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慈光通信 第221号

2019.6.1

食物と健康 2

 

前理事長・医師 梁瀬義亮

【この原稿は、1991年1月 日本有機農業研究会発行の「梁瀬義亮特集」に掲載されたものです。】

 

1.日本人の健康状態

 

明治初期の日本人の体力
はたして日本人は、本来弱い国民であるのか、と考えてみますと、明治の初期における日本人の体力は、実にすばらしいものであったようです。有名なドイツの医学者で、東京大学の教授をしておられ、日本人の健康・体力を長年調べられたドイツ人ベルツ博士の日記などを見ますと参考になるのです。それには、こういっています。
およそ、もろもろの民族を見たけれども、日本民族ほど素晴らしい体力を持った国民はない。いずれこの国民は世界に驚異的な発展を遂げるであろう、といっています。その後日露戦争では、戦争というのはまことに悲しむべき事態ではございますが、あの満州において、世界最強のロシア民族と四つに組んで、劣った武器を持ちながら一歩もひけを取らなかった、という一つの事実も、これを物語るものと存じます。当時は日本は軍隊および都会では、非常に脚気に悩まされておったのですが、なおしかし、人間の人材の源である農村は健在であった。農村に帰ったら脚気は治った。人材の源である農村が健全であったということが、日本を興隆せしめた大きな原因であったと思うのです。

 

2、私の体験から

 

現在の日本の農村は、都市に劣らず、体力も弱く、病気も非常に多いのです。一体これはどうしたことなのであるか。
これを、私なりに得ました体験から、ここに発表させていただきます。
この日本人が、わずか70から80年の間に、世界最強といわれた状態から世界最低にまで、どうして落ち込んでしまったか。これには食物の面から考えて、二つのことがあると思います。一つは日本人が採用した食生活の方法が、日本人の体力を非常に低下せしめ
るような内容であったこと。もう一つは、終戦後は、驚くべき毒物が私たちの生活に滲透してきて、それによって、日本人の体力が非常に低下してきた。いわゆる欠乏と毒物との二つの要素において、その源を追求していくべきじゃないかと思います。

小島の食物と健康
まず、欠乏という問題について気付いたことなのです。昭和17年、私、大学の4回生の時に、非常に印象深い経験をしたわけです。瀬戸内海の島へ無医村診療に看護婦の代わりについて行ったのです。
その時に、瀬戸内海の島で、北江口島という大きな島に最初に行ったわけです。この島は随分大きな島で、本土との連絡も頻繁で、住民の生活とくに食生活は、白米を本土からどんどん入れるし、島自体も大きいから米もとれるし、本土と変わらない食生活をしていました。
ここの住人の健康状態は、まず本土とかわりはなかった。むしろ病人の率は本土より多いくらいであった。衛生設備がよくない所で、目の病気が非常に多かった。
ところが、この北江口島からわずかに離れたところに、鷲島という小さい島がありました。本土との交通が少ない上に、土地がきびしい斜面で田がない。したがって住民の食物は、北江口島の白米とちがって、主食はさつまいもと麦なのです。それに沿海で獲れる小魚や海藻類、畑で作った野菜を添える。こういった食生活をしていました。
この二つの島で、驚くべき健康状態の差がありました。一例をとってみますと、当時の徴兵検査の成績で、北江口島はほとんど本土と変わらないが、鷲島のほうは、ほとんど全員が甲種合格、すばらしい体格と体力をもっていたのです。
このことをみて、私は、食物の種類がかわると、これほども健康状態が違うものかなあと、若いなりにも印象を受けたものでした。

僻村の開発と健康
それからもう一つ、これは名前をK村とさせていただきますが、その村に行ったときのことです。この村は随分僻村でございまして、主食は粟と稗で、これを粉にはたきまして団子を作り、一日に湯呑み一杯足らずの米で粥を作り、その中に団子を入れて食べる。これがその地方の主食です。これで村に出来た野菜を食べる。
この村に戦争中でしたので、材木を出すために道ができた。そこの古老曰く、「以前はこの村で病気をするのは町から米を買ってきて食べている旦那衆だけだった。村人というのは誰も病気をしなかった。しかし戦争になって材木を出すために道を作った。そのために交通が良くなったのと、配給制度が出来て、村の人も白米を食べるようになった。そうすると、どうもこの頃、村の人の病気が多く、弱くなったようだ」と語っていたのを、私、非常に興味深く聞きました。
余談でございますが、その後のK村は、終戦後木材ブームで景気が良くなって、ますます町なみの生活を始めるようになりましたが、激しい結核の浸出をうけまして、結核の村として有名になった、という経過がありました。

