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慈光通信 第217号

2018.10.1

日本農業の危機に思う 3

 

前理事長・医師 梁瀬義亮

【この原稿は、1978年6月毎日新聞社発行の「農業と経済」に掲載されたものです。】

 

原理的立場から

 

(a) 死の農法

一九世紀以来の物理学、化学の急速な発達に伴って工学が進歩し、工業が大発展を遂げ、すばらしい機械文明が出現した。人々は、この文明にバラ色の未来を托した。そして、いつの間にか、あらゆる地方の学問の領域でも工学的発想やその研究方法が主流を占めるようになった。すなわち「分析」「特殊な単純な条件下の実験データの寄せ集め」で「ものごとの真実を把握しよう」、「出来る」という信仰が出来上がったのである。
農学においても例外ではなかった。そして、この方法によって農学は大いに発達した。しかし工学の進歩によって工業は大成功したが、農学の進歩にもかかわらず、農業は一向にうまくゆかず、農作物には病害虫が多発して出来にくくなり、農業経営は困難の一途をたどり、若者は農村を捨て去った。また残った農民の健康もダメになってしまったのである。
工学の世界、すなわち機械の世界では「生命」、「生態学的存在」という事実がないから、工学的な発想と方法で成功が得られた。しかし植物の世界には「生命」、「生態学的存在」という事実がある。この事実を見落とした近代農法は「土を殺し」「益虫を殺し」「人を殺す」恐るべき「死の農法」となったのである。

 

(b) 生命の農法について

(イ) 生態学的輪廻の法則

動物は植物を食べて生きている(肉食動物は、間接に食べる)。その植物を養うのは太陽、水、空気とともに地中の生態系である。地中生態系の産物を栄養として植物は生育、生存するのである。この地中生態系を養うのは地上の好気性微生物によって分解された動植物の排泄物や屍骸(好気性完熟堆肥)である。かくして生態学的輪廻の法則が成立する。
大自然の中で原始林でも、草原でも、この法則が完全に行われて大地は何万年経っても大樹や豊かな草をすくすくと育てる。我々の先祖は、この法則に忠実に従って農業を行った。そしてその農地は何千年耕作しても地力が益々増強し、人類に食物を与え続けたのである。

 

(ロ) 地上の生態系(生物調和)

地中と同様、地上においても動物性、植物性のあらゆる生命は大自然の摂理のもとに、持ちつ持たれつして生物調和をなしている。大自然のつくる生物調和が人類にとって有利であればこそ、人類は繁栄してきたのである。もし大自然の作る生物調和が人類に不利なものであれば、人類はとっくの昔に害虫に食物を奪われて絶滅していたはずである。
人類が生態学的輪廻の法則を忠実に守って好気性完熟堆肥による正しい有機農法を行うかぎり害虫と益虫、あるいは病原微生物と抗病原微生物のバランスは、作物の五%ぐらいが侵される程度に安定している。そしてこれによって人類は生存し続け繁栄してきた。これが人類にとって自然な、もっとも良い状態なのである。
しかるに有機質を大地に返さず、あるいは化肥を施して微生物を殺りくするようなこの法則の無視が行われると、まず地中の生態系が破壊され、植物は天然の栄養を摂取できず、化学薬品を吸収してその体質が変わる。すると、この植物を媒介にして生存する地上の生物のバランスが破れ、病原微生物や害虫が増殖して作物の大半を侵すような結果になる。化肥に頼ると病害虫の発生が増加するのはこれである。
この人間に不利なバランスを解決するためには、正しい有機農法に帰って自然のバランスを得ることが唯一の方法であるのに、近代農法はそれをせず、農薬という有毒な化学薬品による殺りくという方法で一気に解決しようとする。一時的には害虫も益虫も病原微生物も抗病原微生物も、みんな死んでしまって作物はよく出来るかに見えるが、間もなく益虫や有益菌のいない、かつ農薬に抵抗性のある害虫や病原微生物のみという。恐るべき地上生態系が出現してくる。
化肥、農薬による近代農法では病害虫が、やたらとはなはだしくなるのは、このためである。また有機質を用いる場合でも、生の有機質や未熟の堆肥、あるいは嫌気性堆肥を土中に埋めることは。やはり生態学的輪廻の法則の無視であって、同じような悪い結果をもたらすので、くれぐれも注意しなければならない。これらは土の上に置くべきである。決して埋めてはいけない。
(以下、次号に続く)

