慈光通信 第207号
2017.2.1
患者と共に歩んだ無農薬農業の運動 7
前理事長・医師 梁瀬義亮
【この原稿は、1991年1月 日本有機農業研究会発行の「梁瀬義亮特集」に掲載されたものです。】
近代農法は「死の農法」
化学肥料、農薬を主体とした現代農法は、量的な増産、あるいは形だけを目標にした農法であって、その農産物が生命のためのものであることを忘れた農法です。
本来の農業は、生命のためにあるべきものです。近代農法は、欠乏食を生むと同時に、毒を含むものができてくる、ということが分かりました。
それはどういうことかと申しますと、まず化学肥料を施すと土地が酸性になってしまうのです。たとえば、硫酸アンモニア(硫安)が使われると硫酸根が残ります。硝安ですと、硝酸アンモニウムでアンモニアが取れると硝酸根が残るわけです。
土地が酸性になって、大事な鉱物質―マンガンとかモリブデン、鉄、カルシウムとかのいろいろなものが流れ去ってしまう。それをまた化学薬品として土へ施すと、お互いに拮抗作用ということがあって元素間のバランスが壊れてしまうのです。ところで、土の中の微量要素、ミネラルが欠乏するということは非常に恐ろしいことなのです。
例えば、アフリカのトランスケイというところには非常に食道ガンが多い。これを調べてみるとその地方の土には、モリブデンが欠乏しておって、そのために植物の中に硝酸根が非常に増えてくる。それを食べていると人間の体に発ガン性物質ができてガンが多発すると説明されているのです。
土の中からミネラルが流れ去るということは、我々の健康にとって、たいへん恐ろしいことです。そのことはまた、植物の健康や発育を非常に阻害するのです。要するに化学的に土をだめにしてしまうわけです。
この土をアルカリ性にしようと思って石灰を入れますと、たくさん入れたら固くてカチカチになって、植物の生えない土になってしまいます。のみならず、化学肥料だけやっていますと、石灰をやらなくても、土がだんだんと固くなって空気が通らない。保水性、保温性がなくなって、夏は湿度が上がってしまうし、冬は凍ってしまうという土に変わってしまって、植物は非常に生育が難しくなるのです。
さらに恐ろしいことは、土中微生物を殺してしまうことです。表土30cmの中には恐ろしくたくさんの生物がいます。大きなのは、モグラやミミズ、ケラ、小さいのはバクテリアとかビールスもいるのです。
よく肥えた土の中の1gの中に何億という微生物がいます。この微生物と植物は共棲状態にある。植物は微生物の死骸や微生物が合成するいろいろのタンパクやら酵素やらビタミンを利用して健康に大きくなっていくわけです。
その微生物がなくなるということは、植物が健康に育ち得ないということなのです。化肥、農薬によってその微生物がどんどん減って行くのです。いろいろな実験があるが省かせていただきますが、一言申しますと、ずっと昔のままの農法でやっている私の山芋の地区と、中間の地区と、私の町付近の化学肥料をどんどん使っているところとを比べてみますと、一番山の奥では一平方メートルに万単位の小動物がいます。それが中間の少し化学肥料を使う所へ来ると一〇〇〇単位、五條付近に来るともう一〇〇単位になってしまいます。いわゆるミミズのような小動物と、その土の中の微生物の数は大体ひとつの比例状態にあるわけですから、土中小動物の数で大体土の中の生物の数も推測できることです。このように化肥によって小動物が、従って微生物が減るのです。
土の中の微生物がなくなる、いわゆる土の中の生態系が亡んでゆくと土は死んでくるのです。この死んだ土に生えてくるところの作物は栄養がないものですから、アンモニアだとかそういった簡単な化合物を吸収して大きくなるわけです。これはインスタント食品を食べている子供と同じであって、非常に病害虫に弱く腐りやすく、また味も悪いのです。これが今、われわれが食べている野菜、果実、穀類なのです。
こういうものに病虫害が発生しますと、その発生する原理を考えずにその結果だけを、農薬だけで叩こうとする。あたかもわれわれが生活を反省せずに、出てきた結果である病気だけを医薬品で叩こうとする物の考え方と似ています。その結果だけを化学薬品(農薬)で消そうとするのです。
農薬はまず第一に、益虫を亡ぼしてしまうのです。もちろん害虫も殺すが、益虫を先に殺してしまうわけです。
