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慈光通信 第168号

2010.8.1

食物と健康と農法 7

 

前理事長・医師 梁瀬義亮

【この原稿は、昭和53年(1978年)4月15日 くらしの研究会主催 寝屋川市で行われた梁瀬義亮前理事長の講演録です。】

 

 

農法
工学的発想の学問の悲劇

 

 

このような中で、今農民は苦しみぬいています。病気でないものは無いくらいです。筑波大学の研究でも農村の人は都会よりも5年年をとるのが早く、体力も落ちているということがわかっています。この悪循環の中で農民は苦しみ抜きながら、それから抜けきれず同じことをやっているわけです。
農薬によって農民が、残留農薬によって消費者が害を受けるわけです。農民は害を受けますと、農業に対する喜びがなくなりますから、簡単に簡単にと益々化学肥料に頼るという悪循環もあります。
また病弱な作物というのは酵素やビタミン、ミネラルが欠乏していますから栄養が少ない、だからまずい、香りがない、だから健康にも悪いというわけです。このようにいろいろな悪循環があるわけです。
このような近代農法が化学肥料を使いますと、土を殺し、益虫を殺し、抵抗性害虫を作って人を殺していくわけです。この恐ろしい近代農法の中に今皆が巻き込まれているわけです。
幸いなことに恐ろしい農業、ホリドール、エンドリン、EPL、ヒサンエン、水銀剤などは禁止になりました。しかし禁止になった時、しみじみ思ったことは、私達が昭和34年に国会に陳情した時は、大丈夫だと学者も為政者も云っていながら、昭和42年に禁止になったのです。大丈夫といっていながら今度は危ないから禁止、使ったら罰する、とこんな勝手なことがあるでしょうか。この間に死んだ農民はどうなるのでしょうか。大丈夫だということはあてにならないのです。今は低毒性農薬しか使っていませんが、これも決して無害ではない。臨床的に見てみると大丈夫ではないのです。だからこれもまた禁止になる時がやってくるのです。そこに農民の悲しさを感じるのです。
食品添加物も洗剤も大丈夫と云っていますが、このように非常に無責任な社会、政策です。これは誰が悪いかわ
からないのです。云って行くところがないのです。いわゆる工学的発想の学問の悲劇だと思うのです。

 

 

農薬の慢性中毒の症状

皆さんも多少に拘わらず農薬の害を受けています。農薬の慢性中毒の症状を申してみます。
◇後頭部からうなじにかけて、こって仕方がない。
◇頭がカラ廻りする。発想が次々浮かんでくるが実行する気力がなくなる。
◇夜寝つきが悪くなったり、朝早く目が覚めたり、夜中に目が覚めて次々発想に悩まされる。
◇生きている楽しみがなく、もの悲しい感じになり、記憶力が悪くなる。
◇自殺しようかという気分になってくる。
◇胸がつまってきて溜息をつかなくてはならなくなる。
◇目がショボショボしたり、急に近眼になったりする。
◇目まいがしたり、乗り物に急に弱くなったりする(平衡神経がやられる)
◇胃腸の調子が悪く、お酒に悪酔いするようになる。
◇訳のわからない下痢や便秘になる。
◇生理異常になる。
◇貧血が起こり手足が冷える。
◇口のまわりに吹き出物ができる。
◇色素沈着が起こり、口のまわりや頬にシミができる。
◇副腎皮質がやられるので、リュウマチが起こる。(農村の関節リュウマチは非常に多い)
このような症状のある人は気を付けてください。

 

 

危険なものと比較的安全なもの
◇青いもの(ホウレン草、菊菜、水菜など)は農薬を使う量が少ない。
◇レタスはとても多く使われるのであまり食べない方がいい。
◇白菜、キャベツは12月半ばから4月半ばまでは良いですが、それ以外はあまり食べない方がよろしい。食べる時は外側をむいて食べるとよい。
◇夏の葱はものすごく農薬を使います。
◇玉ねぎ、じゃが芋、南瓜は比較的少ない。
◇季節外れのイチゴ、キュウリなどは出来るだけ避けた方がよい。
促成栽培が盛んですが、これは生命を無視したことです。
◇果物類は殆ど安全なものはありません。栄養価値もそう高くないのですから、あまりたくさん食べない方がよいです。保健所は果物というが、農薬の問題は入っていないのです。食べる時はりんごなどは皮を厚くむいて食べるようにして下さい。無農薬の果物も最近作られるようになっています。
◇お茶は大変危険です。非常に多量の農薬を使っています。これは皮をむくわけでも洗うわけでもないですし、最初に洗う時が我々がお茶を入れる時ですから。
麦茶、自分の家で玄米を炒った玄米茶、ハブ茶など利用するようにして下さい。
これも無農薬のものが今できていますので手に入ります。
◇三つ葉やフキ、土の下の根菜類はまず大丈夫です。
◇海藻、大豆などもいいのです。
◇なす、きゅうり、トマトは大変たくさん農薬を使います。家庭で作るようにして下さい。なす、きゅうりは皮をむいて食べて下さい。

 

