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慈光通信 第181号

2012.10.1

病気のないすこやかな生活 ― 医・食・住 ― 4

 

前理事長・医師 梁瀬義亮

【この原稿は、1982年(昭和57年)3月6日 熊本県立図書館ホールでの講演録です。】

 

 

医学の悲劇

 

 

私は現在、62歳でございます。同窓会に行きますと一緒に卒業した人達が、立派な医学者で日本の医学を指導するような立場になっておられる方がおります。その人達と話してみますと全然、合成化学薬品の人体侵入について知識もなければ、興味もないのです。
医学が今の社会の変化についていけないんです。
ここに大きな悲劇が起こって来ております。医学者がそれを堂々とたくさん発表しないと、政策は動くことはできません。従って現在、ますます毒の洪水が激しくなるような組織がもうぴったりと社会にできてしまいました。そして国民が非常に苦しんでいるわ
けです。

 

 

食品添加物、毒性の相乗作用

 

 

例えて言いますと、現在334種類の食品添加物が許可されている。何も知らずに食べていると、一日70から80種類の添加物を食べておられます。このものが仮に全部いわゆる許容量といわれる量以下であったとしても、これら80種類が体に入って合計プラスになる。その毒性がプラスになった時に、どんな作用が人体で起こるかということが全然研究されていないわけです。毒性というものは、プラスだけではなくて、相乗作用と言いまして「かける」になるのです。80種類が「かける」状態になってくるとどうなるか。このような問題は研究されていないのです。しかし研究されていないからそのまま放っておいていいのではなくて、現実にわれわれのまわりにはどんどん癌が増えてきている。食品添加物や農薬の中には発癌性、或は催奇性があるということがはっきりしているわけです。こういうことですから政策が動かないから、政策がそれにないからと言ってもう放っておけない事態が来ているのです。早く国民運動として民衆から声を挙げて行かねばなりません。この様な深刻な事態でございます。

 

 

今日は、前置きとしまして、実に深刻になってきておるんだということを、皆様に聞いていただいたわけです。さて本論に入りまして、まず、健康とは何ぞやということから話を始めましょう。

 

 

幸福の条件 ―健康とは―

 

健康ほど大事なものはございません。健康がなかったら他の条件がどんなにそろっても人間は幸福ではないのです。ところが、その健康が失われていく。私は昭和23年にある事件から非常に健康とは何ぞやということに注目いたしまして、色々と調査をしました。必死になって患者さんの生活と、病気との関係を、多くの僻村、山の中の村とか、自然生活している村の健康状態、それから今まで健康であった村に道がついて一般の社会の文明が入ってきた時に起こる変化の調査を行ってきました。そして健康ということについて分かったことはこういう事です。

 

 

健康に全うされる天寿

 

 

犬でも牛でも馬でも大体の寿命は決まっているように、特別な例を除きましてほとんど人は皆大体60歳から90歳位まで生きられる。こういうことをまず見当としてつかむことが出来ました。これは自然生活をしている奈良県南部の紀伊山脈の深い山中にある僻村(へきそん)をたくさん調べて知ったことです。それから近藤正三先生のご発表が昭和27年にありましたが、そのご発表がちょうど私が調査を終わった時でありまして先生の大変尊いご研究が私のささやかな研究の結果と同じであることに、より力づけられたわけです。
そして、人間はもし正しい生活をしておれば、健康に天寿を全うすることができる。
ずっと健康に一生を送って、どんどん働いて、そしてスッと楽に亡くなっていく。もし生活が正しくなかったら、不健康に天寿が全うされる。調査中に正しくない生活をしながら、80から90歳生きているお年寄りもいましたが、ただ生きているというだけで、不健康に天寿を全うしているのです。さらに生活が悪くなりますと、天寿が全うできなくなって、いわゆる夭折をするようになる。若くして死んでしまって天寿を全うできないのです。
例えば最近肝硬変という病気が多いのです。肝臓が固くなってしまって腹に水がたまって、あわれに死んで行く病気です。これは以前は特別不養生した人だけがなったものです。大多数は大酒のみの最期だったのです。大酒を飲んで肝臓を壊して、そして肝硬変で亡くなっていく、特殊な人だけが肝硬変になることが多かったのです。ところが最近は若い奥さん方が酒もたばこものまず、他に何の不養生もしない、普通の生活をしている方が肝硬変になる方が多いのです。これは何かというと、現在の普通の生活自身が非常に正しくない生活に変わっていることを物語っているのです。
だいたい人間には天寿というものがある。そして正しい生活をすれば健康に天寿を全うすることができる。正しくない生活をすれば不健康に天寿を全うする。さらに悪い生活をしていれば天寿も全うできなくて夭折してしまう。いってみればあたりまえの事ですけど、これをはっきり事実として確かめてきたのです。そして私は正しい生活とは何ぞや、どんな生活が正しくて、どんな生活が正しくないのだろうということを、事実によって調べてきたのです。そして調べてまいりますと、こういう例えをすることが出来るようになります。
(以下、次号に続く)

