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慈光通信 第189号

2014.2.1

病気のないすこやかな生活 ― 医・食・住 ― 12

 

前理事長・医師 梁瀬義亮

【この原稿は、1982年(昭和57年)3月6日 熊本県立図書館ホールでの講演録です。】

 

 

素晴らしき植物の合成

 

この地上において植物が有機質を合成してくれます。この合成は全く人間に智恵では考えることのできないすばらしい合成なのです。現在の工業力では及びもつかないようなすばらしい合成を、稲の葉だとか柿の葉、みかんの葉だとかがやってくれるわけで、これは奇跡的な神業なのです。有機質を合成してくれる生産者なのです。芭蕉の句に「あらたうと 青葉若葉の 日の光」というのがあります。お天とう様の光が、ちょうど葉に当たって、それを「あらたう(あら、尊い)」と表現していますが、さすがに、素晴らしい直観力をもった芭蕉だと思うのです。実に神秘的な事実です。

 

 

生態学的輪廻について

 

これによってできたすばらしい有機質(農作物)を動物が消費する。動物は消費者です。肉食動物は間接的に消費するわけです。動物の排泄物や死骸あるいは、植物の死骸である枯草や落ち葉、これを微生物(バクテリアやカビ)が分解してくれます。微生物は分解者です。そしてその分解終産物がいわゆる堆肥です。この堆肥を植物の根が食べにくるわけです。植物がこれを食物にするのです。

 

 

土の中の世界

 

地上から30センチの深さの所では土中生態系といって数限りない生物の
世界があるのです。よく肥えた土では1グラム当たり何億というバクテリアやカビ、原生動物、藻、ダニなどいろんなものがいます。ミミズもいます。この世界の中に植物は根を張っています。地上においては動物と植物が共生しているように、土中では植物の根と数限りない生物が共生している。そしてこの土中生態系は土中に染み込んだ堆肥を食物として生きているのです。そしてこの土中生態系がたくさんのタンパク質や脂肪、炭水化物、ビタミン、酵素など、その他いろんなものを作って植物がこれを吸収するわけです。さらに、これに太陽のエネルギーと空中の炭酸ガスと水が作用して植物が成長します。

 

 

好気性完熟堆肥と嫌気性堆肥

 

空気のよく通う所で繁殖する微生物を「好気性微生物」といい、通気の少ない所に繁殖する微生物を「嫌気性微生物」と申します。で、ほとんどの有機物は地上へ積りますから、好気性の微生物が分解します。これが好気性完熟堆肥で、植物の正しい食べ物です。これに対して台所のくずをバケツに入れておきますと、ずいぶん臭くなります。これは水気が多く、空気が通らないので、いわゆる空気の少ない所に繁殖する微生物である嫌気性微生物が繁殖します。すると臭いベタベタした堆肥になります。これを嫌気性堆肥と言います。これは植物にとっては毒物です。このことが農業にとって極めて大事なことなのです。
山の落葉をひっくり返しても臭いことはありません。プーンと堆肥のいい匂いがするだけです。ところが台所のかすだとか、あるいはあのケージ飼いの養鶏場に行ってみるとものすごく臭いでしょう。あれは嫌気性の微生物が繁殖しているためです。あの臭いものは絶対に植物にとっては毒物だということを知って下さい。
皆様が有機農業をして一番失敗する最大の原因は生の油かすや台所のかすやらをすべて埋け込むからなのです。ワラでもそうです。埋け込むと、土の中は空気が充分に通わないから嫌気性の腐敗を起こして嫌気性堆肥が出来ます。これは植物にとっては毒物なんです。だから病害虫が発生するわけなんです。だから生は決して埋けてはいけない。これが生態学的輪廻の法則に対する正しい埋け方です。以前は、農林省は稲ワラは焼いてしまえという指導をやっていました。
ところが、最近は稲ワラは土へ返せという指導に変わりました。これはいいことです。だけど返すにも返し方があって、正月を過ぎてから稲ワラをまきますと気温が低いため、稲ワラは生のまま残ります。これをすき込みますと、土の中で嫌気性腐敗を起こして、そして稲は根腐れを起こして病気になります。私達のいろいろな実験では、前年十一月の初めにまいておかないと危険です。だから、必ず好気性の完熟堆肥にしてからでないと土の中には入れてはいけない。生や、あるいは臭いにおいのする嫌気性堆肥は決して土中へ入れてはいけない。生や臭いにおいのする堆肥は土の上へ置いておく。埋けてはいけない。これが大事なことなのです。
(以下、次号に続く)

