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慈光通信 第169号

2010.10.1

食物と健康と農法 8

 

前理事長・医師 梁瀬義亮

【この原稿は、昭和53年(1978年)4月15日 くらしの研究会主催 寝屋川市で行われた梁瀬義亮前理事長の講演録です。】

 

 

農法
生態学的輪廻の法則

 

 

地上では植物のおかげで動物は生きているわけです。肉食動物は間接に植物を食べているわけです。植物が蛋白、脂肪、炭水化物、ミネラル、ビタミンなどの大事なものを合成してくれて、この合成というものは想像もつかないものです。これ程見事な有機質の合成を植物がしてくれるのです。これを動物が食べて、消費しているのです。そして動物の排泄物とか死がいとか、植物の死がいを地上の好気性微生物が分解してくれるのです。
そしてこれが土にしみこんでいって(土の中には一グラムに何億というバクテリヤがいるのです。バクテリヤ、カビ、モ、原生動物、ダニ系統、ミミズなど、地下30?の深さに一つの世界があるのです。これを土中の生態系といいます)この土中の生態系の中に入ってきて、この生態系の中に植物は根を張っているわけです。地上に植物があるように、土の中にも植物の根があるわけです。そして、この根から吸い上げ、地上の植物ができて、その植物を動物が食べて、排泄物や死がいを微生物が分解して、土にしみ込んで植物を作る。このような循環があります。これを生態学的輪廻の法則と申します。
この法則の中であらゆる生命が生きているわけです。この生態学的輪廻の法則の中であらゆる生命がみんな養われてきたのです。
この自然の法則を今の農法は無視しているのです。化学肥料を使いますと微生物が死んでしまいます。堆肥などを大地へ返さない。すると微生物を殺してしまう。従って土中の生態系が死滅してしまう。すると植物だけが化学肥料だけを吸って病的なものができる。この植物によって育てられた動物が異常になってきて、病気になったりするわけです。これが今の姿なのです。
考えてみると生命という事実を忘れて、分析ばかりしていた学問の誤りが、私達を恐ろしい毒物の海の中に沈めていくということなのです。

しかし、もう既に過去の間違った農学というものが根をおろして、それに応じた大企業、農薬会社、そして肥料会社、農器具会社、あるいはそれによって動かされる農政ができているために、この間違った歯車のなかに巻き込まれた生命でありまして今の日本は大変なのです。
これはどうしても世論を早く喚起して直さなければいけないのです。昭和34年頃は私がこのようなことを申しますとまるで気違い扱いされました。あれは農薬気違いだといわれたものです。いま、全国の心ある農学者やお医者さん、あるいは農民の方々が立ち上がり、やっていて下さるのですが、まだ微々たるものです。
しかしこの法則に従った農法を行わなかったら土が死に、益虫が死に、人間が死んでいくのです。

 

 

家庭菜園での堆肥の積み方

 

 

家庭菜園でも化学肥料は絶対にいけないということと、土から出たもの(わら、枯草、台所のゴミ、人間のし尿でも)は地上で土にしてから土に返すということです。土の中にすぐに埋けるのは自然の法則に反するのです。鶏ふんでも油カス或は台所のゴミでも自然状態では土の上に積って、酸素の好きなバクテリヤに分解されて土の中にしみ込み、土のなかの生態系を養って、植物の肥ができるわけです。
最近は農林省でも有機質を使えとさかんにすすめる。しかし多くの方が鶏ふんでも油かすでもわらでも土の中に生のまま埋けてしまう。すると病害虫が出てくる。するとやはり農薬を使わなければという声が出るが、やり方が間違っているのです。
家庭菜園では堆肥を積めといってもなかなか積めません。軽便な積み方は、畑の隅にわらや枯草、野菜のクズなどに油カスや鶏ふんを混ぜ、それに農業用石灰も混ぜて、ほんの少しの湿り気を与え、土も少し混ぜてかき回し、上にビニールをかけておけばよいのです。こうしておけばハエもわきません。できたら一週間に一回くらい空気を入れるためにかき混ぜるとよいのです。夏ならば三カ月、冬ならば半年くらい放っておくと土になってしまいます。これを好気性完熟堆肥といいます。この土を埋けないで畑の畝の所に置いておくだけでもよいのです。ただし、やせた土地は、始めにどっしり入れてかき混ぜないと駄目です。
これは種が割れて大きくなる時期に、土がやせていると大きくならないのです。人間も同様で、子どもが発育する時期に栄養が不足すると、あとからどんなに栄養をやっても大きくならない。
戦争中、ユダヤ人の子どもが、ナチスのために非常な栄養失調になった。戦争がすんで栄養を十分に与えても、横には大きくなったが丈には伸びなかったということです。ガルマンが発見して、これをガルマンの法則といいます。
土を肥やすもっと簡単な方法は、10月の末か11月の初め頃、もう害虫のわかなくなった時期に、畑の真中あたりに落葉、台所のゴミ、油カスをおきます。すると翌年の3月頃には、これらのものが分解して風化してしまいます。これを耕して種をまくという簡単な方法もあります。始めは少しは虫が付きますが、だんだん土が良くなる程害虫がわかなくなります。しかし少しはわきます。
よく害虫、害虫と悪口を言いますが、害虫とは人間と同じ植物を食べる草食性の昆虫なのです。益虫とは、草食性の昆虫を食べる肉食性の昆虫なのです。この草食性と肉食性昆虫が、輪廻の法則を守っている限り、五パーセントのバランスをとっているのです。しかし、この法則を破るとバランスが崩れて、草食性の昆虫がやたらに増えてくる。すると人間が困るので農薬を使う。そこで余計バランスがくずれるという悪循環になるのです。
家庭菜園をするには、土から出たものは必ず土にしてから土に返す。生のままではいけない。化学薬品も使ってはいけない。農業用石灰は有機質とともに使うことを忘れないで下さい。
※注 文中の堆肥の作り方について、これは昭和53年当時のものであり、現在のものとは異なります。
(以下、次号に続く)

