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慈光通信 第252号

2024.8.13

健康と医と農 Ⅵ

 

前理事長・医師 梁瀬義亮

【この原稿は、1986年7月6日 西条中央公民館に於いての講演録です。】

 

 

子供の頃の事

砂糖の害では私は体験者なのです。普通は健康法の話をする人は皆健康で、僕の様になりなさいと云うのですが、僕は僕のようになってはいけないと云いたい。僕は決して健康ではない。何故かというと私はお寺で大きくなった。大正9年の生まれです。その当時砂糖は一般にはあまり無かった。一粒300メートルと云うグリコのキャッチフレーズは、私の小学校4年生の時出来て、砂糖を食べると健康になりますよ、砂糖にはエネルギーがありますよと製薬会社が盛んに宣伝したその初期なのです。私はお寺で生まれさせてもらったものですから、お下がりのお菓子が幾らでもあるのです。だから赤ん坊の時からお菓子ばかり食べて来ました。だから小学性の時から病気ばかりしていました。4年生の時十二指腸潰瘍で死にかけました。そして子供のくせに僕は胃癌で死ぬと思っていました。そして年中寝汗は出る、偏桃腺は腫れる、目にはものもらいが出来る、体中化膿する、冬には霜焼けで「梁瀬の包帯」と学校中で有名だったのです。もう病気では苦しみぬいたのです。肺門淋巴腺結核と云われ、学校を休まされ苦しみました。どこの病院へ行っても砂糖が悪いとは教えてくれなかった。それで小学校の間ずっと苦しみぬいて、やっと或る漢方の先生が砂糖だとおっしゃって下さった。それから止めた御蔭でまあまあ助かったのです。だけど砂糖が如何に恐いかを話しますとね、そこでまだ終わっていないのです。子供の時できた悪い体質というものは、一生残りますね。もう歯なんかひどいものでした。歯医者へ行くばっかりでね、昔の歯医者は痛かったですよね。子供心に世の中はこんなに辛いものかと僕は思った。僕は早くから死と云う問題を深刻に考えたのはそういう経験があるからです。早くから宗教的な哲学問題に興味を持ったのもそういう経験があったからだと思うのです。とにかく苦しみぬきました。それでね、やっと砂糖の害から逃がれてともかく病気をしなくなったのです。

が、悲しいかなその時の漢方の先生が極端な日本食推奨者でして、年寄りの栄養方法を僕に教え込んだのです。だからそれ以来栄養失調になりまして、今度はね、父も母も兄も皆大きいのに、僕一人だけチビになり、一生大きくなれなかった。うらなりで終わってしまった。そういう事なのですが、しかしこれも将来医者になって非常に役立った。自分の病気の経験がありますからね、随分役に立ちました。そういう意味では幸いだったと思っています。けれども苦しみました。皆さんにこの苦しみを与えないように。だから今家の子供も孫も僕の経験から指導するから皆健康ですよ。歯医者さんにもいかないし、病気もちっともしない。どうかそういうふうに気をつけて下さい。

煙草、酒

食べ物のついでですから、煙草とお酒について話します。今の煙草は恐ろしいですよ。何故かというとニコチンやタール以外に、煙草を作る時農薬を使うでしょう。今一日に大体八〇種類の食品添加物や、農薬の化学薬品が皆さんの体に入ってくる。これに煙草の毒がプラスするのです。だから煙草の毒は極めて厳しくなって来ます。一日に三〇本吸ったら生命の危険があります。二〇本でも危ないです。一〇本が限度と思って下さい。臨床的にみて、できるだけ一〇本を越さないように。特に女の方は弱いですから絶対煙草を吸わないように勧めて下さい。男の方も必ずパイプをつけて、だんだんに止めて下さい。但しお年をめした方で今までのんで来た方がパッと急に止めますと、色々と体に故障が起こりますから、止める時は三ヵ月位の間隔で半分づつに減し、一遍に止めてはいけません。それから煙草を止める場合飴を舐める方法がありますが、このために糖尿病になる事があります。飴を舐めていると砂糖の害がでまして、そのために病気が起こりますからお気をつけて下さい。

それからお酒も、もう昔のお酒と違うのです。以前はね、酒を沢山飲んでも長生きする人がいましたが、今は沢山飲んで長生きは絶対出来ないのです。短命です。五〇才位でよく死んでいます。それからおもしろいのはビールの酔い方が変ってきました。五〇年前と変わってきた。ビールで変な酔い方をするようになりましたよ。患者さんをみていると分かるのです。どこがどう悪いのか僕には分からないけれど気をつけて下さい。お酒は一合を越さないように、ビールは小瓶一本以上飲まないように患者さんに勧めています。昔の酒やビールと違うという事を知って下さい。今では日に三本も四本も酒を飲んでいると長生きできない。ビールでもね。昔はビールなんて酒の中に入らないくらいで、ドイツ人なんか現にそうですね。案外外国のビールは悪酔しないんですよ。不思議ですね。どこがどう悪いか分からないんだが、ただ臨床的にそういうことが分かるのです。ビールもね、会社によって色々差はあるようですが、これは申すと具合が悪いから云わないでおきましょう。         (以下、次号に続く)

 

美味しく水を飲めていますか?