 

 

噛むことの大切さ

 

 

最近、エラの張った顔が少なくなり、口元が細い瓜実顔が増加しています。美男・美女が多くなっていいことのように思われますが、歯科医によると、これは子供の時の食習慣や生活が原因で、顎が未発達となった結果であると考えられ、危険信号なのだそうです。それでは噛むことはどれほど大切なことなのでしょうか。
よく噛んで食べることは、食べ物を飲みこみやすくするだけでなく、食べ物がおいしくなったり、消化・吸収を助けたり、健康に役立つ効果がいろいろあります。よく噛むことの効用として「卑弥呼の歯がいーぜ!(ヒミコノハガイーゼ)」という標語があります。

 

○「ヒ」肥満の防止
ゆっくりよく噛んで食べることで、食べ過ぎを防ぎ、肥満の防止につながります。

 

○「ミ」味覚の発達
食べ物の形やかたさを感じることができ、食べ物の味がよくわかるようになります。

 

○「コ」言葉の発達
口のまわりの筋肉をよく使うことで、あごの発達を助け、言葉の発音がきれいになったり、顔の表情がゆたかになります。

 

○「ノ」脳の発達
脳に流れる血液の量が増えて、脳を刺激するので、子供は賢くなり、大人は物忘れを予防することができます。

 

○「ハ」歯の病気予防
よく噛むと、唾液がたくさん出ます。唾液には口の中の食べ物のカスや細菌を洗い流す働きがあり、むし歯や歯肉炎の予防につながります。

 

○「ガ」ガンの予防
唾液に含まれるペルオキシダーセという酵素が、食品中の発ガン性を抑えることでガンの予防につながります。

 

○「イー」胃腸快調
消化を助け、食べすぎを防ぎます。また胃腸の働きを活発にします。

 

○「ゼ」全力投球
身体が活発になり、力いっぱい仕事や遊びに集中できます。

 

●子供のころから噛む習慣を身につける
軟食・飽食の時代といわれている現代、「噛まない子」「噛めない子」が問題になってきています。子供の頃から、よく噛んで食べる習慣を身につけることが大切です。幼児期から学童期にかけては、そしゃく機能を育てる大切な時期ですので、ご家庭においても指導が必要です。食事やおやつに噛みごたえのある食べ物をとりいれましょう。「硬いもの」「食物せんいが多いもの」などは噛みごたえがあり、自然と噛む回数が増えます。

 

 

皆さんのお子さん、お孫さんはよく噛んでいますか?チェックしてみましょう

 

 

1 一口噛むのは15回以下である
2 スナック菓子をよく食べる
3 野菜はあまり食べない
4 テレビを見ながら食事している
5 お茶やお水を飲みながら食事をしている、汁かけが好き
6 柔らかいパンが好き
7 りんごを丸かじりで食べられない
8 カレーライスやハンバーガーをよく食べる
9 食が細い、量が少ない
10 遊ばない 友達が少ない

 

「はい」の数が0から2個 ・・・この調子です
「はい」の数が3から5個 ・・・もう少しがんばりましょう
「はい」の数が6個以上 ・・・食生活を見直しましょう

 

