慈光通信 第171号
2011.2.1
すべての患者に聞いた食生活の傾向から 1
前理事長・医師 梁瀬義亮
【この原稿は日本有機農業研究会主催第四回全国有機農業大会における梁瀬義亮前理事長の講演録です。】
はじめに
私の農業に対する足がかりは、やはり医師としてのところから出てまいりました。その間の事情を申しあげて、いかに有機農法が健康等に大事であるかについて申し上げたいと思うのでございます。
現在では、非常に医学が進歩し、そして素晴らしい医療施設が出来、10兆を越す医療費用が使われておりますにも拘わらず、病人は増える一方でございます。具体的には昭和30年には1,000人あたりの日本人の病人が37.9名であったのに対して昭和50年には109.7名ということになっております。しかもその病人の内容でございますが、治ったら元の質の健康な人になるという病気よりも、いわゆる退行性疾患、人間の身体がもう根本から腐ってしまうような病気が非常に多くなってきているわけで、慢性の肝臓疾患、慢性の腎臓疾患、糖尿病、あるいは心臓血管系の病気、癌、白血病、精神異常であるといったようなものが非常に増えて来、遂に子供が一番たくさん死ぬ病気が癌になってしまった現状であります。医学の進歩にも拘らず難病・奇病がどんどん出てきつつあることは本当にかなしいことであります。
これは確かに思考過程においては多勢の方がお互いに矯正しあいますから間違いないと思うのでございますけれども、こういう悲しい現実が出てくるということは、何か一番、発想、あるいは研究方法に足らないものがあるのではないかと考えられるのです。
少女の死から生命の医学へ
実は私、フィリッピンから九死に一生を得て帰らせていただいた感動で、一生懸命に兵庫県の県立病院で勤めさせていただいておりました頃のこと、私が受け持ちにならせてもらいました一七歳の少女、この方は非常に恵まれたご家庭の一人娘でありまして、当時は貴重品であったペニシリン、更にス
トレプトマイシンまでも使うことのできる方であって、いつも起こって来る病気をずばりずばりと治しておりました。
私達はその威力に驚嘆しておったのです。それに、注射をしてあげて早く治ることで、それでいいと信じておったのです。ところが、この方が恐ろしいことにブドウ状球菌による敗血症で死んでしまったのです。私はこの時にこの方の主治医でありまして、大事な一人娘を失われたご両親のお悲しみ、もう本当に胸を裂くような思いで意気消沈し、私自身も妹を失ったような悲しみに打たれました。その時に、ふっと気がついたことは、今まで自分が経験として持っていたことで気づかなかったことでございますが、「生命力」というものについてなのです。
私は中学校四年生の時に大変な病気になりました。どの病院へ行ってもわからない、どんどん弱る一方でした。毎晩風呂へ飛び込んだほどに汗をかくし、そしてあっちこっちの大病院で診ていただいて、肺門琳派腺結核とか、慢性の十二指腸炎とか、ビタミン欠乏症とか、慢性胃炎とか、いろいろ病名をつけていただいて手当を受けたのですが、治らなかった。ところが、ある漢方の先生が、これは砂糖づけだよ、砂糖が悪いと仰った。その頃随分砂糖を食べておったのですが、その砂糖を止めて暫くするとすっかり治ってしまいました。
また、紀伊山脈の奥にある山の中の僻村に行った時に、アワやヒエを主食にし、僅かの米しか食べられない村人が非常に健康であるのに、その村の地主、大金持ちが結核とかリュウマチとか、恐ろしい病気にかかっておるということを現実に見て来ておって、それが経験として入っておったのです。
そのお嬢さんを失った悲しみの時、一時にそれが思い出されて、生命力というものに思いをいたしたのです。即ち「私達の世界にバイキンがおるのではなくて、バイキンの世界に私達が住んでいるのだ」と細菌学の講義の初めに聞くあの言葉です。その他暑さ寒さ気候の変化など、いろいろな病気の原因の中におりながら、私達が病気にならない、そして健康に一定の寿命を生きさせて貰う。これを生命力と申します。自然治癒力ともいうわけです。
