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慈光通信 第191号

2014.6.1

病気のないすこやかな生活 ― 医・食・住 ― 14

 

前理事長・医師 梁瀬義亮

【この原稿は、1982年(昭和57年)3月6日 熊本県立図書館ホールでの講演録です。】

 

 

人間の体も同様

 

 

人間の体もそうです。急性の扁桃腺炎になった。これは扁桃腺炎を起こすところの化膿菌が悪いんだというのが近代の医学です。だからこの化膿菌を殺してしまえというわけで抗生物質を探してきたわけです。ところが実際はそうじゃないんです。そんなばい菌はどなたの喉にもいるのです。その人の生活が悪いから体が悪い。体が悪いから、そんなばい菌が増えてきただけです。だから、体を良くすれば、ひとりでに扁桃腺なんかなくなります。扁桃腺にばっかりなっている子供、その子供の生活を変えてごらんなさい。一年程たったら、扁桃腺なんか起こらなくなります。火事もそうですよ。火事を呪うのは愚かです。火事が起こるから、消防車を増やす。だけど消防車をいくら増やしたって火事はなくならないです。火事をなくするのは消防車じゃなくて、火の用心です。

 

 

施肥上注意する事

 

 

生態学的輪廻の法則を正しく守って好気性の完熟堆肥を十分に土に返してやるという事、完熟堆肥は土の中、未熟堆肥とかあるいは嫌気性堆肥は土の上に置いておけ、これが原則です。これに更にいろいろな細かい注意が必要です。
例えば、非常に難しい肥料に鶏糞があります。鶏糞というものは、この尿素形態の窒素を持っているために、非常に硫安に似たような作用をしますので、有機質肥料とはいいながら、これは化学肥料と極めて似ております。だから鶏糞を使う時は必ず別に積んで、十分に好気性完熟堆肥にしてから使う事です。それから鶏糞は、たとえ地上へ置くだけとしても5月から10月までの暑い気候の時に使ってはいけません。夜盗虫とかアブラ虫の発生とかを起こします。なぜならば、暑い気候には、これが早く分解しますのでアンモニアを発生して硫安を使ったと同じような結果になってしまうからです。鶏糞はくれぐれも注意しなければいけません。油カスも同じであって、暑い時分に撒く時には必ず遠くへ、そして何回にも少しずつ薄く撒く習慣をつけなければ、ドカッと撒きますと、これがやはり病虫害発生の原因になるということがあります。
ともかくこの輪廻の法則を破ってはダメです。それを近代農法は破って、そして変な農作物を作ってしまったのです。これはもちろん人間の健康によろしくはありません。

 

 

農薬に抵抗性のある害虫は必ず残る

 

 

誤った方法で栽培された、よろしくない農作物を草食性昆虫が食べます。人間はその意味を理解せず農薬をまきます。農薬をまくと益虫も害虫も死んでしまって、人間は一時的に100パーセントの収穫をします。しかし、地上に於いて生物の中で最も抵抗性が強いのは草食性昆虫なんです。必ず抵抗性のものが生き残るのです。この子孫は、この毒物に対して抵抗性を持ってしまうのです。だから農薬を使えば使うほど、益虫は消えてしまいますが、害虫はどんどん抵抗性を持って増えてくるのです。これが事実です。過去30年間、農家の方が必死になって農薬を撒まました。しかしながら、その結果は益虫が滅んで、ますます害虫が増えてきているのです。

 

 

農薬を使えば使うほど増えてくる害虫

 

 

私の地方(五條)は柿の名所でございます。私の所の販売所で柿を売っても買ってくれないのです。町の人は柿というものは、もらうものであって、買うものではないと思っているんです。それくらい柿がよく出来たところなのです。庭先に植えておいたら、いくらでも柿がなりました。幼い頃、私の生家の庭でも柿がなり過ぎて、近所へ配ったのを覚えていますが、それくらいよくなります。
それが、戦後、農薬を使ったら良い柿ができるというので、農薬をやり始めました。はじめは6月と8月、2回の殺虫剤散布でよかった。現在は8回しなければできません。おまけに今までなかった5月、6月にでてくるブランコ毛虫が大発生して参ります。こんなもの今までなかったのです。それからスリップスとか、オガとかいろんな新しい害虫が出てきています。このように農薬というものは、使えば使うほど害虫が増えて益虫が減り、人間にとって都合の悪い生態系が出来てくるのです。
(以下、次号に続く)

 

 

その卵は大丈夫?

