慈光通信 第202号
2016.4.1
患者と共に歩んだ無農薬農業の運動 2
前理事長・医師 梁瀬義亮
【この原稿は、1991年1月 日本有機農業研究会発行の「梁瀬義亮特集」に掲載されたものです。】
私の調査で分かったこと
私がかつて戦争でフィリピンへ出征しておった時に、マニラ大学農学部に私たちの部隊の本部がありました。そこにアメリカのマッカラム博士がお書きになった本がありました。コメを食べる東洋民族がどのような健康状態を持っているかという、博士が20年かけてご研究になった本で、その結論は「コメを食べる東洋民族は、健康に生きようと思ったら十分なグリーンの野菜を食べることが秘訣なのだ」というおことばなのです。
20年の長いご調査ですから、私は大変尊敬に値するデータだと思って、肝に銘じて読ませていただいたのです。
戦争熾烈な中で、私たちは食べるものがなくて、原住民が掘り残していったサツマイモの細い根を唯一の食品として食べていました。その時に私は、中部部隊に意見具申をして「イモの根ばかりを食べておったのではどうもだめかもしれない。幸いイモの葉があるし、またカンコンという食べられる雑草があちこち繁っているから、これを兵隊に食べるようにぜひしてほしい」といったところ、中隊長が採用して下さって、兵隊にみな「イモの葉とカンコンを食べろ」と命令したのです。
塩がないので、茹でたものを野生のトマトやトウガラシで味をつけて、鼻をつまんで食べたのですが、それはとても食べにくい物です。
そうしましたら、私のいた中隊では、栄養失調で死ぬ兵隊はいなかったのですが、お隣の部隊で、イモの根ばかり齧っているところでは、栄養失調で顔が膨れて死ぬ兵隊がたくさん出ました。
それからまた学生時分に、非常に健康な山の中の村を訪ねたことがあるのです。その村人は、アワ、ヒエ、大豆、大根、野菜等を主食にしている貧しい村なのですが、そこには本当に病気がないのです。
私はそこで村の長老から「この村はとても健康で病気なんかないのだ。ただ病気するのは旦那衆だ」と聞いたのです。その村は木材の盛んなところですが、僅かの大金持ちが山を全部持っていて、村人は山の仕事をして生活しているのです。旦那衆はその木材を切り出して町へ持っていった帰りに、白米や肉やいろいろの野菜を買ってきて食べるのです。これも私の耳に残っておりました。そのほかたくさんの同じような話の例を、私はそれまで経験したことを思い出したのです。もちろん、生命力・自然療能力・自然治癒力といった問題は、漠然としてつかみどころのない物です。けれども、漠然としながら「生命力というのは、私たちの生活様式と密接な関係があるに違いない」と私は考えました。
そして決心したのです。
その決心というのは「これからひとつ、患者さんについて全部、生活を調査してみよう。そして1万人のカルテを集めたら何か出てくるだろう。ことに食物を中心にして調査をしてみよう」とこう思って、私はどの患者さんについても大ざっぱな調査ですが、肉食が多いか少ないか、魚肉、野菜、海草、果物、砂糖、酒、タバコ、大豆、いろいろな項目をプリントして調べていったわけです。
昭和23年から始めて27年に調査資料が1万枚に達しました。私は、他のお医者さんの受け持ちの患者さんまでを調査しました。しかしながらこの出た結果は、あまりにも例外が多く複雑であって何もまとまった結果が出ないのです。おそらくこれをコンピューターにでもかけてやれば何も出ないのだろうと思うのですが、しかし私は、ここが人間とコンピューターとの差ではないかと思うのです。じっとやっている間に、一つの傾向というものだけは分かってきました。それは、白米をたくさん食べる家、肉食の多い家は病気が多い。野菜、海草類の多いところは健康だけれども、それの少ない所に病気が多い。油をあまりたくさん食べるところ、また、白砂糖の消費が多いところも病気が多い。そして、くだものは野菜の代わりにならないなどという事実を見出したのです。
以下、次号に続く
春と頭痛
寒い冬がようやく終わり、暖かくなってくる春は、楽しい季節であるとともに、体調不良を感じやすい季節でもあります。
最も一般的なものは『花粉症』。今や、花粉症は日本国内で4人に1人が発症している、もはや国民病とも言われる病気です。
でもその陰に隠れ、この季節、多くの人々を悩ませる病気がもう一つあります。それが『片頭痛』です。
片頭痛は春に起こりやすく、「春は頭痛の季節」と言うお医者さんもいます。片頭痛は、頭の片側または両側が脈打つようにズキンズキンと痛む病気です。頻度は人それぞれですが、発作的に起こるのが特徴で、いったん痛み出すと寝込んでしまう、仕事が手につかないなど、多くの方が日常生活に支障をきたします。
