慈光通信 第235号
2021.10.1
3 食物と健康
前理事長・医師 梁瀬義亮
【この原稿は、1991年1月 日本有機農業研究会発行の「梁瀬義亮特集」に掲載されたものです。】
第2 毒物について
公害というものについて
以上をもちまして、欠乏と毒物という立場から食物と健康につきまして、ささやかなお話を聞いて頂いたのですが、最後に一言、私の公害に対する考えを聞いて頂いて、終わりたいと思うのです。
公害という、近代文明の暴走が起こりました。これによって初めて人類は、近代文明の考え方の誤りに気付いたのです。
公害という事態は、決してテクニックの失敗から出たものではなくて、これは原理的な誤りに由来するものであります。近代文明の原理的誤謬に基づくものであります。すなわち、人間が、人間対自然という誤った考え方に立って、様々な行動をやって来た。自然を征服しようと考え、あるいは自然を破壊しようと考え、あるいは他の動物や植物に対し、実に無思慮な殺りくを行なってきて、それによって、人間だけの幸福を築こうとしてきたわけです。農業にしろ工業にしろ、あるいは商業にしても医学にしても、あらゆるものはこの誤った人間対自然、人間と断絶した自然という考えの上に立って行われたわけです。
人類は今、公害という恐るべき事態に直面して、初めて気付いたわけなのです。人間は自然に対立するものではなくて、自然の中の一員であったと。そして自然を破壊するということは、人間が自らその墓穴を掘るにすぎないのだということに、初めて気付いてきたのです。
人間に許されている自由というものは、自然を破壊したり、あるいは動植物を殺りくする破壊の自由では決してなく、自然の法則を尊重して、自然の法則を人間に有利な調和のあるように組み合わせて幸福を得るということが、人間に許された自由であると私は思うのです。
したがって、化学肥料・農薬などという、こういう自然のハーモニーを破り、その法則を犯すものは、原理的に許されるべきものではないと信ずるものです。これは自然の生態系を破壊するものです。田畑を砂漠にし、人類に欠乏と毒物の食物をもたらすものです。
また、栄養学の上でも反省すべき点があります。すなわち、我々の食生活というものは、できるだけその土地の自然によって作られた自然の農産物を、自然な形で取るという原則を守らなければならない。それと同時に、私たちの民族が、長い間の気候風土の中で得たところの経験と貴い直観から起こってくる、民族独自の食生活の形態、これを十分に、慎重に吟味していかなければならないのです。
明治以来のように、短期間にパッと、ヨーロッパ式の栄養学に切り替えるというようなことであっては、我々日本民族は、滅亡へ向かう以外の道は何も残されていないのです。これは現に、わずか七〇年の間に、世界最強の民族といわれた日本人が、今や世界で最低の体力しか持っていないという事実から見ても、明かでありまして、もしこのまま続くならば、より加速度をもって、日本民族の滅亡に直進するものと考えざるを得ません。
そして最後に、「自他不二」という言葉をご紹介しましょう。自分という一つの存在と、それ以外のものとの間には、密接不可分の関係に於いてのみ、相互に存在しうるという意味です。人類の地上に於ける存在ということについて見ると、自然の一員として、自然の調和の中にのみ、生かされる人間、あるいは他の生物、それは一見我々人間にとっては、害のあるものと思われるものであっても、その存在には、それぞれの深い深い意味があるのであって、それらとの共存に於いてのみ、人類が存在と繁栄を許されるものである、ということを教えられたのが、この「自他不二」という言葉であります。
これは、我々東洋人の先輩たちが見出した生存の哲理であったのです。俳句にしても和歌にしても、その他の東洋の芸術はみな、この自他不二の鉄則を信じて創り上げられていると言えましょう。
