慈光通信 第246号
2023.8.16
有機農法について
前理事長・医師 梁瀬義亮
【この原稿は1975年 4月「自然保護」155号に掲載されたものです。】
化学肥料と農薬を主体にした近代農法は、土を殺し、天敵を殺し、欠乏かつ毒性あるその農産物は人を殺すいわゆる「死の農法」である。有機農法、すなわち「土から出たものは土にして、土に返せ」の原理にもとづく農法は、生態学的輪廻の法則に忠実な農法で、人間の農法はこれ以外にない。つまり堆肥農法の中にのみ農はあり得る。堆肥の材料の蒐集法と、堆肥の作り方の工夫の中にのみ農法の進歩があると私は信ずるのである。
私は16年前、残量農薬による日本国民の総慢性中毒化が進んでいる事実を知り、これについて啓蒙運動に乗り出したのであるが、同時に10年先には、必ず無農薬農法の必要な時が来ることを確信してその基礎的研究を協力農家と行って来たのである。そして今までの有機農法の失敗の最大原因が分かった。
今まで「土から出たものは土へ返せ」と言われて、生の有機質が土中へ埋められて来たが、こうすると酸素が少ない土中では有機質が嫌気性の腐敗を起こし、そのガスが根を傷めるので、病虫害が出る。必ず地上で好気性条件下で発酵させて「土にして」から土に返す必要があることを確かめた。「土から出たものは土にして土に返せ」あるいは「完熟堆肥は土の中、未熟堆肥は土の上」という標語が有機農法の「土つくり」のテクニックである。
このようにして有機質で土を肥やすと作物は病虫害が少なく味よく、持ちが良い。他面生物界のバランスという意味で「害虫」のある程度の存在を大切にするということも有機農法の特徴である。害虫は益虫の餌である。害虫がなくなれば益虫が滅び、益虫が滅べば害虫が大発生をする。作物の5パーセントは害虫にくれてやることが、人間が健康な食を得る為に必要である。このことは、人間の食物は5パーセントぐらい虫がついているのが正しい食物であるということである。少しの虫食いも許さぬ、形と色のみで農作物を評価する現市場では、有機農法を推進し日本民族を守ることが出来ない。
私は財団法人慈光会を興した。これは無農薬の有機農法を実践する協力農家と、正しい食を求める需要者と、正しい流通機構の役をする慈光会健康食品販売所(これに5ヘクタールの直営農場が付属する)を擁した一つのモデルである。日本の現在の毒の洪水の中のノアの方舟第一号で、このあと次々と同じような方舟が全国にできることを祈るのである。それをやっているうちに有機農法とは、単に化学肥料の代わりに有機質を使う農法では無いことがわかってきた。もっと深い哲学的意味のあることを。
今まで私たちは「大自然」を人間と断絶した一つの「物」と考えてきた。そして自然からいろいろ取ってきて人間が幸せになると考えてきた。ここから自然破壊が起きるのである。また人間と人間、人間と動物、及び植物の間に「断絶」の直観があった。これが、近代思想の特徴である。しかし自然を破壊して人々は知った、自然が生きていることを。大自然は生きている、その大きな生命の営みの中に多くの生命が生かされている。そして各生命は互いに有機的に結ばれて生かされかつ生かし、そしてまた生かされているのである。このことに認識による感動とこの感動にもとづく愛と慈悲の精神とその実践、これが有機農法の基本である。今までのような大自然の生命を忘れた自然観と各生命の断絶の思想にもとづく行動の中で、有機農法は行われず早晩「死の農法」に転落する実例を私は多く見たのである。大自然に対する畏敬と感謝、一切の生命に対する愛と慈悲心、の中に日本農業の再建がある。
先日テレビで某地の有機農法の集いを見た。一人の若い農民が怒鳴るように叫んだ。「消費者は俺ら農民の苦労を知っているか」彼の暗い顔を見ながら、私は私の協力農家南八重子さんの明るい顔と言葉を思い出した。「私がこうやって美しく健康な自然の中で働かせてもらい、できた農作物を消費者の皆さんが食べて健康になってくださる。私は本当に幸せ者です」消費者も農家に感謝の念を厚くしている。有機農法は明るく楽しく健康である。