地球温暖化に思う

年々異常気象が多くなり、観測されている数値は次々と記録を更新し続けています。近年の暖冬や今年の猛暑などは、はるか想像を上回るものでした。
日本は自然災害の多い国と言われていますが、最近の地震や台風は日本だけでなく、世界各地にも大きな被害をもたらしました。この異常気象には地球温暖化が大きく関わっています。しかし、日本はヨーロッパなどに比べると地球温暖化への対策がほとんど行われていません。
二酸化炭素(CO2)の削減は大きな課題ですが、石油、石炭の燃焼によって多く排出された結果、200年間で大気中の二酸化炭素濃度が25パーセントも増え、地球全体が温室に入っているような状態を作っています。例えば、今の東京の温度は100年前と比べると5度気温が上がっています。人間にとって気温の1度や2度の差はそれほど生活に困ることもなく、大変でもありません。しかし、植物やその他の生物にとって1度の違いはとても重要なものなのです。
気温が上がれば今までは生息していなっかった生物が現れるだけではなく、病原菌も同時に現れるということにもなります。近年、森に住む二ホンジカ、ニホンザル、イノシシなどの大型哺乳動物の生息分布域が拡大しています。これは温暖化によって野生動物の生存率が高くなったことも一因として考えられています。今までは山の奥深くでしか見ることの出来なかったクマやシカ、イノシシが里に現れ、畑を荒らしたり人を襲ったりと人間社会との摩擦も増えてきました。一方で、陸上の植物は在来種が適応できない地域では、より適応力のある植生にとって代わられ、外来種の侵入といった影響も予想されます。
そんな中、慈光会でも取り扱っているコーヒー豆のウインドファームさんからこのようなお便りが届きましたので、一部抜粋してご紹介させていただきます。」
・・・近代農法やブランテーション農法のように森を伐採したあとに作物を植えるのが一般的なコーヒー栽培。大量の農薬と化学肥料の使用が前提です。
森林農法(アグロフォレストリー)は、森を残したままその中にコーヒーをはじめ様々な果樹や作物を植えていく栽培方法です。中南米にコーヒーが持ち込まれる前から、先住民の伝統文化の一つとして営まれていました。
青々としげった「コーヒー園」には高木から低木、そして草本にいたるまで、いろいろな樹が存在します。森の中でコーヒーが分散していて作業にも手間がかかりますが、バナナの樹の落葉などが積もることで土壌は豊かになります。
多様な樹や草花などの植物が生きていること、森をすみかにする動物や鳥類が生き生きと暮らしている様子は「生物多様性豊か」であると言われます。「アグロフォレストリーの森には百種類を超える鳥類が見られ、コーヒーだけの単一栽培においては、数種類の鳥類しか見られない」という報告もあります。
生物多様性は、害虫には天敵がいること、病原菌には拮抗する菌が存在すること、栄養分を作物が吸収するのを助ける微生物も存在することにつながっています。
結果として、害虫や病気の菌だけという環境になりにくく、樹自体も健康なため農薬や化学肥料を使用せずにコーヒーの有機栽培をすることができるのです。
多様な生物、植物が混在する森の豊かな土壌は、土壌浸食の影響を受けることもなく、雨水の保持に役立つことで「水の自然工房」やため池を維持し、洪水の影響を緩和してくれます。
森林農法による豊かな森は人々の暮らしを支えます。コーヒー市場や収穫が不安定な時も森から、食料、薬、木材、飼料、燃料、樹脂、繊維、木製品など様々な恵みを自家消費や市場用として提供してくれるのです。
森を守り、森を作る森林農法は、いま危機的な状況にある地球の温暖化を防止するために「途上国」の生産者と「先進国」の消費者とが協力しあえる大変重要な取り組みでもあります。・・・