食糧生産に毒物を使うというのはおかしいでしょう。しかし今の農産物はそうなのです。中に浸透してしみ込んでしまうのです。洗っても取れないのです。しかもそれを使っているのは毒物の知識は何もない人なのです。時には「こんなものを街の人が食べてどうもないなあ」と云っています。マリックスとかランネートというような農薬は猛毒です。今でも自由に買えるのです。このような状態ですから、気をつけて今申したような物を食べるようにして下さい。
そして出来るだけ土地のある人は、家庭菜園をやって下さい。箱でもいいですし、是非やって下さい。
今まで申したことを私は死の農法と名付けています。土を殺し、益虫を殺し、そして人を殺す、こういう農法を人間が行っている。しかも日本は世界平均の六?七倍農薬を使っている現状です。世界で一番農薬を使うのは日本です。次がイタリア、その他の国はずっと少なくなっています。
先に申しましたような農薬による症状のある人でも、特別の手当をしないでも気をつけていれば良くなってきます。少々のものが入っても我々は処理する能力は持っていますから、気をつけていただければ大丈夫です。
食べ物の事を申し上げましたが、人間が食べ物でできていると思って食べ物だけに執着してはいけないのです。あくまで食べ物は私達の生命が、この世に発源する一つのファクターでありまして、これは巾を持っているということを知って下さい。あまり神経質になってはいけないのです。くれぐれも注意してください。
健康法は良いのですが、あまりそれにとらわれないで余裕を持って下さい。大体の傾向として知っていればいいのです。
(以下、次号に続く)

 

 

改めて感謝
協力農家 西尾 みち

 

 

八十路まで生かされました私は今更のように、ずい分大勢のお方にお世話になりましたことしみじみ感謝致しております。
とりわけ梁瀬先生からお受けした偉大な恩を思うと胸がいっぱいになります。
農家の長男の嫁としてとつぎきたのが五十八年前。鍬の使い方も鎌の持ち方もわからぬまま夫の後についての野良仕事。農薬と化学肥料の農業は苦そのものでした。稲作の失敗でウンカの害に悲鳴をあげたり、野菜も満足に出来ない日々。こんな時、病気で御厄介になった梁瀬先生から無農薬有機農法へのお導きを受け、間違っていた農法を改めさせて頂きました。以来健康で楽しく働かせていただき、農業のすばらしさを体得させていただきました。
その上、五條仏教会へのお誘いを受けて、月一回お聞きした御法話。くり返しくり返し承った真の仏法。現在老化で日々おとろえゆく心身を豊かに支えて下さっています。仏縁をいただけなかったら、罪の多い私はどんな老後になっていただろうかと思えばぞっとします。朝な夕なに仏前で懺悔の日々です。
近頃は耳の難聴もどんどん進み、テープの先生のお声が聞きとりにくくなりました。そんな折、知り合いの方から梁瀬先生の仏教会の御法話をテープ起こしの上、立派に製本されたものを頂戴いたしました。何よりの救いとありがたく嬉しく毎日机の上でくり返し拝読しております。わずか数時間の限られた時間内の御講話の内容がこんなにも広大なことに改めておどろきます。そして何度くり返し拝読してもその都度初めておききするような感動を覚えます。いかに人間・・・いいえ私の脳が忘れやすいのか。この老いて衰えた今日の日のために何十年、何百回も仏法をお説き下さったのだと思えばありがたさに涙が溢れます。五條の地でこんな偉大な菩薩さまにお導きいただけました不思議冥利につきると思います。先生がハッキリと示し下さいました道を、一途に仏縁にお縋りして仰ぎ、信じて行じさせていただき、日々を努力いたします。
又、将来の市民生活を案じられて健康食品販売所を設立いただき、安全でおいしい食べ物を御提供いただけますこと、とてもありがたく存じます。理事長様始め販売所の方々の尊い御奉仕に心より感謝申し上げます。
慈光会のいよいよのご発展をお祈り申し上げてペンをおかせていただきます。
ありがとうございます。
合掌

 

 

農場便り 8月

 

