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慈光通信 第253号

2024.10.13

健康と医と農 Ⅶ

 

前理事長・医師 梁瀬義亮

【この原稿は、1986年7月6日 西条中央公民館に於いての講演録です。】

 

 

運動

もう一つ気をつけねばならぬ事は運動です。どんなよい石炭を焚いても煙突が詰まっていたらくすぶるでしょう。良く燃えないでしょう。同じようにどんなに食べ物に気をつけていても運動をしなかったら、不完全燃焼を起こして病気になります。運動という事は実に大切です。特に年を取ってくるほどそれがはっきりしてきます。だから皆さん運動を忘れないように。最近バイクが非常に普及しまして一寸行くのにも利用します。あれはいけません。年取ったら足がヨレヨレになって駄目になります。のみならず若くても病気になります。例えば慢性胃炎でどうしても治らない方を診察して色々原因を探してみますと、運動不足という事があります。それで毎日30分歩きなさいと教えて、治った人がいます。一寸おもしろいのは、慢性の気管支炎でね、薬のんでいる間は楽になるけれども、薬を止めると気管支炎で難儀する人がいて時々高い熱も出す。それで抗生物質をやると一応は治まる。ところが一月位するとまた病気になり熱がでる。そして年中咳やたんが出る。この人は食べ物の注意はよくしている。ところが運動は全くしない人だった。文筆家で煙草ものまない。この人に運動を勧め、始めは渋々だったのですが私が喧しくいったら運動を始めた。そうすると非常に爽快になって咳が治った。咳と運動と関係があるようには思えないのだけれど治った。ともかく運動は非常に大切だという事を知って下さい。煙突が詰まっていたのでは、どんなよい食べ物でも石炭でも、くすぶるのです。逆に少々悪いものを食べていても運動すると助かることがある。公害を防ぐ一つの方法は運動して汗をかく事。戦争中に軍需工場でベンゾールを使い、職工さんにベンゾール中毒が多い時に、バレーボールを強制的にしてもらって中毒が減ったと云う報告がありました。こういうふうに運動することは公害を防ぐ一つの要素になります。農家の方がね、あんなに農薬を使っている割合に何とかいける一つの原因は運動をして汗をかくからですよ。街の人はあれだけ農薬が入ったら一遍で駄目になる、そういう事です。それから呼吸という事も大事です。時々思い出しては、空気の良いところで腹式呼吸をして下さい。或は朝夕床に入って下腹に手を当てて、空気を下腹にずーと吸い込んでゆっくり吐き出すと云う運動をして頂けたら結構です。

 

精神的要素

難しくなりますが精神的要素も非常に大切です。精神的要素の健康に及ぼす影響は大きいし、逆に生活が精神に及ぼす影響も大きいのです。例えば現在の子供のいじめと云うのがありますね。あれは私はきっと食べ物と関係があるとみております。現在先生と生徒の関係だとか、家庭の関係が騒がれていますが、私は食べ物をかえないと駄目だと思っています。何故こういう事を云うかと云いますと、動物にこれがあるのですよ。鶏を普通の市販飼料で育てますと「しりつつき」をするのです。弱い鶏の尻をつついて腸を引っ張りだして殺してしまう。だからこの頃ひよこの時にくちばしを切ってしまうのです。しかし充分に緑餌、緑色の菜っ葉を与えてやると喧嘩しません。しりつつきもやりませんよ。それから有名なマッカリソンの実験と云うのがありましてね、鼠を沢山グループに分けて育て、これに色々食物を変えて与えてやると、白パン、ハム、ソーセージ、お菓子、果物位で育てた鼠では、ボスができて弱いやつを噛み殺すような事が起こる。それに対して黒いあまり精白してない穀物や野菜、乳、そして砂糖を抜いたもので育てると、仲良くして喧嘩をしないと云う実験があるのです。同じ事が人間の子供にも起こる筈です。現に米国では上院議員の委員会で食物によって子供の精神の異常が起こる、これが一番大きな原因である事をもうとっくに発表しています。何故日本がこれを採用しないのか分からないですがね。食物によって精神の異常が起こりますから皆さん気をつけて下さい。だから変なインスタントラーメンやジュースばかりやっていると、子供がおかしくなりますから充分気をつけて下さい。私の一寸知っている家にもそういう子がいます。あまり子供の時から、お菓子や何やら食べ過ぎて背骨が曲がってしまっている。それに暴力をふるうのです。外に出ると借りてきた猫みたいにおとなしいくせに、家に帰ると親に対してむちゃくちゃをする。食べ物を変えろと云うのだけれど時既に遅く云う事をきかない、そういう例があります。どうか食べ物を子供さんの精神的な面からも考えてあげて下さい。また精神的な面が健康に及ぼす影響も大きいです。例えば非常な精神的苦労の後リュウマチが悪くなったり、ぜん息が悪くなったりする例が非常に多くあります。だから正しい世界観、人生観を持ち、りっぱな人になっていく事も、また健康上大切な事であるとご記憶下さい。おもしろい例がありましてね。私の会で私のいう事をとてもよく聞く家がありまして、もう模範生ですわ。但しそれは私のいう食べ物に関しては模範生だけれども、精神的な面では模範生ではないのです。ものすごく利己的な人で、年中イライラしていて、その家は良く病気をするのです。そういう人もいます。精神的な面も良く反省して下さい。

