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慈光通信 第215号

2018.6.1

日本農業の危機に思う 1

 

前理事長・医師 梁瀬義亮

【この原稿は、1978年6月毎日新聞社発行の「農業と経済」に掲載されたものです。】

 

農民の健康状態

 

病人の急増、退行性疾患の増加、体力の低下、骨や歯の脆弱化、奇形児、重症身体障害児、知的障害者の増加等々、生命を無視した近代文明の暴走的発達の結果として、日本人の健康は、はなはだ憂うべき状態に陥ったが、特に農民の健康障害は、さらに甚だしいのである。最近の筑波大学の発表によっても、農民の体力は都市住民に劣り、かつまた五年ばかり老化が早いとのことである。
私は過去26年、農民の診療に従事してきたのであるが、誠に憂うべき健康状態であり、その最大原因が農薬であることを知って、憂いに耐えず、無農薬農法の研究に没頭したのである。
大自然の中で働く農村は従来、健康のシンボルであった。それが昭和29年頃からガン、肝臓病、胃炎及び胃潰瘍、十二指腸潰瘍、リューマチ、虫垂炎等々の巣となってしまったのである。

悲しい思い出

 

(a) T氏のこと
彼は真面目な農業改良普及所員であった。長袖シャツ、ガーゼマスク、ゴム手袋さえ着用すれば絶対大丈夫という上からの指示を信じ切って、農民にその安全を説いて回り、みずからホリドール散布作業の陣頭指揮を続けていた。私のホリドール絶対危険説に大反対であって、私達は激論を続けた。若くして彼はガンで死んでいった。

(b) H家のこと
H家は私の地方では、かなり大きな裕福な農家であった。老夫婦は、若夫婦と3人の孫と共に幸福な生活を送っていた。ホリドールが使用されるにあたって、若主人はホリドール散布作業の指導員になった。
上からの指示を信じて長袖シャツ、ゴム手袋、ガーゼマスク姿で彼は人々にホリドール散布を指導した。2年間は、たいしたことはなかったが、3年目のホリドール散布中、彼は急に全身違和感を感じて作業を中止して、家に帰って寝込んでしまった。急性中毒を起こしたのである。
間もなく彼は激しい黄疸になった。私は必死になって手当を加えたが、回復にかなりの時間を要した。私がやめるように注意したにもかかわらず、彼の妻は、彼の散布し残した田のホリドール散布を行った。彼女は作業後激しい全身倦怠感を訴えて数日ぶらぶらしていたが、いつとはなしに治ってしまった。が、間もなく激しい厭世観を伴うノイローゼが始まった。
若主人も黄疸の回復後、次第にその性格が変わってきた。いままで穏健な人柄であったのが急に短気かつ粗暴になり、両親にも食ってかかるようになった。若い妻のノイローゼは、いろいろと専門家の手当を受けたにもかかわらず、次第に嵩じ、ついにある日、ホリドールを飲んで自殺してしまった。若主人も、だんだん仕事をしなくなり、ついに家を飛び出してしまった。老夫婦と若い孫だけが荒れ果てた家に残されたのである。

 

(c) M氏のこと
ある日、マラソン選手と称する30歳になる若い男が私の診察室を訪れた。訴えは頑固な坐骨神経痛である。方々の病院で、いろいろの検査や手当を受けたが、原因もはっきりせず、また一向に治らなかった。いろいろの症状を総合して、私は有機燐剤中毒のよるものと診断して、彼に農薬使用の有無をたずねた。
彼はミカン栽培を主とした農業経営をやっていて、有機燐剤(ホリドール・EPN等)、有機塩素剤、エンドリン等を大量使用しているといった。私は彼にその危険を説いた。しかし彼は、そのこと、及び私の診断に絶対に承服しなかった。
長袖のシャツ、マスク、ゴム手袋等、上から指示された事をきっちり守っているから、そんなはずはないと言い張った。しかし私の対症療法が気に入って、彼は時々私宅を訪れた・・・。2年後、彼は肺ガンになって32歳の生涯を閉じた。

 

