慈光通信 第240号
2022.8.14
有機農法についての私の体験と意見Ⅳ
前理事長・医師梁瀬義亮
【この原稿は1978年3月号「月刊たべものと健康」に掲載されたものです
なぜ昔は作り易かったか
五条市は柿の適地で、全国でも有名でした。素人の庭先でも別に手入れをしなくてもよく出来たものです。専門の農家は毎年6月と8月に農薬を使い、それで十分立派な収穫が出来、柿ほど作り易いものは無い、と言われていました。それが現在ではどうでしょう。今迄見なかった害虫が次々と発生してきて、現在は八回位殺虫剤を使わなければならなくなりました。「近いうちに梨作りぐらいに消毒せねばならなくなるだろう」と、ある農民は悲しそうに語りました。彼の妻はひどい農薬中毒を起こしたのです。一年や二年の短期間を見ると、農薬散布は増産の作業です。しかし20年後で見ると、農薬散布の作業は徒らに益虫を減らし、害虫を増やす減産の作業であった事が分かります。病虫害から逃れる道はただ一つ、正しい農法を行って大自然の生態系を守り、この中で人間が守られる事のみと存じます。
低毒性農薬も決して
無毒ではない
パラチオンやエンドリン、E・P・N、BHC、DDT、砒酸鉛等々毒性が強かったり、残留性の甚だしいものは禁止されました。それについてしみじみ思うのです。十数年の間「大丈夫だ、大丈夫だ」と騙されて、長袖カッターとガーゼマスクを付けただけで、恐ろしい毒の霧の中で働き、死んで行った農民等の事を・・・・・・。いま「大丈夫だ」と言われている農薬も、決して無毒なものではありません。ランネートやマリックスの様な劇物は勿論の事、普通物として取り扱われているものもすべて危険です。例えばスミチオン、マラソン等による被害例を数多く経験しています。ここで特に注意したい事は、仮に体内に蓄積せぬものでも、決して安全ではないという事です。毒性の慢性中毒は専らその毒性の体内蓄積によるものとのみ考えられて、有機燐剤は体内での分解が速やかだから慢性中毒は起こらないとされています。然し実際は有機燐剤を使っても慢性中毒は起こります。最終的には分解され排泄されるものでも、それが体内を通過する途中で体細胞に与える障害が次第に蓄積してくる事が、臨床的に経験されます。私は「毒物自体の蓄積」と区別してこれを「作用の蓄積」と呼んでいます。
最近の臨床例から
例1Y氏(五三歳)男、医師
約1年半の間はげしい口内炎に悩み抜きました。職業柄あらゆる手当てをしましたが一向によくなりません。おまけに数か月来はげしい蕁麻疹を併発し、これもいくら手当てしても駄目でした。気力も衰えこれで人生も終わりかと諦めていました。この人は大変お茶が好物で、極く上等のお茶を常に愛用していました。農薬によるものだとの私の説を聞き入れて、お茶をはじめ一切の食物を慈光会の販売所のもののみとしましたところ、急に口内炎は回復に向かい、約1か月半で全治し、蕁麻疹も出なくなりました。彼は熱心な慈光会の信者になりました。昨年一二月慈光会で買った蜜柑が無くなったところへ丁度患者さんから市販の蜜柑を一箱いただきました。ふと蜜柑は皮を剥くから大丈夫と思ってその蜜柑を食べはじめました。五日位食べた頃急に前の様なロ内炎が現れてきました。驚いて市販の蜜柑を中止して慈光会のものに代えましたところ、4、5日で治癒しました。今度こそ身に沁みて分かりました、と彼は言っていました。
例2S氏(50歳)男、農民、柿の栽培家彼は最近三週間名状し難い全身倦怠感に苦しみ、食欲不振、無気力に襲われ種々検査や治療を受けましたが効が無く、私のところへ受診に来ました。私は農薬によるものに違いない、且つ症状から多分塩素系のものだろうと申しまして、発病の前2~3日以内に農薬を使わなかったかを思い出させました。彼は発病の前日マリックスとい有機塩素剤を柿の「オガカメムシ)」という害虫駆除に使った事を思い出しました。こんな患者にはブドウ糖液に各種ビタミン、殊に活性ビタミンB6とメチオニンを30ミリグラム位加えて静注すると気分がよくなるものです。数回注射し且つ私の処方の肝臓剤と生薬を与えましたら、急に元気になり、10日位でよくなりました。当分は十分な注意が必要な旨を申し含めましたが、彼は「この苦しみは経験した者でないと分からない。もう農薬はこりごりだ」と申していました。
終わりに
生命を無視し、人間中心的で大自然の摂理と、調和を蔑にし、自己中心的で、隣人愛の欠けたこの近代文明は、公害、核戦争、飢餓によって人類を滅ぼす「死の文明」になる公算が次第に高まって来ました。この文明の中で、同じ発想の下に推進された化肥、農薬依存の近代農法は、土を殺し、益虫を殺し、人を殺す「死の農法」であります。今や「死の文明」から「生の文明」への転換の努力は焦眉の急であると存じます。その第一歩は「死の農法」から「生の農法」への転換の努力であり、これは可能な事、いや易しく楽しい事であります。ただ必要な事は世界観・人生観自然観の転換と同志を得ることです。
洋の東西を問わず篤農家や偉大な化学者、芸術家、宗教家の叫ばれた如き大自然にたいする畏敬の念と共に、「つくる」「とる」という発想、「殺し奪わなければ生きられな「い」という発想(生存競争)から、「大自然からつくっていただく」という発想(この時農作業は「とる」「つくる」という意味から「いただく作業、作法」という意味に変わります)、「生かされ、生かされんと努力し、そしてまた生かされる」という「共存共栄」の発想への転換こそ、今最も大切な事と存ずるのです。
【完】
慈光会で有精卵の取り扱いを始めました!
