慈光通信 第200号
2015.12.1
あなたの健康を左右する食生活 今こそ誤れる栄養学の転換を 4
前理事長・医師 梁瀬義亮
【この原稿は、1973年(昭和48年)4月発行の毎日ライフに掲載されたものです。】
自然農法の復権を
現農法は、死の農法であるが、この根本的原因は、化肥という誤った植物の栄養概念にある。120年前、ドイツの化学者リービッヒは、植物の灰を分析して窒素とリンとカリウムを見出した。彼は早計にもこれを逆に考えて、植物は窒素、リン、カリウムの無機塩を与えれば立派に育つと速断し、植物無機栄養説を唱えた。これは死せる植物を、しかもそれを灰にして分析した結果から、生きた植物を逆算的に解明しようとする誤りを犯している。この誤った理論の上に打ち立てられたのが、恐るべき「死の農法」である。殊に酸性土壌、高温多湿のモンスーン気候の日本ではこの害は特に甚だしく、日本の農薬使用量は世界平均の10倍近くにもなっている。
それならどうすればよいか。それは生きた植物の本然の生態をよくよく観察するのである。そこには、大自然の教える素晴らしい法則が見出される。つまり、「生態学的輪廻の法則」である。植物が太陽エネルギーを神秘的に利用して、空中の炭酸ガスと水及び土中から吸収した様々の有機無機物質から素晴らしい有機物を合成する(生産者)。動物が直接間接にそれを食べる(消費者)。動植物の排泄物、死骸を微生物が分解する(分解者)。その分解終産物を植物は再び吸収して生産する。この輪廻が行われる限り、大地は植物を育てる力を失わない。
原始林は何万年たっても、すくすく大木を育成する。古来東洋で行われた農法はすべて「大地から出たものはすべて地上で土にして再び大地に返す」という堆肥農法で、これはこの輪廻の法則に適っていたため、何千年耕作しても地力は低下せず、作物を、そして人を養い続けた。地力のある土(生きた土)に育った農作物は美味で、香り高く、腐りにくい。栄養的成分は、化肥栽培のものよりも遥かに多く、かつ病虫害に抵抗性が強い。農法は、この自然農法(完熟堆肥の農法)でなければならない。
その一つの方法として、私が提案したいのは、都会の膨大な塵芥屎尿を国家事業として、国営工場で完熟堆肥化し、これを農村に配布する事である。もちろんこの事には、様々の困難も伴うし、国民の塵芥屎尿に対する考え方を根本的に変えることも必要となる。しかし、日本の土をやせさせることは、日本民族の滅亡を意味するから、万難を排してやらなければならない。
また今まで有機質農法といわれた農法に失敗が多かったのは、有機質を用いながら、化肥の理論にとらわれて、未熟な有機質を土に返したためである。
化肥で作られたものと、自然農法でつくられたものがどれほど違うかの一例を示そう。まず味である。近頃の都会人は、もう本当の農作物の味を知らない。かつて私を訪れた某民間放送局の女性アナウンサーが、自然栽培の青野菜を持ち帰った。彼女の3人の子供は、平常青野菜などまったく食べない。その子達がこの青野菜をむさぼるように食べて、母親を驚かせたのである。厩舎の牛が逃げ出すと、化肥でよく肥えた牧草を食べずに畔の雑草をむさぼる。また腐りにくいのが、自然栽培の農作物の特徴である。昨年夏の大根は、市販品は3,4日で腐ったが、自然栽培の物は10日経っても腐らなかった。
ビタミン、鉱物質の含有度の差も著明である。自然栽培の農作物の健康に及ぼす好影響については、特にヨーロッパで家畜飼育の際の報告が多いが、私の手元にも健康になった一家の例がかなりある。
