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慈光通信 第227号

2020.6.1

食物と健康 8

 

前理事長・医師 梁瀬義亮

【この原稿は、1991年1月 日本有機農業研究会発行の「梁瀬義亮特集」に掲載されたものです。】

 

3、食物と健康

 

現在の日本人食生活

 

しかるに現在の日本人の食生活をみますと、カロリーの量は摂りすぎるほどとっている。蛋白質も脂肪も多すぎる程にとり、含水炭素も充分にとっている。
しかしながら、白米と肉や魚とわずかな野菜と果物、これだけの内容では、鉱物質がきわめて少なくなるしビタミン類も非常に足りない。未知のXファクターも少ない。
現在の日本人のように、蛋白質、脂肪、含水炭素が多く、鉱物質とビタミン類の少ない食物、白米と肉と魚と多量の白砂糖をとっていますと、体格は大きくなるけれども、体力が弱く、病気になりやすい。血液が酸性になるからです。
それから、ミネラルやビタミンやXファクターが少ないということは、ちょうど複雑な機械のなかで、油が切れたり、あるいは部品材料に脆弱性があったりするような結果になりますので、様々な新陳代謝障害が起こってくる。
それですから日本人はおそらく全国民が疾病の罹患準備状態にある。何時でも条件さえ与えられれば病気になる。例えばバクテリアがくればバクテリアにおかされ、流感ビールスがくれば、すぐに流感になる。なんでも、すぐに病気になる状態がととのっていると考えられるわけです。

私事を申し上げて失礼ですが、私は学生当時ある事情で、極端な栄養失調状態におかれて、大きくなりそこない、戦争中はマラリアで危険な障害を起こし、昭和32年以降は、農薬で随分ひどい障害を受けて、不健康そのものです。それにもかかわらず、正しい食生活をしておりますので、毎日、随分たくさんの患者さんに出会い、マスクも
かけずに診察していますが、インフルエンザがはやってもそれにかからないし、その他の流行性疾患にもかからないでいられる。
これと反対なのが、現在の日本人の状態ではなかろうか。見かけは立派な体の人が多くなった。ところが、ビールスがくればすぐビールス病に、バクテリアが入ってくれば、すぐバクテリア病におかされ、暑さ寒さには、すぐリューマチやゼンソクになる。いわゆる疾病準備状態にあるのではないかと思います。私のような弱いものでも、食物に気をつければ病気はしないですむ。体のいい方が、正しい食物をとられれば、これはすばらしい健康を享受できるはずです。
私たちの生活に、鉱物質やビタミンが欠乏しているために、色々な障害が起こっています。カルシウムで申しますと、先年ある農水省技官がなさった研究ですが、日本人のカルシウム摂取量は、必要量の四分の一しかない。それで日本人はどうなっているか。子供といわす成年者にも骨折がきわめて多いのです。野球のボールを投げたとたんに骨が折れた。自転車が傾いたので、一寸ふんばったとたんに大腿骨が折れた、というようなことが多い。青年については、腰痛や脊椎骨の変形が非常に多い。
それからご存知の通り、歯がもろい。このごろの若い人、子供の歯はもう実にめちゃくちゃに弱い。私の信頼する友人の歯医者は、「いまの子供たちが20歳代になると、おそらく総入れ歯をする若者が相当出てくるだろう」といつも言っています。歯を削ってみると、戦争中に大きくなった人の歯は堅くてなかなかけずりにくい。ところがこのごろの子供の歯は、まるで豆腐をけずるようにやわらかい、という。
歯は我々が目で見ることができるカルシウム代謝の状態です。これが骨全体にわたり、さらにこれが体全体の抵抗力に及ぶのです。さらにこれが、精神的な内容に影響を及ぼします。昔から硬骨漢といいます。骨の硬い奴、バックボーンがしっかりしている人ということですが、やはりこれは、カルシウムが多く、骨のしっかりしている人間でないと、確固たる精神を持つことが出来ない。こういう、人間の肉体と精神のつながりが、我々の祖先の長い間の経験によって、知られていたのではないかと感じます。
実にこのカルシウム欠乏、ビタミン欠乏、その他の鉱物質の欠乏する子供は、子供のくせに大人のなりそこないのようなマセた子が出来てくる。非常に自我意識が強い、ヒステリックである。激しやすく折れやすい、衝動的である、というような子供が出来てくるわけです。
以下、次号に続く

