慈光通信 第243号
2023.2.14
生命の医学と農法を求めて Ⅲ
前理事長・医師 梁瀬義亮
【この原稿は、1977年12月LIFE SCIENCEに掲載されたものです。】
生かされ、生かさんと努力し、そしてまた生かされる。
奪わずして与えんとし、殺さずして生かさんとする。
生命の農法
昭和27年の秋、私は当時讃美されていた化学肥料(以下、化肥と略称す)で栽培された農作物が堆肥栽培のものに比して、形こそ立派であるが味、かおり、日持ち等が著しく劣ることに気が付いた。また、化肥栽培の牧草が家畜の健康や受胎率を低下せしめることをも知った。このことは野菜の多食をすすめていた私にとって一大ショックであった。農学の研究に志した私は、まもなくこの分野でも医学と同様、その研究方法が「生命力」および「生態学的存在」という事実を軽視ないしは無視していること、およびその目指すところはもっぱら量的多収穫で、農作物本来の意義たる「人間の健康のため」ということが看過されていることに気付いた。「生命の農法」が研究されなければならない。そしてそれは分析や特殊条件における実験データの積み重ねによっては得られず、農作物栽培の実態によってのみ得られる。私はそう考えた。
私は各地を廻って観察をつづけた。イモチやウンカの多発地帯にも、必ずそれに侵されずに立派に生育している田がある。逆にイモチやウンカの発生していない地区に、それに侵されているわずかな田がある。大した風も吹かないのに倒伏した稲田もあれば、台風通過地帯で一面になぎ倒された稲田の中に倒れずに立っているものもある。私はそれぞれの農家を訪れてくわしくその栽培方法を聞いて廻って、データを集めその共通点を求めて、イモチやウンカに侵される、または侵されない、あるいは倒伏する、またはしない稲の栽培方法を追求した。蔬菜や果樹についても同じやり方で健康な農法を求めた。得られた知見を、協力してくれた篤農青年とともに実地にためしてみた。このようにして「生命の農法」が徐々にできあがったのである。
農薬の害
ドイツが第二次大戦中に開発した恐るべき毒ガス「ホリドール(パラチオン)」が、昭和二十八年ころから農薬として用いられ出した。戦時中、機械化部隊に属し毒ガス教育を受けていた私は、ホリドールを農民が用いることの危険性を予知して熱心に反対したが用いられず、昭和29年夏から私の地方の稲作に大々的に用いられはじめた。昭和32年夏ごろ、私の地方で肝炎と思われる病気が大流行した。しかし、私は考えた。肝炎にしてはその重さに比してあまりに精神神経症状が強く、また、口内炎や皮膚の着色等の併発が多い。さらに観察するうちに、私は昭和三十年八月に多発した森永砒素ミルクによる中毒児との類似に気付いた。砒素か燐系の毒物による中毒にちがいない。私はそう考えた。そして、その食物混入経路の究明に努力したがなかなかわからなかった。昭和34年2月にいたって、ついにこれが農薬によるものであることを確かめたのである。
当時、近代農法の花形として盛んに用いられていた農薬の害―それは脳、神経系、内分泌系、消化系、肝臓、腎臓、造血器等々、全身のあらゆる器官を同時に侵してゆく―のメカニズムと、その農民および残留農薬による消費者の被害の実状およびその広がりを知ったとき、私は日本民族の滅亡の危機を感じた。医院を休診して私は直ちに政府、大学、研究機関に実状といままでの臨床経験を、あるいはパンフレットであるいは実地に赴いてお知らせした。
しかしそれらは受けいれられず、かえってさまざまの妨害と嘲笑が返ってきた。私は同志を励まして農薬の害の啓蒙運動を起こすとともに、十年後には必ず必要になるであろう無農薬農法の研究にとりかかったのである。まもなく私は、いままで研究してきた健康な農作物の栽培方法が、そのまま唯一の無^農薬農法であることを知った。生命力の旺盛な人が病原微生物やさまざまの寄生虫、あるいは気候の変化等に侵されないと同じ理屈である。
近代農法は「死の農法」である