自然農法は全体的に見て、近代農法に比べ遥かに有利であるが、現在様々の障害がその普及を防げている。その中でも特に流通機構による障害が大きい。食物としての農作物の価値はその味と栄養価である。消費者はそれを望み、自然農法を行えば手易く達成されるので、良心的な農民はそれを望んでいる。しかるに市場の評価基準は、味でも栄養でもなく、専ら形と色合いであって、農民に化肥農薬で贋物的農作物を作ることを強要している。現在の流通機構は根本的に改めなければならない。農協、生協は、最大目標の一つを自然農法の必要性の啓蒙と、自然農法農作物の流通機構の役割の完遂に置くべきである。
最後に、自然農法は単なるテクニックの習得だけでは、実践されないのが実情で、そこに世界観の問題がある。大自然に対する親愛と畏敬の念、自分以外のものに対する慈愛の念等々…情緒的な深みのある心が必要で、この意味で、農業は他の職業よりも、人間の心の向上と密接な関係のある事を感じるのである。
【完】
野菜あれこれ
今、慈光会の店頭にはたくさんの種類の葉野菜や根菜、きのこなどの野菜や果物が並んでいます。今はスーパーに行けば1年中トマトやきゅうりなどを買うことが出来ますが、慈光会では自然栽培のため、この時期にしか味わう事の出来ない野菜があります。そんな冬野菜の一つに今月の農場便りにも出てきたセロリがあります。
セロリは寒さに弱いので、出回る期間が短くなります。この独特な香りは好き嫌いがはっきり分かれるのですが、ミネストローネなどのスープには欠かせない野菜です。セロリには栄養分がたくさん含まれています。実は茎よりも葉の方が栄養価が高いので、あの青々とした葉っぱを捨てずに丸ごと使えばしっかり栄養分を吸収することが出来ます。
そこで、今回は簡単なセロリの調理法をご紹介します。
ミネストローネ
使用する野菜は、玉ねぎ、人参、トマト(冷凍や水煮のものでOK)、キャベツ、ブロッコリー、カリフラワー、セロリ、じゃが芋など、他にも冷蔵庫にある野菜の切れ端でもなんでも使えます。もちろんこれらの野菜が全部揃わなくてもあるものだけで大丈夫です。これらの野菜を大体同じくらいの大きさのサイコロ状に切ります。
オリーブオイルでニンニクを炒め、ニンニクの香りがしてきたら切った野菜を入れて炒めます。そこへお水を入れてチキンコンソメや洋風スープの素を入れ、野菜が柔らかくなったら塩、胡椒で味付け。もうすぐ出来上がるという時に小さなマカロニやスパゲティを細かくポキポキ折って加えて煮込めばごちそうスープになります。野菜だけでは物足りない時はベーコンを小さく刻んでニンニクと一緒に炒めてもおいしくなります。
この時に使用するセロリは、太い茎の部分ではなくても、先の細い部分で十分です。葉っぱもざっくり刻んで使います。また、ブロッコリーやカリフラワーなども、サラダなどに使った残りの根元の部分を使えば無駄なく全部使い切ることが出来ます。皮の固いところは、ピーラーでむいて使えば十分柔らかいので捨てずにご利用ください。
セロリのきんぴら
セロリの筋を取り、人参と共に5cmの細切りにします。ごま油を熱し、人参とセロリを炒めます。きんぴらごぼうと同じ要領で味付けをします。出来上げにたっぷりの胡麻をかけてお召し上がりください。
セロリが苦手、という方にも好評です。
セロリの浅漬け
セロリの筋を取り、斜めに一口大に切ります。
砂糖、塩、酢、昆布茶、種を抜いて刻んだ鷹の爪を保存用の袋に入れ、もみ込んでしばらく置きます。30分位から食べることが出来ますが、一晩おいた方がよくなじんでお勧めです。
セロリの葉の炒め物
茎は小さめの一口大、葉もざっくり切って胡麻油で炒めます。