(d) Sさんのこと
彼女は前例と同じく、激しい坐骨神経痛を主訴として来院した30歳あまりの農家の主婦である。永い間、いろいろ手当てを受けたが、回復しなかった由。彼女の家は、梨栽培を行って大量の農薬を使用し、ことにホリドールをよく用いた。
その坐骨神経痛が農薬、特にホリドールによるものであることを教え、また、ふと口にした「死んだほうがましだ」という言葉から、有機燐剤の中毒による精神障害、ことに自殺願望を心配して十分注意して帰した。1か月後、彼女は家の裏の林で首を吊って死んでいた。別に死なねばならない理由もないのに。
私たちの禁止の願いの叫びを尻目に、昭和29年からホリドール(パラチオン)が、次いでEPNやエンドリン、フッソール等、恐ろしい毒物の使用が農村で推進された。十数年後、これらの特殊毒物の非人道的な使用は禁止された。しかし、その間「大丈夫」という言葉と、上からの指導を信じて毒ガスの霧の中で働いて死んだり、あるいは健康を失って一生を棒に振ったりした農民は、一体どうして浮かばれるのだろう。だれ一人として補償はおろか、遺憾を表明する者すらないのである。
私の臨床経験によれば、今大丈夫といって使用されている数多くの低毒性農薬についても、必ず同じことが起こると私は信じている。劇物と言われるランネートや、マリックス等はもちろんのこと、普通物といわれるスミチオンやマラソン等も決して無害ではない・・・・。ただ悲劇の起こり方が徐々で気付かれにくいだけに過ぎないのである。

(以下、次号に続く)
お米のチカラ

近年、若者を中心に米離れが進んでいるといわれています。「白いご飯は味がないので苦手」という人が多いということにも驚きです。唾液にはでんぷんの糖化酵素が含まれていて、よく噛むとでんぷんが糖に分解されて甘く感じます。ところが、現代人はあまり噛まなくなったため、ご飯は苦手という人が多いのです。そのため、ご飯を食べずにおかずだけを食べたり、米に代わって食卓の主役がパンや麺類に変わろうとしているということも米離れの原因の1つです。忙しい現代人の朝食には、ご飯とみそ汁よりもパンや麺類の方が手軽だということなのでしょうか。
しかし、今またお米が見直され始めています。
お米には、パワーの源となるでんぷんの他、タンパク質や脂肪、ビタミンB1やビタミンEなどの栄養素がふんだんに含まれていて、まさに栄養の宝庫と言えます。中でも成分の7割以上を占めるデンプンは極めて質が良く、消化・吸収力も高いので、体の中でブドウ糖に変化し、エネルギー源として脳の働きを活性化する役割を備えています。また、お米は脳の状態を常に新しくするビタミンB1などを多く含む食材とも好相性で、健康的なごはん食を続けると脳の働きが活性化するというチカラがあるのです。
お米は搗き方で栄養価も変わります。玄米は、白米よりもビタミン・ミネラル・食物繊維を豊富に含んでおり、人間が健康を保つために必要とされる栄養素をほとんど摂取できるため、完全栄養食といわれています。昔から一汁一菜といわれていますが、野菜や魚、海藻類や大豆などの豆類を組み合わせた昔ながらの食事は栄養バランス面からも、とても健康的で理にかなった食事といえます。お米は白米に近くなるほど、健康を維持するためには、他の食品を摂取し、栄養を補充しなければなりません。なるべく白米よりは7分搗き、5分搗き…と玄米に近いお米がおすすめです。
今話題の糖質制限ダイエット、「お米を食べると太りやすい?」と誤解されがちですが、実はごはん食は、食べ方次第ではダイエットにも役立つヘルシーな食事なのです。例えば、おにぎりはバランス栄養食と言われています。おにぎりは、腹持ちの良いヘルシーなエネルギー源です。ご飯は粒食なので、パンの粉職に比べて消化吸収がゆっくりで、エネルギーが持続して吸収されます。そのためお腹がすきにくいとされています。時間をおいてから食べることの多いおにぎりにすることによって、レジスタントスターチが増え、さらに腹持ちがよくなるのです。レジスタントスターチとは難消化性デンプンのことで、お米が冷えると増え、食物繊維と同様の働きをします。胃や小腸で消化されないため、デンプンであるにもかかわらずエネルギーになりにくいという特性を持っています。
このように、昔から主食とされてきたお米は栄養価の高い食品です。お米を中心とした栄養バランスの優れた日本型食生活を実践してみてはいかがでしょうか。