 

 

深まる秋、心静かなひと時を
今年の夏は異常気象が続き、各地に多大な災害をもたらしました。そんな長く厳しい夏もやっと秋へと移行したようです。過ごし易くなった夜はじっくり落ち着いて読書や音楽を楽しみ、静かな時を過ごしたいものです。
梁瀬義亮前理事長は、時間があるといつもステレオの前に座って座禅をしながらベートーベンの音楽を聴いていました。前理事長にとってベートーベンは尊敬してやまない音楽家であり宗教家でした。
次の文は、以前慈光会主催の音楽会のパンフレットに前理事長が書き記したものです。

 

 

ベートーベンを讃う

 

 

― 稀代の大音楽家であると共に
真理の光を世にもたらした
偉大な宗教者ベートーベン ―

 

 

「ベートーベンは第二の釈迦である。・・・彼の音楽は誰にも理解できる偉大な宗教である。」
これは現代の最高のチェリストであるトールトリエ(仏)の言葉であります。
ベートーベン(Ludwig van Beethoven 1770-1827)は稀有の音楽的天才と共にすばらしい宗教的霊性の持主でありました。彼を「神の撰び給うた楽器」と評したのは有名なピアニストDinuli Paphti でした。
ベートーベンの作品は音楽として最高であると共に限り無く深い真理の啓示とはげまし、慰めとこの世ならざる美を蔵したすばらしい真理の光であります。
彼の日記に書かれた言葉:
「私が作曲しているとき神は最も私の近くに居る」
「私が高い霊に導かれて作曲しているとき・・・・」
「私の音楽は病めるもの、悩めるもの、苦しむもののために捧げられよ」
等々は大音楽家と共に偉大な宗教者ベートーベンの面目を髣髴せしめるものであります。
偉大な真理の声をこの世の最高の芸術(音楽)に翻訳するという大事業のため神様はベートーベンから人間としてのこの世のよろこびを奪って仕舞はれました。音楽家として最も大切な聴覚を奪はれ、家庭も富もなく、孤独と病の鉄槌に耐え鍛えられて終に彼はこの大事業を成就したのでした。
希望と勇気、救いと慰めの源泉―真理の光―の実在の証明を後の世の人々に残して、彼は1827年3月26日はげしい雷鳴と共にこの世を去りました。
その偉大な功を酬はれることもなしに。・・・然も彼は私達へ最後のおくりものとしてその心境を次の言葉で残しました。
Durch Leiden Freude!
― どんな苦悩も、そこを透って歓喜の光が!・・・神の光が! ―

 

 

前回の慈光通信でお知らせ致しましたように、慈光会では11月に定期大会を開催させて頂きます。どうぞ皆様、「講演と音楽の集い」に奮ってご参加ください。

 

 

 

農場便り 10月

 