しんなりしたら砂糖、しょうゆ、和風だしで味付けをし、仕上げに胡麻をかけて出来上がり。胡麻はセロリと相性が良く、味がひと際引き立ちます。
他にも色々な食べ方がありますが、まずは簡単な調理方法で、セロリが苦手・・という方も是非一度お試しください。
農場便り 12月
12月初旬、農場の周りの木々がやっと色付いてきた。1本1本木の色がすべて異なり、大自然の中の集大成でもある。
この1年を振り返ると、天候は著しく不安定で寒暖の差、そして偏った降雨、日照など作物にとっても厳しい1年であった。この地球の温暖化を肯定的に言う学者もあり、まるで地球を我々人類がコントロールできるかのような発言をする。人もまた地球に育まれているという事を忘れている。
先頃、温暖化をなくそうと花の都パリでコップ(COP)21(気候変動枠組み条約第21回 締約国会議)が開かれ、世界中から関係者が集い、話し合いがもたれた。すべては地球全体のためではなく、自国の利のために。人類は経済という寄生虫に身体、そして心までも侵されてしまったのであろうか。
我が農場は、コップをスコップに替え大いなる自然の恵みをいただき、この1年多くの作物を育て収穫させていただいた。晩秋から初冬にかけ、1年で一番畑が作物で賑わう時期でもある。早春、ジャガイモの栽培から始まった作業は晩秋の玉ねぎ栽培(苗の定植)で終え、後残す作業は収穫作業のみとなった。
ジャガイモを6月上旬収穫後、夏キャベツ・サンチュ・きゅうり・ナス・ゴボウ・大根・金時人参・秋冬キャベツ・ブロッコリー・カリフラワー・白菜・レタス・セロリ・小松菜・サラダ水菜・山芋・里芋などを栽培する。今現在、初冬の風に震えながらキャベツが大きく育ち、まるでいくつものUFOが畑に降り立ったかのように見える。隣には「ツン」と空に向け顔を持ち上げる白菜、有機栽培では難易度の高い作物で、スケートに例えるなら4回転ジャンプと言ったところであろうか。当会では毎年たくさんの白菜を収穫させていただくことが出来、感謝の一言である。
白菜、キャベツは早生種から晩生種まで多くの品種があり、当会では協力農家と計画的に栽培を行い、キャベツはほぼ一年を通して収穫を行う。今年、作業の進行の関係でゴボウの収穫が遅れる。大根、金時人参、ゴボウなどの地下茎作物も地球のマントルをも突き破る勢いで大きく育った。夏作物の中でも最大の生育を誇らしげにしていた里芋、今は見る影もなく、はびこっていた地上部の大きな葉は姿を消し、地中部で育った子芋たちは眠りに就こうとしている。お正月用の大根は、暖冬のためかどんどん成長し、暮れまでに太く大きく育ちすぎないかとハラハラドキドキ。ここにも温暖化の影響が表れている。
この中でもひと際きれいな緑色を放つ作物、セロリも大きい茎に育った。これもなかなか完全無農薬有機栽培ではお目にかかれない作物である。一般では殺菌剤を中心に殺虫剤、除草剤と薬漬け栽培が行われる。
セロリはセリカ、和名をオランダ三つ葉といい、原産はヨーロッパから中近東の湿原。加藤清正が海外より持ち帰った。栄養価が非常に高く、ビタミンA・B?・B2・C・E、カリウム、カルシウム、鉄分、マグネシウム、そして食物繊維も豊富に含まれており、古代ギリシャ、ローマでは整腸剤として用いられた。またガンの予防にも一役買い、体内にたまった活性酵素を吸収、除去する。血液をサラサラにし、免疫力もアップする。捨ててしまう葉に栄養分が多く、近年色々な調理法で利用される。