一つの個体が、それ以外のものに幸いを与えよう、それ以外のものの悲しみを拭い去ってあげようという慈悲の祈りと行動、その中に於いてのみ生存が許されると、幸福の原理を説かれた東洋の聖者、あるいは、我々のこの文明に対して、「生命に対する無知が、人間の知恵の特徴である」と謙虚に叫ばれた哲学者・数学者であるベルグソンを懐かしく思い出します。
【完】
農場便り 10月
8月8日は立秋、焦げ付くような暑さから解放されるはずであるが、暑さは一向に落ち着く気配がない。この夏最後の灼熱とばかりに太陽が燃え盛る。
お盆が近くなると農場には大きなアブが姿を現す。アブは、朝夕の気温が少し下がりだすと姿を見せ、しかも私の後をついて回り、油断をすると服の上からブスリと太い針を突き刺す。と、同時に激痛に電流を織り交ぜた衝撃が?背中を走る。湿度の高い日にはアブに続き小さな体のブヨも馳せ参じ、そこに夏の害虫の代表選手の蚊までもが私の清い生血を求め柔肌をめがけてやってくる。中でも特にブヨの痒みは後を引き、その後2カ月位は痒みが引かず、掻いてはいけないと解ってはいながらも搔き傷だらけの肌となる。この憎き虫たちが現れる頃、秋冬作の種まきが畑で始まる。
結球野菜は既にトレイで育苗し畑に定植、他の野菜はいつもの名機「ゴンベイ」で直接畑に種を落とす。トレイで育った苗を圃場に定植した頃、灼熱の太陽から一変し、毎日が雨の日へ。しかしまだ秋雨には早すぎる。小苗は雨に叩かれながらも、害虫除けネットの中で我慢の日々。早蒔きの小松菜や大根も我慢に我慢を重ねるが、小松菜の一部は戦いに敗れ、既に次の栽培へシフトする。
晴れを見越し、今回は水はけを考慮し高畝にして再挑戦する。蒔き時期が良かったのか、小松菜は発芽、そして健康に生育を続ける。空っぽになっていた畑には長雨に屈せず勝利を収めた大根、白菜、キャベツ、そして後で参戦した小松菜たちで緑豊かになってゆく。この後も数種の野菜の種蒔きが控えている。成長著しい秋冬野菜の中、ひんやりとした涼風に揺られながら今まさに命を全うしようとしている夏野菜の王様、きゅうりの姿がある。あの夏の太陽をエネルギーとし、7月初旬より始まった収穫も秋風に変わった9月20日、最後の収穫を終えた。
本年のきゅうりの栽培について書かせていただく。春夏作の作業の真っ只中の5月初旬、トレイに一粒ずつ種を落としてゆく。種は土に含む水分を感じ取り4、5日で発芽、その後順調に育ってゆく。本葉2枚目が出てきた頃ポットに植え替え。小さな苗を圃場に移すと虫害のリスクが高いため手間はかかるが、耕人の満ち満ちた愛情で出来るだけ大きな苗を育て、その後圃場へと定植を行う。本年のきゅうり栽培の予定地はすでに大量の堆肥で肥沃になっており、pHを整え、畝全体をマルチで覆われて、あとは可愛いきゅうり苗を待つだけである。大量の堆肥は畑に撒いてから3、4日はそのままで日光や春風に当てる。その間、嫌気性菌や未完熟な部分を修正し、浅く耕して一週間寝かせ、本耕となる。本年は畑地での栽培のため、乾燥を考慮し極浅畝とする。
6月14日、日が傾き気温が下がる夕方、きゅうりの苗を車検の切れた農場内専用軽トラックで大きく育った苗を畑に運ぶ。株間は50cmでマルチに穴を開け一本一本丁寧に植え付けてゆく。中にはすでに成長点がおかしい苗があり、奇形苗はその場で淘汰される。事前にきゅうりのネットが張られた長い畝3列に定植された苗は、一株ずつ根元にたっぷりの水を与えられる。作業を終える頃、周りの林は静まり返り鹿の鳴き声だけが谷間にこだまする。
翌朝の仕事の始まりは、前日に植えた苗を風に揺らされないようにネットに止めてゆく。ネットにつるや枝を止めるのに便利な道具、農業用ホッチキスがあり、中から出てくるテープをホッチキスの針が見事に捉えて止めてゆく。これはネットを伝って上がるきゅうりの主枝が真っ直ぐ上に行くようにする作業で、小枝もまたネットに止めていく。気温の上昇と共に小苗から脱皮し力強くどんどん大きくなり、ネットに駆け上がって行く。大一葉、第二葉と子葉のもとから新芽が出て来るが、本葉5枚までに出た目はすべて取り去る。これは親ヅルを強く延ばすための作業である。