9、10の質問は一見「噛むこと」とは無関係に見えますが、噛まないことで生命力も低下します。物事に取り組む意欲や興味がなくなってしまうのです。
噛むことが大切なのは子供だけではありません。もちろん、大人にとってもとても大切です。前述のように、発ガン性物質の毒性を消す働きをしたり、また、唾液の中には、成人病を予防する働きをもったり、脳の発達や老化に関係しているホルモンがあり、よく噛むほど唾液もよく出て脳の働きを活発にします。ガンや成人病にならず、物忘れの予防にも、「よく噛む」ことが大事なのです。
それではよく噛むとはどれぐらいでしょうか。一般的に、基本は一口30回、理想は50回と言われています。ちなみに、最初に標語で出てきた卑弥呼は、食事に1時間かけ、4千回も噛んでいたそうです。現代では、食事は平均11分、そしゃく回数は6百回ほどにしかならないといいます。これは、食事の際、会話したりテレビを見たり、「ながら」食べが多いのも原因ですが、やわらかいものを好んで食べることも原因の一つです。
食事はゆっくりと味わって食べましょう。食べ物によって噛みごたえはちがいます。食事には歯ごたえのあるもの、食物繊維の多いものを取り入れましょう。また、飲み物で流しこんではいけません。噛み足りなくなり、また、水分で胃酸も薄まり、消化力が弱まってしまいます。「喉が渇くから飲む」というのは味の濃い証拠。薄味を心がけて下さい。
普段から自分がどれくらい噛んでいるか、硬いものを食べているかということを意識するのは難しいですが、少し意識することで、「よく噛むこと」を習慣付けましょう。

 

 

農場便り 2月

 