 

以下、次号に続く

その防虫剤、安全ですか?
6月に入り、衣替えをされた方も多いのではないでしょうか。
タンスを開けたときにふわりと香る、防虫剤の臭い。懐かしさがこみ上げるような臭いですが、実はそれ、有害かもしれません。
防虫剤に使われる合成化学物質は、大きくナフタリン・パラジクロロベンゼン・ピレスロイド化合物系の三つに分かれます。
まず、一番よく使われているのはナフタリンです。これは直接触ると皮膚が炎症を起こすことがあります。
次に、パラジクロロベンゼンは頭痛、めまい、倦怠感、眼・鼻・のどへの刺激、腎炎などを引き起こす可能性があります。また、白内障を引き起こす危険がある上、アメリカの環境保護庁で発がん性を告示されています。毒性が低いように思われ、多用されていますが、潜在的な危険性が最も高い防虫剤です。この成分はトイレの消臭剤にも使われていますが、薬剤が空気中に拡散しやすいため、吸引による影響にも注意が必要です。
3つ目はピレスロイド化合物系です。これは無臭のエンペントリンを主成分としており、衣類に臭いが付かないことから最近人気があります。
ピレスロイド系は昆虫・両生類・爬虫類に対しては非常に強い効果を示す神経毒となり、人などの哺乳類に対しては、殺虫成分が神経系に到達するまでの過程で分解されるので無毒である、と言われています。しかし実際は他の殺虫成分と同様に、神経に障害を与える作用があり、特に成長期の子供たちへの影響も懸念されています。人体に入ったピレスロイドは代謝されて尿中に3-フェノキシ安息香酸(3-PBA)として検出されます。フランスのレンヌ大学病院の研究では、尿中3-PBA濃度の最も高かった子供たちは、異常行動が見られる可能性が約三倍高いという結果になりました。また、米国では、尿中から3-PBAが検出された男の子のADHD(注意欠陥・多動性障害)のリスクが、検出されなかった男の子の三倍でした。臭いがしないから安全ではなく、臭いがしないから危険なのだと思わなければなりません。
大切な衣類を守るためにも防虫剤は必要です。使用する際には日本で古くから使用されている天然クスノキを使用した樟脳や、虫が嫌うハーブで作られた防虫剤など、天然成分のみで作られた防虫剤を選びましょう。
化学物質で作られた防虫剤には、天然のものと相性の悪いものがあり、衣類の変色や傷み、シミの原因になることがあります。これまで合成防虫剤を使用していた場合は、天然のものを使用する前に、しっかり換気・乾燥を行い、前の成分が残らないようにご注意ください。

 

農場便り 6月

 

