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慈光通信 第213号

2018.2.1

患者と共に歩んだ無農薬農業の運動 11

 

前理事長・医師 梁瀬義亮

【この原稿は、1991年1月 日本有機農業研究会発行の「梁瀬義亮特集」に掲載されたものです。】

 

「調和の法則」を知れ

 

それからもう一つ、みなさまにご理解いただきたいことは、生物界におきましては「調和の法則」というのがあるのです。
どんなことかと申しますと、一つの石垣を考えてみて下さい。石垣の中の一つの石が人間です。そしてたくさんある石が植物であり、動物です。動物と植物がうまく重なって立派な石垣を築いていると考えてみて下さい。
もしこの時に、化学肥料を使った植物をたくさん作りますと、石垣の構造はどうなるかといえば、人間の石の横に害虫という石がやってくるのです。そして益虫という石が遠くになるような一つの構造の石垣、これも一つの調和ですけれども、この調和はきわめて人間にとっては困ったものです。
もし私たちが、先ほど申した「土から出たものを必ず土にして土に返す」という自然の教える正しい農法に従って植物をつくると、その植物と動物が組み合わさってできるところの石垣は人間という石の横に益虫という石があって、遠くに害虫という石のある、こういう一つの調和ができてきて、これは極めて人間にとっては快適な調和状態であるということになります。
この組み合わせは、何も人間が無理して組み合わせなくても、人間が正しく生態学的輪廻の法則を守って、「土から出たものは必ず土にして土に返す」という法則さえ守って完熟堆肥の農法をやっておれば、必ずそのような調和の世界ができて、これによって非常に楽な農法ができるのです。
しかるに現在は化学肥料を使ってやるものだから、いわゆる人間の石の横に害虫という石が頑張り、遠くへ益虫という石がいくような調和の世界ができていて、人間には甚だ都合が悪いのです。そこで農薬という恐ろしいクスリを用いて、その石を引き抜いて、ついでに他の石も三つ四つ引き抜いて捨ててしまうから、石垣はガラガラと崩れてしまった、というのが現在の農薬公害であり、このままでは日本民族の滅亡ということになります。 ただし、この遠くへやるという害虫の石も、やはり大事な生垣の構成要素です。これを切り捨ててしまっては石垣は崩れてしまって、人間の生存は許されないのです。だから私は、5パーセントぐらいは、害虫にくれてやらなければいけない、むしろ「5パーセントぐらい害虫の食った農作物でないと、本当の農作物ではない」と申し上げたいのです。しかるに今、少しでも虫が食っていると市場では半値にも3分の1にも切り下げられてしまうのです。これはいけません。こんな評価をする流通機構はメチャクチャなのです。
みなさまがほしい農産物は、おいしくて栄養があって、腐りにくいものです。何も床の間の飾りものではないのです。先ほど、有吉先生がおっしゃったキャベツだって、私たちのキャベツは「甘くてやわらかくておいしい」と喜んで下さいます。ところが、八百屋さんが売る化学肥料で作ったものは固くてバシバシで味がないのです。その上、毒が入っています。
そこで、どうしても現在の流通機構を改めなければならないけれども、改まらないのです。そこでみなさま、ぜひ農家と直結していただきたいのです。
私たちは昭和34年以来、「ノアの方舟運動」1号を起こしています。私たちの小さな町で作りました。10軒ばかりの協力農家と1000世帯の需要者、そしてその中に立つ善意ある財団法人慈光会販売所によって構成されています。その販売所へ農家の人が持っていって、それを皆さんがお買いになるが、虫がついていても形が悪くても、同じ値で買っていただくような需要者を持っているわけです。
こういう組織をみなさまにお作りいただきたいのです。今、全国各地で「ノアの方舟」ができつつあります。熊本県にも、全県的に大きな運動が出来つつありますし、いたるところでまさに行われようとしております。是非この運動を推し進めていただきたいのです。
そして、ノアの洪水がやってきた日本に、いたるところノアの方舟ができて、1億人がみんなノアの方舟に乗ってしまいます。そしてノアの洪水を起こした一番の原因を除去していって、再び洪水が去った日に、みな笑って日本の土地に楽しい生活を送る、その応急処置としてノアの方舟をたくさん作らなければならないのです。
日本全部がノアの方舟になってしまって、世界のノアの洪水から、日本が浮かぶようになったら理想ですが、現在は逆です。
以下、次号に続く

