慈光通信 第161号
2009.6.1
生命を守る正しい農法の追求 12
前理事長・医師 梁瀬義亮
【この原稿は、昭和47年8月20日 財団法人協同組合経営研究所主催 第2回夏期大学における梁瀬義亮前理事長の講演録です。】
虫と共存できる農法を考える
とはいえ私は、農薬をやめろといっているのではないんです。農薬のいらない農法をやろうではないか、ということを提唱しているわけでして、自然の法則にしたがった農法、これを健康農法、そして自然農法と名付けているものなのです。
農薬はなぜいるかというと、結局、化学肥料をまいて作った畑は、土が弱って出来てくる作物も弱い。害虫が繁殖するような生態系を構成するわけです。害虫がうんと増えるような栽培方法をやっておいて、害虫が出たからといって、農薬で殺そうというわけです。
私たちの提唱する自然農法というのは、それをやると人間が非常に栄えて、害虫は5%ぐらいのところでとまっているという、一つの生態系を作るような農法であるわけです。これを石垣に例えたらよいと思います。石垣がありまして、人間もその石垣を構成する一つの石ころ、害虫もその一つの石ころだとします。そうしますと、化学肥料で作った畑というものは、ちょうど人間が害虫に取り囲まれているような石垣の積み方なんです。だからこれではいやだといって、害虫を引き抜いて捨ててしまう。石を引き抜いて捨ててしまうと石垣は崩れます。農薬でこれを絶滅してしまおうということは、結局、石垣はがたがた崩れて、人間の存在は許されなくなるわけです。
もし、この害虫がいやだったら、人間の石と害虫の石との間に、益虫の石といういい石をもってくるような積み方をすれば、人間は、害虫に悩まされなくて済みます。こういう積み方はべつに苦労しなくても、自然が教えてくれるあの法則を守っていたら、自然とできてくるのです。だいたい5%ぐらいの虫害を、はじめから覚悟いたします。そうすると実に楽しい健康な農業ができるわけです。とくに気候のうんと悪い状態では10%ぐらいです。
そうしますと、経済的に決して不利ではありません。そしてそれにともなうところの医者通いとか家庭不和とか、いろんな問題がなくなるわけです。
化学肥料を使うこと自体は、堆肥を作ることを思えば、簡単で楽かもしれません。しかしそれに伴って農薬を散布しなければならない。農薬散布をすれば、医者にかからなければならない。いろんな問題がおこってくるんです。
神経をやられますから、不愉快で、けんかもしなければならない。いろんな事件がおこる。神経をやられますから交通事故を起こす可能性も多いんです。交通事故をおこせば、賠償もしなければならない。
結局、不利なんです。もっと楽しい健康で愉快な農村を作ったならば、必ず総括的には経済的に豊かになるということを、私は確信しているわけなんです。
財団法人慈光会のめざすもの
現在私たちは、慈光会という財団法人を設立いたしまして、いまは協力農家の農作物を、みなさんにお分けしています。大変な人気で、週3回売るんですが、1時間の間に、みな売り切れてしまうんです。公益団体ですから、決して値段は高くいたしませんし、非常においしい、安心だというので、大変な人気でもって、品不足で困っております。
現在500aの山地を拓き、そこで果樹、そ菜をやる計画です。ここへ300軒の会員宅のごみを、みなさん協力して、かん・ビニール・ナイロンなどは全部別にするように協力して、ポリバケツに腐るものばかり入れるようにして、それを自動車で集めて、堆肥にする。
ほんとは便所の肥も全部無菌にして使いたいんですけど、それを使うと誤解を招きますので、やっていません。現在私の町では、牛飼いの公害で困っておりますので、そのふんをもらってきて、全部堆肥にしています。それで立派な農場を経営して、このとおりできるんだということを、見ていただく。味わっていただく。
そうして、それが成功したら、五條市全体に、五條市民の塵芥を全部堆肥にして入れることにしたい。これを市長と話し合っているわけです。これが成功しますと、この例を全国の方に提唱してみたい。
私の提案するのは、大都会の塵芥し尿を、国民がみんなで協力して、全部選別するようにする。そしてできた塵芥し尿を、国家事業にして、現在の工業力とバクテリアの知識を利用すれば、簡単にできますから、堆肥にして、これを農村保護の意味で安く、あるいは無料で農民に分けてやる。農民はそれをどんどん田畑へ入れていくのが仕事だというふうにするのが日本の生きる道であると存ずるのです。
その第一の実例を、私はこのちっぽけな会で実施しようと、いま会員で5ヘクタールの土地を拓いているわけです。
たしかに、健康を得ようと思ったら、農業を改革しなければならない。土から出たものを土にして土に返すこと以外に、健康農法の要素としましては、当然のことながら、太陽、空気、水を考え、また輪作、混植を大いに考えなければいけないと思う。自然状態では、単作ということはないです。柿の木なら柿の木ばかりでなく、柿と共生するいろんなものがまじって生えており、それ故に健康なんです。
