慈光通信 第187号
2013.10.1
病気のないすこやかな生活 ― 医・食・住 ― 10
前理事長・医師 梁瀬義亮
【この原稿は、1982年(昭和57年)3月6日 熊本県立図書館ホールでの講演録です。】
運動と呼吸
それから大事なことは運動する事です。いくら食べ物に注意していても運動しなかったらだめです。私の調査では、こまめによく働く人は長生きです。肉体運動をよくすることは公害対策の一つにもなります。農薬中毒の問題を調べておりますが、農薬が入ったとしても、運動をよくしていると害は少ないのです。こまめに仕事をしていただきたい。家の掃除をするのも、畑をするのも運動ですから、こまめに身体を使っていただく習慣をつけていただきたい。
それから呼吸に気をつけていただきたい。最近、我々は呼吸の大事さを忘れておりますが、皆さま、技術を学ぶ時に「呼吸をつかんだ」とか、「その呼吸だ」とかいうでしょう。何をするにも精神生活でも、肉体生活にも呼吸が極めて大事です。スーッと早く下腹に息を吸い込んでゆっくりはき出していく。これを常に気をつけてやって下さい。朝晩、寝間の中で下腹に手を当てて手の所へ空気をスーッと吸い込んで、ゆっくり吐き出すのも一つの方法です。
恐ろしくてたまらない「たばこ」
それから、たばこの害、これは実に恐ろしいのです。臨床をやっていますと、たばこの恐ろしさが分かります。ことに最近のたばこにはニコチンやタール以外に、たばこの葉の生産過程で農薬をたくさん使ってありますから、余計に害がはなはだしいのです。昔の人は刻みたばこをキセルで吸って、まだましだった。今の人は紙タバコを吸いますから、害がはなはだしいのです。できるだけたばこはやめるか、あるいはうんと少なくするという習慣をつけていただきたいのです。また、必ずパイプをつけて下さい。そしてだいたい人間の極量は1日15本でありますから10本を超さない方がいいのです。10本をこしたらボツボツ危険です。最近の煙草は30本以上吸ったら、これはもう命が危ない。ポックリ病といってポクッと死ぬ病気があるでしょう。ああいうのを調べていると案外ヘビースモーカが多いのです。私はポックリ死んだ若い人の話を聞くと、すぐ聞きに行くんです。そしてどういう生活をしていたかという事を調べます。
果物は野菜の代用にならない
また、最近の果物はきわめて農薬汚染がはげしいですからあまり食べられない代物になってきております。また果物は栄養的に野菜の代用にならないことも知って下さい。
さて、前に申したような食事パターンにして、よく咀嚼する。こういう事を致しますと病気はぐっと減りまして、大体3年間続けていただきますと、私の20年間の統計では大体病気は3分の1ぐらいに減ります。病気の回数だけではなくて、そして病気の重さも3分の1ぐらいになります。
ところがこの大事な芋、豆、菜っ葉、あるいは黒い米(五分つき米、七分つき米)、麦、雑穀、こういったものを栽培する農法が現在は狂っているのです。そのために農作物自身に欠乏がきております。おまけに近代農法は農薬を使いますから更に大変な農薬の害が出てきております。この重大な問題について申し上げたいと思います。
農民と消費者は同志
消費者の皆さまに申し上げたいのですが、農業というのは、農民だけで出来るのではないのです。農民が作ってそれを正しく評価する消費者が正しく消費して下さって初めて農業が成り立つのですから、消費者の皆さまと農民とが見事にタイアップして農民も幸せであり、消費者も幸せである。こういう状態を作らなければいけないのです。
ただ値段だけから、農民が高く買えという。消費者が安く売れという。ここでけんかするのですが、これはお金だけを考えるからそうなるのであって、私は協力農家の方に言うのです。「消費者のおかげで、われわれ農民の生活が成り立っているのだという事を考えなければならない。消費者は農民のおかげでわれわれの健康と生命が養われているのだという事実をみつめねばならない。それが一番大きなことであって、お金の問題はその次に解決する問題だ。だから我々は同志なのだ」という意識を先に持っていただきたい。
(以下、次号に続く)
農産物の農薬について
厳しい夏の暑さも落ち着き、ようやく過ごしやすい季節がやって来ました。最高気温は毎年更新され、慈光会の農場や協力農家も異常な暑さや水不足のため播種した野菜が発芽しなかったり、虫害が出たり、と大変苦労しています。台風による大雨や災害により野菜はダメージを受け、スーパーに並ぶ野菜も例年より価格が高騰しているようです。そんな中、今年もかわいいリンゴが届きました。こんなリンゴを見ると思わず「ガブリ」と噛り付きたくなります。もちろん慈光会のリンゴは無農薬有機農法ですので安心ですが、市販のリンゴはどうでしょう?果物や野菜には一体どれくらいの農薬や化学肥料が使用されているのでしょうか。