先日、「水を飲めない子どもが増えている」というニュースが話題になりました。熱中症対策に欠かせないのが水分補給ですが、「水を飲めない」とはどういうことなのでしょうか? 猛暑が続くこの時期にも、自分の判断で水を飲もうとしない子や、熱中症の疑いで保健室を利用している子にコップの水を飲むよう促しても、唇を濡らす程度でコップの水が減らないことなどがあり、学校では子どもたちが「味のない水」や「冷えていない水」を飲み慣れていないためではないかと考えています。常温で味のない水を飲むことは熱中症予防だけではなく、災害時にも大切なことです。万が一災害が起こって水が不足した時などには「ぬるい水」も大切になってくるからです。

コロナ禍になってから、水筒の持参を推奨する学校が多くなりました。学校によってルールは違いますが、水やお茶以外にも、スポーツドリンクを入れてくる児童もあるようです。最近はジュースや炭酸飲料を好み、お茶や水が嫌い、という子どもの話をよく耳にします。糖分は、容器に書かれた成分表示に「炭水化物」として記されていますが、100㎖当たり炭水化物が6gというスポーツドリンクを300㎖飲んだ場合、18gの糖分を摂取することになります。これはスティックシュガーにすると4.5本分にあたり、WHOが定めた子どもの1日の糖分摂取ガイドラインの16gを超えています。糖分の過剰摂取は体内のビタミンやカルシウムを奪い、子供の成長を阻害してしまいます。暑い夏、「喉が乾いたらまず水」と言う習慣をつけましょう。

 

農場便り 8月

フランスの哲学者バルザックは「忍耐は仕事を支えるところの一種の資本である」と説く。西洋思想では労働とは人生を楽しむための業であり、労働に耐えて得た対価で人生を謳歌する。それに対して東洋思想では労働により周りの人々を楽にする。はたの人を楽に、で「はたらく(傍楽)」と言う。では現在ではどうだろうか、文明開化によって物質と共に入ってきた西洋思想は、日本人の心の中に大きくあぐらをかき、自と他は共にあるという思想は消え、自と他が一致しない社会へと変化した。

7月下旬、梅雨明け前から猛暑が続く。忍耐を持ち、労働に勤しむ耕人も、日々の高温多湿には心底参り、まさに白旗状態である。7月10日、暑さに拍車をかけるニイニイゼミの鳴き声が農場中に鳴り響く。木の上からこれでもかとばかりに農作業を行う私にエールを送ってくるが、そのエールが只々うるさく迷惑千万。思わず「うるさい!」と叫ぶ耕人のダミ声が一瞬セミを黙らせる。

日中、水銀柱は今まで指したことのない位置まで上がり、覗き込む耕人に「どうや、暑いやろ」と言わんばかりに更なる上を目指し、上昇を続ける。お昼前の11時を過ぎると畑は灼熱地獄と化し、夜になるとバテバテになってしまう。そんな私の姿を見かねた子供がプレゼントしてくれた空調服、時間と共に風量のダイヤルを最強に上げる。ジャケットの中は生ぬるい風が肌を撫でるように流れ、中に着た冷感アンダーシャツが起こす気化熱で何となくひんやり感を感じ取る。真っ青な空を見上げれば、まさにそこには火の塊のような太陽が、見上げた眼を焦がす勢いで大地にエネルギーを降り注いでいる。太陽が発した光は一瞬で農場の大地に到達する。その光の中には生命を育てるエネルギーが宿っている。

太陽は地球のような個体ではなくガス状の球体で、水素ガスが核融合を起こし想像を絶するエネルギーを作り出す。義理の兄は一生この核融合の研究に取り組み、私にその仕組みについて説明をしてくれるのだが、堆肥と土についてしか理解し得ない私の頭には別次元の物理の世界であり、解っているような顔をして話に聞き入るのが精一杯、詳しいことはチンプンカンプンの世界であった。ただ一つ、「人間はこれらの世界から見ればちっぽけなもので大自然に対してもっと謙虚に向き合わなければならない」という事だけは理解することが出来た。大爆発を繰り返したエネルギーは太陽内を出るだけで300光年(一光年は9兆4630億キロメートル)を有し、その中のごく一部の光が地球に届くそうである。夏の最高位に達したエネルギーで秋冬を越す作物が育ち、食のエネルギーとして生命を育んでくれるが、人類の無謀な行動により太陽のエネルギーは死へのエネルギーへと変わりつつある。人類が近代文明の間違いを少しでも早く気付けるようにと祈る。貧しくとも心豊かな社会をと願う。