    (以下、次号に続く)

 

 

秋の手仕事

 

ようやく暑い夏が去り、朝夕のひんやりした空気を楽しめる季節がやってきました。暑い夏にはできなかった手仕事を始めてみませんか。手仕事と言っても色々あります。今は衣替えの時期、この機会に押し入れの中やタンスの防虫剤を手作りしたり、じっくりとジャムやシロップ、つくだ煮などの手作りを楽しんでみてはいかがでしょうか。

*ハンドメイド防虫剤

アロマオイル(ヒノキ・シナモン・ローズマリー・レモングラスなど)・重曹60g、お茶パック、お好みの布やリボン

ビニール袋に重曹とお好みのアロマオイルを20滴ほど入れ、よく振って混ぜ合わせる。お茶パックに入れ、お好みの布で包んだり、リボンをかけて完成。香りは空気より重く、下にたまるので、クローゼットであれば上の方に置くとより効果的です。

*なめたけ

エノキ一袋、酒、みりん、醬油各大さじ1

エノキは根元を切り落とし長さを3等分にし、材料を全部入れて20分ほど混ぜながらグツグツ煮る。煮汁がなくなってきたら出来上がり。新米のお供に。

 

*生姜シロップ

生姜150g 水120㎖

(A)砂糖100g、はちみつ大さじ2、

レモン汁大さじ2

生姜は皮をむいて薄切り、鍋に水と(A)を入れ強火にかけ、沸騰したら弱火で香りが出るまで約10分。火からおろしてレモン汁を入れ混ぜる。ソーダで割るとジンジャエールに。色々お楽しみ下さい。

 

 

 

農場便り 10月

 

10月9日、寒露を迎えたが、猛暑が去ることはなく35℃を超える日々が続く。寒露などの二十四節気は中国大陸の中央部、かつての都の西安で作られたもので、日本で言えばまさに北国での話である。まだまだ日々の暑さの残る中、今夏開催されたオリンピックの熱も僅か2か月足らずで醒め、莫大な費用をかけて開催された祭典は、早くも過去のものとなってしまった。こんなにも早く忘れられるとは「これはタマランチ」である。時間が熱を冷まし、平和の祭典が只のメダルの奪い合いにならないことを願う。

暑さの中、チョモランマ級に物が積み上げられた管理室の机の上を、小さなアリが私の口からこぼれ落ちたクッキーの粉を求めてウロウロする。1mmにも満たないアリの心臓はいかほどのものであろうか。甘味に群がるアリもこの暑さには絶えられないのか、夏の農場で最も大切な命の水が入る水筒の蓋の中に潜り込み涼をとる。それを知らずにお茶をがぶ飲みした耕人は大量のアリを口にし、悲惨な目に遭う。

畑では太陽のエネルギーを浴び、耕人が時間をかけて肥沃にした大地からの栄養を吸収し、見事に育った雑草がすでに背丈近くまで伸びている。大きく育った雑草は繊維質が多く、大地を柔らかくするにはもってこいの素材。イワシやイカナゴは海の牧草と言われ海洋生物を育てる力を持ち、雑草は大地を肥やし地上の生物を育てる。その有難い雑草も時には一番の敵となり作物に襲いかかる。どちらかと言えば味方としてよりも敵視する傾向にある。

7月中旬、一面を雑草に覆われた畑に雑草を片付けるため、トラクターを入れる。トラクターのローダーで地上スレスレをシェイバーのように爪を立てて進む。雑草を大地から剝がす作業を推し進め、草の塊が大きくなってくると逆に引っ張りながら草を薄く延ばしてゆく。広い畑も半日もすれば、見事に茂っていた雑草の群れも姿を消し、2~3日で黄色く枯れてくる。その後ロータリーで浅く土と混ぜ、あとは土着菌にお任せし分解を促す。その間にもう一度軽く耕し、その2週間後に本格的に土作りが始まる。畑の隅に積み上げられた完熟堆肥を作物の種類により量を調節して散布し、畑一面地上部は堆肥の海となる。

