慈光通信 第172号
2011.4.1
すべての患者に聞いた食生活の傾向から 2
前理事長・医師 梁瀬義亮
【この原稿は日本有機農業研究会主催第四回全国有機農業大会における梁瀬義亮前理事長の講演録です。】
対症療法の限界
現在の医学は病体乃至屍体の分析と、その分析のデータを単純条件下において動物実験する、そのデータの寄せ集めから成り立っておるわけです。例えば、肺結核という病気を追求するのに、医学はどの様に追求したでしょうか。まず、その咳をする、痩せる、血を吐く ― こういう患者の屍体を解剖してみて、その原因が肺にあることを確かめ、この肺を更に組織学的に、あるいは顕微鏡的に追及していって、そして結核菌に到達した。細菌学はその結核菌の純粋培養に成功する。これを動物に濃厚感染させて、そして結核を起こさせた。そして今、肺結核症の原因が結核菌にあるということに誰も疑いを持つものはおりません。これから出てくる医学者の活動は、専ら結核菌を殺す薬が発見されて、今日では、結核で死ぬ人が非常に少なくなりました。
その反面、結核の薬を飲んでいるゆえに結核で死ぬ人が非常に減ったけれども、薬を止めるとすぐ再発して生きず死なずにいる。治ったり、また悪くなったりする人が非常に多い。また、結核菌を抑える薬によって結核を抑えても、薬のために肝臓や腎臓、あるいは脳に異常をきたして亡くなる方が私達の周りに大変多いのです。結核では死なない。けれどもその薬のために他の病気が起こってくる、というような例が非常に多うございます。
分析という方法、屍体・病体を分析し、その出てきたデータを単純条件下において動物実験を行って、たくさんのデータを集めてくる。これはどちらかと言えば、むしろ工学的な発想であり、工学的な方法です。これによって私達が見落とすことはいわゆる分析によって「生命」を見失うのです。単純条件下における実験を集めるだけでは生態系の存在という事実が見落とされてしまう、というようなことを考えたのでございます。
例えば今の場合、肺結核の患者から100パーセント結核菌が見つかると
いうことは確かに事実でございます。しかし、もう一つの事実は、99パーセント近い人が結核菌を持ちながら結核にならないという事実なのです。これに私は着眼したのでございます。生命力ということに着眼いたしまして出てまいりますところの病気に対する解釈は、生命力が旺盛な時には、いろんな病気と思われるものも、自然の状態においては病気を起こさないということです。
例えば、今私の手をみていただきますと、この手にはたくさんのバイキンがおります。化膿菌もおります。しかし、ここに化膿性の病気は起こりません。バイキンは繁殖しません。しかし、私のこの動脈をゆるく結紮して私の手の先へ血の循環が悪くなるようにいたします。そうすると手の指の組織が非常に抵抗力がなくなり、生命力の力が衰えます。そうすると、ここに化膿菌が繁殖してまいります。冬よくある、ご婦人達のひょう疽がそうなのでございます。熱いものを持つために指の細胞の生命力が落ちておる。更に血の循環が悪くなって起こるわけなのでございます。更に結紮して完全に血管を縛って血を通わせなくしてしまうと私の手は死んでしまいます。その時には化膿菌ではなくて腐敗菌が繁殖して手は腐ってしまうわけです。
自然の状態において、生命力が旺盛な時には病気は起こらない。ところが、生命力が衰えてきますと、この時初めて病気というものが出てくる。このように考えてきますと、薬で病気を治すということはどんな意味があるのだろうということです。
病気を薬で治します。病気は治るでしょう。例えば、扁桃腺の化膿については抗生物質によって化膿菌が止まってしまいますから、この血球性の熱も下がり痛みもなくなります。しかしながら誰もが持っている化膿菌を繁殖せしめるに至った生命力の衰えというものは、決して薬によって元へ戻るというものではございません。だから時間がたつとまた起こってまいります。また抗生物質を使います。また一応病気は治りますけれど、生命の衰えはそのままであります。
日常診療に従事しておりますと、いつも出会う子で、しょっちゅう扁桃腺を腫らしてくる子、しょっちゅう風邪をひいて抗生物質を使わなければならないのが恐ろしくて、その子の顔を見ると冷や汗が出てくる、そのようなことは医療に携わっている先生方はよくご経験のことだと思うのです。
だから薬で病気は治せるけれど、病人を治すことは出来ない。これを繰り返していると、むしろ、「病気を治して病人を作る」というような結果になる可能性がある。このように考えたのでございます。
さりとて私は薬を止めてしまえと言うのではないのです。いわゆる薬という時点で応急処置としては素晴らしい力を持っている。しかしながら、もう一つ生命力を発揮せしめるような研究がなされなければならない。これは現代医学にはないと思われるのです。どうしたら、生命力の衰えから再び旺盛になるかということを考えたのです。