植物体の分析と特殊条件における短期間の栽培実験データの積み重ねを主体にした近代農法は、農作物の「生命力」と「生態学的存在」という事実を無視して化肥と農薬を支柱とした「死の農法」である。化肥を施すと土は固くなってしまい(単粒組織)、通気性、保温性、保水性が失われ、物理的にいわゆる「死んだ土」になる。また、化肥は土を酸性化して大切なミネラルを流亡せしめたり、吸収不能状態にしたり、また有害ミネラル蓄積を起こしたりして土の元素のバランスを破り、化学的にもいわゆる「死んだ土」にしてしまう。さらに、植物の生育に必要な栄養素を生産・供給している土中の生物群は殺滅されて、生物学的にも「死んだ土」になる。
こんな土に植物は健全に生育できなくて、ただ化肥の簡単な成分のみを吸収して、形ばかりは大きいが栄養分の欠乏した生命力の弱い欠陥農作物となる。このような生命力の弱い農作物には、病虫害が当然の結果
として発生する。発生の原因を考えず、病虫害発生という結果だけを恐るべき毒性の化学薬品たる農薬で一気に清算せんとするのは暴挙である。さて現実の事実として、農薬は益虫をまず全滅せしめるとともに、不思議と農薬に抵抗性のある害虫を発生せしめるのである。また、農薬は化肥以上に土を害する。このことはさらに病虫害の発生を来たし、さらに強力な農薬の使用を必要とせしめるという悪循環を起こすのである。他方、農薬は口、気管、皮膚等より農民の体に侵入して、その心身を弱らしめて労働意欲を失わせ、農業の基本作業たる堆肥づくりを嫌悪せしめて安易な化肥使用に走らしめ、ここにも悪循環を成立せしめる。近代農法が土を殺し、益虫を殺し、ついには人を殺す「死の農法」たるゆえんである。
(以下、次号に続く)
不安な食品表示
スーパーやコンビニの棚に並ぶたくさんの食品、その中で食品を選ぶ際に気になることは何でしょうか?食品添加物や原材料の産地、遺伝子組み換えなどの表示など・・。それは私たちの健康も守るために、とても大切なことです。ところが今、その表示方法がどんどんわかりにくくなってきています。
まず「無添加」「化学調味料不使用」という表示が出来なくなりました。「遺伝子組み換えではない」という表示は「分別生産流通管理済み」というなにかよくわからない表示になっています。これは無添加・不使用表示が食品添加物業界にとって、不都合で目障りな表示だという事です。スーパーの食パンを手に取ってみると、小麦粉(国内製造)という表示があります。国産原料と誤解されやすい表示ですが、輸入原料でも中間原料に加工した場所が国内なら「国内製造」と書くことができます。
また、実際に食品の中に添加物が含まれていても、表示義務が免除される場合があります。食品の表示を所管している消費者庁のホームページには「食品添加物表示に関する豆知識」というページがあります。そこには、次のように記載されています。
最終的に食品に残っていない食品添加物や、残っていても量が少ないために効果が発揮されない食品添加物、栄養強化の目的で使用される食品添加物については、表示しなくてもよいことになっています。
〔表示不要な食品添加物〕
①加工助剤・②キャリーオーバー・③栄養強化の目的で使用される食品添加物(一部の食品は表示が必要)
①加工助剤の例:次亜塩素酸水の使用基準が「最終食品の完成前に除去すること」とあり、使用後の水洗いですべて洗い流され、製品に保存していない場合
②キャリーオーバーの例:保存料が使用されている醤油で醤油せんべいを味付けし、ごく微量の保存料がせんべいに持ち越されるが、非常に少量のためせんべいに保存料の効果がない場合
③栄養強化の目的で使用される食品添加物の例:食品の製造工程中に減少してしまうビタミンC等の栄養素を補うために、減少した分を添加する場合
分かりやすい例でいうと、かまぼこの原料の魚肉のすり身に使用されるリン酸塩とソルビットは、キャリーオーバー。豆腐の消泡剤は加工助剤とされます。酸化防止剤として使われるアスコルビン酸やトコフェロールも栄養強化目的で使ったと言えば表示しなくてもよいという事になります。しかしその中には危険な食品添加物もたくさんあるのです。安全な食品をどう見極めていくかが今後の課題です。
農場便り 2月
旧友を忘れ 思い起こすことがなくても良いのか?
昔懐かしい日々を忘れても良いのか?