このように森林農法は、自然と融合して自然の恵みを得ることのできる農法です。これは慈光会が提唱する生命の農法でもあります。

農場便り 10月

晴れ間の少ない初秋となり、気温、湿度共に高い日が続く。暦の上では秋、倉庫の脇に植えた金木犀の樹も屋根に届く大きさに成長し、時折吹く風が甘酸っぱい香りを届けてくれる。
7月から逐次播種を行い、育ったキャベツ、ブロッコリー、カリフラワー、白菜の苗が防虫ネットで覆われたにわか作りの苗場に所狭しと並べられ、8月下旬より圃場に順に定植された。9月に日本列島を襲った台風は次々に順番を待つ苗の定植を拒み、ポットからなかなか出ることのできない苗は、暑さと湿度で必要以上に大きく育つ。
いつもであればのんびり病が顔を出し、堆肥を散布してあとは耕運、畝上げまでとなる作業をギリギリに間に合わせるところだが、本年は猛烈に暑い7月下旬には堆肥の散布を終え、本気を出した自らを褒める。平素の自分を見失い真面目に行った作業が祟ったのであろうか、8月はやたらと雨の日が多く、土は水分を含んでずっしりと重く、トラクターを入れて耕運ができる状態ではない。2、3日の雨の止み間を逃すことなく、耕運、そして畝上げと強引に作業を進める。心の乱れが畝の所々に出たのか、まるでカエルを丸呑みしたヘビのように太さがいびつとなるが、そこは見て見ぬふり、翌日から大苗の定植を行う。
まず7月13日、128穴のトレイに播種をし、発芽後ポットに移植した500本のキャベツ苗は50mの長さ、幅120cmの畝に無事40cm間隔できれいに定植し、その後休むことなく防虫ネットのトンネルを掛けた。トンネルを掛けずにおくと、夏の強力な害虫は情け容赦なく、一晩で幼い苗をすべて胃の中に収めてしまう。明日はまた雨、との予報に水を一株ずつ手掛けすることなく、予定していた苗の定植作業を終える。ほっと一息、気が付けば作業着は汗でびっしょり、これ以上シャツの生地は汗を吸収できないまでとなる。「人間は温度より湿度を苦手とする」という事をこの夏、身をもって実感した。耕運、苗の定植などの作業と並行してきゅうり、ナス、その他の夏野菜の収穫も早朝、まだ露にぬれる雑草を踏み付けながら行う。収穫物は販売所の作業が始まるまでに届け、朝の収穫のサイズに至らない作物は、夕方涼しくなった頃にもう一度収穫を行う。
次に定植する作物の苗はブロッコリーとカリフラワーがスタンバイしている。この2種はまず早生種を128穴のトレイに播種、3週間後に直径6cmのポットに鉢上げをする。限界まで根を張り巡らせた苗は、天候の加減か多少大きく育ち過ぎてしまった。つかの間の雨の止んでいる時を無駄にせず、一気にこれらの苗を定植する。
次々に定植された早生系の苗には、この時期のみ防虫ネットが頭からすっぽり被せられる。これまで定植後は雑草の芽が膨らむまで放っておいたが、温暖化による不安定な気候のせいか、甲虫類が異常に発生し、定植した苗を次々に食害していく。特に、これから定植を行う白菜は恰好の餌食となる。
8月31日、同月11日に播種を行い苗場で大きく育った白菜の苗を圃場に定植する。例年であれば、この時期の畑の土はカラカラに乾いているが、今年は雨が続いたため、白菜苗を湿った土に植えることになる。翌朝、苗は他の苗と別れ、トラックの荷台に積まれて厳しい社会へと巣立ち、荒波に揉まれることになる。圃場は堆肥でふかふかの土に仕上がり、大地は白菜の苗を今か今かと待つ。定植後の苗は高温多湿にも負けずに育ち、大きさは30?を超える勢いとなる。
本日も作業を終え帰宅、テレビのスイッチをONにする。画面に等圧線の並ぶ天気図が映し出され、予報官がしきりに天気の解説を行う。日本列島のはるか南に台風のマークが目に入る。台風がまたしても発生、こちらにはまず来ないだろうと高をくくり、家人の作った料理に舌鼓を打った。しかし数日後、台風の進行方向が徐々に絞られていき、「直撃」という言葉が目に入るようになる。良いことはハズレが多く、悪いことは大当り。強い台風は近畿を呑み込み、大きな台風の目は地上に豪雨と強風をまき散らし暴れ狂う。大きな爪痕を残した台風は日本海へ去り、ひどい状態になっているであろう畑のことを考えると気持ちが沈む。
翌朝農場へ行く。思った通り強風は作物を襲い、豪雨は地表を叩いた。強風によりネットは飛ばされ、まだ弱々しい苗を吹き飛ばさんばかりに傷めつけた。
