慈光通信 第229号
2020.10.1
食物と健康 10
前理事長・医師 梁瀬義亮
【この原稿は、1991年1月 日本有機農業研究会発行の「梁瀬義亮特集」に掲載されたものです。】
3、食物と健康
農法の違いによる栄養価その他の差
つぎに、また一つ気づいたことがあるのです。農法による農作物の栄養価・味・腐り方等の差ということです。
ともかく私は、以上のような結論にのっとって、患者さん方に、「野菜を食べましょう。医薬品のお世話にならないように健康な体をつくりましょう」と、一生懸命にすすめてきたわけなのです。ところがふとした機会に、私は、完熟した堆肥で作った農作物と、化学肥料(たとえ微量要素を完全に配合したものでも)で作ったそれとの間には、非常な差があることに気づいたのです。
だから、野菜を食べろといっても、それは一概に言えないのであって、栽培方法によって、野菜そのものの種類がちがうのです。たとえば、キャベツの中にビタミンCが何ミリある、何々が何ミリ入っている、といっても、実はナンセンスであって、このキャベツが、いかなる方法で栽培されたか、ということによって、それ等はずい分違って来るのです。
これはまず味が違う。完熟堆肥で作った農作物は非常に味がいい。それに対して、化学肥料で作ったものは、野菜は味がわるい。それから持ちが違う。化学肥料で作った野菜、特に窒素過多で作ったものは、実に早く腐ってしまう。あるいは花ですと、切っておきますとすぐにしぼんでしまう。完熟した堆肥で作った野菜は腐りにくく、花もしおれにくく長もちする。これは驚くべき差でありまして、おそらく倍ぐらいは違います。
それから、加工するときに違いがでる。化学肥料で作った米は精白するときに、まことに崩れやすい。この差は、米で酒を造るときに一番はっきりみられます。酒米はうんと搗きます。削って削って精白しぬくのですが、その時に化学肥料で作った米は、崩れてくず米になってしまうのです。ところが堆肥で作った米は、いかに小さく削っても、そのままの形で健全である。だから伊丹の本当の好い酒は、わざわざ堆肥で作らせた米を今でも使っているのです。これは専門の方から聞いていま
す。化学肥料で作った米では、あのいい酒の味が出てこない。コクが出てこないのです。
それから、これはある立派な分析科学者の言によって知ったのですが、我々が、コクがあるとか、おいしいとか、腐りにくいということが、これはビタミンとかあるいは鉱物質とか酵素とかいうものの量の差であることが、分析証明できる。たとえば、トマトのビタミンCは、化肥によって作ったものは、堆肥で作ったものの半分位しかない。あるいはホウレンソウの鉄分が、化学肥料で作りますと、ずい分少ない。ある報告では三分の一位しかなかったということです。
もう一つ面白いのは家畜の好みです。化学肥料で作った牧草は家畜が好まない。これは牛が逃げ出したときに、むくむくと育っている牧草(化学肥料をやって栽培している)を食わずに、畦畔の雑草を食べに行くのです。
化学肥料、特に戦後の硫安がさかんに喧伝されたころに、ある篤農牧畜家から聞いたのですが、「硫安でどしどし育った牧草を食べさせると、牛が下痢して仕方がない。そして食べなくなってしまう。このとき田んぼの畔草を与えると、とっても喜んで食べるのみならず、下痢も治っていく」と言いました。
こういった栽培方法による各種の大きな差が、栄養学的にみてあるわけなのです。
以下、次号に続く
食糧問題を考える
10月9日、フランスのノーベル委員会は、2020年のノーベル平和賞を飢餓の現場に食料を届ける国連世界食糧計画(通称WFP)に授与すると発表しました。飢餓を生む最大の原因は紛争であり、同時に飢餓と食料不安は時に武力抗争につながります。食料の提供は、この悪循環を抜け出し、地域の安定や平和につなげる活動であると評価され、今回の受賞となりました。
現在、世界では全人口の9人に1人にあたる8億2100万人の人が飢えや栄養不良で苦しんでいます。一日に4?5万人が飢餓によって亡くなり、そしてその7割以上が子供です。さらに今年は中東やアフリカの国々では、長引く紛争に加え、コロナ禍によって物資の輸送が妨げられるなど、飢餓の危機に直面する人が急増しています。