旬を感じて
トマトは夏の野菜、大根や白菜は冬の野菜、というように野菜にはそれぞれの旬があります。しかし今は多くの野菜が1年中出回っているため、本来の旬がわからなくなっているものも多いのではないでしょうか。
『旬=食べて1番おいしい時期』または『旬=収穫量の一番多い時期』なのです。今の旬の夏野菜と言えばきゅうり、ナス、ピーマン、モロヘイヤ、ゴーヤ、ズッキーニ、トウモロコシ、みょうがなど色々あります。夏野菜には枝にぶら下がり種まで食べられるものが多いようです。
旬のものは体が求めている野菜でもあります。例えば、芽吹き野菜特有の苦みが春先の不調を和らげてくれるように、季節ごとに身体が欲するものは、ちょうどその時に旬を迎えるものから摂れるようになっています。夏野菜には水分やカリウムが豊富に含まれ、身体にこもった熱を身体の中から冷ましてくれます。トマトやきゅうりなど生で食べられるものも多いので、夏の不足しがちな栄養素を簡単に補給することができ、夏バテや熱中症を予防します。「トマトが実れば医者が青くなる」という古いギリシアのことわざがあります。これはトマトの健康効果についての言葉ですが、旬の野菜には旬の効果があるという意味も含まれているのです。

同じ野菜でも季節により栄養価が変わります。旬のものは季節外れのものに比べて栄養価がグンと高いのです。野菜には1年に一度だけの収穫のもの、1年中何度か収穫できるもの、一度に収穫して保存して使うものなど色々なものがあります。また日本の国土は縦長のため、地域によって収穫の時期がずれます。本来ならば自分たちが暮らす地域の、旬の野菜をメインに摂るのが望ましいのです。「いろいろな野菜をバランスよく食べる」といわれますが、無理に季節外れのものを色々ということではなく、夏に摂るべき栄養は夏野菜からということをおすすめします。特に季節外れの野菜を栽培するのは無理をするので農薬の使用が多くなります。
1年を通して色々な野菜が手に入るようになった今、旬のものを旬の時期に食べることで野菜がその時の身体に必要な栄養素を教えてくれます。身体にも優しい旬の野菜をたくさん食べて、いつもの食卓を豊かにしませんか。

 