大量の雨は畝に溜まり、台風通過の時にはおそらく畑全体が水に浸かったであろうと思われる。前日に行った水路切りも無駄であったのだろうか。自然界は弱った作物を淘汰しようとする。どこから来るのか大量のダイコンサルハムシが弱った白菜に群がる。8月11日から育ててきた白菜は食害に遭い600株の愛する我が子たちは何処に、となってしまった。そうなると、一般栽培ではすぐに薬剤を散布し、害虫(人間は知らぬと)から作物のみを守る。同時期に定植を行った極早生のキャベツは約70%位が被害から逃れ息を吹き返した。大自然はすべての生命を優しく包み込むが、時に牙をむき恐ろしい姿となる。その変身たるや我が家の家人と重なって見える。
我々耕人は大地が消えてしまわない限り大地を耕し、人々の生命を守る作物を作り続け、一次が駄目ならば二次、三次と種を大地に播き続ける。早生は被害にあったが、中生、晩生と続々と若苗を育て栽培を行う。
定植作業には腰痛が付きものである。ただし、この痛みは少々通常の腰痛とは異なる。一日中腰を曲げる作業で、夕方には腰が伸びにくくなるためリハビリ運動で体を整える。1日の作業を終えた夕刻、痛い腰を我慢して伸ばしている目の前を蝶々が優雅に舞う。きれいな蝶々でさえ、「大切な葉を食害する青虫の親」と鬼の心が沸々と湧き上がり、思わず一握りの土を蝶々に投げつける。うろこ雲が夕焼けに染まった美しい風景の中、小さな心の自分がいる。
雨天続きの日々、畑の準備から始まった作業も順調に進み、あと僅かの苗を残すのみとなった。残った苗も近日中には圃場へと向かう。7月11日から日々の管理に追われた苗も来年早春の収穫のキャベツの苗のみとなった。賑やかだった苗場はガランとして寂しく目に映る、と同時に終わった安堵感に浸る。
苗場の隅には来春・夏に収穫の苗が双葉をお日様に向かって広げ、秋の日差しを浴びている。その横にはネギ、玉ねぎの細い糸のような苗もあり、「私達もお忘れなく」との声が聞こえる。
また台風が発生し、紀伊半島を通った。前回より風は弱いが、雨は変わらぬほど降った。雨水は畝間に溢れんばかりに溜まり、ネットはまた飛ばされ、小苗は強風に踊らされた。台風に備えて大量の苗を一時倉庫へ避難させたものを戻したり、荒れた畑の後始末など台風の後片付けに2日を要した。「人生楽ありゃ苦もあるさ」とどこかの御老公様がおっしゃったが、これでもかとばかりに苦の種から芽が伸びてくる。できる限りの努力を惜しまず、後はお天道様にお願いするだけである。
今年の十五夜は雨雲が夜空を覆い、美しい姿を見ることが出来なかった。翌日、夜空の月がうす雲の向こうから、薄い月の光を地上に降り注ぐ。涼しくなった夜間、ゴリラが夜道の徘徊を始めた。不自然な姿勢での作業には全身運動のウォーキングが一番との事、如月の月が照らしてくれる夜道をひたすら速足で歩く。歩きながらお月様を仰ぐ。先日、気の遠くなるような金額で月への飛行を手に入れたニュースが頭に浮かぶと同時に、太古の昔からロマンと美へのあこがれで心を癒してくれた月を近代科学で汚されてしまうような寂しさが湧き上がる。もっとも、1960年代すでにアメリカによってお月様は汚されてしまったのではあるが・・・。
財力に物を言わせ、大量のエネルギーを無駄に使い、ガレ岩を見に死の世界へ行く。384400km離れたここから見る月は、こんなにも宝石のように美しい世界であるのに。つまらぬ野心と低俗なロマンは捨ててはどうか、と今宵も美しきお月様の姿を見上げる。
淡い月の光に街路樹が浮かび上がる。先日の台風で強い風に揺さぶられた木々はなんとなく弱々しく目に映り、路上の落ち葉が目につく。落葉と共に向こうから目に飛び込んでくる無数の物体が私と家人を呼ぶ。本年もおもむろにポケットから取り出すレジ袋と手袋、「さすが、我が家の家長、鬼嫁!」と声をかける。道路には足の踏み場もないほどのギンナンが落ちている。昼の腰の痛さはどこ吹く風、欲が絡めば人間は痛さなど忘れてしまうらしく、一心不乱にギンナンの実を拾ってゆく。その姿たるやまさに餓鬼道である。お月様も流石にこの姿には苦笑い、見てはおれぬとちぎれ雲の陰に姿を隠す。それからもまだ拾い続けたという秋の一夜の出来事である。本年も自然からの贈り物に感謝する。

 

銀杏の悪臭漂う如月の夜道より