夏バテには発酵食品を
日本列島を異常な暑さが包み込み、ここ数年は夏になると「年々暑くなっているのでは」と感じてしまいます。そんな時に注意しなくてはならないのが、多くの人が経験したことのある夏バテです。
夏バテとは、夏の暑さによる自律神経系の乱れがきっかけで現れる症状です。高温多湿の夏に身体が対応できなくなり、体がだるい、食欲がない、体が熱っぽい、頭痛がする、めまいや立ち眩みがする、など様々な症状が出ます。夏バテになるとウイルスなどの感染に立ち向かう免疫力が低下します。また、胃や腸の消化力や吸収力も低下し、栄養素を十分吸収することが出来なくなります。
そんな夏バテには発酵食品が効果的と言われています。発酵食品には、多くの乳酸菌が含まれ、腸内の善玉菌を活性化し、栄養素の吸収を助け、夏で弱った身体を労わってくれるという働きがあるのです。私たちの身近な発酵食品といえば、醤油、酢、みそ、ヨーグルト、納豆、ぬか漬け、キムチなどの、微生物の作用によって食材の味や栄養価が高められている食品です。発酵調味料を使った、どこのご家庭でもよく作られている料理の一つにみそ汁があります。
みそ汁は、みその他にも出汁に使われるかつお節や野菜など、乳酸菌だけはではなく、食物繊維や水分も摂れて腸活に最適です。クーラーで冷えた身体には体を温める熱いみそ汁もいいのですが、暑くて食欲がないという時には、「冷や汁」はいかがでしょうか。
〈作り方〉
- 濃い目の出汁を取って冷ましておく。
(だしはカツオや煮干しなど、好きなもの)
- きゅうりは薄くスライス
- 粗熱を取った出汁に少し焦げ目をつけたお味噌を溶かし入れ、濃い目のみそ汁ぐらいにしておく。
- きゅうりとたっぷりのすり胡麻、水切りをした木綿豆腐を崩しながら入れる。
- 冷蔵庫でよく冷やし、ご飯にかけていただく。
薬味にみょうがや青じそ、ネギをかけてお召し上がりください。ここにアジなどの干物を焼いてほぐした身を入れてもおいしくいただけます。
また、米麹と塩、水で作られる塩麹や、米麹としょうゆで作る醤油麹も発酵調味料です。麹菌や酵素の働きを手軽に取り入れることが出来る発酵食品として注目されています。肉や魚を塩麹や醤油麹で下味をつけるとタンパク質が分解されて柔らかくなり、食べやすくなります。さらに素材のタンパク質が旨みに変わり、料理に入れる塩分や糖分も控えることが出来ます。「どんな料理にも少し加えると美味しくなる」まさに万能調味料と言えます。ご家庭でも簡単に手作りできるので、一度挑戦されてみてはいかがでしょうか。
農場便り 8月
大空はどこまでも青く、臨む大峰の山々の空高く入道雲が姿を現す。湧き上がるその姿は、時間と共にまるで山々を吞み込む巨大な生き物かのように成長を続ける。真っ白な雲と空の青さが相まって、美しい風景を届けてくれる。空を見上げた時に降り注ぐエネルギーは尋常ではなく、その日射しは眼球をも焼くような強い光となった。今年も当園に咲く東北の災害を乗り越えた夏の花「ひまわり」も、お日様に背を向けたままの姿で、強い日射しに耐えるかのように、下向き加減でお辞儀をして一日を過ごす。
間もなく猛暑の中での収穫が始まるゴボウ畑では、大きな葉に強力な死の光線ともいえる日射しを浴び、只々我慢の日を送る。そんなゴボウの大きな葉をかき分け、2年前に落ちたこぼれ種が芽を吹いたひまわりが、背高く花を咲かせている。ゴボウが大きく育つ中、孤独で一心に花を咲かせるひまわりの姿は、エネルギーに満ちた花というよりも、何かもの寂しさを感じさせる。
口を開けば「暑い」の一言、この一言でコミュニケーションに事足りるとは最低である。当園では6月から多忙な日々が続き、前回で紹介させていただいたキャベツの収穫は7月末まで続いた。6月中旬、蒸し暑さが全身に纏う中、翌日用の収穫へとトラックを走らせる。