 

遺伝子組み換えについて 1

 

「遺伝子組み換え」という言葉をご存知でしょうか。言葉はよく耳にするし、悪いものだというイメージはあるけれど、どうして悪いのかはわからない、という方も多いと思います。
遺伝子組み換えとは
「遺伝子組み換え」(以下GM)とは、同種の作物を掛け合わせて新種を作り出す品種改良(例:稲と稲の組み合わせ)とは異なり、生物と植物(昆虫とほうれん草)を掛け合わせるなど、異種間での掛け合わせが可能な方法です。
1980年代初頭からGMについての研究は行われてきましたが、1986年に初の商業用作物が栽培されて以降、世間の関心が高まりました。
なぜこの遺伝子組み換え作物(以下GMO)が大量生産されるようになったのか。表面的な理由としては、食品の機能を高めることや生産性の向上による食料の安定供給などが挙げられますが、これは大きな偽りです。真の目的は、バイオ化学メーカーで、ベトナム戦争で使用された枯葉剤を製造したモンサント社など、ごく少数の巨大企業による種の支配です。GMOの種に対して特許を独占しているため、農家は種を採ることが禁じられ、毎年種子の購入が必要になります。この仕組みが確立されると、種子を支配することも同然となります。種子を支配するということは食料を支配するということ、食料を支配するということは生物を支配するということ、生物を支配するということは世界を支配すること、という風に繋がってくるのです。
それではGMOとして、どのようなものが流通しているのでしょうか。
現在日本で承認されているのは大豆、とうもろこし、菜種、じゃがいも、綿、てん菜、アルファルファ、カーネーション、バラの10種類です。日本での栽培は研究用とされており、バラ以外は商業用として作付けされていません。この10品目のうち、特に輸入量が多いのが大豆、とうもろこし、菜種、綿の4品目です。計算上、日本で使用されている大豆87%、とうもろこし92%、菜種93%、綿98%が輸入されたGMOとなり、私たちが口にするほぼ全てがGMOと言っても過言でない程になっています。さらに年々国内産の割合も減少しています。(平28 農林水産省データより)
遺伝子組み換え作物の問題点
大豆を例に取って見てみましょう。現在全世界で作付けされているGM大豆はモンサント社の除草剤耐性大豆1品目のみです。この大豆の栽培には自社製品である強力な除草剤「ラウンドアップ」が必需となります。まず農地全てに「ラウンドアップ」を散布し、全ての雑草を枯らしてしまいます。その後、この「ラウンドアップ」に耐性を持つGM大豆を撒き、生育途中でもう一度ラウンドアップで除草をします。確かに手間が省け、生産性が向上するため、開発当初は革命的だともいわれました。
2012年、フランス、カーン大学のセラリーニ教授らの研究チームがこのGM大豆、ラウンドアップを使用した実験結果を発表しました。ラットにGM大豆、除草剤を両方餌として与えた場合、どちらか一方を与えた場合など、ラットを複数のグループに分け、それぞれが生体に与える影響を調べたものです。結果、普通の餌だけを与えられたラットに対して、1.6から2.7倍ものラットに腫瘍ができることが分かりました。さらに、普通の餌で育ったラットが24か月の平均寿命の中で、晩年にあたる23から24か月で腫瘍ができることが多かったのに対し、GM大豆や除草剤を与えられたラットは4か月頃から既に腫瘍が現れ始め、11から12か月頃になると爆発的に増えることがわかりました。また、平均寿命に達する前に死んだラットは雄50%、雌70%と非常に高い数値となりました。
もう一つ有名な実験があります。ロシアのイリーナ・エルマコヴァ博士が2006年に発表した、GM大豆を食べさせた場合のラットの生育についての実験です。
これは妊娠前からGM大豆を食べさせたラットと、普通の大豆を食べさせたラット、そして大豆を与えず、通常の餌を与えたラットの3グループに分け、それぞれ出産したこどもにも同じ条件で餌を与えた場合の生育状態を調べたものです。その結果は、普通の大豆、もしくは普通の大豆を与えられたラットの生後2週間までの死亡率が10%未満なのに対し、GM大豆を与えられ続けたラットは56%もの死亡率となりました。また、発育も極端に悪いことが確認されています。
これらの実験から、人体にもがんや白血病の発生、肝臓や腎臓の臓器障害、寿命が短くなる、不妊などの影響を強く与えるとされています。
ただし、アメリカと密な関係にある日本において、このようなネガティブな情報は報道されることはほとんどありません。
以下、次号に続く