7月初旬、早くも本年秋冬作の苗作りが始まった。異常な高温の中、無理は承知で種を播く。秋収穫のキャベツの種をトレイに落とす。日陰でとは言え、猛烈な暑さの中での作業に汗が滴り落ちる。播種後のトレイは涼しい作物保存庫に間借りをし発芽を待つ。3~4日でモヤシのような白い芽が地表に顔を出すと同時に、日射しを30%カットする遮光ネットを掛け育てる。年々増す気温の上昇に、強い光をカットし過ぎると弱々しいモヤシのような苗になり、多く日射しを当てると枯死をする、という厄介な苗作りが始まった。キャベツ、ブロッコリー、白菜と続き、仮設の苗場はトレイで一杯になる。5月20日に播種をしたセロリの苗はそこそこ大きく育ち、あと半月位で圃場へと定植となるが、この暑さでは植え付けた翌日には枯死してしまう可能性があり、今一歩定植の決断に至っていない。種類によってはトレイすべてが発芽しない等という場合もあり、蒔き直しが出来る種もあるが一発勝負というものもある。これからの秋冬作は、一日遅れると収穫も遅れ、次の栽培種と収穫時期が重なってしまうなど、頭を抱える事となる。何とか成るよう、暑さボケしている極小の脳をフル稼働し、どうにかこの暑さを幼苗が凌げるよう試行錯誤を繰り返す。

この猛暑の中、夏の野菜は山の畑でも育つ。照りつける日射しはまさにすべてを焼き尽くすかのような勢いで大きく広げた作物の葉に降り注ぐ。作物も負けじとばかりにじっと暑さに耐える。その暑さの中でも果菜類は健気にもたくさんの実を結ぶ。しかしながらさすがに山の畑で7月中下旬に収穫をしたキャベツは日々続く暑さにいち早くバテ気味となってしまった。それでも何とか無事に育ち、強い日射しに焼けた外葉を取り除いたため少々白っぽいキャベツとなってしまったが、この時期のこの地でのキャベツは天然記念物と皆様に温かくご理解いただき、すべて会員様の下へと旅立つことが出来た。

夏の代表作物である毎年恒例のきゅうり栽培を紹介させていただく。6月下旬からの収穫を目指し5月10日128穴トレイに有機JAS認定の播種用培土に当会特製の培土を混ぜ、手際よく穴に詰めてゆく。日々の作業が70~80%の集中とすれば、播種作業は120%の細心の注意を図り、土を入れた穴に一粒ずつ丁寧に種を落としてゆく。ここまでは毎年同じではあるが、これから続く文もまた全く今までの内容と変わらずである。

きゅうりの種類はタキイ種苗の「夏すずみ」、今まで多種の栽培実験を繰り返しこの種類にたどり着いた。きゅうりの有機栽培に於いての第一条件は病気に強いという事である。種苗のカタログにはすべてのきゅうりに耐病性有りと紹介されているが、そうでないものも多い。その中、この品種の栽培を20年以上繰り返し行ってきた。春の温度と水分が種子の持つ生命を呼び起こし、4~5日でうす緑色の芽が土を持ち上げる。あとは日々管理を続けること2週間でトレイの穴に白い根を張り巡らせる。それをポットに鉢上げをし、本葉4~5枚になったところで広い畑に定植をする。定植をする前の準備として、完熟堆肥、油かす、糠、そしてpHを整え微量要素を補充するための苦土石灰を振り入れ、一か月寝かせ土を安定させる。次に幅2mの畝を上げ、中央に浅い溝を切り黒マルチを張り、梅雨が明けてからは3日に一度この溝に水を流し入れる。定植の2~3日前には支柱を立て、ネットを張って風に敗けないよう補助用のポールも入れ、がっちりとしたきゅうりの城を築く。苗の状態を見ながら夕方陽が傾く頃、準備をした圃場へと定植をする。

