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慈光通信 第226号

2020.4.1

食物と健康 7

 

前理事長・医師 梁瀬義亮

【この原稿は、1991年1月 日本有機農業研究会発行の「梁瀬義亮特集」に掲載されたものです。】

 

3、食物と健康

 

現代栄養学に対する疑念
このようなことを知り、医療にたずさわっているあいだに、私は現在の栄養理論に対して、非常な疑問を持ったわけです。
たとえば、『食物のカロリー』ということをやかましく言いますが、カロリーとは、その食物に700から800度の温度を与えて、酸素の中で燃焼させて、それから出る熱量のことをいうのです。ところが、私たちの体内では、せいぜい三八度くらいの温度の中で、複雑な酸素作用によって、私たちの食物はエネルギー化されていく。エネルギー化されていくときの条件が違うのに、これを同一に論ずるということに、非常に疑問を感じた。
もう一つは、現在の栄養学は分析化学なんですね。我々の体を分制して、得られた結果を合わせて集積したものです。分析するときには酸やアルカリや熱や、色々のものを使うわけですが、こういったものを使ったときの条件を抜いてしまって、出てきた結果だけを合わせて、もとの栄養に対する正しい栄養理論が組み立てられるものだろうか。
さらには動物実験の方法についても、小動物に、これこれのものを、これだけ与えたら、これだけ大きくなった、という。ところがこの大きくなったということが、はたして、私たちの健康にとって役立つものであるかどうか。
こんな大切なことが、はっきりたしかめておらぬままに、現在の栄養学が組み立てられている。分析と小動物実験の結果をもとにして支えられている現在の栄養学の結論が、現実とあまりにも違うので、非常に疑問を感じたのです。現在の学校給食もそういった理論をもとに構成されています。

理想的バランス食
真に健康を保ち、健康を増進するために如何なる食生活をすべきか、これを現在の栄養学の用語を用いて説明してみたと思います。
健康を支えるものは、まず食物の量である。これを仮にカロリーと表現しましょう。つぎには、蛋白質、脂肪、含水炭素、それから、様々な鉱物質やビタミン類、それから酵素類や未知のビタミン類、その他の未だ解明されていないXファクターがあることも事実なのです。このXファクターは、各種の農作物あるいは動物の内臓などに含まれていることも分かっています。
こういったものが、適切なバランスをもって食物の中に取り入れられているとき、健康を保つことができるのです。
以下、次号に続く

春の虫対策
暖かくなってくると、虫の活動が活発になってきます。家の中でも寒さが和らぐと、目の前を虫が飛んでいる、という経験はありませんか?害虫がわいてしまってから慌てるのでは遅い、ということで今からできることをご紹介します。
最近は家屋の気密性が高くなり、冬もエアコンで快適な室温が維持されている家が多いため、できれば年間を通して虫対策を行うことが理想的ですが、活動が本格化する前に今から取り組めばまだ間に合います。
*キッチンや水回りを清潔に保つ台所や洗面所、浴室などの水回りに出やすい虫と言えばゴキブリです。ゴキブリは食べ物だけではなく、水や油、人間の髪の毛なども食べて生き延びます。またこのエリアはどこからともなく小バエが沸いて飛び回ることもあります。不衛生な環境や油汚れ、においなども虫を寄せ付ける原因となります。特に流し台の三角コーナーは要注意です。暖かくなると生ごみの腐敗が進みやすくなり、放置していると虫たちは寄ってきます。生ゴミのほか、食器から垂れた油分などもゴキブリの格好のエサになります。そこで、
・生ゴミはこまめに捨て、ゴミ出しの日まで水気をできるだけ切ってから蓋つきのゴミ箱に入れる。
・食べ物を放置しない。
・キッチンや洗面所を使った後は、水気をよく拭き取り、換気して湿気を取り除く。
・小バエはペットのフンや熟し過ぎた果物にもわき、発生した時点で産卵していると考えられるので早めに捨てる。
・室内に入れない
虫を見つけて対処する前に、まずは室内に侵入させないという事が大事です。虫の侵入経路はさまざまで、窓サッシのわずかな隙間や網戸の破れ、換気口やエアコンの室外機のホースなどからも入ってくることがあります。小さな隙間も見逃さずふさぎ、換気口のフィルターやホースの口にはめるキャップなどもお勧めです。
また、最近ネット通販などで室内に持ち込むことの多い段ボール、あの凹凸の内部でチャバネゴキブリが動き回るというゾッとする話もあります。荷物の開封後は早めに処分しましょう。
・室内の観葉植物に注意する。
植物は虫を引き寄せます。栄養分を豊富に含む土は、小バエが産卵する場所にもなります。キッチンを飛び回る小バエの発生源が観葉植物の土だったという事もあります。虫がたかりやすい土の表面に野菜カスや肥料などを置くのは避けましょう。
在宅の時間が長くなっている今、室内を美しく、過ごしやすい環境に整えてはいかがでしょうか。