また、ひどい場合には吐き気、嘔吐を伴い、普段は気にならないような音や光に敏感になる、といった随伴症状がみられる事もあります。
この片頭痛の原因は「自律神経の異常」にあります。
春は天候がよく変わり、暖かくなったり寒くなったりを繰り返します。これと同時に、天気とともに、必ず気圧も変化しています。普段の生活で気圧を気にすることはあまりないのですが、実は、これが私たちの体調に大きな影響を及ぼしているのです。自律神経は気圧の変化を受けやすいといわれています。気圧が高い(晴天)と交感神経が活発になり、気圧が低い(雨天)と副交感神経が活発になります。交感神経が活発になると筋肉が緊張し、血管が収縮します。一方、副交感神経が活発になると筋肉が緩み、血管が拡張します。天候の変化が多い春には、この交感神経、副交感神経の切り替えがうまくいかず、自律神経に乱れが出るのです。その結果、血管の収縮をコントロールできなくなり、拡張したままの血管が頭の中の三叉神経(顔の感覚を支配している神経)にさわることで頭痛を発症します。
それでは、片頭痛が起こった場合、どのように対処すればよいのでしょうか。
眼精疲労からくる頭痛の場合、温めると痛みが和らぐ事がありますが、片頭痛の場合は、温めることによって血管がさらに拡張し、痛みが増すこともあります。片頭痛が出た時には保冷剤や氷枕などを患部にあてて冷やしましょう。温めたり患部をマッサージすると逆効果です。また、有効なのは照明を暗くし、安静を保つことです。可能であればそのまま眠って下さい。過敏になった脳を鎮痛させ、拡張した血管が収縮するとも言われています。
頭痛がひどい時に薬を飲むのは悪いことではありませんが、これは対症療法にすぎないので、根本的な解決にはなりません。片頭痛は自律神経の乱れが原因となる事が多いので、まずは普段から自律神経の調子を整えることが大切です。そのためには、睡眠も規則正しく取って、寝不足も寝過ぎもないようにしましょう。暴飲暴食は禁物です。中でもチーズ、チョコレート、アルコール類は特に頭痛を誘発する恐れがあるので、この時期は控えて下さい。
片頭痛もこのように原因が分かれば、自分なりの対処法もあります。最近では気圧の変化を知らせてくれるスマートフォンのアプリなどもあるようです。気圧の変化を知って片頭痛に備えることが出来るようになった、などと言う声を聞くこともあります。この季節、自分にあった対処法を見つけて辛い片頭痛を乗り切りましょう。
農場便り 4月
啓蟄も過ぎた3月12日、東大寺ではお水取りが始まった。庭の水仙は黄色い花を咲かせ、甘い香りを放つ。大自然の生物は春の息吹を感じ、大きく躍動し始めた。農場には色とりどりの花が咲き、周りの山には山桜の花が咲き始める。
冬作の収穫を終えた畑はまだ手入れが何一つされずそのままの姿。他の畑には昨年の夏作の支柱やネットさえもまだ残っている。ハコベ、ホトケノザなどは暖冬の恩恵を被ってのびのび育ち、大きな株は見事の一言に尽きる。雑草はトラクターで耕してしまえばよいのだが、草の下には黒マルチが敷きつめられており、まずこれを取り除く作業から始まる。このマルチは前作の作物を雑草から守るため張られたものだが、時間と共に穴や破れが多くなり、そこから待ってましたとばかりに雑草が芽を吹く。収穫後すぐに片付ければこんな事態に陥ることはないのだが、私にはこの光景が地獄絵図のように映る。オプチミスト主義の私だが、見て見ぬふりをするのも、もう限界。3月10日、ようやく決心し地道な片付け作業を始める。畑にかがみ、マルチが風でめくり上げられないように抑えてある土を除け、隅から順にめくり上げてゆく。マルチの強度はすでに抜けているため、すぐにちぎれてしまい、思うように作業は進まず、そこにお腹の出っ張りも邪魔をして苦戦を強いられる。心の奥でイライラ虫が顔をのぞかせる。そこで一度に全部となると心が折れてしまいそうになるため、一日の作業のノルマを決め、その範囲だけは確実にクリアすると心に誓う。そうして他の作業もこなしながら4、5日ですべてを片付ける。
作業中、散歩をしているおじいさんが「ここの畑の草は見事に生き生きしている。さすが堆肥の力はすごい。」と声をかけてくる。しかし、作物がある時は一切おほめの声はかからず、「ほめるのは雑草だけかい。」と複雑な心境となる。
集められた何百本もの支柱は倉庫へ片付けられる。しかしこの支柱が休めるのもあと僅か、また5月中旬には畑へと出かけてゆく。草をむしり、畑を這いずり回り、土にまみれながらの作業は続く。マルチの上のてんとう虫は、四つん這いの変な生物を見て、急いで羽を広げ飛び立つ。
マルチをめくると中に小さな雨がえるが越冬している。まだ気温は低く、その動作はまるでぜんまいが終わりかけのオルゴールのようである。しかし、目だけはギロリとこちらを睨む。そっと捕まえ草むらの中へ。カラスやトンビの餌食にならぬよう枯れ草をかけておく。「感謝しなさい・・・」と心の声。
