めてみました。
2.電力会社が取り組める省エネ
1)電力会社が家庭の使用電力をコントロールする方法
目から鱗が落ちる発想です。
アメリカのある電力会社では、各家庭の中の電気系統を2つに分けています。一つ目はエアコン系統、二つ目はその他の電気系統です。一つ目のエアコン系統の電気は、電気会社がコントロール出来るように設定してあります。真夏の、使用電力がピークになる時間帯、電力会社は地域ごとに5分ずつ、順番にエアコンの電源を切って省エネをはかっています。そのようにして、例えば12の地域を順番に5分ずつ切っていくと、60分間ピーク時電力のカットが出来るわけです。締め切った部屋で5分間エアコンを切られても、殆ど体感温度は変わらないそうですから、消費者への影響は、ほぼゼロと考えてよいでしょう。一方、電力会社の方はと言えば、ピークをカットできれば、会社の発電量を減らすことが出来、新たな設備投資もせずに済み、大いに経費削減出来る訳です。家庭ではカットされた分だけ電気代が安くなり、会社と消費者双方にうれしい省エネとなっています。両方が得をする「ウィン・ウィン」(両方勝ち・双方の利益になる意)方式です。現在では1千万世帯がこの方式で電力の供給を受けているそうです。
2)電力会社が省エネ電化製品の買い替えをサポートする方法
アメリカ、カリフォルニア州の電力会社では、地域の使用電力量が増え、発電所を新たに増設しなければ賄えない見通しになってきました。増設には5000億円の建設費が必要。そこで、スマットという名の電力会社が取ったのは、増設をせずに済ませる方法でした。住民に省エネを呼びかけ、それをサポートするのです。
例えば、住民に省エネの電化製品に買い換えてもらい、それを電力会社に申請してもらいます。すると、冷蔵庫なら3万円の補助金をプレゼントする、といった具合です。(慈光会職員の中にもこんな例がありました。冷蔵庫を省エネのものに買い換えたら、電気代が毎月1200円くらい安くなった例、古いエアコンを一台取り外し、省エネタイプのエアコンを三台取り付けてもらったら、エアコンの台数が増えたにも拘わらず電気代が安くなった例。今の電化製品の省エネ度はびっくりするほどですから、スマット社の取り組みは省エネに関して言えば大変有効だと考えられます。)
又、スマット社は省エネ電球を無料で配りました。さらに、社員が一戸一戸家庭を尋ねて歩き、省エネの啓蒙活動を熱心に行いました。
スマット社はコメントしています。
「新しい発電所を建設するより、そのほうがずっと安上がりなのです。」と。
この例も、消費者、会社、環境に「ウィン・ウィン・ウィン」の「三方勝ち」方式と言えそうです。
3)ドイツのように使えば使うほど単価が高くなるように電気料金を設定する方法
ご存知ですか?日本の一般企業向け電気料金は、沢山使った方が、単価が安くなるという設定になっています。これでは使用量がなかなか減りませんし、省エネも図れません。
翻って、フランスでは時間帯ごとに電気単価が高くなったり、安くなったりする方式をとっています。(基本的に、使えば使うほど高くなるのが前提です。)これはピーク電力をカットする目的もあり、ピーク電力が出る時間帯は普通時の10倍もの価格が設定されていたこともあったそうです。こうすると、誰でも、自動的に料金の高い時間帯には必死で省エネを図る、ということになります。
又ドイツでは電気の単価が使えば使うほど高くなるように設定されています。環境教育も小学校から充実していますから、おのずと省エネが浸透しています。
日本の家庭向け電力のように「オール電化に限って深夜電力が1/3の価格」、などという設定は、省エネにとってはプラスの発想ではありません。これでは、益々電気を沢山使うライフスタイルに拍車をかけてしまうことでしょう。日本でも、ドイツやフランスの電力会社のように、沢山使ったら、益々沢山の料金を払わなければならない、という料金システムを会社と家庭と共に導入してこそ、国を挙げての省エネが図れるのではないでしょうか。
現代急速にその罹患率を上げている「癌」。今や、三人に一人は癌で亡くなるという統計が出ているそうです。今、この瞬間にも多くの人が癌への恐怖心を持ち、又、癌と闘い続けています。