食料がいつでも十分に手に入るのは、世界のおよそ2割に過ぎません。世界では全人口が必要とする2倍の量の穀物が生産されていますが、穀物は人間が食べるためだけでなく、家畜の飼料としても使われます。牛肉1?に対して使われる穀物は11?、豚肉1?では7?、鶏肉1?で4?です。このような家畜用穀物を含めると、肉食の多い世界の2割の先進国だけで全穀物の半分以上を消費している計算になります。
ただし、飢餓の原因は穀物が十分に作られていないからではありません。開発途上国においては、例え多くの農作物が収穫できたとしても、適切に保管することができない、食糧を加工するための技術が十分にない、食糧を運ぶ手段、運送費がないといった理由で、十分に行き渡らないのです。
2015年、国連の「持続可能な開発サミット(SDGs)」で採択された2030年までの国際目標で、貧困を撲滅し、持続可能な世界を実現するために、17の目標が設定されています。その2番目に「飢餓をゼロにすること」が定められており、優先度の高さが伺われます。
世界では年間40億トンの食料が生産され、その三分の一にあたる13億トンもの食料が廃棄されています。その中に、本来食べられるのに捨てられる食品=「食品ロス」の問題があります。食品ロスの主な原因は規格外商品の返品、売れ残り、食べ残しなどです。日本もまた例外ではありません。
日本は廃棄大国で、食糧自給率は38%と非常に低く、年間5500万トンもの食糧を輸入しているにもかかわらず、食品ロスは646万トンにもなります。これは冒頭のWFPが年間で供給する世界の食糧援助総量470万トンをはるかに上回り、1000万人分の年間食糧に匹敵します。最近では外出自粛によって外食産業、旅行産業で消費されるはずであった食品が行き場を失い、さらに増加傾向にあります。
私たちは捨て去られている安全な食料の、優れた、そして有益な利用方法を見出す必要があります。
慈光会では旬の時期に収穫が過剰になった野菜や果物、賞味期限の近づいた食品を慈善団体や施設へ寄付することで、少しでも廃棄を減らす取り組みをしています。また、冷凍で保存が可能なものは冷凍して販売したり、漬物などの加工品にしています。
ご家庭ではどのようなことができるでしょうか。日本では一人当たり一日お茶碗一杯分の食料が捨てられています。一人一人が「もったいない」を意識して、日ごろの食生活を見直しましょう。まず、無駄な買い物、食べ残しをなくすこと。過剰な肉食を控えること(家畜の飼料に多くの穀物が使用されるため)。賞味期限を正しく理解すること。「賞味期限」は「おいしく食べることができる期限」です。この期限を超えた場合でも、品質が保持されていることがあります。一方、「消費期限」は「超えた場合に食べない方がよい期限」です。このことを正しく理解し、賞味期限が過ぎてもすぐに廃棄はせずに自分で食べられるかどうかを判断することも大切です。
一人でできることは決して大きくありません。しかし、その積み重ねで世界は変えていくことができます。
農場便り 10月
9月上旬、空の様子が変わる。一か月半にわたり頭上より麦わら帽子を焦がさんばかりの強力なエネルギーを降り注いだ太陽も少々疲れ気味になり、日射しが柔らかくなった。日射しは曼珠沙華の花に咲き時を告げる。重く垂れさがる稲穂も早生米から順に刈り取られ、広大な田園は所々歯抜けの風景になってゆく。
9月中旬、朝もやが立つ初夏の早朝から始まり、約3ヶ月間続いた朝夕のきゅうりの収穫も終わりを告げ、秋冬の野菜へと変わってゆく。時を同じくして9月24日、ミンミンゼミとツクツクボウシの鳴き声が本年最後となり、草むらでは色々な虫の羽音がより大きく、澄んだ初秋の空に響きわたる。
この夏の一番心に残る出来事と言えば、老人が大きなゴミ袋を片手に持ち、道端のゴミを拾ってゆく姿を目にしたことである。エネルギーに満ち溢れる若者のボランティアとはまた違った哀愁を帯びたその後ろ姿に、感動を覚えた。老人のもう一方の手は我が身を支えるための杖を突く。その姿に日本国民の美しい血を感じた清々しい早朝であった。
時期は前後するが、7月中旬頃より農場の周りの雑木山の所々で早い紅葉が始まった。当初は暑さで弱った雑木が葉焼けを起こしたのかと思っていたが、日を追うごとに葉枯れする木の数が増えてゆく。その木を見るとクヌギやホソの木、山の中ではパイオニア的な存在の樹でとにかく強い樹である。家に帰って調べてみると、葉枯れの原因はカシノナガキクイムシという全国的に発生している虫で、その幼虫が幹の中を食害し、一抱えもある大きな木も枯らしてしまうという事である。原因はまだ解っていないが、おそらく地球環境の変化が大きく関わっていると思われる。これもまた自然を冒とくし、経済活動ばかりを最優先させた人間の所業の結果であろうか。