先日から慈光会では石井さんの有精卵を分けていただくことになりました。石井農園は、奈良県の北東端に位置し、東部は三重県、北部及び西部は奈良市に隣接する奈良県山添村にあります。そこで石井さんは養鶏と稲作を行っています。養鶏場ではすべて平飼い有精卵で、鶏は鶏舎の中を自由に走り回り、鶏本来の習性である砂浴びを楽しんでいます。飼料は自家配合で、飼料米は放棄されていた休耕田を耕して作った自家栽培の無農薬米、魚粉やカキ殻、海水塩なども国産で、飼料の95%以上が国産、あとの5%は輸入のNGM(遺伝子組み換えでない)の大豆粕や有機のニンニクなどを使用したものです。無農薬で飼料米を作るのは大変ですが、鶏が食べるものだから、それが石井さんのこだわりだと言います。今の時代、海外産の飼料に頼らず、どういう工程で栽培されたかがわかる自家飼料は貴重です。一般的な飼料にはトウモロコシが使われているので、トウモロコシの色素成分を鶏が吸収すると、それが卵に移行して黄身が黄色になります。飼料にパプリカやマリーゴールドなどを混ぜて与えると黄身の色が濃くなり、トウモロコシの代わりに米を食べさせると白くなります。石井さんの養鶏は、国産飼料にこだわり海外からの輸入トウモロコシを一切与えないため、黄身が薄黄色になるという訳です。今までの卵の感覚があるため、石井さんの卵を割った時に黄身の色を見て驚かれる方もあると思いますが、この卵は動物性タンパクの特有の生臭みがなく美味しい卵です。また、有精卵と無精卵では栄養価に差はないといわれていますが、石井さんが有精卵にこだわるのは「鶏が床を歩き回り、雄鶏も雌鶏も一緒にいる姿の方が自然だから」という事なのだそうです。新しい卵をご理解いただき、ご協力いただきますよう、どうぞよろしくお願いします。
農場便り8月
6月6日芒種、穀物の種を播く季節に入った。とは言え、近代農業では4月下旬から5月上旬に播種を行い、6月上旬には既に水田の稲の苗は青々と育つ。6月下旬、今までの人生にはない猛暑に見舞われた。この時期にはまだ暑さを跳ね飛ばす体力は育っておらず、精神、体力ともに参ってしまう日が続いた。5月下旬に播種をした夏秋のきゅうりの苗は6月下旬に畑に定植。その後、苗は志半ばにして太陽の強烈な日射しに焼き尽くされ、何本かが枯死してしまった。又すぐに播種をし直し、日よけの下では後を追う小苗が元気よく育つ。きゅうりは水と肥料が大好物、両方を切らさぬよう注意をし、管理作業にも熱が入る。7月10日より始まったきゅうりの収穫は、9月中旬まで一日2回、地上すれすれのところから2mの高さまで、見逃しがないよう目を皿のようにして探しながら、一本一本大切にカゴの中に収めてゆく。このきゅうりの収穫の間は休日がなく、きゅうりに仕えるしもべとなる。きゅうり栽培に携わってウン十年、これまで栽培上の大きなトラブルもなく、チョロチョロ顔を出す小さなトラブルは来年のためにと日誌に書き留めておくが、まず読み返すことはない。農業は真面目にさえ取り組んでいれば60~70点を天から頂けるもので、これに味をしめ、心はいたってのんびりと農に取り組む。当園のきゅうりは、8月下旬までが最盛期、前半の梅雨の水分が土中深くに沁み込み、モリモリと成長を続けるが、8月に入ると土中の水分も徐々に枯渇してゆき、水の催促を受ける。2条に定植した畝の中央に浅い溝を切り、水を流し追肥用肥料もその溝に入れる。きゅうりは溝の中にも真っ白な細根を張り巡らせ、2~3日に一度流す水を心ゆくまで吸い込み、強熱な太陽にも敗けることなく、つるにえぐみや青臭みのない美味しい実をたくさんぶら下げる。毎年の事ながら夏を終える頃には、きゅうりを毎日毎日大量に食した私は痩せ細ったキリギリスではなく、丸々と肥えたキリギリスになるであろう。