 

私達の周りには原因不明の病気や癌、化学物質過敏症など様々な病気があふれています。また、病院で治療に使用される麻酔や抗生物質が効きにくいとも言われています。それには食品に添加される化学物質が大きく関わっています。
例えば、毎日のように食卓に並ぶ卵。最近では1パック98円などとスーパーの広告に出ていますが、そんな低価格の卵で大丈夫なのでしょうか。もちろん高価であればいいというものでもありませんが、安い卵にはそれだけの理由があります。
それでは、鶏はどのように飼育されているのでしょうか。鳥インフルエンザの時にも話題になりましたが、大多数の鶏は大規模な施設の中で狭いケージに閉じ込められて飼育されています。当然、病気が発生しやすくなり、一度発生すると大量に感染する危険性があります。そのため、予防として穀物に抗生物質を混ぜ合わせた配合飼料が与えられます。
抗生物質も問題ですが、さらには、その穀物にも問題があります。現在日本の配合飼料に使用されるトウモロコシの輸入量の9割をアメリカ産が占めています。輸入される穀物飼料はほとんど遺伝子組み換え作物であるとも言われ、配合飼料の中の主な原料を非遺伝子組み換えのものに変えると約12%価格が高くなるとされています。日本では遺伝子組み換え作物は、人間の口から直接摂取される形の食品にはいろいろ取り決めがありますが、「大豆由来成分」のように構造が破壊されているものについては規制が少ないのです。だから、鶏に組み換え作物を与えても、肉や卵になるまでに形質が変化しているので問題は無いとされています。問題が起きるまでは問題視されないということなのです。飼料穀物へのポストハーベストや添加物、鶏の病気予防や成長促進のための抗生物質。こうした化学物質(有害物質)は鶏肉の細胞に蓄積されると同時に、鶏卵にも凝縮されています。こうして、化学物質が充満する体に育ったニワトリから生み出されたのが安く売られている卵です。卵は蓄産物なのか化学製品なのか?こんな疑問さえわいてきそうです。
また、食肉のための家畜もしかりです。家畜飼料には添加物が加えられます。防かび剤や酸化防止剤、増粘剤、乳化剤、PH調整剤などたくさんの化学物に加え、抗生物質の混入も認められています。抗生物質は成長促進(栄養分の吸収がよくなる)や病気予防のために用いられます。成長促進にはホルモン剤も使われます。畜産や養殖魚に対する抗生物質の使用量は、人間の使用量をはるかに上回っています。98年に日本で人間の医療用に使われた抗生物質は520トンですが、01年に動物用に使われた抗生物質は1290トンにのぼりました。内訳は、成長促進のための「飼料添加物」が230トン、病気の予防・治療のための「動物用医薬品」が1060トンでした。このような抗生物質の日常的な投与によって、抗生物質に対する抵抗力が強い「耐性菌」が次々に生れています。人間が耐性菌に感染して病気になった場合、治療が困難です。例えば、かつては抗生物質を使うとすぐに治った中耳炎が、最近、慢性化するケースが増えています。中耳炎の原因となる細菌が抗生物質への耐性を身につけた結果です。現代人は知らず知らずのうちに大量の化学物質を身体の中に取り込んでいる事になるのです。
そのような事にならないためには消費者が安全な食品を見極める事が大切です。また、提供する側も責任を持って自分や家族が安心して食べられるものを消費者に提供するという事が大切だと考えています。
慈光会で取り扱っている食肉はもちろん、卵は薬剤を一切与えず、平飼いうす飼い(土の上を自由に動き回れるようにし、また、一坪あたりの飼養羽数を少なくした飼育)で大切に育てられた鶏の卵です。鶏たちは和歌山県有田郡の自然の山の中、広々とした鶏舎内の土の上で元気に走り回っています。日光を浴び、谷から湧き出るミネラルを豊富に含んだ岩清水を飲み、新鮮な空気いっぱいに吸って、健やかに育っています。もちろん飼料はすべて非遺伝子組み換えで、ホルモン剤や抗生物質も一切使用しておりません。
毎日食べる卵だからこそ、安心できるものをお選びください。