 

農場便り 4月

春風が心地よく顔を撫で、畑を吹き抜けてゆく。山の木々の芽が膨らみ、間もなく新たなる世界が始まる。既に冬作物の収穫を終え雑然とした風景の中で、昨年の12月に定植をしたキャベツとブロッコリーの苗が春をいち早く感じ取り、日増しに葉の緑を濃くして成長してゆく。
冬作最後の作業は、残された里芋と山芋の収穫。スコップを土に蹴り込み、一株ずつ掘り起こしてゆく。たくさんの株の中にはすでに白い根が動き出しているものもあり、気温と共に地温の上昇をも感じる。その作業を畑の隅で見ている黄色い花を咲かせたタンポポが里芋に別れを告げる。「春なのにお別れですか…」と鼻歌交じりに胸いっぱい春を吸い込み、作業は続く。こんな収穫や作付けは好んで行う作業であるが、収穫後の資材の片づけとなるとついついため息交じりとなる。
ため息と言えば、今や世界中で猛威を振るうコロナウイルス感染のニュースである。あまりの酷さにため息すら出なくなってしまった。今までに経験したことのない目に見えぬウイルス、日を追うごとに感染は広がり、世界の情報を目にする度、その凄まじさに戦慄する。夜、家族と食事を終え自室へと。いつもならば青空文庫での読書や興味のあるTV番組、音楽鑑賞や趣味の本、たまに農業の勉強などと床の上で寝入るまで楽しく過ごすところであるが、今はその気力さえ失せ、ただボーッと天井を仰ぐ。
目を閉じると、前理事長の言葉が蘇る。「これからの社会は、誤った世界観、誤った生命観、誤った人生観を持った人類が無謀な地球破壊を繰り返すことにより、必ず何らかの災害が生じ、弱者が路頭に迷い生命までも危ぶまれる。」まさに今、その言葉が現実となってきている。自然界の変異、戦争、テロ、ウイルスやバクテリアによる感染。若かりし頃の私にとって、それらの話はまるで他人事かのように緊張感もなく、なんとなく耳を傾けていただけであった。今にして思えばなんと愚かであったか。サリンや毒ガス、生物兵器、病原菌の恐ろしさについて、前理事長が半世紀も前に行った講演や、諸々の書物の中に書き残されているではないか。医師としての経験と広い視野から私たちに話してくれていたのにと思うと残念でならない。
「病気の大半は自らが作り出すものであり、日常の食生活、生活習慣が大切である。農薬や化学肥料で栽培された野菜や添加物など、体内に外からの毒物(化学物質)を摂取することにより、本来持っている生命力が著しく低下する。生命力が低下した生物にはウイルスやバクテリアが繁殖し生命を断とうと働くため、食生活は野菜を中心に5から8分搗きの米飯や玄米、雑穀をよく咀嚼し、良質のたんぱく質は魚を中心に摂取し、乳製品や芋、豆、ミネラルの多い海藻も忘れずに。甘いものやアルコールはできるだけ控える。これらの食生活により免疫力が向上し少々のウイルスにも負けない生命力が宿る」と何度も何度も繰り返し教えられた。
農作業中のちょっとした怪我は日常茶飯事である。その治療は、泥だらけの傷口に唇を当て、血と泥を吸い上げ、地上に「ペッ」と吐いて終わりである。引き続きの作業で、手は土まみれ。体調の良い時には化膿など一切しないが、つい気が緩み、友人(悪友)との会食が多くなるなどと食生活が乱れた時などは即座に化膿し、じくじくとした痛みが続く。いかに免疫力が大切であるかを身を持って感じる。
今の学問はすべて人間至上の発想から始まる。バクテリアやウイルスを人間が完全にコントロールすることなど、到底無理な考えである。バクテリアやウイルス、植物、動物、その中に人類が生存しているという事実を忘れてはならない。今回のコロナウイルスにより亡くなられた方々のご冥福を心より祈るばかりである。