懐かしき日々のために 我が友よ
友情の杯(さかずき)を酌み交わそう
懐かしき日々のために
この美しい詩は、オールド・ラング・サイン(Auld Lang Syne) スコットランド民謡の歌詞の和訳の一部である。アメリカやイギリス、スコットランドなど英語圏の国々では、大晦日のカウントダウンで年が明けた瞬間に歌われ、日本では「蛍の光」として歌われる。
2022年12月31日、静かに時は流れ新たな年へと変わる。私は、毎年恒例の菩提寺にて一年を感謝する。寒空の下、読経、和讃が境内に美しく響き渡る。
少し時間を遡ること12月23日早朝、窓越しに目に入って来たのは真っ白な雪影。幼い頃ならテンションが上がるところだろうが、農を職とする私の心は雪崩のように崩れ落ちる。トラックを駐車している店舗の駐車場までどうやって行くかと思案の末、背にはリュック、手にはバッグ、長靴はトラックの荷台に置いたままのため仕方なく登山靴を履き、何やらアンバランスな格好で雪を踏みしめる音を楽しみながら徒歩での出勤となった。
当日より年内最後の収穫が始まったが、出鼻をくじかれ泣くに泣けない正月用野菜の収穫となった。頭からすっぽり被った雪を払ってようやく顔を出した白菜やキャベツ、大根、背の低い蕪と葉菜類は後回しにし、出来る作業からの始まりとなった。普段はまず当たらない私の勘が大当たり、もしやと思い、時間がかかるごぼうの収穫を前日に済ませておいたことが何よりのお助けとなった。葉も枯れてしまい何もない冬の畑、あるのは深く積った真っ白な雪のみ、その畑を前に「さてごぼうは何処に‥」と呆然とする情景が頭に浮かび、ホッと胸を撫で下ろす。
この暮れの人騒がせな雪は、我が家にもまた被害を及ぼす。花好きの家人が秋に植えたビオラ、パンジー、ノースポールに家の屋根に積もった雪がお日様の南中と共に緩み、屋根から大きな音を立て滑り落ちる。その雪は2,3輪の可愛い花を咲かせる小さな苗に直撃、雪崩に巻き込まれた小苗はGPSを持つこともなく大量の雪の中に姿を消した。帰宅し、その惨事に気付いたのは日もどっぷり暮れた夜。即座にスコップを片手に花の小苗のレスキューが始まる。掘り出された苗は、大量の雪の重みで無残にもぺったんこの姿に。それでも愛情が伝わったのか、その後一週間で健気にも息を吹き返してくれた。今春にはたくさんの花を咲かせ、目を楽しませてくれると期待している。この一年の生物へのレスキューは農場も含め、これが最後となった。
毎年、庭でお正月に行う施しは当会のみかんの贈り物、木の枝に2.3切れを刺しておく。光り輝く元旦の朝、メジロなどの小鳥たちは、おせちとなるこのみかんをついばみ祝いの席を楽しんでいた。しかし、ここ2年はあの憎きヒヨドリが我が領地とばかりに他の鳥を追い出すこと(どこやらの国と似た行為)を繰り返した。ヒヨドリと言えば当会のキャベツやブロッコリー、小松菜などを食害する憎き鳥。「小鳥たちが食べることが出来ないならば、誰がヒヨドリに施しなど!」と家族共に小さな心の持ち主と認める私はこの施しを中止とし、今年の元旦の朝、我が家の庭の木の枝にはみかんの姿を見ることはなかった。
小まめに動くのは31日まで、翌日からはだらしないオヤジと化す。3日、初瀬の観音様に手を合わせた翌日より2023年、新しい年の私のスタートが切られた。
昨年の作柄を思い起こす。良きも悪しきも含め、一年を通して野菜の成績はまずまずの合格点を得ることが出来たように思われる(自分への甘さは本年も健在)。しかしその中には失敗もあり、それは暑い夏に播種をした大根と小松菜である。一日も早く収穫できるようにと無理を承知の上で山の農場で栽培、前半は何事もなく生育したが、栽培の中盤を過ぎた頃からダイコンサルハ虫が目に付くようになり、まずは小松菜の葉から食害が始まる。いつもなら食害より生育の方が勝るところであるが、食害がいつまでも続く。それに加え、異常な暑さに小松菜、そして大根までが成長せず足踏み状態、それでも何とか収穫を行うが、予定には程遠い作柄となってしまった。この失敗を繰り返さぬよう、この時期の栽培が本年の大きな課題となる。