 

 

農場便り 6月

 

春爛漫の農場となった。雑木や雑草はあふれんばかりに花を咲かせて種を落とし、藤のうす紫の大きな花が深い緑の山々を飾る。大木に絡むツルに咲く花を見上げながら歩いていると、その美しさに時を忘れる。地上にも藤のツルははびこり、所々に根を下ろしたツルに足を取られ、見事に転ぶ。年と共に身のこなしが悪くなり、受け身をしたつもりが、臀部を強打。素早く周りを見回し、人の気配がないことを確認してから土の上にじっとうずくまる。あまりの痛さに、藤の美しさは頭から消え去る。
5月に入り高温の日が続く。鍬をふるう額に汗がにじみ、それがやがて筋となり頬を伝う。整地した畑に夏作の野菜の苗を定植する。日中、水分は十分あるか、暑くはないか、夜間は寒くはないか、と赤子を育てる母親のように苗に気を配る。ナス、パプリカの畑は日に何度も見回り、少々過保護気味。反対に少々雑に育てているのがスイートコーンの苗、播種直後はビニールトンネルの中の温度管理に気を遣い、20cmまで大切に育苗する。大きく育った苗を30cm間隔で植え付け、定植後は、育苗期とは違って水をやることもなく、お天とう様任せで少々スパルタ式で育ててゆく。定植してから2週間が経った頃、見回りに行く。苗は2倍くらいの大きさに育ち、太く力強い茎は大地に深く根を下ろす。親は無くとも子は育つ。コーン栽培について少々紹介させていただく。
3月中旬、128穴のトレイに播種をし、温度を上げたビニールトンネルの中に並べる。圃場へは大飯喰らいのコーンのために、これでもかとばかりに完熟堆肥を入れて耕し、約一ヶ月そっと寝かせ、土となじませる。その後、細かく耕し、120cmの畝を上げ、雑草を抑え地温を上げるため黒マルチを張り定植を待つ。マルチに30cm間隔で穴を開け、4月中旬から下旬、定植を行う。定植時は小さくか細い苗だが、一旦根付くとコーンほど成長の早い植物は他に類を見ない。近年では、近代科学特有の間違った世界観で、この成長の早い細胞を他に利用できないかと遺伝子組み換えなどの研究がされているようである。
朝夕の気温が低い4月中旬、遅霜を気にかけながら日々コーンの成長を見守る。4月下旬、気温は上がり、それに伴い地温も上昇し、天からのお湿りもあり成長が進む。この時期、瑞々しく軟らかいコーンの穂先をついばむスズメから身を守るため、コーン畑に防虫ネットを張り巡らせる。まず四方を張り、最後に天井を張る。追肥は糖度を上げるため油かすを使用、一年倉庫で寝かせ、質を向上させた油かすを株間に入れる。その合間に、茎と黒マルチの隙間から頭を持ち上げる夏草を抜き取る。スイートコーンは一昔前のトウモロコシとは違い、デンプン質は少なく、水分と甘味、そして柔らかさを求めて品種改良されているため、生命力は弱くなり病害虫にも弱くなっている。播種時に地温が低ければ、土中の雑菌に冒され、発芽せず腐ってしまう。発芽後、湿度や水分のストレスを受けると成長せず、小さいままで出穂し、大きな実にはならない。順調に育ってゆくと、茎と葉の間から小さな実が顔を出し、たくさんの絹子(ひげ)が出る。この絹子は実の一粒ずつから出ており、最上部から飛散した花粉をこれがパイプラインとなって結実へと導く。しかし、その後も困難が待ち受ける。全国のスイートコーン栽培農家を苦しめるアワノメイガという小さな蛾がコーンに産卵し、その幼虫が茎や実に入り食害を繰り返す。このため、一般栽培では3、4回位の殺虫剤の散布、または定植時に土中に粒状の農薬を混ぜ込み、コーンの根から吸収させる等の方法が主流である。スイートコーンが進化すればするほど農薬の使用は増える。日々、スイートコーンの無農薬栽培で害虫と格闘している農場である。かつては主食であったコーンも今はデザート感覚で食する事が出来る。畑で、収穫したばかりの生のコーンをかじってみると口いっぱいに強い甘味が広がる。コーンの茹で時間は3、4分。それ以上茹でると甘味が茹で汁に出てしまうのでご注意を。暑い夏の夕方、塩を効かせたコーンとキリッと冷えた麦汁は至福のひと時である。