農場便り 6月

5月の爽やかな風が「ズン」と重苦しい風へと変わる。太平洋沖の梅雨前線が動くたび、南や北から吹く強風は、木の枝が風を切る音と共に山肌をかけ上る。木々は大きく揺れ、濃緑色の山全体が大きく鼓動しているかのように見える。
4月から本格的にスタートした農作業にあれこれと目まぐるしい日々を送る。苗場で大きく育った苗を圃場に定植をする。苗は定植時期を待ってはくれず、定植が遅れると活着が悪く、後々の生育にも大きく影響する。定植の前に圃場の環境を整え、毎度おなじみの完熟堆肥を品種により投入する量を調節しながら、他の肥料も同時に使っていく。多種多様の作物が播種や定植された畑は早春の畑から一変し、日々成長を繰り返す作物で地表は緑一色となった。(一部取りきれない雑草の緑も含む……。)
3月に播種をした夏、秋冬ごぼうも蒸し暑さが背中を押し、大きな葉を広げ目を見張る速さで成長していく。ゴボウと共に成長する株間の夏草は機械や除草鍬は使用できず、すべて手で抜かなければならない。長い畝に腰をかがめ一本一本引き抜く。この作業を少しでも怠ると、底知れぬエネルギーとパワーを炸裂させたアカザやヒエ、その他の背の高くなる雑草が我が大地とばかりに繁茂し、ゴボウは覆い隠されて、「ゴボウはどこへ?」となってしまう。非常に根気の要る作業であり、何かしら修行に近いものを感じる。播種をしたゴボウの総距離は600mにも及ぶ。初夏の暑さの中、玉ねぎも収穫し、隣のニンニクはあと少しで収穫の運びとなる。好天に恵まれ、作業が順調に進むのはありがたいが、生育中の作物は水分不足となる。いざとなればまた得意のホースを引き回すしかないと覚悟を決める。
長い農業人生、初めて大自然の中の山の農場での山芋栽培を行った。今までは、水の便の良い他の畑で栽培していたが、もっと美味しいものをとチャレンジ心、言い換えれば好奇心、悪く言えば軽率な思い付きに火が付き、栽培の運びとなった。粘土に近い山土は一般の畑とは違い作りにくいが、できた作物の味は濃厚で、特に芋類は群を抜く美味しさがある。5月下旬、土の中の親芋から地上に芽を出し、その成長スピードに目を見張る。支柱を伝い張ったロープに絡み、留まるところを知らず成長を続ける。その姿は力強く大蛇のように見える。山芋の最大の敵は山の主のイノシシである。山の中1mもの深い穴を平気で掘り、自然に育つ山芋を貪り食うなど、山の主にかかればひとたまりもない。農場の大和芋は張り巡らした金網に守られ成長を続ける。その隣の畝には弱々しくつるを伸ばす山芋がある。次世代を担う山芋の子供を来年用の種イモとしてムカゴから育て、2年目でやっと種イモとなり、さらに1年をかけて出荷用の山芋となる。来年のエースもつるを伸ばし成長を続ける。
当園では以前から幾種類もの作物を育ててきた。しかし、日常でよく使うネギは一度も栽培経験がない。しかしながら販売所ののっぴきならぬ事情により、私に白羽の矢が立つ事となった。不安を抱えながらも即行動。昨年は試作で2種のネギを栽培、最初にしてはまずまずの出来。その日から私はネギ作りの名人と自負するようになる。ネギには関東系と関西系があり、関東では根深ネギ、関西では青ネギで栽培方法は全く異なる。ネギ作りの名人(自称)がネギを紹介させていただく。
ネギの原産は中国西部、中央アジア一帯で1,000年以上前に日本に伝わる。最初は大阪に入り難波ネギとなった。また伏見稲荷創建の際に持ち込まれたのが九条ネギとなり、関東の千住ネギも江戸時代に難波ネギが伝わりその風土に合わせ、白ネギとなった。共にルーツは大阪難波にあったという事である。ちなみに諸説はあるが、鴨とネギが入ったうどんを「鴨なんば」と呼ぶのは難波ネギに由来したものともいわれる。
ネギは医者いらずと言われ、疲労回復、風邪予防、血液をサラサラにし高血圧を抑えアリシン、ビタミンC、カルシウム、カロテン、食物繊維などたくさんの栄養素を含む。食べ方はなるべく生に近い方が良いとの事である。