農業には大きく分けて『有機栽培』、『減農薬栽培』、『慣行栽培』という3種類の栽培の仕方があります。慈光会では少しでも農薬をかけてしまうと意味がない、という考えから、取り扱う野菜、果物は全て有機農法で作られたものです。慣行栽培とは一般的な、化学肥料と化学農薬を使用して作物を育てる農法です。そして、減農薬栽培とは慣行栽培よりは化学農薬の散布回数を減らすという農法です。減農薬と言えば聞こえはいいのですが、慣行栽培のものに比べてどれくらい「減」農薬なのでしょうか。
例えばある県の慣行栽培のリンゴの防除暦(作物の栽培体系に沿って、使用する農薬名、散布時期、散布濃度等が詳細に記載されているいわば病害虫防除のカレンダー)を見てみると、殺菌剤、殺虫剤を年間17回散布し、その中には出荷の前日までは散布も可能というものまであります。そして、その農薬散布の間には化学肥料を使います。対して減農薬栽培のものは、無化学肥料栽培ではあるものの、殺菌剤9回、殺虫剤8回。減農薬でもこれだけの薬剤が使われるのです。
それでは農薬や化学肥料の何が問題なのでしょうか。
化学肥料を使うと土は保水性が減り、保湿性もなくなります。また化学的諸要素のバランスが崩れ、有機質がなくなると土の中のバクテリアや土虫が減ってしまいます。さらに菌類、藻類が減り、原生動物も減る、小動物が死んでしまうと死んだ土が出来るのです。このように地力が、化学的にも物理的にも、そして生物学的にも低下するとこの条件の非常に悪い土壌の中で栽培される農産物は、形が大きくても、美しくても、栄養は少なく、もちが悪くて味も悪いものになってしまいます。作物自体が病弱で、病虫害が多く発生すると農薬をかけざるを得なくなる。そうすると農薬によってまず益虫が死んでしまいます。これに反して害虫は非常に強く、抵抗性を増して天敵(益虫)がいないので、ここぞとばかりに繁殖します。農薬のために益魚益鳥も減って来ます。また、農薬は化学肥料以上に地力を低下させるため、ますます多肥投入となり、作物は更に病弱化し害虫害にやられる、という悪循環になります。さらに問題なのは、害虫の抵抗性の強化で、新しい農薬が出来るとその農薬に強靭な抵抗性を持ち、どんな農薬でも死なないという害虫が現れる事です。そうなると農薬の質はますます劇毒化し、頻繁に散布せざるを得なくなるのです。
結局、化学肥料と農薬を主体とした農法は、土を壊し、天敵をなくし、抵抗性の強い害虫を増やし、栄養の欠乏した食料、毒物を含んだ食料を供給していくということになります。
(以下、次号に続く)
農場便り 10月
キンモクセイの香りが鼻をくすぐる。雑木林の隅では萩の花が小さな赤い花を咲かせ、道端のススキの穂は高く伸び、十五夜の月を見上げる。
空は澄み渡り、湧きあがる夏の雲は消え秋の雲へと姿を変えた。しかしながら、10月初旬、気温は高く作業着の背中が汗で濡れる。大きい爪痕を残した台風以来、雨雲は姿を見せず、畑は日を追うごとに白く乾いてゆく。気候が人にやさしくなるこの時期から秋冬野菜の播種が始まる。お彼岸の種まきは先人の知恵である。しかし現代に於いては、彼岸からの種まきでは消費者の胃袋を満足させることは難しく、気温の高い8月中、下旬から播種をする。時には高温障害に見舞われ、芽を吹くこともなく死んでゆく種も多い。7月中旬に播種したキャベツは日覆いの下、何とか定植にまでこぎつけたが、定植後雨がなく、日照りに四苦八苦、白菜苗も同時に定植したものの、仕方がなくトラックの荷台に大きなタンクを積み込み、ホースを引き潅水を行う。乾いた大地は一瞬にして水を飲み込む。
曼珠沙華の花が田の畔に赤い花を咲かせる。ひと夏を過ごしたツバメが電線に一列に並び、遠く南の島に向け向け旅立つ。金色に色づいた水田には入れ替わりにスズメの群れが飛来し、まだ実らない軟らかい穂先をしごくように食べる。普段は害虫を捕食する可愛い姿のスズメは、この時期には害鳥へと姿を変え、農民たちの嫌われ者となる。ほとんどのスズメは農家の屋根をねぐらとしているにもかかわらず、大切な稲穂を食べるとは言語道断であり、一宿一飯の恩に報いるためにも害虫駆除に精を出さねばならない。「あまり図に乗ると舌切りスズメになってしまうぞ」とバカげたことを思い浮かべながら仕事に励む。全国的に鳥害は多く、カラス、スズメ、ハト、ムク鳥、ヒヨ鳥など他にもいるが、これらが主な害鳥である。害鳥による被害額は、カラス30億6800万、ヒヨ鳥6億8900万、スズメ6億9600万と計上されている。しかし、多くの野鳥は近代社会の乱開発の犠牲のもと生きながらえているのも現実であり、害虫も同じである。