初夏から夏へ移り、畑の色も夏野菜から秋冬野菜へと変わる季節になった。7月に播種されたキャベツやカリフラワー、ブロッコリーの苗はネットに囲まれ、虫から身を守られている苗場から、外敵が手ぐすねを引いて待ち構える戦場へと移動し定植される。真夏の早い時期の作物は頭からネットを掛けられ、外敵から守られるが、ネットの数も限られるため、中には定植の翌日には戦い敗れ、食害されて短い命でこの世を去る苗もある。大きく苗を育てるほど食害は少ないため、できる限りしっかりした丈夫な苗を育て圃場へ植え付けてゆく。
8月25日、この夏最高に暑い時期、小松菜の種を山の農場に播種をする。いつものルーティンの堆肥、苦土石灰を入れ暑い時間帯に畑を起こす。トラクターはバテることも、私とは違って不平不満の一言も発することなく、お日様が南中する猛烈な暑さの中でひたすら畑を深く起こし、細かく美しい畑土へと変えてゆく。後には苦しい手作業が控えていることも忘れ、ルーフの下の日陰でボーッと運転する私にとってはすこぶる楽な作業でもある。機械での作業を終え、次は播種をするための畝土をきれいに整地する。トラクターの運転とは一変し、汗は滝のようにしたたり落ち、息が上がり暑さで頭はクラクラ。午前中の作業を終え、熱くなった身体に頭から水をかぶる。
日が傾き始めた頃、名器「種まきゴンベイ」が登場する。細かい粒子を2粒ずつ地上に落とし、薄く覆土をしながら鎮圧をする。手押しではあるが、当園にとってはかなり近代的な作業機の一つである。種まきを終え、畝土を点検。種が飛び出てないかをチェックした後はたっぷりの水を与え、トンネル用の骨を組み立て、1?の網目のネットをバサッとかける。長さ50mともなれば一人での作業は中々やり難いが、手抜きと道楽にかけては天才的な私、この作業も事もさっさと終わらせ、掛けたネットの裾を鍬で土をきっちりかけ、害虫の侵入を防ぐ。作業を終える頃にはカラスが巣に帰る時間となり、急いで夕方の本日2回目のきゅうりの収穫へとコマを進める。
夕焼けの空が夜空へと変わる頃、ようやく一日の農作業を終え、一目散に我が家へと車を走らせる。(時々、途中下車の日もあり…)
2日もすれば小松菜の赤ちゃんは芽を覚まし、小松菜の一生が始まる。涼しい時間帯に水やりを2日おきに行い、同じスピードで成長する雑草を除草クワで成敗する。水やりはネットの上から行うが、除草となると一度ネットを外し、隙あらば侵入しようとする害虫と戦いながら作業を進める。
播種をしてから約一か月経った9月26日、小松菜の収穫が始まった。欲を出して来年はあと半月早く播種を、と日誌に記す。すでに適期適作の原理よりも欲が上回っている。
枯れたツルが秋風にさびしく揺れる夏作のきゅうりは、今年の大暑にも敗けることなく三か月半もの間よく育った。止まるところを知らず茂ったツルは今はその面影もなく、枯れたツルがさびしく秋風に揺れる。
少し涼しくなった9月上旬、農場で作業する私の体に衝撃が走る。犯人は2匹のアブ、目にも留まらぬ早さで飛び、音もなくいつの間にか体に止まって血を吸う。蚊などとは比べ物にならない痛さで、針が入った時にはすでに遅く、頭のてっぺんに電気が走る。薄い生地ならば服の上からでも刺し、速乾性のシャツなどは絶好のターゲットとなる。アブに刺されると約半月の間かゆみが取れずイライラが募る。夏の農作業には他にも外敵がいる。主となるのは小さいアリで、知らぬ間に服の中に潜り込み、行き先がわからなくなるとパニックになり、ヒステリーを起こし、ところ構わず私の柔肌の何ケ所にもギ酸を注入、これが痛い。あの小さな体のどこにこんなエネルギーがと思うほど痛い。このアリに刺されると一か月位は痛痒さに悩まされる。あの世界の大天才・南方熊楠(ミナカタ クマクス)はアリ刺されを自ら体験しようと夏の昼、真っ裸でなんと股間にはちみつを塗って庭に寝転んだという。しかし、アリは熊楠を噛むことなく実験は失敗に終わった。やはりアリはヒステリーを起こさなければ噛まないという事である。噛んでほしければ、アリの好物のハチミツを塗るのではなく、只々いじめればよいということであろうか。熊楠先生、同じ時代に生を受けていれば、私でよろしければアリに噛まれる方法を伝授して差し上げたのに・・・。