ハラハラと落ちる山桜の花びらが、農場の地表を埋め尽くしている作物に降り注ぎ、最後の輝きを放つ。
日々緑の濃くなる山に躍動を感じ、それはまるで獣が大きく息をしているようである。
5月上旬より晴天の日が続いたため、畑の土が乾燥し、土ぼこりが上がる。水分不足で作物の収穫時期が少し遅れ、特に葉が大きい分、水分不足を苦手とするキャベツは予定よりも半月ほど遅くなった。山の農場は冬期に張り巡らせた防獣柵の中でキャベツ、ブロッコリー、大根、ゴボウ、ジャガイモ、サラダ菜、小松菜、人参、ナス、ズッキーニ、カボチャなどの野菜が健康に育つ。農場を取り囲むフェンスは、よだれを垂らしながら隙あらば、と作物を狙う害獣から24時間がっちりガードする。
次々と勢いがつき、後先を考えることなく播種と苗の定植をする。山の畑以外にも2カ所での夏野菜各種、間もなく収穫をするニンニク、玉ねぎ、キャベツ、ブロッコリーなど多種に亘って栽培を行なう。中でも、乾燥を嫌う人参は2、3日に一度、ホースで散水をしながらも「雨よ!」と恨めしく空を見上げる。多種の栽培の結果、定植後の管理に四苦八苦。少しでも目を離すと畑が緑の大地へと変貌してしまうこの時期、力強く芽を吹く雑草に小型の除草機やクワ、当会最大の武器である太く短い10本の指が大活躍し除草に追われる。来る日も来る日も除草に追われる中、苗は大きく育ち、また次の定植にも追われる。しかし、この道ウン10年、少々のことには屈することのない図太い心が宿っている。またいつものように「何とかなるサー」と太短い脚で大地に立ち、汗を流す。
山の畑はこの春まで約4年のブランクがある。もともとこの大地はガレ土に堆肥を大量に入れ、何とか作物を育てられる土にしてきた。だが、この4、5年は獣害によって作物を作ることが出来ず、土の中から肥沃な成分を吸い取られたかのように痩せ土となってしまった。早春に2年完熟の堆肥をこれでもかとばかりに大量に投入し、土作りから作業は始まった。今現在、作物は順調に育ち、収穫も始まった。しかし所々で痩せ土が顔を出し、そこで育った作物は淘汰される。一日も早く畑が私のように肥沃に戻ってくれることを願う。
他の畑では、冬、春作の白菜、キャベツ、ブロッコリーが収穫を終えガランと空になった横で、ニンニクと玉ねぎが収穫へのウォーミングアップを始めた。
あとわずかで空になる阪部地区の畑は夏の暑さを避け、これから大量の堆肥を入れて次の秋冬の作付けへと土を休め、エネルギーを蓄える。牧野地区にある畑には、きゅうり、ナスなどの夏野菜、そして冬の味、里芋などを栽培、山の苗場には冬のネギの苗が育ち、間もなく畑へと定植される。
人は欲の波に乗ると前が見えなくなる。毎年栽培作物の種類、数量を決め栽培に入るが、各メーカーの「野菜カタログ」が私の思考を狂わせる。新物に目がない私の購買意欲に火がつき、美しく写ったカタログの野菜の写真に「駄目だ」と思いながらもチェックする手が止まらない。人間の労働量は上限があるはずであるが、ついつい新品種を購入してしまう。そんな燃え盛る私の心も、蒔きに蒔いた新種の種が芽吹いた時、その倍量で姿を現した雑草に「ガツン」と頭を殴られ、一気にクールダウン。しかし、一度作付けした作物は後戻りすることができず、「夕焼け小焼け」のメロディが風に乗って流れてくる夕刻になっても手を休めることなく、暗くなるまで除草の作業は続く。これからもこの性格は治ることはなく、大切に墓場まで持ってゆくに違いない。
農場に目をやる。本年のブロッコリーはよく育ち、畑一面ブロッコリーの海となった。キャベツに比べブロッコリーは色が濃く背も高い。難点はただ一つ、収穫の時期を見逃すと花の一粒一粒が大きく膨らみ、やがて黄色い花をつけ出荷できなくなる。葉っぱの陰に隠れ、見逃してしまうものも中にはある。
最近食卓に並ぶことが多くなったブロッコリー、季節はほぼ終えたが、次のブロッコリーの予習の意味を込めて紹介させていただく。