これは私、ふとしたことから気がついたんですが、私の地方は柿の名所ですが、柿畑を作ると、玄人でも病害虫が発生する。ところが一本一本生えている柿は、素人の庭先でもたくさん実がなるんです。これで分かりますように、同じものを、同じところにたくさん植えることは、同じ排泄物を出し、同じ養分を摂り合いますから、非常に不利になるわけです。だから混植をやるわけです。いろんな種類のものを混植する。また、その中には、果樹じゃなくて土を肥やす植物、例えば、はんの木とかといったものを混ぜてやる。
例えば、ぶどうの台にするのに、丸太を切ってやる代わりに、はんの木を植え、それをまん中から切って台にしたっていいのです。土も肥えるし、台にもなるわけです。こんなことを考えております。これは現在実現できておりませんが、着々やっております。
そんなわけで、われわれが生き延びるためには、またやむを得ぬ公害を防ぐためにも、どうしてもわれわれは農業を革命的に変えていかなければならないということを、提唱するのです。
【編注:文中に記載されている店舗の営業形態や提唱している内容は、昭和47年当時のものであり、現在と異なります。】
“自然の中での人間”であること
最後に、いまの公害の問題、あるいは農薬公害にしろ、工場公害にしろ、もっとも根本的に、われわれの考え方を改めなければと感じるのです。第一は、われわれは、自然は生きているということを、自然を殺してみて初めてわかったのですから、だから自然が生きているんだということを、そして自然の生命と人間の生命に密接なつながりのあることを、もう一度謙虚に見直してみる必要がある。また人間対自然と今までは考えていましたが、そうではなくて、”自然の中の人間”であるという事実を考えなければいけない。自然は単なる物質である、と思ったから、これを破壊し、奪って、人間は得をしようと思ったけれど、そうでなくて、自然の中の人間である以上、自然は我々を養ってくれる母なんだという考え方を、その事実を忘れてはいけないと思うんです。
昔の老人は、「今年は1反から4石もろうたわい」「おれの所は2石しかようもらわなんだ」という話をしましたよ。ところが、今の人は「4石とったぞ」「2石しかとらなかった」という。”もらった”という表現と、”とった”という表現の差があるんですね。80歳ぐらいの老人は、みな”もろうた”といいます。これは日本人の自然観が、おのずと変わってきたことを物語っていると思うんです。この変化が公害と結びついていることを、非常に感ずるのです。
だからわれわれは、自然をもっと尊重しなければいけない。そして人間が生きることによっておこってくる自然破壊は、自然のもっている復元力の範囲内でなければいけない。自然の復元力をこえたような自然破壊をやると、必ず自らの墓穴を掘ることになるということを、もう1回振り返らなければならないと思うのです。
もう一つ、農薬問題で大事なことは、自分と他人との関係を、断絶をもって考えることです。自分は他人と共に密接な関係においてのみ生きているんだ。他人だけでない。自然もそうですが、こういったわれわれの先祖が考えていた、『自他不二』の思想、自分と自分でないものが不二である、断絶していないんだという一つの信仰のもとに動いている。ここに大きな公害の原因もあると考えられるのでございます。
アメリカの公害学者は、こういうことを言っています。公害は科学では解決できない。宗教の次元においてのみ解決すると。こういうことを申しましたのは、結局人間が、やはり自他不二と申しますか、慈悲の精神を持っていなくては生きていけないんだということを、こう言ったのだと思います。これは日本でも放映されましたが、非常に味わうべき言葉だと思います。 【完】
青汁の事(1977年 芝(し)蘭(らん))
遠藤仁郎(倉敷中央病院院長)
融通(ゆうずう)無碍食(むげしょく)
なお緑葉食・青汁、イモ・マメ・ナッパ・青汁食とはいっても、けっして、それ以外には何も食べてはならぬ、という窮屈なことを主張するつもりは毛頭ない。
要は、できるだけ安全かつ完全な食にしようということであり、これに徹して、ナッパ・青汁に十分の余裕を持たしておくと、安全性と分量にさえ気をつければ、何(肉・魚・卵・米飯・パン・菓子・酒などにしても)を食べて差し支えないわけだから、食事はむしろ反対に、ずっと自由になる。(融通無碍食)
安全食品の供給
そこで、すべての食品が良質・安全でありたいが、農作物は上記の自然(健康)農法によればよく、その健康作物を飼料にすれば、良質安全な健康畜産物も、また、それら健康農・畜産物を原料とする良質・安全な加工食品の供給もけっして不可能ではない。
もっとも、現時点においては、いずれも小規模の自家用、ないし、せいぜい同好グループの需要を満たす程度に限られている。
したがって、根本的には、行政や生産者の姿勢が健康優先にきりかえられないかぎり、いかんともなしがたいのが、遺憾ながらわが国の現実のようだ。