当園の春の風物詩となったモンシロチョウの数は暑さと共に減少したが、それでもまだ蝶はバテ気味の体でキャベツ畑の上をしつこく飛び回る。よく巻いた大玉のキャベツの太い軸に収穫専用のカマを入れ、大地から切り取り一列に並べてゆく。結球に多大なる力を注ぎ尽くし、残された外葉は大地へと還ってゆく。大きな外葉に露が溜まり、それが鏡となり周りの風景や澄み渡る大空を写し出す。その水たまりにキャベツ栽培の大敵となるモンシロチョウが入水し藻掻く姿を目にする。私の中にある二つの心の内の美しい良心は「一刻も早く溺れ苦しむ蝶を水の中から助けよ」。片や悪魔の声も聞こえる、「苦しむがよい。今までどれだけの作物の葉を貪ったことか…」等という葛藤もそこそこに、作業で汚れた太い指で蝶を救い上げ草の上にそっと置く。何とか息を吹き返した蝶は湿った空へと飛んで行く。来年、この蝶の子孫が当園のキャベツの葉にむしゃぶりついている姿が目に浮かぶ。自分の親が助けられたことを知る由もなく‥などとブツブツ小声でつぶやく耕人、敵に塩を送って笑えるほどの大きな心はこのポッコリ出たお腹の中には宿っていない。
後日、汗をかきながらのきゅうりの収穫中に目の前に伸びるツル先に光り輝く昆虫を見付ける。ここ何年も目にすることのなかった「玉虫」である。絶望的にセンスのない表現ではあるが、「ゴキブリをスラッとさせた形」をしており、光に輝く姿は今生のものではない美しさである。ここでまた、素直に美しさを楽しめばよいものを、小学生の時の授業で習った玉虫の厨子を思い出し、「あれはたしかこの虫の羽を剥いで美しく張り合わせたものだったな」と、直ぐに余計なことに考えが暴走してしまう。そのうち飛び立った玉虫ともお別れし、収穫に励む。
異常な高温にも負けることなく、きれいに大きく育ったキャベツを、畑の手前から順に必要な数だけを収穫していく。一度に収穫することが出来れば虫害のリスクは少なくなるが、鮮度を考え細やかな収穫を行う。6月、雨は多く地中の湿度と高温を好む昆虫が多種目に留まる。多くの昆虫が、「この大地は化学物質の危険はなく安心して過ごせる環境である」ことが解るかのように平和に幸せな日々を送る。その中、虫たちにとって唯一危険なことと言えば、耕人が手にする収穫ガマで株から結球部だけを一気に切り取る作業の時で、常に犠牲が伴う。
キャベツの収穫初期はまだ天候も良く作業は苦にならないが、6月を越え7月に入ると収穫作業時は大量の汗が洪水のように滴り落ち、同じ作業にも拘らず初夏の頃とは全く違った作業であるかのようである。全身が汗でびっしょり、その上連日の雨で大地は緩み全身が泥まみれ、汗と泥で最悪の環境下での作業はまだ続く。鋭く磨いた刃先で太い茎を一気にスパッと切り取ったキャベツを大型コンテナに。若い頃は重さなど何食わぬ顔で肩に担ったものだが歳には勝てず、畑に響き渡るほどの奇声を発しながら肩に上げ、それをトラックの荷台へと運ぶ。足元の悪い畑の中をヨタヨタとキャベツを運ぶ姿に「歳の割にはまだパワーがある」との家族のおだてる声だけがエネルギーとなっている。
6月下旬、今日も収穫を行う。収穫を終えたところに生えた雑草が、残った肥料を我が物顔で吸収し黒々と育ってゆく。草の成長に伴い益々足元が悪くなり、何度もよたつく。そんな足先から大きな鳴き声と共に飛び出したのは一羽のキジ。それに驚き、「キジも鳴かずば撃たれまい」のフレーズが頭に浮かぶ。足元に目をやると、キジが飛び出したところには薄茶色をした卵が7個産み付けられていた。親鳥は卵を守るためギリギリの距離まで待ち、鳴き声で敵の注意を一身に引き寄せる。我が身を呈して子供を守る、そんな健気なキジに出くわした耕人である。
暑いこの夏、大人の身勝手な行動で子供たちが犠牲になったという報道を耳にする。少子化で取り敢えずは産め、との国策。それよりもまず子供たちが幸せに生きてゆける環境を整えることが一番必要なことではなかろうか。野菜栽培にしてもまず生育する環境を整えてからのスタートである。