熱波が日本を包み込み、猛烈に暑い日が続く。農場便りの締め切りが近付くも、暑さゆえ、何をお伝えしようか、と構想すら湧いてこない。それどころか机に向かう気にもなれず、それを係りの者に伝えると、「春は頭がボーッとし、夏は猛暑にクラクラ、秋は食欲が邪魔をし、冬は寒波が気力を凍らせる、毎回大変ですね」と軽くあしらわれ、「2?3日中にお願いします」と一言。暑い午後、背筋に冷たいものが走る。酷暑となったこの夏、和泉山脈から金剛山麓は深い緑に覆われた。空はどこまでも青く、山並みの頂に生命が宿っているかのように入道雲が高く大きく成長してゆく様子にしばし目を奪われる。
ラジオから暑さに輪をかけるように甲子園での高校野球の実況中継が流れる。熱波の中、球児たちは白球を追う。午後三時を過ぎても熱波は去ることなく、畑の作物は一時も早く水を、と畑の中で叫ぶ。熱波が皮膚を包み込み、身体の中に鉛を打ち込まれたように身体を重くし、農作業ははかどることなく、口から出るのは「フゥー」という溜息ばかり。額からは止めどなく流れる汗、大きな頭を守る麦わら帽子も汗でびっしょりとなっている。一日に二回見回るきゅうりの収穫も腰が重くテンションが上がらない。お天道様が西の空に傾く頃、やっと重い腰を持ち上げきゅうりの収穫が始まる。吹く風も少しではあるが涼しく感じられるようになった。肌に触れると痒く感じるガサガサの葉をかき分け、一本一本丁寧にもぎ取ってゆく。今年もきゅうりは順調に育ち、たくさんの実をつけている。少し早く栽培していた茄子とズッキーニは先日の異常な雨量で調子を崩した。茄子は何とか持ちこたえたが、見事に大きく育っていたズッキーニは見るも無残な姿となった。すぐに播き直しを、と種子を探したが既に完売、残念ながら来シーズンまでお預けとなってしまった。年に一度の栽培、失敗例は来年まで生かすことは出来ないが、時に成功例よりも貴重なものとなることがある。
7月下旬、夜、日中の農作業の疲れを押し、協力農家、販売関係者が一堂に会し、秋冬作の打ち合わせ及び計画を立てる。それと同時に前年度の栽培についても話し合った。ここ何年かの異常気象等により、年々栽培し難くなってきたというというのは全員の意見である。
7月下旬より苗作りが始まる。128穴パレットに一粒ずつ、カリフラワー、ブロッコリー、キャベツの種を落として行く。収穫時期をずらす為に播き時期、品種を変え、日よけの下で育てて行く。7月中旬に播いた種の殆どが猛暑に叩きつぶされてしまった。その後播種し双葉から本葉へと成長した苗は、暑さに耐え、現在育っている。播種作業を行う倉庫内も38度と高温になり全身から汗が噴き出す。水分と共にミネラル補給も忘れず行い、冷えた純米酢を薄めたスペシャルドリンクが体内に溜まった疲れの元、乳酸を分解し、同時にのどの渇きをも潤してくれる。播種した種は3日で芽を出し、一ヶ月足らずで畑に植え替えられ、今までにない強力な光と熱を浴びることになる。熱い時期の定植は毎日の灌水の甲斐もなく、何割かの苗が枯死することになる。生き残った苗に夢を託し、涼しくなる9月中下旬まで暑さと乾燥と雑草から作物を守っていく。日中の日射しを浴びてもバテることなくお日様に向かって伸びて行くきゅうり、以前にも簡単に書かせていただいたが、今回はもう少し詳しく説明させていただく。
当園では、盛夏から秋にかけて収穫するきゅうりの栽培を行っている。6月より育苗し、2mの広い畝に2条50?間隔で植え付ける。育苗中に本田に大量の堆肥を入れ、何度も耕運し土を作る。6月24日定植、すぐにネットを張り、専用の道具できゅうりのつるをネットに止めて行く。本葉から4?5節までに出た側枝はすべて摘み取り、一番果も摘み取ってしまう。一か月もすれば私の背を越し、下段より光沢のある深い緑の実を沢山付ける。一日2回収穫し、古葉は切り捨てて行く。側枝は雌花、仮葉を1枚残し生長点を摘芯する。追肥には油粕を施し、肥料切れから作物を守る。2?3日に一度たっぷり水を与え、乾燥から守り、土中の肥効を高め、出来るだけ長期に亘り収穫を行う。バラエティに富んだ料理で食していただき、夏野菜を堪能していただきたい。
夕刻、本日の収穫を無事に終え、枯れた大地にもたっぷりの水分を与えた。夕方の涼しさも手伝い、作物は一気に葉を持ち上げる。日中元気に鳴いていたバッタも鳴き止み、代わってヒグラシの羽音が静けさを引き立たせる。
8月6日の広島平和祈念日、8月9日の長崎原爆の日、一瞬にして何十万もの罪のない人々の命が奪われた日である。毎年、その時間がくると農作業の手を止め黙祷する。
我が国に人類初の核爆弾の投下を決定し、当時最高と云われた学者たちが競って、より殺傷能力や破壊力の強い2種類の異なる核弾頭を開発し、その結果、あのような悲劇が起こった。人は時にいかなる事実をも正当化し、己の非を認めようとしない。まさに悪魔の使者であり、20世紀最悪の贈り物であろう。20代の頃、旅の途中ふらりと寄った広島原爆記念館で初めて目にした数々の悲惨な情景や人の姿、世界で唯一の被爆国である我が国が核の恐ろしさを伝え、平和を唱えなくてはならない。
経済中心の豊かな国より、平和で心温かい豊かな国へと思いは募る。豊かな農地から豊かな作物をいただき、民が飢えることなく、平和で健康な人生を全うできる国へと願う。
「夏は暑くて当たり前、この暑さが瑞穂の国、素晴らしい日本を作る・・・」とは両親がよく口にしていた言葉である。しかしながらこんな猛暑になるとは思ってもいなかったであろう。心地良い秋風、に思いを馳せ、厳しい夏の農作業に励む。見上げた空はどこまでも青く澄み渡る。

 

 

天を仰ぎ雨雲を呼ぶ農場より