日常生活の合理化・自然化
なお、この食の合理化・自然化とともに、適度の運動、十分の鍛錬、ストレスの解消、喫煙・その他強烈な嗜好品・薬品・放射線の乱用をつつしむなど、日常生活諸般の合理化・自然化および環境の浄化がはかられなければ、真の健康の望み得ないこと、また、いうまでもない。(昭和52年5月)
付記 青汁の詳細については、拙著「青汁と健康」(主婦の友社版)、イモ・マメ・ナッパ食は、拙著「イモ・マメ・ナッパ・青汁」(遠藤青汁の会版)。学校給食の成績については、貝原紀夫著「こどものからだとグリーンジュース」(遠藤青汁の会版)をごらんいただきたい。(ただしいずれも通俗書であることをおことわりしておく)
[編注:現在上記の遠藤仁郎(にろう)博士の著書は絶版になっているそうです。(慈光会ライブラリーにはシリーズで蔵書してあります。ご利用下さい。)尚、ご子息遠藤治郎(じろう)医学博士が仁郎先生の著作を監修なさった「もっと緑を!」〈文芸社刊 1200円〉がこの1月に出版されました。(ISBN4-286-01521-1) 慈光会販売所でも取り扱っています。]
農場便り 6月
空木(うつぎ)が深い緑の山々のいたるところで白い花を咲かせ、甘酸っぱい香りが周りの風景を包み込む。甘い匂いに釣られ、和ミツバチや花アブが大きな羽音をたてながら、忙しく花から花へと蜜を求めて飛び回る。初夏(はつなつ)の蒸し暑さが全身を包み、薄着をしていても短時間で額に大粒の汗が流れる。
春より伸びた柿の若枝の葉の下には、小さな蕾が5?6個付く。その中の下向きで良型、将来性のある蕾を1つ残して後は残酷にもむしり取ってしまう。これは一果に養分を十分に行き渡らせるための作業であるが、ここにも人間至上主義の身勝手な発想が宿っている。気の遠くなるような数の蕾、この作業は根気との戦いでもある。夜、疲れた体をベッドに横たえ目を閉じると、昼間の蕾が目の前にチラつく。これが羊であると深い眠りへと導いてくれるのであろうが、蕾はどうもいけない。花咲くことも無く、無残にもむしり取られ地上へと落ちていった蕾の祟りであろうか。それでも負けじと、終日、三脚ばしごに上り、澄み切った大空を見上げ高所の枝に付いた蕾を摘み取る。こうして4月下旬より続いた柿の摘蕾の作業は、ようやく5月下旬に終えることが出来たが、お日様をいっぱい浴びた私の大きな顔は夏を待つことなく、真っ黒に日焼けしてしまった。
そんな作業の中、5月9日、今年初の春ぜみの声が雑木山の奥より聞こえた。春ぜみの声を聞くと頭の中で夏の到来のスイッチが入る。日増しに上がる温度と湿度は夏草の種を眠りから呼び起こす。柿の作業に手間取っている間に夏キャベツの畑は土が見えないほどに雑草で覆われてしまった。「キャベツ、危うし!」と除草機と除草鍬で憎き雑草をバッサバッサとなぎ倒し、キャベツ姫を悪しき雑草軍より救い出す。あっぱれ慈光十字軍。キャベツの次に、4月に播種した冬採りゴボウに目をやる。この畑は4月下旬に一度除草したにも拘らず次々に芽を出した雑草は、私たちを恐れることなく、日々ゴボウと共に成長していく。ゴボウの除草は条間だけ除草機を入れ、後は屈んでの手取り除草となる。前屈みの仕事は自由気ままに育った立派なお腹が少々邪魔をする。
この季節になると暑さと共に口当たりの良いみずみずしい食物を好んでいただくようになり、野菜も、煮物や炒め物よりフレッシュな生野菜を体が求めるようになる。みずみずしい野菜といえばレタスをはずすことは出来ない。レタスには色々な種類があり、今回紹介させていただくサンチュ(韓国名)は現在需要が著しく伸びたレタスの仲間の一つであり、カッティングレタス(カキチシャ)、リーフレタスの仲間に分類される。
サンチュはβカロチン、ビタミンC・E、カリウム、鉄、食物繊維などが豊富で、切り口から出る乳液は鎮静、催眠作用があるとされる。原産地は地中海・中近東・中央アジアなど諸説があり、中国には7世紀、日本には奈良時代に入ってきた。和名を『チシャ(乳草)』、または『包(つつみ)菜(な)』という。韓国では肉類などと共に大量の野菜を摂取するが、近年日本でも焼肉の際はお肉をサンチュに包んで食べることが多くなった。他にはサラダや、素朴に酢味噌をつけていただくなど、色々な食べ方がある。現在、直営農場でもサンチュは元気に育っている。
終日の除草作業も夕刻を迎え、日中の暑さで火照った体に風が心地よい。山の中の農場は四季折々の夕暮れを演出する。5月から6月にはつつ鳥が深い森の奥で、低い声で鳴く。マレー語で『森の人』と呼ばれるオランウータンの鳴き声に良く似ており、夕暮れの山々に響き渡るその音がまた、山を神秘的な空間へと導いてくれる。
一日の仕事を終え、農場を後にし、山を下りる。道中の棚田はまもなく行われる田植えに備え水が張られ、その水面は水鏡となって初夏の夕暮れを美しく映し出す。この美しい和の世界は、不変を願う情景である。
まだ見ぬつつ鳥に魅せられた農場より