庭の金柑が冷たい北風に揺れる。大晦日の夕刻、屋外の掃除を終える。一年の汚れと庭の落葉をかき集め、新年を迎える用意が整った。窓越しに、家人と娘が楽しそうにおせちの準備を進める姿が見える。室内は暖かい空気に包まれ、部屋の隅で我が家の駄犬がのんびり床の上に寝ころぶ。外は時間が経つにつれ深々と冷え込んでゆく。室内へ入ると赤々と燃えるストーブの上のヤカンから白い湯気が立ち上る。恐る恐る家人に正月用野菜の評価を窺う。金時人参、大根、レンコン、ゴボウ、黒豆、そして白菜は合格点をいただく。(辛口、そして上から目線)しかし、里芋の中に稀にゴリッと固さが残る芋があるとの事、そこで僅かな知恵を振り絞って検証する。
里芋は、以前にも紹介させていただいたようにマレー地方が原産で、寒さに弱く高温多湿を好む栄養価の高い作物である。平成25年春、4月下旬から5月上旬にかけて前年に生産した芋の中の大きく形の良いものを種芋にし、芽を傷めないように50cm間隔に一畝二条で植え付けた。定植後、雑草をおさえるため、黒マルチで畝全体を覆う。3週間位で先の尖った里芋の芽はマルチを突き破りそうな勢いで地上に現れる。一本一本芽を折らないようにマルチに小さな穴を開け、お天道様の下に出してゆく。薄黄色い芽は2から3日で葉を広げ、たくましく育つ。6月中旬、大きく広がった葉の中にしなびてゆく株を発見。茎を持ち、引っ張って見ると、何の抵抗もなくすっぽり抜けた株には親芋が付いていない。マルチを大きく裂き、掘り返してみると深さ20cm位の所にモグラの穴を発見。モグラは肉食性のため植物には見向きもしないが、モグラの道をバイパスにし、ネズミが親芋を食害したようである。「親は無くとも子は育つ」と浪花節にあるが、里芋は親がなくては一切子供は育たない。何ということであろう。まだ初夏とはいえ、食害された分はもう取り返しがつかない。「何とか残りの里芋を守らねば!」とモグラの道を足で踏み道をふさいで回り、何とか3畝の中、2畝以上を死守することが出来た。野外の温度が上がると共に、ネズミの害から逃れ大きく葉を広げる里芋は陽の光をいっぱいに浴び、地下部からは大量の水分と肥料で出発時のトラブルを忘れたかのように平穏な日々続く。これでもうひと安心、初冬からの収穫を思い浮かべながら日々の管理に励む。7月上旬から8月中旬が里芋の一番の成長期であり、身の丈2m以上、葉の広さは座布団ぐらいの大きさまで育つ。7月上旬、いつもの年にない猛暑と雨に見放された高温の日々が続く。平年ならば3から4日に一度、水路から水を引き畝間に貯めるが、その水量は少なく、水田に入れるのがやっとで中々順番が回ってこない。日増しに大きな葉はぐったりし、頭を下げ出す。 やっと回って来た用水を入れるも、里芋は回復せずそのまま秋を迎える事になった。初冬、試し掘りを行うがいつもの半量位。しかしながらこの冬の食卓にご不自由をおかけすることはないだろうとホッと胸を撫で下ろす。ゴリゴリする芋については、恐らく地上近くの子芋が高温と度重なる乾燥に耐える事が出来なかったのではなかろうかと思われる。ネズミの害、そして悪天候の二重苦にも負けることなく育った里芋も残すところあと僅かとなり、出番まで三重のマルチの布団の下で眠りについている。次回は味をしめたネズミから作物を守るため出来るだけ離れた畑で作付けをと考える。
年に一度のまとまった数日の冬休みも残すところあと一日、その日を有意義にと家人と毎年恒例の初詣に出掛ける。原生林が包み込む小さな町並みの中、参道を進むと境内につきあたる。石段と牡丹で有名な長谷寺で手を合わせる。長い石段と回廊は喰っちゃ寝でだらけた体にはきつく、息が切れ足がだるくなる。その横を済ました顔で家人は上って行く。変な負けん気を起こし、上がる息を押し殺して平静を装い、一段一段上っていく。寒牡丹が石段の回廊の左右で菰をまとい美しく大きな咲かせる。が、私にはその牡丹を眺める余裕すらなく、平静を装うだけで精一杯、背中には今年初の汗がにじむ。ようやく本堂に立つ。観音様の優しい微笑みが参拝者を包み込む。少ないお賽銭に一年の無事やあれやこれもと欲の限りを願い、手を合わせる。僧侶の読経が周りの山々に響き亘り、張り詰めた空間に厳粛な気持ちで読経に耳を傾ける。下りは引力に引っ張られ、そこに我が重量も手伝い何と速い事、参道へとまっしぐら。門前町で草餅を買い、頬張る。これぞ至福のひと時、「寒牡丹より草餅、まさに花より団子」である。翌日からの仕事に備え、早々に帰途につく。
新年の作業が始まる。職員が集まり新年の挨拶を交わす。開店に備え店の掃除や準備を行う。私は旧販売所の屋根に積もった落葉をかき落とし、道や道端にお祭りしているお地蔵様の落葉もきれいに掃き清める。寒中にも拘わらず汗がにじみ身体が清められてゆく。翌日から農作業も始まる。初日、まず農場の大地に向い手を合わせ、私達の生命を育んでくれる大地に感謝し、「今年も生命の糧である作物を与えて下さいますように」と祈る。
大地に種を蒔き、大地は求める人々を拒むことなく生命を育んでくれる。それをいいことに甘んじる民もいる。農の中にも偽装は掃いて捨てるほどある。人間の悪しき心が大地を穢し、物質的欲求は足ることを知らない。贅沢を求めることなく大地からいただいた作物を素朴に感謝と共に食し、平安で幸福な時間を送りたいものである。
先日、協力農家の中田さん宅へおじゃまさせていただいた。中田さんは御年82歳、今も現役で毎日農作業に励まれる。柑橘類を主体に多種に亘る野菜を生産されている。奥さんとお話ししていると、「主人は人から趣味を聞かれたことがある。その時の返事は、「農業が一番の趣味、農作業を行うことが最高の幸せ」と答えられたそうである。その言葉に深く感動すると共に、重い足取りで畑に行く自分を恥ずかしく思い反省させられた。
大自然の中、鳥のさえずりや風の音が美しい音楽となり耳に流れる。お日様の日射しを身体に感じ、四季折々変化する風景の美しさを目で感じ、本年も土に種を蒔き一切の化学物質を拒み、清き穢れなき大地が育てた作物を皆さまにお届けできるよう一鍬一鍬土を耕す。そしてその作業を幸せと感じることができる年となりますようにと願う。今年も農作業は始まった。

 

 

マイナス七度に凍える農場より