それから害虫の一部が不思議に生き残って抵抗性を持ってくるのです。更に農薬は化学肥料よりもさらに強力に土を殺してしまいます。化学的にも物理的にも、あるいは微生物学的にも。そこで更に土が悪くなって植物が弱くなるのです。すると病気が出る、また農薬をかける………。この悪循環を繰り返しているのが現在の農村の姿なのです。
これを使っている間に、農民がやられ、また残留農薬によって都会の人もやられる|結局、この近代農法というのは「土を殺し、益虫を殺し、人を殺す」という恐るべき「死の農法」です。一時的な増産はあっても、やがて土を殺し、黒沢茜蔵先生がいわれたように田畑を砂漠にしてしまう。
結局、減産し、ついには何もできないようになるのです。
みなさま、田に降り立つ水鳥がどんどん消えてゆくのをごらんになったと思います。同じ田に作ったコメを食べているわれわれが、どうして消えないということがいえるでしょうか。同じ生物です。そこで出てくるのが有機農法です。
そしていろいろやっている間に、昭和34年の2月に「野菜が原因だ」と確信するようになりました。すでにその頃は農業の知識を持っておったので、野菜が原因だとすれば「農薬だ」と思ったのですが、しかしこの真冬に農薬を使うはずがないと不思議に思って、自分で自分の考えを否定したのです。だがどうもまた疑いが起こってきて、農村を調べてまわりはじめて分かりました。出荷する時にあの恐ろしいホリドール(パラチオン)の1000倍液を掛けて出すのが、当時当たり前のように行われていたという事実なのです。全く驚きました。これはドイツが開発した恐ろしい毒ガスを少し改良したものです。これを掛けて出しておったのです。なぜ掛けるかというと、ホリドールの作用でキャベツでもナスでも2日、3日たっても採りたてのようにピンとしていてツヤツヤしているからです。
このことを私は知り、更に調査を重ねてその結果を報告申し上げたのです。ところが残念ながら取り上げられませんでした。「いろいろと変なことをいうヤツだ。」といわれて、ずいぶん社会から非難を受けたのです。
けれども「放っておいたならば、まさに一大事だ。おそらくこのまま続けば、10年もたてば大変なことになってしまうに違いない」と思いました。そこで協力農家を得まして個人的に運動を始めました。自分のところでたくさんパンフレットを刷って政府、国会、大学、研究所、県庁等へ送り始めたのがこのことの起りなのです。
以下、次号に続く
農場便り 2月
輝く光のもと新年を迎えた。静寂の中で冬の空気はピーンと張り詰めているが、お正月特有の優しさがその空気を和ませる。
けたたましい鳴き声を上げ、つがいのヒヨ鳥が大晦日に軒先につるしておいた吊るし柿に群がり、段々につるされた実をくちばしでつつき始める。その光景を離れたところから見ていると、ヒヨ鳥は一つの吊るし柿を最後まで食べきることなく、少し食べては次、また少し食べては次、と順々につついていく。見事な大名食いで、ヒヨ鳥にとっては思わぬ美味なおせちとなった。ようやく気付いた私の姿に驚き、ヒヨ鳥は一目散に元旦の大空へと飛び立ってゆく。
昨年までは食害を繰り返すあらゆる生物に目をつぶって来たが、「本年は心を鬼にし、食害から作物を守る!」と出来もしないであろう誓いを立て、柔らかな光を放つお日様に手を合わせる。その後「これではいけない」と吊るし柿は玄関の植木の枝へと場所を移し、家族の喰いしろを確保。
ささやかな家族の年始のお祝いが始まる。まず仏壇に手を合わせ昨年の無事を感謝、そして仏教とは現世利益を求めないことと知りつつも、煩悩の塊のような願いを心の中で呟く。確か、煩悩は大晦日の菩提寺の梵鐘の音と共に漆黒の暗闇へとぬぐい去ったはずではあるが・・。
お参りが終わるとお祝いの膳の前に移動。黒い塗りの盛皿に祝いの三種の品が盛り付けられた。飾り葉の上に美しく置かれた黒豆、田作り、数の子が正月気分を一層盛り上げる。お屠蘇で祝し、まず祝いの三種から手を付ける。後はおせちの数々と美酒に酔いしれる。一年に一度の休暇を無駄にするまいと、年甲斐もなく眠い目をこすりながら深夜まで家族と楽しむ三が日であった。
1月4日、明日から始まる仕事が脳裏をよぎる。毎年4日の夕刻より鬱々とする。決して仕事嫌いというわけではないが、この運動の重責によるプレッシャーであろうか。年々著しく変化する厳しい自然環境の中での栽培、如何に人々に喜んでいただける作物を育てるか、等々がこの日私に押し寄せる憂鬱の原因となる。しかし、この憂鬱も農作業が始まると額の汗と共に流れ去ってゆく。