 

農場便り 2月

暮れも押し迫った12月30日、前日まで続いた1年間の農作業の疲れが残る早朝、我が家の年間行事の一つの餅つきが始まる。と言っても、昔のように杵と臼で搗くわけではなく、スイッチひとつで蒸し・搗きができる機械にお任せの餅つきである。新年を祝い、神仏に感謝の気持ちを込めて、秋に収穫された新米で搗いた真っ白な鏡餅をお飾りする。蒸し上がった美味しそうなもち米は、当会の協力農家、川岸農園産。
まず、一臼目はお供え用の鏡餅と祝いの善でのお雑煮用の丸餅に。二臼目は搗き立てをその場でいただく臼となる。一臼目のお鏡作りを無事に終え、二臼目、搗き立ての餅を小さく取り分け手早く丸めてゆく家人の横で、やることがなく、只々それをボーっと眺めるだけの私は作業を見守りながら大きなあくびをする。いつも特等席を陣取る我が家の駄犬もこの日だけは別室に隔離され、クゥーンと情けない声を出す。私は、家人が事前に用意しておいた大根おろし、きな粉、あんこなどが入ったそれぞれの容器に入れられる小さくちぎったふわふわのお餅をただ口に頬張るという大切な任務を仰せつかり、完璧に任務を遂行する。邪道ではあるが、チーズを挟み海苔で巻いていただくのもまた旨し。大きくまん丸に丸められたお鏡を31日にウラジロや祝い昆布、干し柿、みかん、かやの実などで飾り付け、仏壇にお飾りする。
そのような準備をして迎えた新年ではあるが、正月三が日は飛ぶように過ぎ去り、お飾りした鏡餅にはひびが入る。1月15日は鏡開き。カチカチのお鏡をこの日のために増しておいた全体重を包丁にかけ、一気に小さく切り分けてゆく。お餅を使ったメニューにも飽きた頃、20日には水餅とする。水に餅を漬けることによりカビから守る先人の知恵である。鏡餅のお飾りに使った小さなみかんを口に入れると甘酸っぱさが口いっぱいに広がり、人一倍大きな胃にすっぽり収まる。後には、さわやかな香りが鼻から抜けてゆく。みかんを口にする度、協力農家の中田さんご夫妻が目に浮かぶ。
本年第一回目の農場便りは中田さんを紹介させていただく。
当会の柑橘類を一手に引き受けて下さっている中田さんは、農業歴60数年、御年86歳。中田さんの片腕となる奥様の年齢は女性ゆえシークレットとさせていただく。有機農業を始める前の中田さんは近代農業における農薬の害により農業従事者としての決断を迫られていた。ちょうどその時、ある講演会で出会ったのが前理事長。そのご縁で中田さんご夫妻は有機栽培への道を歩むこことなった。
鋼(はがね)のような体から湧き出る体力を持ち、その当時はほとんど行われていなかったみかんの完全農薬有機栽培に研究熱心に取り組まれた中田さんはこの栽培方法の先駆者といえる。
中田農園は紀の川市、北西に関西国際空港、南に滔々と流れる紀ノ川を見下ろす自生ブナ林の南限、和泉山脈の一角にある。その農園で終日農作業に励み生産する作物の中心は柑橘類、他には玉ねぎや多種に及ぶ葉菜類と稲作である。作物の大部分を占める紀州特産の柑橘類は、温州ミカンを中心に雑柑類の種類も豊富で、レモン、清見オレンジ、はるみ、八朔、甘夏、青島みかん等、すべて無農薬、有機質肥料のみで栽培される。
栽培履歴は、2月に剪定、3月に元肥として堆肥に加え高価な魚粉と油粕の混合肥料を与える。この肥料を与えることによりうま味と糖度が上がる。6月より草の成長を見ながら草刈りを秋まで行う。春に開花、結実した果実は7月に摘果を行い、込み合った実の中から良質な実だけを残し切り取る。気温がかなり上昇するこの時期、みかんの木のいたるところに足長バチが巣を作り、作業者を敵と見なし刺されること度々。8月には摘果完了、9月に仕上げ摘果を行う。10月中旬より早生みかんの収穫開始、収穫は温州ミカンから雑柑へと続く。