火事にも二つの方法が必要であって、一つは応急に消防車で火事を消すことでございます。この時には家は壊れてもやむを得ません。けれどもそれだけに頼っておったならば、次々と火事が現れるなら、消防車の水で町は壊れてしまうでしょう。もう一つ「火の用心」という大事な仕事があるはずです。
医学には救急に患者さんを救うという医学とともに病気が起こらないようにする医学が必要ではないか。これを「生命の医学」と名付けたわけなのですが、当時私は悲しみの中から、もうひたむきにこのことを考えたのでございます。そしてこのいわゆる「元気」― もともと持っている人間の生命力がどんなものであるかということをいろいろ調査したのです。
(以下、次号に続く)
今、私達にできること
この度の東北地方太平洋沖大地震で被害に遭われた皆様には、心よりお見舞い申し上げますと共に、一日も早い復興をお祈り申し上げます。又、被災地で災害からの復旧に携わっていらっしゃる方々に敬意を表し、心より感謝いたします。
今回の震災では津波がたくさんの方々を飲み込み、尊い命が失われました。それと同時に原発の事故が発生し、人命救助や町の復興を困難なものとしています。一番恐れていた放射能漏れが発表され、付近の方々は戦々恐々とした日々を過ごされています。また、遠く離れた地でも水や食糧などの買い占めなどが取り沙汰されています。そこで放射能の恐怖にさらされた今、少しでも身を守るためにできることをと考え、チェルノブイリ原発事故から2年後の慈光通信に掲載された文を再度掲載させていただきます。
・・・今や農薬、添加物、合成洗剤等の害の他に放射能にまで注意しなければならない時代が到来したと言えましょう。放射能は環境汚染から人体汚染になりつつあるのです。こう考えてくると、私達の未来には絶望しかないように思えます。しかし、ここに興味深い事例がありますのでご紹介しましょう。
一つは、約20年前、ラスベガスでの話です。原爆実験後、放射能雲が思わぬ所に流れ、その放射能の害により、飼育されていたうさぎが十数万羽死ぬという事件が起きました。当時の主任軍医が、野生のうさぎについて調べたところ、死体は一つも見つかりませんでした。尚、その地方ではうさぎの死体を食べるような動物はいないということで、結局、野生のうさぎへの影響はほとんどないという結論を得ました。この話で、同じ放射能の環境下でも、人工的に飼育された不健康なうさぎと、自然の中で生活してきた健康な野生のうさぎとでは、その抵抗力に大きな差があることが分かります。
又、もう一つの実話は、長崎のある病院での話です。院長は、長年の診察から得た結論として、菜っ葉+わかめの味噌汁を毎日食べていれば健康に過ごせるとの見解を持っており、その病院の勤務員や看護婦は、強制的にその食事を摂らされていました。長崎に原爆が落とされた時、その病院は爆心地に近かったにも拘らず、勤務員や看護婦は一人も原爆症にならなかったそうです。この話も、生活によって、放射能の害が軽くすんだ例です。たとえ放射能がやって来ても(特に食生活に注意することによって)抵抗性のある体には、害が少なくてすむのです。例えば、ストロンチウム90は、カルシウムと同族なので、カルシウム欠乏を起こしている体には、即、吸収されてしまいます。現代人のカルシウム不足は、周知の事実となっていますが、こういった体では、放射能の害を受けやすく、将来、白血病や癌の出る恐れがあります。従って我々の日常の食生活では、白砂糖、市販のジュース等甘いものを避け、海草、小魚、緑の濃い野菜、青汁等から努めてカルシウムを補給することが大切です。(但し、この際農薬には十分御注意下さい。そうでないと逆の結果になってしまいます。)
放射能の害について、特に将来のある子供たちのためには、今後、より一層の注意をしてゆかなければなりません。
(昭和63年4月 慈光通信8号より)
※参考資料として「まだまにあうのなら」甘藷珠恵子著・地湧社刊 「東京に原発を!」広瀬 隆著 JICC出版刊 等を、慈光会記念資料室においてあります。
貸し出しも行っておりますので、ご一読下さい。
◇ 復興支援義援金のご報告
慈光会では東北地方太平洋沖で災害に遭われました方々の支援のため、店頭にて義援金箱を設置しております。たくさんの会員の皆様からのご厚意によりお寄せいただいた義援金は、財団法人慈光会、五條慈光仏教会からの義援金と共に、取り急ぎ、日本赤十字社・岩手県災害義援金募集委員会・宮城県災害対策本部・福島県災害対策本部へ送らせていただきましたのでご報告させていただきます。皆様のご協力に感謝し、熱く御礼申し上げます。尚、引き続き義援金箱を設置し、募金をお願いしております。被災地では、復興に長い時間がかかりそうです。皆様の温かいご協力をどうぞよろしくお願い申し上げます。