6月下旬、日も傾き仕事を終える時刻となった。今日も夕日が周りの景色を飲み込む。日課の携帯チェック、家人からのメールが1通。普段なら「ウロウロしないで早く帰宅せよ」が、今日のメールは「ヘルプ!」と画像付き。開いてみるとお愛想にも可愛いとは言えないヒナ鳥の写真が目に入る。道の隅っこにうずくまっているところを保護。何事にもいっちょかみの私、すぐ飼育に必要なグッズをメールにて指示し、ウロウロすること無く直帰する。玄関を開けるとピイピイとけたたましい鳴き声、これがこの日から約3カ月平和な我が家を嵐の渦に巻き込む台風の目であった。以前、同じようにムクドリのヒナを保護し大きく育て放鳥した経験があるので、また同じと思い、目いっぱいの愛情をかけ飼育に励む。日が経つにつれ、以前育てたムクドリのヒナと何かが違うと思い始める。調べてみると、何とヒヨドリのヒナであることが判明する。同時に私のテンションは一気に下がるのである。エサ作りにも力が入らず、仕方なしに買ってきた練り餌にキャベツ、ゆで卵、チキン、カルシウム剤を入れ、ため息交じりにすり鉢でする。愛情が半減したにもかかわらず、ヒヨドリは元気にスクスク育つ。餌をヘラで口元に持っていくと下品な鳴き声を上げ、大きく口をあける。タイミングを計り口の奥深く喉の奥まで餌を入れる。一時間に一度の作業を家族で行う。日増しに大きくなったヒヨドリの子は我がもの顔で部屋の中を飛び回り、我が家の駄犬の頭や背中の上に止まるまでの仲の良い友となり、家族の頭や肩に止まり、たまにはフンを落としてくれる。部屋中を自由に飛び回るヒヨドリの「ピーコ」を見る度、毎年大切なキャベツやブロッコリーの葉を啄ばむ憎き野生のヒヨドリの姿が浮かび、複雑な日々を過ごす。「このヒヨドリ(ピーコ)の一族にどれだけ被害を被っている事か」とぼやく私に、「小っさ!」家人の一言に私「ムカッ!!」
庭では秋の虫が美しい羽音を奏で始める。9月下旬、家族全員に見守られ、早朝ヒヨドリのピーコは大空へと羽ばたいた。3か月間、一生懸命に世話したヒヨドリも振り返ることはなく、「元気に生きていけたらいいのにね」とつぶやく家人の目には泪。寂しさよりホッとした気持ちが湧いた私は、その姿に「鬼の目にも泪」と口に出しそうになり、ぐっと言葉を飲み込む。「ピーコ、間違っても慈光農園の作物には手、いや、口ばしを出さぬように」と祈る。
秋の訪れはみちのく岩手の地、協力農家の山口農園からもやって来る。びっしり詰められたリンゴの箱を開封する。美味なる香りが作業場を包み込み、まずは鼻で楽しみ、りんごの姿を目で楽しみ、最後に味を楽しむのは帰宅後のデザートで、となる。それまではお預け。山口農園は以前紹介させていただいたように、日々元気に農作業に励んでおられる。
先日、「奇跡のリンゴ」と題してテレビで放映され、映画化された青森のリンゴ農家の話に興味を持ち、食い入るように画面を見る。苦労を重ね、りんご栽培を行った事を事細かに説明してゆく。番組が進むにつれ私の中に何かしら違和感が湧いてくる。「奇跡」を辞書で調べると「常識で解釈できない不思議な出来事」と記されている。奇跡の栽培で果たして人類の生命は未来永劫まで守られてゆくのであろうか。リンゴが自然の中で育ち、日々の食生活を支える。有機栽培は決して奇跡ではなく、大自然からの恩恵と少しの人智と作業への努力で人類の生命を健康に養ってくれる。決して特別なことではなく、全てが大自然の摂理の中で、大地より作物を感謝しいただくのが当会の農法である。山口農園では今から35年前よりりんごを育て、試行錯誤を繰り返し、当会にりんごを届けていただいている。本年も真っ赤なリンゴが枝にたわわに実り、秋から冬の食卓に彩りを添えてくれる。可愛いリンゴはまさに天使のリンゴである。
秋の陽が静かに沈んでゆく。陽は周りの風景をオレンジ色に染める。秋の虫は今が盛りと羽音を響かせる。夕日の中を秋風がセンチメンタルな心を運んでくる。強い日本を目指す政府、力で向かうのではなく、世界中から尊敬され、愛される国作りも一つの美策ではないだろうか。限りない人の欲、足ることを知らない人の欲を追い求めるのではなく、教養高く、豊かな心を育てる教育が素晴らしい国をつくるのではなかろうか。
「やられたら倍返し」ではなく、人には思いやりを持って接するのが、本来日本人の美徳とされてきた。『火を持って火を消すことはできない』とダライ・ラマは唱えた。大地は地球上のあらゆる生命を育むためにはいかなる労をも惜しむことを知らない。見返りを求める事もない。
秋の落日の中、小鳥の群れが林のねぐらへと帰ってゆく。
食欲の秋ではなく食欲の四季の農場より