慈光会前理事長の梁瀬医師も患者の重要な治療法として取り入れた「青汁療法」、その創始者、遠藤仁郎博士の「癌」に関する一文を、ここにご紹介させていただきます。会員の皆様の日々の生活のご参考にしていただければ幸いです。(編者)
「癌とナッパ・青汁食」
医学博士 遠藤 仁郎(にろう)(元倉敷中央病院院長)
遠藤青汁の会発行
難病中の難病といわれる癌。できることならかかりたくない。これだけすすんだ医学でも、発癌物質に囲まれている現在。いまだに、適確な予防法はなく、かかったらなるべく早く見つけ出して、根こそぎ切り取ってしまうこと、とされているが、これとて、うまく成功するのは、ごく初期の、小さくて数の少ない間だけ。大きくなっていたり、多くなっていれば、強力な放射線や抗癌剤の力をかりるなど、いろいろ手を尽くしても、なかなかむつかしいことは、よく知られているとおり。
それがなんと、ほかの難病の場合と同様、ナッパ・青汁食(イモ・マメ・ナッパ・青汁食)を熱心にやっていると、どうやら、めったにかからないようだし、存外、悪性度がかるく、進行度が遅い。手術しても、出血や痛みが少なく、術後の疲労や発熱もないか、少なく、再発も少ない。放射線や抗がん剤による厄介な副作用も少ないか、ほとんどない。
また、すでに転移があり、とても長くはなかろうと思われたのが、5年10年はおろか、20年もそれ以上も、何事も無く元気に生きている例、青汁を飲んでいる間はよかったが、やめると急速に悪化したり、再発する例。あるいは、手術不能とされ、放射線や抗がん剤でしか治療できない全身性の癌。たとえば、悪性リンパ腫や白血病などにも著効がある。
しかもナッパ1.2?1.5キロ(青汁5?6合)以上と、徹底的にやると、多ければ多いほど効果が大きい、という事実がある。これは、おそらく、ナッパ・青汁食によって、現在一般の不自然・不合理きわまる不完全食が改善され、この食のあやまりのためににごり切っていた血がきれいになり、おとろえ、よわっていた体の中のはたらきがよくなり、健康力、生命力がもりあがって、細胞の癌化に抵抗する力(抗癌能)や、変性細胞を捕捉・殲滅(せんめつ)し、そのバッコ(=跋扈:編者注;のさばり、はびこること)を防ぐ全身の力(免疫能)が強められるからであろう。また、も一つにはこの食生活改善の中心になっている良質ナッパに多いビタミンやミネラル、繊維などによる毒消し効果もあずかっているだろう。すなわち、ビタミンA・B・C・Eには制癌能(癌化抑制)があること。カルシウムや痕跡ミネラルには癌原物の生成を妨げる作用のあること。繊維には癌原物を吸着し取り除く能力があること、などが知られているが、徹底したナッパ・青汁食には、さらに広く、すべての有害にたいし、神秘的ともいうべき、強力な解毒能”自然の力”があると想像され、この”自然の力”によって、発癌自体、あるいは発癌性代謝産物が、分解され、解毒されるのではあるまいか。
つまり、ナッパ・青汁食ではただ浄血による抗癌力の強化だけでなく、癌毒性の解毒も加わって、制癌能、抗癌能がたかめられ、強められると考えられないだろうか。もちろん、これは科学性に乏しい単なる臆説(おくせつ)、仮説。例によって、”なんでもナッパ・青汁居士(こじ)”のたわごとと、笑われてしまえばそれまでだが、少なくとも、上述の治療効果はこれを実証するのに十分な事実で、その意義は無視されるべきではあるまい。癌の予防・治療の一法として、あえて推奨する所以(ゆえん)だ。
それに、たとえ、無効だとしても、多くの治療法にみられる、好ましからぬ副作用は、絶対にないから、ともかく熱心に、徹底的にやってみるべきだろう。勿論、そのために大切なことは、安全良質ナッパ・青汁の十分な量を、根気よくとり続け、たとえ小康が得られても、(飲む青汁の量を)減量したり、中止しないこと。それは、青汁によって折角もり上がってきた抵抗能(抗癌力)が、減量あるいは中止によっておとろえてくると、それに乗じて癌の活動がぶりかえし、病状がふたたび悪化してくる。しかし、それにたいし、一旦落ち込んだ抵抗力はにわかには挽回しがたいため、癌は急速に進行するおそれがないではないからだ。