農場便り 6月

野辺に咲いたタンポポの花が真っ白いわたぼうしに変わり、吹く風がさらってゆく。風に乗り、遠くまで運ばれたわたぼうしは、新たなる生命を大地に宿す。
5月下旬、心地よい風が一変し、肌にまとわりつくような湿度の高い風へと変化する。天に鋭い葉を向けていたニンニクや玉ねぎの葉は成長の終焉を迎え、真緑色からうす緑色へと変化する。中には二つ折れになったものもあり、それらのニンニクの太い茎を太短い指で強く握り、試し抜きを行う。青森6片ニンニクが黒々とした土の中から真っ白い姿を現す。球の下には細い根が束のように付いてくる。近年の気候の影響か玉ねぎ、ニンニク共に栽培しにくくなってきている。自分自身に甘い私も、何とか良い作物を、と色々試行錯誤を繰り返し、今年はその甲斐あってか、立派な玉ねぎとニンニクを収穫させていただくことが出来た。
5月29日、翌日から雨天との事、早々にニンニクの収穫をする。50mの長さの畝に10から15cm間隔、4条植え。抜けども抜けどもなかなか進まず、前日までの快晴で土は固く締まり、ニンニクの株も私に抜かれまいと大地を握りしめる。それに負けじと腰を曲げ、全身に力を込め引っこ抜く。この日は、朝から気温、湿度共に高く、額からは汗が流れ、作業着の背中は見る見るうちにボトボトになり、あご先から地面にポタポタと汗がしたたる。汗で曇るメガネで景色は屈折し、時間が進むにつれ不快さが増す。長年努力を重ね育て上げた立派なメタボ腹も作業の邪魔をする。ただ一つの救いは、あのうるさい蚊が、まだこの時期に発生していないという事である。
昼を迎えるが、暑さで食欲減退、こんな時には、冷えたサラダがありがたい。無心にレタスを頬張り、人参、玉ねぎ等々、大きなサラダボールはあっという間に空になり、家人の焼いたクルミパンもカフェオレと共に胃の底深くに姿を消してゆく。
ニンニクの収穫の途中、明日降る雨を見越して、きゅうりの苗を植えるため別の畑にトラックを走らせる。ビニールトンネルの中にはたくさんのきゅうり苗が11本1本ポットに植えられ、定植を今か今かと、首を、いや、つるを長くして待っている。長年、後手後手にまわるきゅうりのネット張りも、本年すでに準備を済ませており、ネット間際に50cm間隔で丁寧に植えつけてゆく。第一弾は100本、第二弾は250本と2回に分け、定植を行い、7月、8月、9月と途切れないよう作付けを行う。協力農家の川岸農園では、既にきゅうりの収穫が始まっている。
きゅうり苗の定植後、息つく暇もなく、お茶を飲み(・・?)ニンニクの収穫へと戻り、固いニンニクを引っこ抜く。夕方、茎から上の葉を切り、コンテナへ。薄暗くなったころ、農場の倉庫はニンニクの海となり、強力なにおいが庫内を覆い尽くす。陰干しを2週間余りし、その後冷蔵へ入れ、1年分のニンニクの確保を終え、引き続き玉ねぎの収穫を行う。このニンニクと玉ねぎは年間を通じて必要とされる作物である。
時期が前後するが、4月上旬、夏作を予定している畑に大量の堆肥を入れる作業が始まる。堆肥を土表が見えないくらいに蒔き、耕運して2週間放置し、その後作物にあった幅の畝を真直ぐに立てる。そこへ2月下旬から育苗した苗を逐次定植してゆく。その堆肥の散布作業中には、最も面倒な作業が毎年付きまとう。黒々とした堆肥の海に浮かぶ真っ白な島。白い島はモゾモゾ動く。地殻変動か?・・・白い主はカブトムシの幼虫、忙しくブタの手も借りたいときに、バケツを片手に畑全面を歩き回り、幼虫をレスキューする。本年レスキューした幼虫の数、300坪の畑で120匹。バケツの中は幼虫でいっぱい、畑の隅で眠っている来年用の堆肥をスコップで掘り、埋め戻す。仕方なしに行うこの作業、放っておけばほとんどの幼虫はカラスとトンビの餌食となる。埋め戻した幼虫は7月初旬には、大空に向かって羽を広げ、不器用に飛び立ち、雑木林でひと夏甘い樹液を舐め夏を謳歌する。