これらの作業は一般の柑橘類の作業と変わらないが、一番大事なことは肥料と農薬に関してである。もちろん化学肥料、化学農薬ともに一切使用することはない。一般のみかん栽培では、農薬の使用は平均8?10回、最終の使用は収穫一週間以内で、保存時の雑菌からの防腐を目的とする殺菌剤を畑で散布した後、収穫を行う。ほとんどの果実は農薬漬けとなり、決して安全な自然からの贈り物とは言い難いものであり、くれぐれもご注意いただきたい。
柑橘類の他には、当会の玉ねぎの70%は中田農園出身。紀州の玉ねぎは味、姿ともに優れ、その中でも有機栽培のものは他に比べ格段の差がある。葉菜類は小松菜、大和真菜、レタス、キャベツ、をはじめ多種に及ぶ栽培を行い、まさに超人である。
以前、中田家を訪問した時に奥様が、「夫婦共に畑に立っている時が何物にも代えがたい幸せ。主人は職業が農業、趣味も農業」と笑って言っておられた言葉が、今も忘れられない。重い足取りで農場に行くわが身に爪の垢を煎じて飲ませたいものである。・・反省。
中田ファミリーは、収穫の時には孫からひ孫までが全員集合。終日農園には絶えることのない笑い声が響き渡る理想的な日本の家族であり、その幸せ感が作物にも宿る。しかし、そんな中田農園にも悩みの種がある。当園と同じく、毎回農場便りにゲスト出演するイノシシである。木の下を掘り、大切な枝を折り、下枝に付く実をすべて喰い尽くし、根元を掘り起された木は耐えきれずに枯れてゆく。新木を植え直してもまた掘り起こし、幼木を枯らしてしまう。農場と同じく深刻な問題である。
いつまでもお元気で、栄養価高く美味なる作物を私たちにお届け下さい。甘酸っぱいみかんを口にする時、中田夫婦を想い描いていただけたなら、耕人としてこれほどの幸せはない。
1月、寒波が列島を包み込む中、弱い日差しが背中を温めてくれる。夕方、金剛より冬風が吹き始める。掘った山芋がコンテナいっぱいになり、肩に担いでトラックの荷台へと運ぶ。本日の収穫は、キャベツ、大根、ブロッコリー、そして土の中で冬眠していた里芋、最後に今堀終えたばかりの山芋、と荷台いっぱいに収穫した野菜を積み込む。山芋掘りは時間がかかるため、最後の作業として掘れるだけとする。
薄暗くなった倉庫へ戻り、山芋や里芋の土をきれいに落とす。外は静まり、闇に包まれ北風が吹く。急いで泥を落としヒゲ根を取り、下山。その後販売所の作業場で大根の洗浄をする。軍手をブラシ代わりに手にはめ、一本一本きれいに流水で洗ってゆくと土の中から美しい肌が顔を出す。透き通る美肌、冬の野菜の代表でもある大根を楽しむのもあとわずかとなった。
正月気分も完全に抜け仕事モードにスイッチが入り、春の農業シーズン向け準備を進める。収穫を終え空になった畑にトラクターを入れ、寒起こしを行う。今年一年間の作物生産計画も用意万端整い、作物が青々と育つ畑を思い浮かべる。後は自分自身の苦手とする努力のみとなる。
本年も一年を通じ、皆様の食卓に並ぶ野菜の数々と共に笑みを運ぶことができますように。また、いつまで続けることが出来るか不安いっぱいの農場便りに慈悲の心でお付き合いを。
「奈良に旨いものなし」とのたまった志賀直哉様、
「奈良の慈光会に旨いものあり。ましてや安全で栄養価高し」

 

 

最低気温マイナス7度の農場より