播種から一か月半、雌花が咲き、果房は日増しに大きく育ち、本年のきゅうりの初収穫となった。早生栽培を行う川岸農園では既に収穫のピークを越えている。これから農場では三カ月間、毎日の収穫が始まる。
早朝、前夜の雨が水滴となってきゅうりの葉先に残る。収穫初期のきゅうりの実は下部に付き、収穫には最初から最後まで前かがみになってカゴに摘み入れていく。収穫を終える頃には濡れネズミ、いや濡れ豚のごとく全身がずぶ濡れになる。
きゅうりの次は、他の作物の収穫に取り掛かり、その後も服を着替えることなく濡れブタは販売所へと車を走らせる。届いた収穫物を係の者が手慣れた動きで一軒一軒丁寧に仕分けてゆく。届けた後はまた農場へと戻り、上着だけを着替えてコーヒータイムを迎える。今朝立てたコーヒーをサーモスのポットに入れ、上から大量の氷で一気に冷やす。これが農場での最高のご馳走となる。おっさんのコーヒーで一服する姿は全く「映えない」が、至福のひと時である。この頃には空腹感も増し、ナッツか甘さ控えめのパウンドケーキなどを想像してみるが、農場に気の利いた食べ物は皆無、出荷できない曲がったきゅうりに塩を付けてかじるのが関の山である。
第二ラウンドのゴングが鳴る。日により行う作業は異なるが、本日はきゅうりの管理作業を行う。まずきゅうりの畝の条間に油粕の追肥を行なう。きゅうりは大飯喰らいで大酒ならぬ大水飲み、同時に米ぬかも撒き管理機で根に注意しながら中耕し、軽く土と混ぜる。きゅうりの肥効が落ちると一気に葉の色は褪め、実が曲がるのが顕著に現れる。これらの油粕、米ぬかには肥効と共に作物の味を良くする成分も含まれる。追肥した後はまたホッチキスで主枝を止めながら子ヅルを雌花から一枚葉を残して摘み取ってからネットに止める。人間社会でもよくある話ではあるが、中には意固地なきゅうりが右へ左へとツルを伸ばし、隣のきゅうりにツルを絡ませ耕人のいう事など意地でも聞こうとしない。その時はおもむろにハサミを取出してツルを切り、真っ直ぐな心で進む方向を知らしめる。時には強硬策も必要となる。それぞれの思いはあるが正しい道を力強く歩む、これも今の世に欠如しているところでもある。
整枝をしながら、小さな実の先にまだ花が残っている時期に曲がりや奇形の実は切り取り、そのエネルギーが他の実に行き亘るようにする。定植後一ヶ月で、きゅうりは張られたネットの最高部まで、クライマーのように這い上がる。その頃が収穫のピークで、収穫のカゴはすぐに一杯になりコンテナに入れてゆく。空になったカゴを片手に持ち、もう片方の手には収穫ハサミという格好できゅうりの海を泳ぎ回る。この作業を朝夕、来る日も来る日もきゅうりとにらめっこ。大人げなく「もう飽きた!!」と大声で叫びそうになるが、そこは我慢して家人に聞こえぬよう小声で叫ぶ。
きゅうり栽培も後半へと向かう。この頃になると古葉が目につき、芽掻きと同じく、古葉や病気に冒された葉を掻き取る作業がある。大きく広げた葉は太陽エネルギーを一身に吸収し大きな実を育てる。その葉も実を収穫した後3、4日で段々色が変わり、一週間以内にはその役目を終える。それを取り除かなければ、弱った葉を守ろうとしてエネルギーが無駄に使われる。役目を終えた葉は病気になり易いため取り除く、というわけである。この葉や芽を掻く作業は収穫の際にも行い、小ヅルについた雌花の先の葉一枚を残して芽を摘み取り、小ヅルの二番果、三番果は形の悪い実が多く付くため芽止めを行う。これを放置してしまうと、全体を見ると繁茂して立派に見えるが、実の収穫量が減ってしまうため、この作業も大切な作業の一つである。栽培に欠かせない灌水は、真夏なら2、3日で葉の先が軽く下を向いた時が与え時で、たっぷりの水を畝間の溝に流し込む。30分もすればシャキッとなり葉が天を向く。このタイミングを逃すときゅうり本体に大きなリスクがのしかかる。
6月から続いたきゅうり栽培も秋風が吹く9月下旬に終焉を迎えた。夕方、日が落ち涼しくなった農場で本日最後の収穫作業が始まる。畝間にはいたるところに女郎蜘蛛の巣が張られ、弱々しくなったきゅうりの姿に拍車をかける。最後の一本をカゴに入れ、本年のきゅうり栽培に幕を引く。夕空に映るきゅうりの姿に感謝し、合掌。コンテナを肩に担いで畑を後にし、管理室で本年度のきゅうり栽培について長々と日誌にしたため、来年の抱負も書き足す。来年も無農薬、無化学肥料、そして耕人の愛を込め清い地にて栽培は行われる。