栽培地は山の畑で、梅雨明けから灼熱地獄のお盆までが栽培期間となるため、夜間は下界より涼しい山の畑での栽培となる。大変なのは水の管理で、大量の水分を必要とするきゅうり栽培は勢いよく水が流れる用水を持つ下の畑のようにはいかない。山の畑には大型プール(100t)を備えてはいるが、使用できる量は決まっており、雨乞いを行ってはみても水不足となる。雨量の多い6月には湿度と水分を大のごちそうとするきゅうり苗はネットに絡みつき一気に最上を目指して上って行く。管理作業を怠ることなく栽培は順調に進む。ただ一つの難点は、近年大量発生を繰り返すカメ虫がきゅうりの林に身を隠し、お腹が空くとまだおしりに黄色い花を付けた赤ちゃんのきゅうりの肌に自前のストローを刺し果汁を吸って回るという事である。吸われたきゅうりは全て奇形になり商品にはならず、そのまま大地へ帰される。近年、カメ虫は全国的に大量発生し問題になっている。原因としては近年の高温傾向が挙げられる。

完全無農薬栽培に於いて、そんな憎き彼らをいかにコントロールするかと日々思案を繰り返した結果の答えは単純明解「取る」。そのためにDIYでペットボトルを切って漏斗を作り、アルミ缶の口と漏斗の口を合わせカメ虫捕獲機を作ることになった。それをきゅうりの枝に止まるカメ虫の下で漏斗を構え、指でそっと追い立てる。意外にIQの高いカメ虫は上に飛ばず、まず降下しそこから羽を広げ飛び去って行く。しかし、落ちた下には漏斗が大きく口を開き虫が落ちてくるのを待っている。落ちたカメ虫は漏斗に受け止められ、そのままアルミ缶の奈落の底へと落ち御用となる。この作業を一日一回行うだけでカメ虫が減り、被害も軽減された。自然に囲まれた山の畑で御用となった数は100匹を優に超えた。一般農法ではカメ虫対策として日々大量の農薬が散布されている。1980年以前はほとんど目にすることのなかったカメ虫が何故これだけ大量発生するのか、これもまた罪深い人間の業なのかもしれない。鶴は千年、亀は万年、果たしてカメの名を持つカメ虫はあと何年作物に害を及ぼすのであろうか。カメ虫の祟りであろうか、耕人の鼻には臭いが住みついている。

今夏、30年ぶりにトマトの実験栽培を行う。まずカタログに目を通し各種の特徴を調べてみるが、どれもこれが最高との説明に種類を絞り込むための目安にはならない。その中、まずは露地栽培に適したものを選ぶ。近年のトマト栽培はビニールハウスでの雨除け栽培が主流となっているため、ビニールハウスを使用せずに栽培は出来ないものかと試行錯誤を繰り返す。栽培地の環境を第一に考え、その他の管理の方法も調べる。文献やインターネットなど、ありとあらゆる栽培法、栽培記録に目を通し、春の夜長はトマト漬けとなった。そうして調べたものを当会の農法に置き換えて実践してゆく。一個人の実験だけでは年に一度であるが、多くの人々のデータを見ることにより何十年分の栽培レポートが手に入ることになる。老い先短い農業人生の耕人とってはありがたいものである。トマトの栽培もお盆を越せば佳境に入る。次号にてこの半年の栽培の報告をさせていただく。

西の空に夏の陽が傾いてきたが、気温が30℃を下回る事は無く、涼しげな鳴き声で一日の疲れを癒すヒグラシも、時間が来たので仕方なしに鳴き始める。気温が高いためニイニイゼミも全開で鳴き、暑苦しいニイニイゼミの鳴き声にヒグラシの涼しげな声が重なり全くの不協和音となる。東西に走る泉の山に沈もうとしている夕日の中に赤トンボの姿はない。

少し温度が下がってきたのを肌が感じとり、重い腰を上げ夕方のきゅうりの収穫を始める。持ち前のエネルギーもあと僅か、気を引き締めこの日最後の作業に取り掛かる。高所から土際まで目を凝らし作業を進める。屈みこむ体の前に上から大きな虫がポタリ。他のものなら目もくれないが、生命を宿す生き物となると放っては置けない。地面に落ちた虫を手に取り小躍りする耕人。何と玉虫が私に会いに来てくれたようである。前回は玉虫の屍、今回は生命力豊かに動く力強い玉虫に出会う。収穫で汚れた手の中で美しく輝き、手から逃れようともがく玉虫。疲れも吹き飛んだ猛暑の夕暮れ、じっくり眺めた後に草場に玉虫を放つ。美しく輝く玉虫の姿が目に焼き付けられた。玉虫の美に代り、夕陽が空を紅色に染め山かげへと姿を消してゆく。収穫カゴの中にはたくさんの光輝く大自然からの恵み、きゅうりの姿があった。

毎夜、頭から井戸水をかぶり、農の火照りを冷ます耕人より