この辺で話をもとに戻す。今年定植した数多くの夏野菜の中にオクラがある。
オクラはアオイ科トロロアオイ属。そのヌメリの成分は、ガラクタン、アラバン、ペクチンといった食物繊維。ペクチンは、近代人を悩ませる便秘を防ぎ、大腸がんを予防するといわれている。緑黄色野菜βカロティンを豊富に含み、抗発ガン作用や免疫賦活作用で知られているが、体内でビタミンAに変換され、健康維持や呼吸器系統を守る働きがあるとされている。また、オクラには大量のカリウムやカルシウムが含まれ、カリウムは塩分を体外に排泄する役割があり、高血圧予防にも効果がある。長時間の運動による筋肉のけいれんなどを防ぐ働きもある。カルシウムは骨を生成する上では欠かせない成分で、骨を丈夫にし、健康を維持する働きがある。また、イライラの解消にも効果がある。
植物の中でもずば抜けて栄養価の高いオクラを、間もなく迎える夏にむけてお召し上がりいただき、美と健康維持にお役立ていただきたい。滋養強壮の源であるニンニクもよろしく。蛇足ではあるが、買えば高価な黒ニンニクも自宅で簡単にできるのでお試しを。
ここで夏の作業の様子を少々。
4月下旬、陽気に誘われ鳥は歌い、蝶は舞う。陽気につられ招かれざる客も姿を出す。畝一面に芽を出す雑草、畝間は管理機で行うが、株間は手で除草を行う。大きく育ったキャベツの葉に注意し作業を進める。気温も最高点に差し掛かった午後、作業を行う私の体に激痛が走る。広い畑の真ん中で上着を脱ぎ棄て、上半身裸になる。ひとに見られると何をしているのか怪しい行動、じっと探すと犯人発見。1ミリにも満たないアリが私の柔肌に鋭い歯で全力で噛んでいるではないか。「大きな体でそれぐらい」と思うが、アリの蟻酸は強力で、特に畑にいる細かいアリに噛まれると堪らないほどの激痛である。真っ赤に腫れた5か所の噛みあとは、その後一か月以上に及び痛痒く、私を悩ませることになる。
東大生が選ぶ日本で一番の偉人、南方熊楠(みなかたくまぐす)(日本の博物、生物、民俗学者)は日本の生態を調査、庭にいるアリの生態をも研究した。彼は体に蜜を塗り、庭に一日中寝ころび、アリに身体を噛ませようとしたが、噛まれることはなかった。
アリは、自由を奪い、ストレスを与え、ヒステリックな環境を作ると「チクリ」と噛みつくのである。大英帝国の所蔵本をすべて読みつくした熊楠先生、三文書しか読まない私がアリの噛まれ方、ご指導いたしましょうか。
一日中休むことなく手足を動かす家人の姿がアリと重なる。だらしなき私の私生活からくる大きなストレスを与えるとアリのような鋭い牙・・ではなく強い言葉で、私のノミの心臓に「ガブリ」と噛みつく。オソロシヤ・・・。
用水路を流れる水は、田んぼを水鏡にする。一気に農村は賑やかさを増す。黄金色に染まる秋の田んぼを思い浮かべながら作業は進む。当会の畑の夏野菜も日増しに大きく育ってゆく。色とりどりの夏野菜がテーブルの上を飾る日もあとわずか。皆様の健康と微笑みの絶えない日々の生活のために太い腕でひと鍬ひと鍬、深く大地を耕す。

 

ホトトギスとウグイスが共鳴する農場より