 

 

危険なシャンプー

 

一日汗をかいた後にシャンプーをすると、頭が軽くなったようにスッキリします。ですが、シャンプーにも危険がいっぱい。汚れを落とすどころか、毒を塗り込んでしまっているかもしれません。
市販のシャンプーの多くは、食器用洗剤や洗濯用洗剤に含まれる合成界面活性剤や防腐剤、シリコン、着色料など、私達の体に悪影響を及ぼすものがたっぷりと使われています。今回は大手メーカー売上ランキング上位のシャンプー成分のうち、特に危険だと思われる成分をピックアップし、ご紹介します。皆さんのおうちにあるシャンプーに当てはまる成分はあるでしょうか。
表の成分が含まれていたら、とっても危険です。

 

 

まず、界面活性剤とは、油と水を混ぜ合わせるための成分です。従って、石けんも界面活性剤の一種ですが、石けんは天然成分由来で、使用後は自然に還る安全なもの。危険なのは石油や油脂を原料とし、化学合成されたもので、「合成界面活性剤」とよばれています。
合成界面活性剤は、身体への悪影響が問題視されています。表面的な肌荒れ、湿疹等はもちろんのこと、合成界面活性剤そのものの毒性が頭皮から体内に広がり、じわじわ毒素を吸収してしまうのです。
ところで、皆さんはシャンプーのすすぎに、どれくらいの時間を使っていますか?この質問をすると、大体1、2分という意見が大半でした。中には、短髪なので30秒もかからない、という男性もいらっしゃいました。では、この合成界面活性剤は、どれくらいの時間すすぐと、髪の毛から落とし切ることができるのでしょうか。答えはなんと6分です。6分間すすぎ続けてやっと落ちるのです。しかも、これはあくまでも髪の表面の場合であって、先述の通り、合成界面活性剤は頭皮から浸透して体内に入るので、吸収された毒素は体内に残留します。そして、代謝・解毒作用など体内のお掃除係をしてくれる肝臓も、この合成界面活性剤には太刀打ち出来ず、毒素はそのまま残留し、深刻な病気の原因となります。特に人間がダメージを受けると言われているのは肝臓、子宮、精巣で、子宮ガンや乳がん、肝機能障害を引き起こしたりもします。また、遺伝でないアトピー性皮膚炎、アレルギー、喘息の原因にもなります。この合成界面活性剤で、特に有名なのは『ラウレス硫酸○○』や『ラウリル硫酸○○』。元々ガレージの床の洗浄剤などに使われ始めたもので、強力な洗浄力を持ち、添加することで泡立ちもよくなりますが、脱脂力が強いため、乾燥や肌荒れ、ニキビの原因になったり、目に入った場合、子供の目の発達を妨げたり、大人は白内障の原因になることもあります。この成分は成分表の最初の方に記載されていることが多いです。この成分が入っていたら、すぐに使用を中止して下さい。

(以下、次号に続く)

 

 

農場便り 10月

 