春夏作のキャベツも3月にスタートし、7月でようやく無事終えることが出来た。キャベツの収穫を無事に終えると次はキャベツに代わり秋ぼこり(雑草)の大群が一斉に攻め入って来た。8月のお盆が近くなると敵は一斉に穂を持ち上げる。この時を見計らい、力強いトラクターを従え一気に攻め入る。腹心の友となったトラクターはこれ見よがしに敵を踏み倒し、木っ端みじんに切り刻んで行く。耕人はただハンドルを
握り、突撃の鬨(とき)の声を上げる。耕した畑は後に秋冬作へと姿を変え、堆肥を散布し軽く耕運して秋冬野菜の苗の成長を待つ。
きゅうりも最盛期を迎え、早朝からの収穫が日々続く。朝夕2回、上に下、右に左とキョロキョロ怪しい動きをしながらの収穫。繁茂するきゅうりのツルや葉の中から実を見つけ出す。見逃してしまうと次の収穫は半日後となるので、成長の早いきゅうりは太くなり過ぎ、収穫しても草むらへ、となる。3日に一度は水路から畝間に水を流し入れ、きゅうりにとって大切な水分と涼を与える。その甲斐あってかこの暑さにも敗けることなくたくさんの実を結んだ。そんな夏の味を存分に楽しませてくれたきゅうりの生命も残りあと僅かとなった。
きゅうりの栽培で一番は水と肥料、それが切れると命取りとなる。次は整枝で下部に出た芽はすべて掻き取り、その後に出た芽は花の先1枚を残して摘み取る。そうして色々な小技を駆使してたくさんの実をいただく。しかし、どこの世界にも困った子はいる。太いツルや葉の陰でそっと身を潜めるもの、ネットを支える支柱の陰に隠れるもの。大きく育ち過ぎた実はすべて廃棄となってしまうため、それならばとひとこと言いたい。「きゅうりよ、捨てられてしまうより、人の口に入り人々の健康に役立てるよう、素直に目の届くところで育とうではないか」きゅうりからの返答は「もっと集中して収穫をしろ!」誠にごもっともである。
「暑い暑い」と飽きもせず口から出る言葉に「耳にタコができる」とうんざりされてしまう。右を向いても左を向いても「暑い」の言葉しか出てこない中、セロリの苗だけが涼を呼ぶ。毎年登場するセロリは本年も5月20日に播種を行い、2回の移植を経てあとは畑への定植を待つだけとなった。しかしこの暑さでは‥と出来るだけ定植時期を伸ばすことになった。セロリはきゅうりと同じように水分を好み、定植後は活着するまで水をこまめに与えなければならず、多くの手間と時間が必要となる。セロリについては「取らぬ狸の‥」とならぬよう、また収穫間近に報告させていただく。
まだまだ暑い午後3時、今日もまた真っ青な空に大きく積乱雲が湧き上がった。夕刻、綿菓子のように真っ白な雲に夕日が当たり赤く色を染める。まもなく7時、腕時計ではなく腹時計が時間を知らせる。体内のバッテリーも残り僅かとなった。空いっぱいに育った雲も時間と共に散り散りになり、もうそこに力強い生命を見ることはできない。
長い一日の作業を無事に終え、畑に感謝し家路へと。家に着くなり一糸まとわぬ姿で庭の井戸水を頭からかぶる。震えるほどの冷たい水が一日の熱を流してくれる。涼しい部屋のテーブルの上には、これもまた涼しげな大皿に盛られたサラダの山。きゅうりの緑にトマトやレッドオニオン、海藻も入り、頂上付近には家人の栽培した自慢のパプリカが色を添え耕人の帰りを待っていた。使用する大皿は焼き物を趣味とする家人が信楽で購入した器。そしてその皿を目で楽しむ間もなく、青虫の如く野菜にむしゃぶりつく耕人。その頭の中には信楽で私たちを迎えてくれた私と瓜二つの何百、何千の狸の姿が浮かぶ。あっという間に山高く盛られたサラダは夏雲のように姿を消し、あとにはようやく目に入った美しい器の姿が疲れた身体を癒してくれる。
酷暑はまだまだ続く。この大盛りの野菜をエネルギーに、麦わら帽に鎮座したトンボのフィギュアに守られ大地を耕す。
酷暑の中で秋野菜が育つ農場より