ブロッコリーはアブラナ科、キャベツの一種で和名をミドリハナヤサイという。地中海沿岸が原産、イタリアにて改良され今の姿となった。栄養価が高く、今注目度ナンバーワンの野菜といわれている。栽培期は夏蒔き、秋・冬採りから秋・春蒔き、春から初夏採りがあり、冷涼な気候を好む。
特に暑さに弱く、約1ヶ月で苗を仕立て、120cm幅の畝に40から50cmで2条に植え、畑は肥沃で水はけのよい土壌を選ぶ。堆肥をたっぷり入れた畑に定植後はいつもの管理、収穫まで1、2回の追肥(油粕、綿実油粕)を与え、できるだけ大きな株に仕上げる。株の大小は関係なく、一定期間で中心部に花芽がのぞく。株の大きさで頂花蕾の大きさも決まり、できるだけストレスをかけないようのびのびと育てる。栽培過程でモンシロチョウの幼虫の食害に見舞われるが、肥料の与え方や種類を間違えなければ一度くらいの虫取りで大概を終えることができる。
気になるブロッコリーの効能は、疲労回復、風邪予防、そして日本人の国民病といわれる癌の予防にも一役買い、女性の敵である老化の予防にも大きく効果があるとされる。ビタミン類を多く含み、今注目のビタミンCはレモンの2倍といわれ、ビタミンAから順にずらりと並んだ各ビタミンを多く含む。中でも葉酸が多く含まれDNAの合成や調整にかかわり、赤血球を作り正常な細胞の増殖を助ける。タンパク、鉄分、マグネシウム、亜鉛、カルシウムなどのミネラルも多く含まれているのが特徴である。そして女性の味方、ポリフェノールは脂肪を消費し、美白、美肌に効果がある。最近ではスルフォラファンという成分が日本人の国民病である胃ガン、大腸ガンなどの予防、そして体内に発病したガン細胞を死滅させることが分かってきた。
調理法は色々あるが、長時間茹ですぎると栄養が流出してしまうので要注意である。茎も栄養価が高く、他の果物などとスムージーにして生のまま体内に取り入れることが最高の摂取方法である。
ブロッコリーの花言葉は「小さな幸せ」。しかしながら、栄養豊富で人の命を守る最高の食材であるブロッコリーは「大いなる幸せ」の方が似合っている。
6月上旬、畑に大きな葉を広げるキャベツに目をやる。畑は三カ所に分け、それぞれに600株ずつ定植する。畑に足を踏み入れると一斉に蝶々が飛び立ち、その数たるや半端ではない。日本中の蝶々が集まってきたのではないか、という位の蝶々が乱舞し、近所のおじいさんが「この見事な光景を孫に見せる」と動画に撮るとのこと、その横で私は複雑な心境である。しかし、蝶々は飛べども青虫の姿は少なく、中心には大きなキャベツ球が育っているため、逐次出荷を行う。これから7月中旬までキャベツの収穫は続く。
一方、山の農場でオクラ、ズッキーニも順調に育つ。これらの野菜は日本人の食生活において葉物に比べると地味な存在である。他の夏野菜と比べてみても、少々ボール気味、直球ど真ん中とはいかないが、ともに栄養価が高く美味である。
暑くなるとついつい冷たい食べ物に手が出がちであるが、イタリアの煮込み料理ラタトゥイユなど、暑い夏には野菜たっぷりの熱い料理が胃腸を整えてくれる。ズッキーニはラタトゥイユには欠かせない縁の下の力持ち、今夏ぜひお楽しみいただきたい。
6月初旬、水田に水が張られ、トラクターのエンジン音が力強く泥田をかき回す。茶褐色に濁った水田の水も2、3日で澄み、和泉山脈に沈む夕日を映し出す。夜な夜なカエルがにぎやかな宴を催す。農場の水槽の周りの木の枝にモリアオガエルが大きな泡の球の卵を産み付け、大きな提灯のようにぶら下がる。水田に送る水は用水路を力強く流れてゆく。
この水路は4月には幼稚園の入園式で咲き誇ったソメイヨシノの花びらが流れてゆく。園児一人一人の夢を乗せ、花いかだとなって小川から大河へ、そして大海へと夢は大きく育つ。幼い子供たちの夢がかなう平和な世の中へ、と食の安全を願い本年もまた忙しい農のシーズンへと突っ走る。
夕刻、庭に茂るジューンベリーの赤い実を採り口いっぱいに頬張る。甘い味が口の中に広がり、足元には我が家の駄犬が手からこぼれた実を無心に食する。ささやかで平和な時間がゆっくり梅雨の空に流れてゆく。
食べ物ならなんでも吸い込む

 

大きなブラックホールを持つ耕人より