畑へと話を戻す。7月中旬より直播きをした作物はほぼ順調に成長を続けたが、6月の長雨で楽しみにしていたネギがほぼ全滅。暑さの中播種を試みるが発芽率が悪く、9月に入ってやっと芽が出揃い、10月に苗が仕上がった。なかなか栽培し難い白菜の苗も残すところあと500株ですべて圃場に定植される。できるだけ大きな白菜になりますようにと日々念を送る。小蕪、大蕪も元気に育ち、大根も8月22日、夜間少しは涼しくなる山の農場に播種。現在は赤ちゃんの手首くらいの太さまで育った。できるだけ早く食卓へとお届けできるようにと、これも全力で念を送る。
大変な夏の作業の一つに畑の周りの草刈りがある。いやでも目に入る雑草に自らの心を奮い立たせ、草刈り機で畑の岸にはびこる雑草を刈る。草は既に長けており、当たる草刈り機の刃からカンカンと乾いた音がする。力まかせに腰と腕の力で遠心力をつけ身の丈以上の太い草をどんどん刈っていく。始動は遅いが、一度火が付くと一気に片付けてしまわねば気が済まない性格の持ち主。エンジンの音は快調に親の仇でも取るかのような勢いで草を倒していく。まさにその時、一匹のハチが近づいてきた。「やってしまった!」と頭の中で思うが早いか、次には大量の足長バチが私に向かって飛んでくる。どうやらハチの巣に当たってしまったようだ。「まずい!」と、畑に背を向けて一目散に逃げる。普段は遅い足もこの時ばかりは10秒の壁を破る勢いで土手の上を走る走る。転がるように走る。ハチはしつこく追いかけて来るがやがてあきらめ、落城した城へと戻る。次は慎重に巣があると思われる場所を避け、また草刈りに汗を流す。2時間をかけて畑の周りは美しくなりやり切った感を思い切り味わう。しかし、夏期は一ヶ月もしないうちにまた草は伸び、見て見ぬふりをする日々が続く。
秋冬作に使用する畑に大量の堆肥を散布し、作物の芽が伸びやすくなるよう土を細かく耕し、水分過多や乾燥を防ぐため20?位の溝を切り、畝を立てていく。種まきや定植は初冬まで続き、夏作で使った畑も約1?2か月の休息を終え再び最前線へと戻り多くの生命の糧を育んでくれる。
先月あれほど降った雨がぱたりと降らなくなった。にわか雨があるとの天気予報であるが、土を湿らせるような雨らしい雨はほとんどなく、動力で用水路から水をくみ上げホースを引いて作物に与える。乾いた土は真夏の土のように音を立て水を土中へと吸い込む。作物は根から体いっぱいに水分を吸い上げる。直播きして芽を出したばかりの小松菜などの葉物は乾燥に要注意である。少しの手間で発芽後の成長が著しく変わる。
まだ暑さの残る9月中旬、播種をしてから3日で発芽を始める予定でネットを掛ける日を決め、急を要する作業を先に片づける。さて、とネットを掛けに行くと既に双葉が開き、ピカピカと黒光りする甲虫類がさもおいしそうにスプラウトサラダを食しているではないか。慌ててネットを張るも時すでに遅し。食害から完全に守ることはとても難しいのが現状である。10月に入ると害虫の活動はややおとなしくなるが、有機農法の適地適作の掟を破り、時期を前倒しで作付けを行うリスクはかなり大きい。
一日の作業を終える。汗と土で汚れた作業着を着替える間もなく、きょう一日の作業を日誌に記す。またしても「農場便りの締め切り」の文字を見つけ、ほっと一息の安らぎの時間が一瞬にして現実に引き戻される。虫の音が響く山の部屋で日誌を開きながら、今月の文がなかなか思い浮かばないことにいら立ちながらもペンを走らせる。窓越しの月が文章に行き詰まり頭を抱える私を柔らかな光で励ます。何とか締め切り間際にすべり込み、編集となる。が、只々長くキレのない文に鬼編集者の嫁は容赦なくバッサバッサと駄文を切り取っていく。声も出ずカットされた部分に別れを告げる。
10月1日、東の空から上ったお月様は夜空にちりばめられた満天の星の姿を隠し、地上を明るく照らす。作業終え帰宅、目に入ったのはススキの穂とエノコロ草が生けられた花台。花の横には鬼編集者の家人の手作りのお団子が添えられる。まんまるお月様もこのお供えにさぞ喜んでいることだろう。
夕食後屋外に出る。気温は下がり澄み切った夜空はいつになく明るく、静かな夜を迎えた。柔らかな月光は地上を照らし、そして人々の心を照らし出す。「一日も早く地球に平和な日々が訪れますように」と星に願いを、いや満月に祈りを。
団子を頬張る耕人より