5月に播種してから約半年をかけ見事に育ったセロリの収穫を12月初旬より始めた。一株一株太い茎の地上スレスレのところにザクリと包丁を入れる。プーンと鼻に抜けるセロリの香り、収穫終了時には作業着はセロリのオーデコロンの香りに包まれる。外葉を外し大きなコンテナへ。重いコンテナを運びながら、このセロリを手にする人の姿を想像してみる。食卓に乗ったセロリはうす緑の太い茎に塩とたっぷりのマヨネーズで、普段のおちょぼ口をこれでもかっと大きく開け、「ガブリ」と頬張る。歯に伝わるシャキシャキ感、口の中いっぱいにセロリの香りが広がり、その後を塩やマヨネーズ、ドレッシングが追いかける。・・・至福。
しかしながらこのセロリ、人によって好みが大きく分かれ、この香りが苦手という人もいるが、香りの強いものは一度はまるとその味の深さに一生涯虜となる。我が家では、初冬の味覚の一つに定着している。
晩秋、キャベツの苗を定植、厳冬の時期に根を広く張り巡らせ春の光を浴び一気に成長、シャキシャキした歯触りの初夏のキャベツは6月に収穫される。時同じくして本年最後の植え付けとなる玉ねぎの苗、株間12cm条間25cmで一本一本定植(棒で開けた穴に刺すだけ・・)何千本ともなると一人での作業は嫌になる。その苗も活着し、これから迎える寒い冬を乗り切り、来年5月下旬収穫となる。以前書かせていただいた玉ねぎの病気は今や全国的に広がっているようで、当会も病害対策に取り組んでいる。外からはわからずご迷惑をおかけすることもあり、申し訳なく思っております。中に1枚2枚、色の変わった玉ねぎが混ざっていた際、どうか長い目で農を見てください。皆様により一層美味しい野菜をお届けできるよう、協力農家とともに試行錯誤を続けております。来年5月の収穫の際、美しい玉ねぎであるよう、冬の管理作業に精を出す。
11月中旬、一斉に柿畑が真っ赤に燃え上がる。紅葉した葉の生命は短く、一週間もすれば枝だけの寂しい景色となる。取り残しの実を小鳥が美味しそうにつつく。冬は空が澄み渡り、流れる暗黒の雲は時に美しい星座を包み込む。夜間10時、東の空に冬の星座オリオン座が顔を出す。満天の星が輝き平和な時間を与えてくれる。
「ゴリラの夜の徘徊」と娘に冷やかされる夜のウォーキング。イチョウ並木の葉は真っ黒なアスファルトの上に降り積もり、時折行きかう車のライトに輝きを増す。黄色い落ち葉は、通り過ぎてゆく車のテールランプを追いかけるように北風にさらわれてゆく。星空を見上げる。何万光年と気の遠くなるような時間を掛けた光がこの瞬間私の目に届く。美しい光はゴリラの目にも映る。不自然な体制での長年の作業に膝や関節、そして腰は劣化する。少しでも矯正になるかと夜間のウォーキング&ランを約1時間、大宇宙を目で感じ体は季節を感じ取る。
本年もあと僅か、これからの農作業は収穫が中心となる。12月になると日本列島にベートーヴェンの第九交響曲が響き渡る。1年を顧み反省、そして希望と勇気をいただく。しかし、最近の第九はただのお祭り騒ぎとなり、ベートーヴェンは「病める人、悩める民へ私の音楽を捧げる」と言われたが、今の日本はそうでもなさそうである。
今や生命の糧までも経済社会に取り込まれ、すべてが経済中心となった。飢えに苦しむ民など眼中になく、ただただ美酒に酔う。当会の農法は世俗的経済社会に流されることなく迎え来る新しい年もひたすら土を耕し、会員皆様のご協力をいただき真の農業、人々の生命を預かる農業へ社会全体が一歩でも近付けるよう努力いたします。
本年もたくさんの野菜、果物をご利用いただき、また農作物を心より愛してくださったことを心より感謝申し上げます。来年も皆様にとって良い年でありますよう冬景色静かな農場よりお祈り申し上げます。
ゴリラ似の耕人より