秋めいてくるとアブの姿は日増しに多くなり、管理室まで耕人を追いかけてくる。室内に飛び込んだアブは自分の場違いに気付き、狂ったように窓ガラスに体をぶち当てる。きゅうり栽培の時の背中を刺した太い針を思い出し「苦しめ!」と悪態をつくが、暴れまわるその姿につい仏心を出し、窓を開け外へ出す。アブは他の仲間を置き去りにし一目散に飛んでゆく。
昆虫続きでもう一つ、幼い頃よく目にした真っ黒なトンボ、羽黒トンボはお腹がエメラルドブルーに輝くのがオス、全身真っ黒で腹も黒いのがメスである。そんな羽黒トンボが飛ぶ姿を最近はめっきり見なくなっていた。それが盆の頃、一匹の羽黒トンボに遭遇した。このトンボは神様の使いで縁起がいいとも言われ、何やらこの出会いで福を授かったかのような気分になった耕人であった。
そんな事も忘れ、暑い一日を終え帰宅、一日の汗を流し、泡の出る神の水で身体を癒す。玄関の内側で何やら変な音が、と見に行く。電灯の明りにオニヤンマが大きな体を電灯にあてて乱舞している。朝まで放っておいては死んでしまう、と仕方なしに重い梯子を運んで大きなオニヤンマを確保、そして梯子を下りて家の庭へ。そっとつまんで運んでいる最中、オニヤンマは命の恩人の可愛く太く短い指にこれでもかとばかりに噛みついたではないか。それでも我慢をして夜空に放ったが、口から出たのは「このばか野郎!」その叫び声に奥から真打ち登場。家人に一部始終を伝えると一言「小っさ…」。昼に見た羽黒トンボの神様も消え失せ、すべてが終わった。
農場を造成し本格的に作物の栽培を始めようとしていた43年前、大地を耕すトラクターが農場に来た。山を削り大地を作った畑には岩がゴロゴロ混じっていた。その地を耕人とは違い、何一つ文句を言わず力強いエンジン音で小岩もろとも大地を耕すトラクター。前に付いたローダーで堆肥を掬い畑に撒き、堆肥場では堆肥作りに大活躍、このトラクターも寄る年波には勝てず、一年前ついにエンジンが止まった。私が耕人を終えるまで共に頑張ろうと思っていたが、遂に復活する事は無く、業者が亡骸となった車体を引き取りに。最後の別れ際にボンネットをそっと手で擦り、「お疲れ様」と声をかける。長い時間を共にした同志でもあった。
9月に入ると秋冬作が本格化する。苗は大きく育ち、「一日も早く圃場へ植えてくれ」と水やりの度に催促される。が、私の手は2本、少々時間のかかる有機栽培ゆえ「しばし待たれよ」と小苗たちに言い聞かせ、順に作業を進める。
畑では相変わらずアブ、ブヨ、蚊の三大迷惑虫がしつこく付きまとい、隙を見ては柔肌に噛みつく。ブヨの痒みは地獄の痒み、手の届かない所を刺されると迷惑極まりない。本日も背中に2、3か所刺され、大きな体を右に左にねじるが、手は届かず、家に帰って家人に頭を下げ患部に爪を立てるよう頼む。痒いところに十字に爪を立ててもらうと不思議と痒みが和らぎ、我が家ではこれを愛の十字架と名付けている。日頃の悪しきふるまいへの仕返しも加わり、まるで魔女の如く、家人の爪は皮膚をも貫く勢いで患部に十字を描く。「痛い!」激痛が背中を走る。次に愛娘が十字を描く。「痛い!娘よ、お前もか・・・」とうめき声が洩れる。背中に痛い十字架を背負い、自室へと階段を上る耕人の姿が哀れな夜であった。
十五夜は、家人が団子を作り、ススキを持つ私の帰りを待つが、残念ながらお月様は雲に隠れている。十六夜、家人がススキとシオン、そして団子をお飾りする。その前には、ススキには目もくれず、団子に目が釘付けになり、よだれを垂らして座る愛犬の姿がある。
十六夜の光は殺伐とした世に人の心に優しく明かりを灯す。夜空を仰ぎ、やさしく美しい光を体いっぱいに浴び、神々しい満月に自ずと手が合わさり合掌、願い事を唱える。
「美しく素晴らしい世の中になりますように」
星に願いを、ではなく 月に願いを、の農場より