目の前を大きなオスのキジが私に怯えることもなく悠然と横切る。家族、愛犬はおろか、遂に自然のキジにまでもが私を見くびるようになったのか。そこで、むしり取った草をキジに投げてみる。キジは大きな声を立て一目散に竹やぶの中へ。「ザマーミロ」人を侮ることなかれ、後々大変なことになるのだよと教化する。なんと大人げない・・・。
ヒイヒイ言いながらの作業もあと僅か、先が見えてきた頃には、出会ったキジに挨拶出来るほどの心の余裕が生まれる。しかし、まれにマルチの下から姿を現すヘビにはドキッとさせられる。これもまた自然である。
その一方で、これから収穫を迎える畑には、冬の間に除草を終えて越冬した作物が大きく育つ。私もやる時はやるのだ・・・。キャベツは大きな葉を広げ、その上をモンシロチョウが舞う。このキャベツは初夏に収穫予定で、みずみずしい大きな葉は春先から憎き害鳥(ヒヨ鳥)の食害に遇う。冬の間に除草を終え、ヒヨ鳥を寄せ付けないように透明の糸をキャベツ畑に張り巡らせる。これで少しは食害を防ぐことはできるが、完璧とまではいかず、ところどころ食害にあっている。栄養価たっぷりの有機キャベツを食し、ヒヨ鳥は元気いっぱい空を飛び回る。知ってか知らずか近くの畑で普通に栽培されているキャベツには手(くちばし)を出さない。野生の感が働くのであろうか。
キャベツの隣には11月下旬に定植した玉ねぎが先の尖がった葉をツンと空に向けて伸ばす。ニンニクも同じく大きく育ってゆく。土の中でまだ新芽が眠るじゃがいもには近々マルチをスッポリ掛けて地温を上げる。伸びた芽がマルチを持ち上げてくると、その芽を傷めないように切り込みを入れ、お日様の下に出す。
目を他にも向けてみる。畑の中央にビニルトンネルが張られている。トンネルの中は温度が上がり、春真っただ中の気候になっている。中には多くのトレイが整然と並べられている。キャベツ、スイートコーン、リーフレタス、赤ジソ、ズッキーニ、パプリカ、4月初旬にはきゅうりのトレイも並べられ育苗される。ゴボウや小松菜などは直接大地に播種を行う。小さな芽を出しているキャベツは、酷暑になり葉物が少なくなる8月初旬に収穫予定、一年のうち最も難しい栽培時期である。パプリカは3月中旬の寒さにあたり少々へこたれている。春先は温度管理が大切な時期で、朝夕のトンネルの開閉も大切な作業の一つである。
片付けの済んだ畑にトラクターを運び、まず堆肥を散布して中耕、半月かけて土となじませ本耕、真直ぐに畝を立て、育った苗を逐次定植してゆく。空っぽの畑は賑やかになってゆく。今は一部取り残しの大根、白菜、葉菜、そして先日おほめいただいた生き生き育ったハコベやフグリなどの雑草が一斉に花を咲かせ、別の意味でとても賑やかである。
暖かさも手伝い、モグラが活発に土の中にトンネルを掘る。モグラも活発すぎると作物に害を与える。
美しい風景は日増しに変化してゆく。本年はいつもより早く花を咲かせた山桜、誰も見ることもなく、ソメイヨシノのような豪華絢爛な美しさはなくとも、山のいたるところで美しく咲き誇る。
あかね色の夕日が周りの影を包み込む。一日の作業もあと僅か。自身の体力計はエンプティを指す。「遠き山に日は落ちて」と口ずさみ、農作業の疲れからくる心地よいだるさに春を感じる。
3月26日は、作曲家ベートーヴェンの命日にあたる。ベートーヴェンは苦境の世で生きる人々に勇気を与え、自らの人生哲学、宗教感、そして大自然の力を楽譜に書き起こし、如何なる権力にも屈することなく、自らを高次元の世界に置いた。私は交響曲第6番「田園」第5楽章をこよなく愛しているのだが、この中で何度も繰り返される大自然を描写したフレーズが、一年中野外で作業を行う私の心の琴線に響く。
臨終の床に臥せていたベートーヴェンが右手のこぶしを上げ、叫んだ。「諸君、喝采したまえ。喜劇は終わった。」これが彼の最後の言葉となった。
前理事長が生前いつも言っていた。「人生の岐路に立たされた時はベートーヴェンの曲を聴きなさい。そこに新たな道が開けるから」と。その言葉が今も思い出される。
春の京都ではモネ展が開催されている。素晴らしい絵画の世界を求め、美術館を訪れる人数では世界でもトップクラスの我が国。私もこの春の一日、モネの世界に浸りたいと思う。美しい画家モネの世界を求める人は開催まもなく20万人を超すようだ。美を求める多くの人々が、美しい日本の心を守る礎になることを願う。四季折々の自然が奏でる音、体に染み入る美しき風景、これらを何よりも楽しませていただけるのが農の世界であり、すべてに感謝を持って作業に励まなければならない。生命が春の日差しを受けて高揚する。大自然の慈悲のもとに。
春の風にネギ坊主が微笑む農場よ