コーン畑から北に1cm離れた所にパプリカを定植した畑がある。我が家のリビングの一等席を占領していた苗も畑に定植となった。まず一本一本ポットに植え替え、出来るだけ大きく育てる。夜間の温度に気を遣い、ビニールで二重のトンネルを作り、帰り際には不織布を掛ける。その日は夕方からグッと気温が下がった。北からの寒気が南下し、夜空は、一面に宝石をちりばめたように星空が輝く。冷気は二重のビニールと不織布を通し、パプリカを襲った。苗は倒れ、葉や茎は半透明となり、時間と共に真っ黒に変わっていった。約200株の苗は全滅し、「心が折れる」。成長が遅れたビリ苗に目がゆく。本来なら淘汰される苗である。今まで軽視していたが、一転、箱入り娘状態となる。「淘汰されるのが分かっていながらどうしてもっと早く芽を出さない、となじっていたのは誰だった?」と娘から冷ややかな目で見られる。我が家の駄犬もばかばかしいのか大きなあくびをする。日々手を合わせ、大器晩成とおだてながら最善を尽くして管理に力を入れる。その甲斐あってか5月中旬、ビリ苗たちは成長し、無事畑に定植の運びとなった。収穫は少し遅れるが順調に育っている。
4月中旬、いつものように事務所に出勤すると職員が集まって何かを見ている。覗いてみると、そこには大きなフクロウがうずくまっている。フクロウは弱っているようで、すぐ友人の獣医師に連絡をとり、保護の方法を聞く。「野鳥のほとんどは保護した後はあまり良い結果が出ないので、出来れば自然に帰してあげる事がベスト」という答えが返って来た。そうなると行き先は農場の森しかない。勇気を出し、そっとコンテナに入れ、農場に連れてゆく。フクロウは夜行性でおとなしくはあるが、そのおとなしさが却って不気味でもある。農場の森の中にそっと放す。しかし飛び立つことはなく、じっとうずくまり、大きな目だけがパチクリ動く。そっと頭を撫で、そのままにして帰路に着く。頭の中はフクロウでいっぱいになりながら自宅に着く。ドアを開け、家人の顔を見るなり話が始まった。小さな川も大河となる私の話を、家人はうまく調節しながら聞く。大いに盛り上がった話は、一晩絶えることなく家中に響き渡る。自室に戻り、パソコンでフクロウを検索すると、フクロウはフクロウ目、フクロウ科、夜行性で「森の物知り博士」「森の哲学者」と人に親しまれ、民話や童話にもしばしば登場し、幸せを運ぶとも言われている。翌朝農場に行くと、フクロウは動くことなく、同じ場所でうずくまっていた。そっと手を伸ばし頭を撫でる。最初は怖々であった行動は徐々に大胆になる。猛禽類の足は太く、爪は鋭く尖る。試しにフクロウの胸に手を当ててみると、素直に私の腕に止まった。天にも舞う気分で、すでに私はハリー・ポッターになっている。腕を前に高く上げるとフクロウは力強く私の腕に爪を立てる。薄暗い森の中で幸せな空間となる。10秒15秒と時は早く流れた。その時、グッと身体を屈めると同時に一メートルもあろう大きな羽根を広げ、音を立てずにスッと飛び立ち、森の奥へと消えた。今までに味わった事のない感動、フクロウの無事を祈り農作業に就く。いつの日かフクロウ便が幸せの手紙を届けてくれる事を願い、少年の頃の心に戻ったこの春の珍事であった。

 

 

心は少年、お腹はメタボの農場より