この自然治癒力というのは、考えてみれば本来医学の一番基本になることなのです。外科の手術が可能になるのも、いろいろ薬が効くのも、何もかも人間が自然治癒力を持っているという、この前提のうえに成り立っているわけなのでございます。
(以下、次号に続く)
今月は『大和あっちこっち』より、花野五壤先生の絵と文を紹介させていただきます。
花野五壌 橋本院観音堂.JPG
橋本院観音堂(御所市高天) 花野 五壤
友人の車の便を得て高天(たかま)へ。葛城の道の北窪から山の方へ坂を登って葛城の高原地高天の里へ入る。大きい構えの家々の間を冬の風が吹き抜けて森閑(しんかん)として人の気配がない。突然無人の境へ迷い込んだような気持ちがする。
この静寂が太古の土地の静寂の一部が残っているのかも知れない。背景は鬱々(うつうつ)とした金剛山の山膚がま近に迫る。左へ道をとれば高天彦神社で、右へ行けば、橋本院のお寺がある。田もあり畠もあり、家々がここの自然に溶け込んでいるようである。
高天彦神社の前の見上げる杉並木は年代の古さをまず感じさせる。絵馬堂や鳥居は改築間もないとみえて木の色、鳥居の朱が生々(なまなま)しいが、本殿は堂々とした造りに圧倒される様な正面性の強い表現は美しい。まさに太古の神々が鎮座まします社殿である。脱帽して礼拝すると社殿の背後の金剛山の山霊がじかに迫って来て、ただならぬ気配にむしろ戦慄(せんりつ)に似た感動を覚える。
高天といえばすぐに九州の高天が原の名が念頭に浮かぶ。どんなことになるのか別に深く掘りさげてみる気持ちもないが同じような例に飛鳥という所は大和にもあり河内にもある。
あすかとは元は土地の固有名詞ではないとの説を人から聞いた事があるが、高天というのも元々固有の地名ではないかも知れないなどと自分勝手なことをひねってみる。
村の反対の方向にある橋本院は、自分の父と因縁の深いお寺で、父が生前訪ねてみよとよく言われていた。観音堂の正面の二つの柱の基石に彫られた今もはっきりと施主花野音次郎の文字が読まれる。お堂は別に変った特徴のある形でもないが、後でここの住職坂井様に聞いた話によれば、五条からは、遠く高く八十年ほども前の事で、当時建立には非常な難儀をされたとの記録が残っている由。わが父のことであり、他の人にはわからぬ感動も手伝って堂中の観音様に深々と頭をさげる。灯明を近づけて見ると大きい水瓶(すいびょう)が目の前に見えたのが強く眼底に残る。
農場便り 2月
大寒の冷気が終日農場を包み込む。吹きさらしの畑では、農作業をする手はかじかみ、北風が鋭利な剃刀のように頬を切る。作業用の長靴の中は凍った大地に熱を奪われ、いつの間にか感覚を失う。
暮れから新年をふり返る。大晦日の昼過ぎより降り出した雪が、見る見るうちに周りの景色をモノトーンの世界へと変えた。降り積もる雪の重さに耐えかねた庭のナンテンの木は地上近くまで弓なりに下がり、ロウ梅はつぼみを固く閉ざす。深夜、しんしんと降る雪の中、遠くより除夜の鐘が深く静かに響きわたる。今年は、今まで記憶にない程の雪景の元旦を迎えた。家族でささやかに新年を祝い、旧年中の事や本年の各自の色々な話で盛り上がる。ひと時仕事を忘れ、寒い外の雪景色とは対照的な暖かな部屋の中に話の花が咲く。会話の中に子供の成長を感じると共に、自らの時の流れを思う。
新年3日、庭の雪も日影だけを残し、殆んどが溶けた。葉を落とした丸裸の木立の枝に小さな鳥を発見。枝から枝へと休むことなく飛び回り、私の姿にも驚くことなく、小さな鳴き声をたてて目を楽しませてくれる。目の周りに白い輪があるきれいなメジロである。この2?3年、我が家の庭に姿を見せることはなかったが、この大雪の中どこから飛んできたのであろうか。2羽が仲良く遊ぶ姿にしばし時を忘れ、じっと見入ってしまう。そして夕方、冬空へと飛び去ってしまった。
そろそろ畑の野菜が気にかかり見回りに行く。12月に頭からすっぽりかけたビニールトンネルは強風に飛ばされることもなく、暖かく中の野菜を金剛おろしから守ってくれていた。小松菜、ビタミン菜、水菜、大阪しろ菜は葉を広げ元気に成長している。まるでトンネルの中から野菜同士の会話が聞こえてくるようで、寒さに負けず育っている姿を見てほっと胸を撫で下ろす。となりの白菜は、今年秋までの雨不足と暑さがたたり、成長が悪く、がっちり巻いた姿になっていない。それでも大きくなったものから少量ずつ出荷をしていく。