「清風故人来る」の季節もいつの間にか過ぎ、夏の間に大きく繁茂した草が成長を終え、一斉に次世代へと穂を上げ種を付け始める。朝露に濡れた金エノコロの穂は朝日に輝き、自然の宝石となり目を楽しませてくれる。
この夏、今までに経験した事のない熱波が日本列島を包み込んだ。7月初旬まで農場ではすべて順調に作物は成長し、収穫も順調であった。ナスの木も大きく育ち、つぼみをたくさんつけ、これからシーズンを迎えようとしていた。日増しに気温は上昇し始め、温度計の指し示す位置があがり、熱波がナスに襲いかかる。「茄子の花と親の言うことは百に一つの無駄は無い」と聞いてはいたが、花は咲けどすべてが落下、一向に結実しない。ナスは水分を好むため水分管理を怠ることなくその他の作業も進めてゆく。そのうち熱波も去りナスの木も結実するだろうと安易に考え様子を見ることにした。8月上旬、きれいだったナスの葉に夜盗虫が付き始め、見る見るうちに食害されてゆく。あまりの暑さのストレスであろうか。しかし無農薬栽培ではこういう時でもただ自然に任せ見守る。貪欲な夜盗虫はそれでもまだ飽き足らず、隣で大きく葉を広げ、背高く育っている里芋の葉に目を付けた。2?3日で立派な里芋の葉は見る影もなく、破れ傘のように変身してしまった。里芋までもが食害を受けるとは・・・まさに異常事態である。後わずかで秋の収穫なのに、と落胆は隠せない。
害虫が大発生し食べつくされた時や、イノシシが作物を掘り起こしてしまった時には、腹の底から怒りが込み上げる。この熱い怒りと高温が相まって自身を熱く包み込み、フラフラ状態。思考回路は完全にダウンし、阿修羅のような怒りのみが私の中に宿る。帰宅後、熱き怒りと埃をシャワーで洗い流し、心を癒す。翌朝、作物を見て回り害虫を目にした時、収まっていたはずの怒りがまたわき出してくる。「怒りは、人の『我(が)』がもたらすもの。そういう時は地を見ず天を仰ぎなさい。」という前理事長の言葉を思い出す。見上げると、空にはどこまでも果てしない空間が広がり、高さ15000mの空いっぱいに秋のいわし雲が浮かぶ。見上げているうちに心は穏やかに、怒りは風と共に消え去った。破れ傘状態となったみじめな里芋、今回はこの里芋についてレポートさせていただく。
里芋は、サトイモ科・多年草、原産国はインドから東南アジアで、日本での生産は稲作より早く、縄文時代より栽培されていた。25?30℃位の温度を好み、多湿も好む。成分はデンプン質が主成分で低カロリー、食物繊維が多く、ビタミンB1・B2・カリウムを含む。特有のヌメリはムチンとガラクタンで、ムチンは胃腸の腫瘍を予防し、消化促進、肝臓を強化する働きがある。またガラクタンは免疫力向上、血圧やコレステロール値を下げ、脳を活性化させ、認知症の予防にも一役買う。料理の下準備の際、手がかゆくなるのは、シュウ酸カルシウムの仕業である。里芋は正月の祝いの料理には欠かせない一品であり、昔から神棚に祭られてきた。旧暦8月15日は芋名月と言い、衣かつぎにし、十五夜に供える。神様にも好まれる里芋は、元来非常に強い作物であり、水分と肥料さえあれば簡単に育てられる作物であったが、今年の異常気象では里芋にも害が及んだ。来年もまたラニーニャの発生が予測されている。来期の作付けに向け一層の対策を施さなくてはならない。あくまでも自然の中での考えを基に、お天道様のなすがままに。
岩手県の協力農家 山口農園より今年初の早生リンゴが届く。本年、東北地方も猛暑が続き、玉肥えが悪く小ぶりだそうである。光沢のあるみずみずしいリンゴは、素朴で実直な山口さんご家族の温かな心がそのまま果実に反映している。初荷のリンゴ箱を開け、リンゴの香りと東北の澄んだ空気を胸一杯に吸い込んだ時、私の中で夏の終わりと秋の始まりを感じ取る。
行き帰りの道すがら、水田は日に日に刈り入れられ、黄金色の田んぼから土がのぞく。まだ刈り入れの済んでいない田んぼとのコントラストが実に美しい。田んぼの周りのあぜが額となり、一面に咲いた曼珠沙華の花が額を飾る。収穫を終えた田んぼの中から農民の喜びが伝わってくる。
9月下旬、夏の間休耕させていた畑にトラクターを入れ、雑草を片付け軽く耕運する。10月中旬、この畑には来年の初夏より出荷するゴボウが播種される。トラクターでの作業を始めると、どこからともなくアキアカネが集まって来る。沢山のトンボは風上に向い飛び交う。トラクターに驚いて飛び出した小虫をめがけ追いかける姿が目に入る秋の夕暮れの風景である。これがトラクターではなく牛馬であれば、もっとトンボと解け合い情緒のある風景であろう。その風景の中に同化し思わず口ずさむ「赤とんぼ」、幼くして別れた母を想う三木露風の詩に友人 山田耕作がメロディを付けた。日本の田園風景、そして日本人の心を歌った素晴らしい曲である。郷愁と抒情あふれたこの歌を口ずさみながら秋を想うと共に、地球上すべての生物が共存するあり方を説いた前理事長を思い出す。
秋の陽は寂しい夕日へと変わり、空を茜色に染め、美しい夕焼けに一日の労を忘れる。秋風が金エノコロの穂を揺らす。盛夏には無い秋の静けさが広い農場を包み込む。秋風に乗り飛び交っていたアキアカネの姿は草むらの中へと消え眠りにつく。アキアカネに代わり、コオロギの奏でる羽音が農場に響く。

 

 

ススキの穂が美しい農場より