朝夕の涼しさが猛暑で疲労が蓄積された体を癒してくれる。夏空に湧きあがった入道雲の姿は消え、大陸から偏西風に乗りやって来たすじ雲が空いっぱいに広がる。耳をつんざく勢いで鎮守の森を賑わしたクマゼミも一匹、又一匹と地上に落ち、最後の力をふりしぼってもがく姿が目に入る。力を無くしたセミに無数のアリが群がる。自然の摂理とは言え見るに見かね、セミをつまみ上げ、体に付いたアリを吹き飛ばし、そっと草むらに寝かせる。農場の夏に繁茂した雑草が秋の気配を感じたように勢いを無くし、その姿に憎き夏草から哀れ夏草へと、思いが変わる。
慈光会では、2カ月に一度行う農業研究会で協力農家が集い、その時々の作柄や経験した出来事などを話し合い、来年へとつなぐ。秋の夜、今月も各自が現在の生育状況など、雑談を交えながら会は進められる。この夏、ほとんどの農家が口を揃えて出る言葉は高温による生育不良、そして異常発生した害虫による食害、品種によっては全滅までに追いやられた。それでも年々ひどくなる異常気象に必死に立ち向かう農家の方々である。
盛夏の日中、温度計は止まることを忘れたように水銀柱は上がる。「暑い」という枠を超え「死ぬ」が思わず口からこぼれる。お日様が南中する時刻まで作業をしていると頭痛と吐き気が襲ってくる。あの強靭な雑草も通年ならば何度も発芽するが、あまりの暑さに少し涼しくなるのを待っているようである。猛暑の中、協力農家は朝夕作物に水を与え、害虫から野菜を守る防虫ネットをかけ、真夏の野菜作りに励んだ。この時期、この地方で作るのはほとんど不可能といわれる小松菜やチンゲン菜などの葉物は、2回目、3回目と時期をずらして種まきを繰り返すが、少しのタイミングで全滅してしまうこともあった。その失敗を繰り返しながら努力を重ね、何とか生産することが出来た。少々虫食いもあるが、灼熱の中での努力の末の作品とご理解いただきお召し上がりいただきたい。葉物の中でも、夏作のチンゲン菜は特に害虫に好まれ、異常な高温で弱った体にどこから現れるのか、一夜にして手塩にかけて育てたチンゲン菜を見るも無残な姿に変えてしまう。それにもめげず、次から次へと播種を繰り返す。小松菜も同じように時期をずらして播種を繰り返す。
このようにして通年で会員の皆様に安全で栄養価の高い野菜をお届けするため作業をする。他にもこの夏の猛暑に痛めつけられた作物に、近年人気野菜に仲間入りした人参がある。人参は夏季には発芽しにくく何とか発芽にこぎつけたものの、毎日の灌水にかなりの時間を費やす。その姿を草むらの陰からじっと見ているコオロギは人参の赤ちゃんが大の好物、夜な夜な人参畑で宴を繰り返す。これも見据えて、コオロギの分も計算に入れて播種時に厚い目に種を撒く。しかし憎きコオロギは他の野菜の芽をも食し、その量たるや半端ではなく、時には一夜にして50mの畝を全部食い尽くしてしまう時もある。かなりのつわものである。
11月には北風が吹き、アリとキリギリスならぬアリとコオロギの姿を思い浮かべニヤリとする小さな心の私である。「人の不幸は蜜の味」などという不届きな言葉がある。農業に於いても話をする時には成功例よりも失敗例の方がより興味をもたれる。これも人間の性であろうか。農業者の講演を聴かせていただく機会があるが、たいがいは成功例に尾ひれをつけ会場を沸かせる。当会はその逆で、見学者には出来るだけ失敗例をお伝えする。有機農業には多くの難問が待ち受け、それをクリアするために多くの歳月と経費を費やし、挙句の果てには有機農業を放棄してしまう人も少なくない。一人でも多くの有機農業者が増えるよう、聞かれてもいない事まですべてを話してしまう私である。そう言うと農は辛く苦しい仕事と思われるかもしれないが、苦の何倍もの喜びと感動を大自然からいただくのも農業である。農業研究会に参加されたA氏は、「今日、家族三世代で稲刈りを行った」とのこと。家族が一堂に集まり、八十八の手間をかけ大自然からいただいたお米の収穫、顔をほころばせ嬉しそうに語った姿に農業の素晴らしさを実感し、楽しそうに作業する光景が目に浮かぶ。大自然を肌で感じる事の出来る素晴らしい職業である。
秋の夜は更け、そろそろ会もお開きとなる。最後に各農場の野菜の状態を確認。今現在は7月、8月に播種し盛夏を乗り越えたキャベツ・ブロッコリー・カリフラワー・大根・白菜など、そして逐次播種する他の葉菜も順調に育っている。涼しくなる頃には秋野菜をお届けできるようにと願う。
秋の夜長、窓を開け放ち電灯も点けず床に寝ころび、ぼーっと夜空を仰ぐ。10月は神無月、すべての神様が出雲の国へ集まり、諸国に神様がいなくなる。仰ぐ空には月明かりに照らされた紫色めいた雲が西から東へと流れる。九州の大画家・坂本繁二郎画伯が遺されたお月さまの作品が目に浮かぶ。「目で感じた月を描くのではなく、心に感じた月をキャンバスの上で表現する。」という画集の中の言葉を思い出し、色々なことが頭をよぎる。「人に喜ばれて何ぼの人生」と書かれた一文が心に止まり、今も時々思い出す。賢人ではない私には遠い所の話ではあるが、少しでも近づけるよう、雑念を捨て無心で土を耕す。多くの人が口にして喜びを感じていただけるよう、大地に種を播き育てる。ささやかではあるが、それが私に唯一出来る事なのである。
閉じた目を開け、窓越しにまた夜空を仰ぐ。月明かりの中、柔らかな雲は休むことなく流れ、窓の枠から消えてゆく。虫の音が聞こえ、秋は日一日と深まってゆく。

 

 

新米が待ち遠しい農場より