私の辞書に夏痩せの言葉は存在しない…。午前11時を過ぎると農作業は非人道的で過酷な労働となる。バテバテの身体は家に帰り着くや否や、足は一直線に井戸水の蛇口を目指す。庭で井戸水を頭からかぶり、身体の粗熱を流す。冷たい水でようやく息を吹き返すと、次には食欲が湧き上がる。猛暑の日々、涼を感じさせる夏の風物詩に素麺がある。その昔、品よくいただく素麺は、元来宮様や公家の夏の食べ物であったそうである。その由緒正しいこの夏の食材を、耕人はまるで餌を貪るかのように口に運ぶ。何種もの薬味と共に終わりを知らない夏の昼食が始まる。薬味にはネギや生姜、大葉やみょうが、シイタケなど、間もなく襲ってくる夏バテ防止に大活躍の素材たちである。その中の一つ、大葉(青しそ)は中国大陸より伝わる。当園では3月中下旬に播種をし、ビニールトンネルの中で育苗をする。気温が低いこの時期は発芽に時間がかかり、その間は土を乾かさないよう水かけを小まめに行う。しかし大葉は少々根性が悪く、丹精込めて育てたものよりも、前年に栽培した後地に落ちた種が一斉に芽を吹き、育つ大量の大葉を目にした時、がっくりと気落ちすると共に怒りがこみ上げる、というのが春の年中行事の一つである。そんな大葉は20~30㎝間隔で定植し、気温の上昇と共に猛烈な生命力で成長していく。この作物は、当会の栽培法ではまず外敵に遭うことはないが、お盆を越えた頃から少々葉に窓が開くことがある。芽が伸びるごとに刈り取られ、夏の間に何度新芽を刈り取られるであろうか。それでも敗けることなく次から次へと新芽を伸ばしてゆく。管理は、只々水分を切らさない事。7月中旬には茶畑のようにカマボコ状に刈り揃えられ、大葉の垣根になる。大葉の栄養価は高くBーカロチンは野菜の中でもトップクラス、ビタミン類も多く含み、中でもB・Eは活性酸素から体を守る。この季節に多くの人に襲いかかる夏バテにはペリルアルデヒドが強い力を発揮し、抗菌・食欲不振に温かい手を差しのべてくれる。発汗、解熱、整腸にも古くから漢方で使われ、貧血、眩暈には鉄分が活躍しか弱い女性を守る。このように大葉には、夏の暑さで弱った胃腸の働きを活発にする作用がある。また大葉は防腐作用が強く、刺身などの添え物にも必ず用いられる。大葉は薬味として利用するのはもちろん、冷奴に豆腐が隠れる位にのせたり、刻んでドカンとごはんに乗せしょうゆとごま油をたらり等々、これだけで立派な一品となる。他にも多くの調理法があるので是非色々な料理にご利用いただきたい。9月、花芽が上がるまで収穫は続き、後に種の自家採種を行う。畑では、夏の季節に似合わぬ作物、白ネギが雑草から日々攻撃を受ける。取れども取れどもそのすぐ後から無限に芽を吹く夏草、2度目となる除草を終え「ホッ」と息をつく間もなく、ひと雨降ればまた次の芽が地上に現れる。発芽と同時に除草鍬で削っておけば、時間、体力ともに効率が良いのだが、またいつものように悪魔がそっと耳元でささやく。「まだ大丈夫」、その甘い誘惑に負けて他の作業をこなし白ネギの畑へと移動する。そこで目に入った光景は、見事な白ネギ畑ではなく夏空に映える真っ青な雑草の美しい輝き。雑草の中から天を射る如く、尖ったネギの葉が見え隠れしている。物事は万事先手必勝、戦い破れ泣くに泣けない白ネギ栽培の夏となった。翌日より草取りが始まる。一度に全部をと欲に走れば、途中で挫折が待っている。一日のノルマを決め、汗だくでせっせと草取りに励む。暑さのせいか悪魔のささやきは聞こえず、何とか無事終えることが出来た。山芋は自由にツルを伸ばし力強く育っている。目に見えぬ土の中に「大きく育てよ」と願いを込め、周りの草だけを機械で刈る。他の作物もこの暑さに敗けることなく、乾いた畑の中で元気よく育つ。