話しは農場へと。日ごとに忙しさが増す。田畑を耕す前にトラクターのメンテナンスを行う。倉庫から車体を出し、まずはエンジンオイルの交換、同時にオイルエレメントも新しいものに替える。車体の下部にあるドレインボルトをレンチで回し外す。2か所あるドレインから黒く変色したオイルを出しきれいに取り除く。続いて奥深い所にあり外しにくいエレメントをイライラしながら外す。エンジンオイルを濾すこの部分はドロドロのオイルが溜まり、重くなっている。汚れたオイルを取り除いてからエレメントをギュッと締め、美しい透明のオイルを注ぎ口から流し入れゲージでオイルの量を点検。エンジンを始動しアイドリングしておいた後、再度オイル量の点検、これでエンジンのメンテナンスが終了。続いて金属同士が擦れ合う箇所(人間でいえば関節の部分)にたっぷりグリスを挿し込み完了。これでエンジン音は軽やかに。明日からハードな作業が待ち受けている。
翌日より山の畑の堆肥の散布が始まる。昨年5月、一次発酵を終え9か月寝かせ追熟させた堆肥は農場にとっては宝の山。前日整備を終えたトラクターが軽やかなエンジン音を響かせると、春を楽しんでいた小鳥たちは一斉に山の中へと飛び立つ。アクセルを踏み込み、突撃ラッパと共に力強く堆肥の山にバケットを突っ込んですくい上げ、栽培予定地に配って回る。広い畑は見る見るうちに堆肥の小山で埋まっていく。直営農場で使用する堆肥の量を見て「それだけ多投して大丈夫なのか」と質問を受けることがある。山の農場は、元来痩せ地をブルドーザーで馴らして平地にした畑で、農地としては最悪な土質でPHは驚くほど低く粘質が強い。これまで何とか土を作り栽培地として育ててきたが、この3年は害獣による被害が大きく、放置したままにしていた。この間に畑の土はまた固い土に完全に戻ってしまったが、開墾当時の土に比べればまだましな方である。使用する堆肥の70パーセント以上がおが屑や藁で出来た植物性、それを1年かけてバクテリアに分解させた完熟堆肥を使用する。好気性バクテリアによって分解された堆肥は不快な臭いもなく、山を覆う腐葉土のようなかぐわしい香りで、不要なN成分などは発酵過程で分解される。その堆肥の山の中にはありとあらゆる生物が生息し、大きなカブト虫の幼虫も居を構え堆肥を食する。植物性の堆肥であるためペクチンやリグニンなどの繊維組織が畑の土を軽く柔らかくする。堆肥の量も作付けをする品種によって変えてゆく。そのさじ加減はいたってアバウトではあるが。大量の堆肥の散布を終えてから2、3日は陽にさらし、浅く耕し土となじませてゆく。
山桜のつぼみがほころび始めた3月20日、夏秋用のゴボウの播種をする。前日までカラカラに乾いていた大地は「さあ、種を蒔くぞ」と気合を入れると、天からのお告げかどうかは定かではないが、雨が降り始める。「春雨」どころではなく大地をたたく大粒の雨、おまけに強風もついてくる。2、3日様子を見るも大地が乾かずイライラが募る。私の欠点である、強引に事を進めようとする心が沸々と湧いてきたのは本人が一番よくわかっている。気合いと共にトラクターは広い畑の中にあり、エンジン全開で耕し始める。真っ直ぐに深く耕した土は細かい畑土ではなく、案の定団子のような土になる。強気で推し進めたものの、ようやく冷静になり我に返る。その日から2、3日様子を見、再度耕運し無事播種を終えた。気温が上昇するこれからの季節、畑で暴れ狂う雑草に敗けぬよう心細やかな管理を行う。
ゴボウは強い肥料や土の塊、石などがあると真っ直ぐに伸びず二股になってしまう。そのため元肥は入れず、前作の残りの肥料や地力だけで栽培を行う。大地から大量のエネルギーを吸収し、大きな葉はお日様からの恵みを受け日々成長してゆく。一か月後には冬用ゴボウの播種を行う。このゴボウはこれから冬までの少々気の長い話となる。