農場便り 4月
例年になく厳しい冬が去り、春の日射しが大地に降り注ぐ。眠っていた冬の大地に生命(いのち)が吹き込まれ、大きく息をする。春の風に揺れる風知草、雑木の芽の色が変化し日増しに丸く膨らむ。谷底に植えられた杉は、時折吹く強い風に木全体が左右に揺れ、揺れるたびに薄黄色の花粉を飛散させる。
蔬菜園に目をやる。この時期の蔬菜園は、冬作を全て取り終え、春・夏作の野菜に切り替えるため、荒起こしや畝上げをして播種したばかりの土色のみの畑である。そこには畑を横切るイノシシの足跡だけが残る。
3月に入り、準備していたじゃが芋の種を無事植え付け、小さな芽が土の中で少しずつ成長してゆく。毎年、農場では男爵種のみを栽培していたが、本年、少しではあるが、メークインも栽培に加えることになった。初めての挑戦であるため、細かいことは分からないまま、全て男爵イモと同じ方法で栽培している。「まあ何とかなる」が信条の私ゆえ、何とかなるでしょう。じゃが芋の定植を皮切りに、次々に種をまき、苗の定植を行う。トラクターも冬ごもりから一気にフル活動となる。ギコギコ、キッキッとそこら中から嫌なきしみ音が聞こえてくるが、かまわず堆肥を撒き、土を深く起こす。
有機栽培で最も大切な作業に堆肥作りがある。春の匂いが少し漂い始める2月下旬より堆肥作りが始まった。堆肥舎の1ブロックにダンプ25車分の堆肥をきれいにトラクターで積み上げる。2、3日で堆肥から再び熱が発生し、寒い朝には白い蒸気が上がる。農業は一年先を見据え準備をしてゆく。積み上げられた堆肥は、幾度か切り返し、さらに一年寝かせ、微生物の力で分解し、畑に播かれた時に作物や土に最高の肥料となるよう育ててゆく。農業とは気の長い職業である。
4月初旬、現在農場には何種もの野菜が育てられている。ほぼ通年で作付けする小松菜、ビタミン菜、ホウレン草、サラダ水菜、大阪しろ菜(この大阪しろ菜は見かけは悪いが、味は青臭みがなく、私の中では菜っ葉の中でもトップクラス)、他にサンチュ、サラダ菜、パセリ、初挑戦の根深白ネギ、大根、ゴボウ、葉ゴボウ、キャベツ、パプリカ、赤ジソ、ズッキーニ、オクラ、かぼちゃ、ゴーヤ、それに盛夏用野菜は暖かなトンネルの中で育苗中、時期をずらしながら後から後へと播種を繰り返す。
4月下旬頃から、憎き害虫が我がもの顔で畑に現れ、黙々と野菜を食する。モンシロチョウは、三次元攻撃でキャベツ、ケールを中心に攻撃を繰り返す。栽培する野菜は毎年同じように見えるが、その年により少しずつ違う。雑草は春雨に春の到来を感じ、お日様の温かい日射しで青々と育つ。取れど削れど、後から後から、際限なく芽を吹き作物を怯えさせる。そのスピードたるやノイローゼになりそうな勢いである。前理事長は「雑草がある限り人類は飢えることはない」と言っていたが、「雑草がある限り私には平安な日々はない・・」と言うのは罰当たりだろうか。野菜が雑草のように強くたくましく育ってくれることを願う。
いつものようには心が躍動しないこの春である。今までに経験したことのない天変地異が東北地方を襲い、すべてを飲み込んだ。あまりの凄さに身じろぎもせずに映像を見つめる。人々が恐れ苦しむ姿に自然と涙が頬を伝う。津波の影響で原発がコントロール不能となり放射性物質が飛散する。身を呈し危険を冒し、人々を守るため任務を遂行する隊員。テレビで放映されている御用学者の危機感のないコメント、農薬や添加物の問題でも常にこれらの人達がいい加減なデータを出し企業を優先させる。いい加減な社会がこのような大惨事を招いてしまった。ヘリで命からがら救助された御老人が自衛官に何度も何度もお礼を繰り返す。どうか東北を、関東を、そして日本をお救い下さい、と祈らずにはいられない。
先日ラジオから聞こえてきたエープリールフールの嘘特集、司会者が私の好きな嘘と紹介した。小学生からの作品で「本日は雨天のため第三次世界大戦は中止となりました」大の大人がこれに飛びつく。どう聞いてもシャレにはならない。私達は、節電、節水、倹約は当たり前の社会で育った。エアコンもヒーターもなかった。しかし、家庭は常に豊かで温かであった。快楽を求めた私達に回ってきたツケは大きなものとなってしまった。
スイスの牧場で学んだ友人の話である。ホームステイが終わり、帰国の際に穴の開いた靴下をゴミ箱に捨てて帰った。何カ月かしてスイスから小包が届き、開けてみて思わず涙がこぼれた。中にはプレゼントと共にゴミとして捨てたはずの靴下がきれいに穴を繕われて入っていた。憧れのスイス、素晴らしい国である。
清明の中 人の愛を そして人に愛を
鶯の鳴き声がようやく響いた農場より