農場の初日は三ヶ所に点在する畑の見回りから始まる。平地の畑は、冬囲した不織布の下で冬野菜が寒さに耐え、静かに眠っている。大きな白菜は寝具となる不織布から葉がはみ出し、霜で黄色く葉が変色する。暖冬の影響か、ニンニクの葉が例年になく大きく育つ。これから押し寄せる寒波の襲来に耐えられるのであろうか、と心配になる。キャベツも育ち、小さい緑色の葉を広げる。
平坦地の畑は1年を通じ、大きな問題はさほど起こらない。強い北風で、ビニールトンネルや不織布が飛ばされる程度で手直しさえすれば元に戻る。しかし山の中にある畑はそうはいかない。下の畑より200メートル以上高所となる農場の風は半端なものではなく、金剛山脈を越えて吹く風は、時にあらゆるものをも吹き飛ばし、谷底へと運んで行く。
先日の強風のおり、夏期に活躍した防虫ネット(幅2メートル、長さ50メートル)を見事に谷底へと運んでくれた。それも3枚。「明日があるさー」で片づけが遅れ、倉庫の軒の下に積み重ねてあったものが・・・。心の中で悪魔がささやく。「見て見ぬふりをするか?」・・・そうはいかない。おぼつかない足取りで一歩一歩谷底へと下りて行き、全力で引っ張り上げ巻き取っていく。傾斜が強く、足元も悪い。少しの怠け心が後々大きな落とし穴へいざなった。「本年こそは」と毎年誓い続け、うん十年の月日が流れた。
北風よりももっと恐ろしい物が農場には存在する。イノシシ、別名「山鯨」だ。自然環境が異常に悪化した原因は人為的なものである。作物は少々の風には耐えるが、イノシシの鼻息には耐える事が出来ない。土を掘り起こす力は想像を絶する。農場の近くに仕掛けられていた200kg以上の鉄のおりを軽々と持ち上げて逃亡するのを目の当たりにしたこともある。300坪位の畑なら一晩で掘り起こし、口にできるものは全て胃の中に収める強者である。
数年前から国の農業保護政策として、耕作地を金網で囲い獣害を防ぐ措置が取られた。農業保護の下、ほとんど無料に近い事業である。しかし広い耕作地が灰色のフェンスで囲まれた光景は異様である。金網で被害は軽減されるが、イノシシ・鹿以外の野生動物にとっては生息範囲が狭まり、里山の生態系は益々崩れるであろう。何年か先、耕作地は全て金網で囲われてしまうのであろうか。根本的な原因の改善を無くして良い結果は得られないのではないだろうか。野生動物はそんなに甘くない、既に網が破られる被害も出始めている。美しい日本の原風景は今まさに消えようとしている。
2月に入ると畑作の準備が始まる。作付け収穫後、そのままになっている畑も片づけ、その後に大量の完熟堆肥を入れ、春夏作に備える。見て見ぬふりを出来るのもあとわずかである。
寒波が押し寄せ、寒さが一段と厳しくなり、各地で雪による災害が発生する。美しい氷と雪の世界が時に人の生命までも奪い去る。
普段は単独行動しているカラスも、この時期になると群れをなして行動するようになる。夕刻、黒い身体が空を埋め尽くす。農場の周りの木々の枝に羽を休めるカラスが辺りの風景を一変させる。カラスたちは闇が周りの景色を包む前、一斉に飛び立ち、ねぐらへと帰っていく。冬空に響くカラスの鳴き声は、とても寂しく、心の奥深くまで響きわたる。
躍動する春や錦に着飾る秋も素晴しいが、大地も凍てつくモノトーンの冬の景色に魅了される。梅の蕾もほころんできたが、春までにはあと何度か農場の大地は雪に覆われることだろう。
この時期、小さなキャベツやごぼうの幼苗の葉は成長する事はないが、根は土のなか深くへとたくましく伸びていく。
春まであと1カ月余り、冬は春への準備を休むことなく日々進めている。
小さな幸せは手の届くところにあるのだ。
文豪川端康成は「幸福」についてこう語った。「一生の間に一人の人間でも幸福にすることが出来ればそれは自分の幸福なのだ」と。たわいもない農場での出来事を活字にし、一人でも目を通して下さる方がいる事、これが私の大きな幸福である。
あくなき探求を繰り返す我が煩悩を捨て(・・出来るだけ)、本年も真の耕人を目指して全力で大地を耕す。
本年も当会の野菜を愛して頂きますよう、どうぞよろしくお願い致します。
冬の午後、やさしい日光の暖かさに感謝する農場より