別の畑では、前年の秋に定植をした春キャベツの中心部が結球を始めた。その隣の畝には初夏採りのキャベツが育っており、順次収穫できるよう、本来私の最も苦手とする計画的作付けを行っている。春は一気に押し寄せ、畑の準備・作付け・収穫と目の回るような日々の作業となるが、忙しくとも目を回さない図太い耕人ここにあり。
4月に入ると夏作の準備が始まり、トレイに色々な野菜の播種をする。まずは発芽に時間がかかる赤と青のシソ、常に苗床は水で湿らせた状態を維持し、極力乾燥を避ける。本年1月に播種し室内で育苗したキャベツ、ブロッコリーは畑に定植し、パセリ、チンゲン菜、ネギ、サンチュ、サラダ水菜などはビニールトンネルの中で育て、大きくなったものから順次圃場へと定植する。間もなくきゅうりやゴーヤ、カボチャなど夏の野菜の播種をし、温かい空間で育苗をする。畑に直接播種をする小松菜は長く張られたビニールトンネルの中で育ち、細やかな管理を行う。4月中旬には大量に堆肥を投入し畝上げした地に里芋、同時に少々肥料を抑えた畝には山芋を定植する。
昨年、胸躍らせ作付けしたスイカ、猛暑の中冷えたスイカを頬張る自分の姿までシュミレーションした。順調に生育し、収穫を間近に迎え気分は上々の7月下旬、畑に何かしらの異変を感じ、張り巡らせたツルを踏まぬよう歩みを進め大きなスイカの実の元へ。その時のショックは半年たった今でも忘れる事は無い。スイカに小さな穴を開けお行儀よく中の実だけを食し、厚い皮はそのままの美しい姿でスイカが鎮座していた。その後対策もしたが、日を追うごとにスイカは食害され全滅となった。「アライグマめ!」と怒りをつのらせた食害から半年後、当園の隣の雑木山でハクビシンが罠にかかった聞き、あれはアライグマではなくハクビシンの仕業であったかと思い至った。中国大陸で楽しく過ごしていたであろうこの獣をペットとして日本へ持ち帰り、挙句の果てには捨てて野生化と、結局人間の欲と身勝手が生態系をも壊してしまう。アライグマも同様である。彼らにとっては生きるための食であり、美味しい食べ物がそこにあるだけのこと。罠でとらえられたハクビシンを思うと憎さ半分、かわいそうに思う気持ち半分と複雑な気持ちが生まれる。
口から出る言葉は「ああ忙しい…」口は動けど手足は動かぬ春本番。畑はこれから日を追うごとに色々な作物で埋め尽くされてゆく。多くの会員の皆様が当会の作物を口にし、健康で安らかな日々を過ごされる姿を想い、それを自らの喜びとし、穢れなき土に種を落とす。
夕刻、春の陽が西の空に落ち始める。鍬を握る手を止め一日の作業を振り返る。しばらくして鍬を肩に、帰り支度をする。用水路で農具の土の汚れを落としきれいにする。澄み切った谷水は一瞬にして薄く濁り、水の流れは足早に濁った水を下流へと運んでゆく。美しくなった農具をトラックの荷台へ積み込み、次には長靴の泥を落とし、最後に手についた一日の泥を腰をかがめ洗い流す。ピンクの花びらが流れの中に映し出される。上流で咲き誇った山桜が風に舞い水面を流れ、夕方疲れた私を癒してくれる。時には厳しい母なる大地、流れゆく桜の花びらは「奢らず謙虚に」という優しい母の言葉のように響く。春の息吹を感じながら流れゆく花びらを目で追う。
唐の詩人 于 武陵 友を送る詩

「観酒」     井伏鱒二訳
コノサカヅキヲ受ケテクレ
ドウゾナミナミツガシテオクレ
ハナニアラシノタトエモアルゾ
「サヨナラ」ダケガ人生ダ

 

この季節、この詩を口にするたび、若かりし頃のことを思い出す。

 

一日も早く平穏な日々にと祈る耕人より