7月、8月は夏野菜の収穫に追われ、少々心身ともにバテ気味、影響がないのは食欲だけとなった。その中7月には、早くも秋冬用結球野菜や花野菜の播種が始まる。まずは結球野菜のキャベツ、次に花野菜のブロッコリーを10日間隔で2度に亘り播種を行う。それらが定植を迎える頃には白菜の播種が始まる。8月中旬より10日に一度のペースで極早生から晩生までの4種の播種を行う。白菜には早生、中生、晩生があり、それぞれ播種をした後は20~25日で定植を行う。この若苗の定植がその後の成長を左右する。11月より年明け3月初旬までの長い冬期に欠品を出さぬようにと考え、作付けを行う。昨年は一部関東の品種を播種し、試作をした。一見、大きな違いは見当たらないが、プロにあと一歩届かない私の心眼を持ってみると、関西白菜の方が葉が厚く、柔らかさで言えば葉の薄い関東種になる。しかし熱を加えると有機栽培で育った白菜は同じ柔らかさとなり共に美味である。
9月上旬、極早生を定植。小さな苗はまだ暑さの残る中、2.3日に一度のシャワーを浴び防虫ネットの中で育ってゆく。後に続いて中生、晩生も定植し、これにもまた防球ネットを頭から掛け過保護に育てられる。少し涼しくなった10月、極早生の白菜が葉を持ち上げる。それから数日で中央に結球部が見え、一度結球が始まると止まることを知らず成長を続ける。
手厚く育てられた白菜も11月には無事収穫。最初はまるで宝物かのような手厚い扱いで収穫されるが、次からはただ普通の収穫となる。近年は冬でも暖かい日が多いため、一通り皆さまの元へ行き渡った後は消費量が少なくなるのだが、寒波が列島を包む12月には再び皆に愛される白菜となる。この頃には早生白菜の収穫を終え、中生、晩生種へとバトンが渡る。寒さの中、下部の白い部分は日ごとに厚くたくましく育った白菜となる。
厳冬の農場はとにかく寒い。長靴の中にも厚いインソールを入れるが、指の感覚はなくなり、手の指の動きも鈍化する。厳冬期を無事越せるようにと、日々努力し厚く育てた皮下脂肪のはずがあまり役には立たず、冷え切った身体で帰宅。ストーブの火が温かく、テーブルの中央には大きな土鍋が鎮座し、私の帰りを待っていた。竹で編んだ大きなかごには大量の野菜、その中に雪をかぶった真っ白なアルプスかのようにそびえ立つ当会の白菜、すそ野には大根、カブ、水菜、キノコ、そして大地の色のささがきゴボウ、植物性タンパク食品の揚げ、しめのうどん等々。竹かごの隣りには控えめな皿に盛られた動物性食材、我が家においては鍋料理の動物性食材は、あくまでも野菜をより美味しくいただくための出汁の素材である。その野菜の量たるや相撲部屋にも勝るとも劣らない。平素は静かな食卓も、鍋料理の夜はピーチクパーチクヒバリの子のように会話が飛び交う。
心も温かくなり、ストーブの柔らかい炎が身体を包む。ささやかで幸せな時間の中、前理事長の言葉が頭に浮かぶ。「健康のみを目的とする人が多い。それも良いが、健康な心身をもって何を目的とするかが大切だ。だが、健康のためなら命もいらないという人もいる」と笑いながら話していたことを思い出す。
ソクラテスやプラトンと同時代、ギリシャにヒポクラテスという偉人がいた。ヒポクラテスは観察と経験から医学の基礎を作り、多くの人々を救った。名言も多くのこした文人でもあった。その中に「心に起こることはすべて体に影響し、体に起きることもまた心に影響する」「汝の食事を薬とし、汝の薬は食事とせよ」東洋の医食同源の世界観である。
イモ、マメ、菜っ葉を良薬とし、古代ギリシャの言葉を現代に生かし、本年も心身共に充実した農の日々を送ることが出来ますよう。命の源となる畑からの作物で人々の健康と安らぎ、そして平和へと大地深くに自身の願いを込め、皆様と共に慈光会の運動と平和な道を歩む。
銀世界に野生動物の足跡が残る農場より