農業は植物を育てる部門と家畜を育てる部門に分かれる。畜産には大きく分けると牛、豚、鶏の三種類がある。慈光会農場では作物のみを育て、畜産部門は委託している。今回は慈光会創設時より取り扱っている鶏卵について紹介させていただく。
現在、慈光会の卵は紀州・清水町の山里深い大石高原の南側、亀田農園で委託生産していただいている。鶏の品種は多く、採卵用、食肉用、観賞用などの種類があるが、亀田農園では採卵用種、アメリカのポリスブラウン種を育てている。ポリスブラウンは卵質が良く、美味で卵殻の色も美しく多産。また、ストレスに強く、おっとり系の鶏でもある。飼育環境は平飼いで、鶏舎内を自由に走り回る。美しい空気、水、そして最高品質の自家配合飼料(非遺伝子組み換え、ポストハーベストフリー)など最高の環境の中で育てられている。当会の養鶏とは真逆の一般での近代養鶏は、ヒナの時期より大量の薬品漬けで、成長するとウインドレス鶏舎(窓がなく人工照明のみで外部と完全に遮断)の中で小さく仕切られたケージに入れられ、殆んど動くことを許されない環境で一生を過ごす。人工的な環境の中で免疫力を高めることはなく、動くことのできないストレスは蓄積される。マイナスとなる因子すべてを抗生物質も含む薬品に頼ることにより近代養鶏は成り立つ。しかも、その卵を口にする人体への影響は大きく、これから先の人々の健康が懸念される。近代養鶏は卵の生産量のみを目的とし、鶏を命ある生き物とする概念が欠落し、まさに卵製造機としてしか考えられていない。そこに鶏に対する感謝や慈しむ心は存在しない。今冬、鳥インフルエンザの猛威が又取りざたされている。日本に飛来し越冬するカモや白鳥、鶴、その他の小鳥たちが如何にも日本に持ち込んだかのような報道に多少の違和感を感じる。果たして鳥インフルエンザウイルスだけが悪いのであろうか。人のインフルエンザも発病する人もいれば発病しない人もいる。ほとんどの人は発病することもなく冬を過ごす。鳥インフルエンザも免疫力の低い鳥から順に淘汰される。「バクテリアやウイルスは、人間がいくらもがこうが、次々に型を変える。それを繰り返すうちにとんでもない事態に陥る」と前理事長が話していたことが思い出される。良い環境で正しい飼料を与えられた体力のある鳥はウイルスをもはねのけることが出来ると信じている。先日、亀田さんから亀田農園の鶏は畜産試験場での検査の結果、すべて陰性であったとの報告を受けた。皆様には安心して慈光会の卵をご利用いただきたい。
鶏卵について少し説明させていただくと、鶏卵には、炭水化物、脂肪、タンパク質、ビタミンA・B1・B2・B5・B9、他にカルシウム、鉄分、マグネシウム、リン、亜鉛等がバランスよく含まれている。コレステロールについては最近では、以前からある説は間違いとされ、鶏卵に含まれるレシチンは、コレステロールを抑え、動脈硬化、狭心症、卒中の予防に役立つ。しかしながら、「動物性食物の過度の摂取を控え、良質なたんぱく質は畑から」という医師の立場からの前理事長の言葉も付け加えておきたい。
全国で何十万もの鶏の命が犠牲になった。西洋的発想である人間至上主義を今一度見直し、共存共栄の東洋の考えを取り入れ、私達は他の生命の犠牲のもとに生かされているということを謙虚に受け止めなければならない。
農場の作業も本格的に始まった。大寒に畑を耕し冷たい空気を土中深くに入れ込む寒耕しは、身をも凍らせる寒さで土壌の病害虫を死滅させる作業で、先人から伝えられている知恵である。
1月中旬、本年の植え付け予定のじゃが芋の地作りを行う。深く耕した地に完熟堆肥を入れ、後にまた耕運し、2月下旬まで堆肥と土を馴染ませる。3月初旬に定植し、6月上旬に収穫を行い、一年分のじゃが芋を確保する。肥沃な土の中から淡い色の顔を地表に現したコロコロしたじゃが芋の姿は、蒸し暑さで息を切らした収穫作業の苦しさを忘れさせてくれる。
「イモ植えりゃ 国破れても我が身あり」というロシアの古いことわざがある。生命を育ててくれる大地に感謝である。謙虚さと反省の心を持ち人に喜んでいただくことのできる一年でありますよう、全力で農の道を歩ませていただきます。