《編者注:遠藤先生が「安全良質ナッパ・青汁」とおっしゃっているナッパ類は「化学肥料も農薬も用いていない完全無農薬有機農法で栽培されたナッパ(緑黄色野菜と青汁材料のケール)の事を指しています。》
《※遠藤先生と前理事長梁瀬医師は、親交があったため、慈光会では、遠藤先生から「全ての私の文章はご自由にお使い下さい。」とのご許可を頂いております。今回「遠藤青汁の会会誌」より転載させていただきました。》
農場便り 2月
早朝降りた真っ白な霜と土を覆う腐葉土をそっと掻き分ける。そこには小さな春が宿っている。小さなふきのとうは寒さに耐え、暖かい春の陽を待つ。外気は冷たく、周りの木々の芽は寒風を避けるように硬く閉ざす。千両や万両は真っ赤な実を結び、殺風景な冬の庭に色を添える。南天の実は、鉛色の空に美しく北風に揺れる。水仙の花はかすかに甘い香りを漂わせる。
本年もあわただしく農作業が始まる。作業をしながら暮れから新年を振り返る。大晦日、静寂した夜空に除夜の鐘が響き渡る。新年を迎える。一年の計は元旦にあり、「明朝はご来光を仰ぎ手を合わせよう」と心に決め深夜床につく。新年の目覚め、お日様は高く上がり優しい光が窓の外を明るく輝かせている。こんな調子で30数年同じ失敗の繰り返しである。家族が集まり一年の無事を祈り、その後ささやかではあるが祝いの宴となる。お祝いの品々が美しくお重に飾られ、お正月をより華やかにする。農場で育った作物で作られた品々のうんちくを家族に話すもただの自慢話に過ぎず、誰一人耳を傾ける事無く黙々と箸を進める。祝いの酒も手伝い、私のテンションは最高潮に達する。そんな楽しい時間は短く、三が日は直ぐに過ぎてしまう。子供たちは各自の生活へ、我が家はまた夫婦二人だけの静かな生活へと戻る。
農場での作業も新たなる気持ちで精を出す。毎年同じ作業の繰り返し、本年もまた果樹の剪定から始まる。少し膨らんだ蕾に罪悪感を感じながら、剪定バサミで枝を切り込んでゆく。時には腕ほどもある枝も切り落とす。足元には切り落とされた枝が乱雑に重なる。膨らみ始めた蕾が地上より恨めしそうに見上げる視線を感じながら作業は進む。このようにして一年を通じ作物を管理する。「農業に於いて観察する事はもっとも大切な事である」と前理事長はよく口にしていた。才に長けた人は、地道な日々の観察により素晴らしい発見をする。大いなる凡人の私は、作物が嫌がるほど観察すれど、素晴らしい発見と出合うことは無い。然し、凡人には凡人の生き方があり、固定観念を捨て、賢者の教えを謙虚に聞き、自然より学び、怠らず、小さな努力を繰り返す。前理事長が書き遺した書物を繰り返し読み、人生の迷い道に足を踏み入れないように精進する。頭の中では理解しているつもりではあるがいざ実行、となると私の大いなる凡人思想がメタボ腹より湧き上がり邪魔をする。それでも正しく前進のみ、と自分自身に強く言い聞かせ、年頭にあたり熱く決意した。
慈光農園の周りの山々がまだ開発されていない頃、鬱蒼とした雑木山の中に何本かの細い山道があった。農園の近くの分かれ道の角に石が鎮座し、そこには「右高野 左伊勢」と記されていた。昔、伊勢・高野参りの人々が道に迷わぬようにと置かれたのであろう。今や世界中が間違った道に迷い込み悲惨な現状である。科学が進み公害を生み、医学が進み病人が増え、農学が進み飢えに苦しむ。これより一年、一人でも多くの人々に生命の喜びをお届けできるよう、当会がやるべき事を一歩一歩勇気を持って進んでゆきたい。
農場には北から強い風が吹く。お日様の姿は雲の中に隠れたまま、日中でも1?2度にしか気温は上がらないという日が多い。初冬より収穫を続けてきた冬野菜の姿も残り僅かとなって来た。収穫を終えた畑は寒起こしを行い、春夏作の準備を行う。夕方、小さな鳴き声を上げメジロの群れがねぐらへと移動して行く。目には暖かい風景であるが、外気は一気に下がり肌を刺す。片づけを終える頃、東の空には赤い光を放つ火星が美しく輝き、冬の風が夜空をより美しく澄み渡らせる。農場便りは狭い世界での出来事をお伝えしている。悲しいかな大いなる凡人が、目にし、感じた事を持ち前の乏しいボキャブラリーで表現しなければならない。一耕人の戯言とご理解いただき、この一年もお付き合いいただきたい。本年もどうぞ宜しくお願い申し上げます。
新年に夢ふくらむ農場より