午前中はクマゼミ、アブラゼミの声に包まれ、涼しくなってくる夕刻にはヒグラシの寂しげな鳴き声、と終日の蝉時雨の中、額から滝のような汗を流し作業に励む。前回の通信で紹介させていただいたモリアオガエル、その姿を一度見てみたいとの思いから、水槽の周りの林にそっと足を運ぶ。遠くで声はすれども姿は見えずであったが、ようやく目の前の枝にカエルの姿を発見。思いのほか体が大きく、雨がえるの2~3倍はある。その姿を目に焼き付け、また一つ新しい生物を知ることが出来た感動を胸に、長居は無用とその場を後にする。世界的な異常気象は、これから先で食糧危機を招く。戦争による食糧危機もまたしかりである。生命の糧である食糧を経済の道具にしてはならない。世界中の贅沢と無駄をなくし、すべての民が飢えることのない世の中をと願う。日本の自給率は30パーセントと低い値である。畜産においては飼料をほぼ100%海外に依存し、もし海外からの飼料が止まれば、日本の畜産業は崩壊する。世界中で食糧の廃棄の量で上位を占めるわが国、「断捨離」などという言葉を生み出し、食料品だけではなく、多くの生活用品をも使い捨てにする日本は進むべき道を間違えている。7月下旬、山の農場の広い畑の一画が更地になった。6月から収穫が始まった夏キャベツも7月中旬に最後の一個を収穫ガマで切り取り、キャベツ畑は刈り取られた後の畝と雑草だけとなった。播種から5カ月間育てたキャベツはすべて嫁入りし、各地へと旅立った。一週間後には、空になった畑に一年をかけて作った完熟堆肥を運び込み、秋冬作への準備が始まった。この頃になると本格的な夏の暑さが列島を飲み込み、日中の気温は異常に上昇し、ニイニイゼミの鳴き声が熱さに拍車をかける。日中は静かにしていた蚊やアブ、ブヨは涼しくなる夕方になると活躍を始める。何度となく、通信でこれらの虫にいじめられたことを書かせていただいたが、ほとんどが泣き言である。しかしこの夏、真夏の農場の必需品である麦わら帽子に最強の助っ人が現れた。私の帽子のてっぺんには大きなオニヤンマのフィギュアが鎮座する。幼い頃にトンボ取りで捕まえ、指を噛まれて泣きべそをかいたオニヤンマ、それが頭の上から害虫に睨みを利かせ、私を守ってくれる。オニヤンマは私を狙う害虫にとっては天敵となるようだ。お陰様でこの夏は快適な農作業となった。このフィギュアは、通信を目にした会員様が、か弱い私を憐れんでプレゼントして下さったもので、ありがたい感謝の毎日である。東北の被災地で咲いたひまわりが農場に種を落とし、今年もきれいな花を咲かせた。大きな花は力強く太陽を見上げる。はずであったが、大きな花は咲けども毎日続く雨で花は下向きかげん。それでも2mは優に超え、私の目を楽しませてくれた。同時に、災害やウクライナ戦争に思いを馳せた。花が咲き終えた今はたくさんの種を付け、来年も大きな花を咲かせてくれるであろう。その種は、また販売所でご希望の方にお分けする予定である。このコロナ禍、暗くなりがちな心に明かりを灯してくれる文と出会った。貧困に苦しむインドの人々に自らの生涯をささげたマザーテレサの言葉「人間のほほえみ、人間のふれあいを忘れた人がいます。これはとても大きな貧困です。」微力ではあるが、人々の健康のため力の限り土を耕す。夕刻ヒグラシの声は消えた。一日の農作業を終え家路につく。家人が作るたくさんの夏野菜の料理が私を待つ。
追記
別れは寂しいものである。心の窓を少し開いてくれたキツネのコン太が姿を現すことがなくなった。前日の夕方、作業を終えた私の前に草むらから飛び出し、エサをねだったのが最後となった。事故に遭ったのでなければ良いが、ここよりももっと素晴らしい居場所があったのなら、とも考える。短い日々ではあったが、耕人としての私の心の中に他の生物への優しさを教えてくれた。この出来事を生涯忘れない。
汗、汗、そして泥にまみれた農場より