今回の栽培に使用する種は関東、関西共に2種づつ。白ネギは一般に出回っている白ネギと少々変わり種の下仁田ネギの改良種、青ネギは京九条太ネギと周年栽培が可能な浅黄九条ネギをそれぞれ育苗箱に播種し若苗を育てる。水分調整を念頭に置き、早くて約2ヶ月、長くて3ヶ月かけ苗を育て圃場に定植をする。関西ネギはトレイで育った苗をただただ畝床に定植をする。ネギはスリムな体ではあるが、痩せの大食いのため定植前の畑に大量の肥料のすき込みを行う。120cmの床に4条で植え、水を頭からたっぷりかける。草の多い時期は黒マルチで草から守る。白ネギは深さ2,30?の溝を切り、その底に苗を植え成長と共に周りの土をネギの根元に寄せ、茎の部分を長く白く育てる。白ネギは植付時にも後の栽培時にも手間のかかる作物である。山の畑や他の畑で隣同士に植えられた東西のネギ、関ヶ原の合戦が再び起こらぬよう監視の目を光らせる。これを書きながらもネギが順調に育ちますように、と藁にもすがる思いで祈る。
通り道の水田には水が張られ、トラクターが力強く水をかき分け土を練っていく。その後2,3日おいて水深を下げ田植えが始まる。現代農業では、田植え機であっという間に幼苗が泥田に植え付けられる。幼い頃に見たおばちゃんたちが一列に並び、手で一本一本土に挿していく風景を懐かしく思い出す。田植え後、苗が落ち着いてから水田には水が満ち満ちと入れられる。泥で濁った水田も一日か二日経つと水が澄み、梅雨の晴れ間を映し出す。
私には幼い頃より水生昆虫を観察する趣味がある。学術的なことなどに一切興味はないが、ただ泳ぎ回る水生昆虫や目に見えない原生生物が社会をなしていると考えるだけで心はウキウキとなる。田水に浸かるほど顔を近づけ覗き込む。あの泥田から2,3日もすれば色々な虫たちが泳ぎ回る。小さなミジンコの横を大きなカブトガニが何食わぬ顔で泳ぎ、幾種もの生物が広い水田で生命を育む。そんな色々な生物が泳ぎ遊ぶ水田の世界も田植えから1週間もすれば水が満ちた砂漠と化す。粒状の除草剤を散布し、翌日にはすべての生物が姿を消してしまうという近代農業の悲愴な姿を目の当たりにする。しかし原生に近い生物ほど逆境には強く、その頃にはすでに産卵を終え次世代へと命をつないでいる。翌年水田に水が張られると、またどこからともなく生命が誕生する。水生昆虫や原生生物ですら薬漬けの中でそうやって命をつなぐ。
今、新型コロナウイルスで尊い命が奪われ、多くの人々が世界中で苦しんでいる。コロナウイルスの感染は大変な出来事であるが、わが国でもっと根強く人々を苦しめている病気に癌がある。今現在、コロナウイルスの死亡者914人に対し、癌での死亡数は年間380,300人(2019年予測)と、とんでもない数の人々が苦しみ、命を奪われる病気である。前理事長は癌や奇病、難病から人々を守ることに一生を捧げ、「病気の第一の原因は食にある」と提言し、慈光会が歩み出す事となった。化学物質が人体に及ぼす害を説き、毒物を体内に入れない、美食より健食、一人でも多くの人に正しい食物をと。
さだまさし氏の『風に立つライオン』という曲に「やはり僕たちの国は残念だけど何か大切な処で道を間違えたようですね」という詞がある。日本は唯物論主義となってしまった。只々物質だけがはびこり、あとには空虚さだけが残る。美しく飾られた大都会を中心とした日本が内より腐敗していかぬことを願う。
そして豊かであるはずの日本がG7の中、最悪の数値を記録したという。その数とは2019年約2万人、自らの命を絶つ自殺者の数である。物質より心豊かな美しい国作りを、と畑でカエルに問うてみる。
夕日が間もなく西の空に姿を消す。農作業を終え、倉庫に戻り残り少ない冷えたお茶を一気に飲み干し一息つく。作業日誌を書こうとして開き息をのむ。そこには「農場便りの締切日」と記され、心地よい疲労感は冷や汗となり、汗臭い作業着のまま下書きを始める。作業日誌を開き今までの作業を思い起こし、多少話しを盛り古紙の裏に書きなぐる。誤字脱字はなんのその。全開した窓から熱気の溜まった部屋に涼しい風が流れ込むと同時に隣の農業用水に集まったモリアオガエルが雑音に近い求愛歌を歌い、周りの木々の中で鳴くカッコウ、空にはブルーインパルス並みの猛スピードで飛びながら歌うホトトギス、自然が奏でる美しい音楽というには程遠く、雑音に近い音が響き渡る。一度気になり出すと一向にペンは進まず、幼い頃から愛しく心に宿る嫌気虫が日の出のごとく顔を出し、いつもながらの悪魔のささやき「今日できることは明日でもできる」が耳元で聞こえる。お腹の虫も『グーッ』と鳴き「やめた」の一言。担当者に頭を下げればいいか、と甘い気持ちで慈光会の『花と太陽と人の和と』の精神とは程遠い慢心が生まれる。真っ暗な山道を下り、温かい我が家へと家路を急ぐ。

新玉ねぎのサラダがあまりに美味で食べすぎ、胃腸がおかしい農場より