ここでポッコリお腹の耕人の大好物の余談を一つ。頭に日本手ぬぐいのハチマキ姿で挑む完熟堆肥の散布、約10トン程を散布した後、軽く浅く耕運をする。その作業中にキラリと光る小さなものが顔を出す。ビニールか何かかとトラクターを降り回収に向かう。拾ってみると、以前作業中に無くした安物時計。20年の時を経て大地より姿を現した。これは「キセキ」、このキセキを生んだトラクターは「ヰセキ」。まさに座布団3枚の出来事であった。こんなバカげた親父ギャグをこよなく愛する耕人も、日々続く暑さで瀕死状態となる。そんな中、農場の苗場では秋冬用の育苗が始まる。キャベツ、ブロッコリーはすでに7月中旬から始まっているが、高温が発芽した芽に襲いかかり、思うように育苗が進まない。8月中旬からは白菜、レタスなどの播種も始まるが、毎年のようにはスムーズに作業が進まず、イライラの日々が続く。それでも何とか育ったキャベツ苗を畑に定植したが見る見るうちに枯死、苗場では少し多めに水を与えると高温多湿で腐り、悲惨な状況となってしまった。長い農業人生で本年程作物が育ちにくい年を経験したことがないが、害虫だけは生命力旺盛で、大切な苗にむしゃぶりつく不届き者が現れる。

苗場にはオニヤンマのフィギュアが吊るされ、苗たちを上空から目を光らせ小苗を守る。夏の終わりを告げるツクツクボウシとニイニイゼミが共に鳴き初秋の感を醸し出すが、まだまだ暑くニイニイゼミの方が勢いがよく鳴き声が響き渡る。

お盆が過ぎ数日が経った頃から一気に秋冬作の畑作りが始まる。7月に刈り取ったばかりの雑草がまた背丈にまで伸び、草地が生物たちの楽園となったため、上段の畑から順にまた草を片付ける。と、その時トラクターの進行方向の目前に大きなトンビが見事に空を切り、地上の生物に襲いかかった。あまりの急なことに小心者の耕人は一瞬ビクッとし、背筋がゾクリとする。トラクターの大きな音に驚き、土陰から飛び出してくる獲物をトンビが空高くから目ざとく見つけて急降下したようである。目を凝らしてみると、見つけた獲物は大きなトノサマガエル。耕人は考える間も無くトラクターから飛び降り、トンビを追っ払い、トノサマガエルを草むらに誘導する。今や絶滅危惧種のトノサマガエルをレスキューしたが、トンビには少々申し訳ない気もする。まあトンビにはほかの獲物を探していただくことにするが、そのトンビは近くの電柱の上からデブオヤジを恨めしそうな目でジッと睨みつける。

この春に急遽決まったトマト栽培、一応実験栽培という事で逃げ道を作っておく。何十年もやっていなかったトマト栽培を考えると不安がいっぱいである。以前栽培していたころと比べ環境も何もかも変わった中、この年で手探りでの一からのスタートとなった。まず各メーカーのカタログから品種を選択、夜間自室のPCで調べてみるが、どの栽培でも農薬や化学肥料は必須アイテムとなる。それならば独自の栽培の道を開くしかないと考え、栽培のテクニックなどを大いに参考にさせていただくことにした。

まず第一に品種の選択、関西や関東の大手種苗会社から大玉を1種類ずつ、中・小玉を各2種選び取り寄せ播種、自宅のストーブの近くで発芽を促し育苗を行う。今までなら足の短いコーギー「はなちゃん」が「これは何?」とばかりに鼻でツンツン、最後は前足でガリガリとやっていたが、その一番の敵もいなくなってしまったため、懐かしく思い出しながらも安心して育苗を進めていく。育苗の間に栽培地を作る作業に取り掛かる。過湿や酸性土を嫌い弱アルカリ土を好むトマトを、当会の山土で強酸性の土壌で育てなければならないことを考え、頭を抱える。近代農法では石灰を大量に入れ、数値だけで調整をするが、それでは土中の生態系のバランスを壊しかねない。取り敢えず適量の苦土石灰を撒き、元肥は無しにして耕運をする。次に、以前どこかで目にした家庭菜園で石灰を水で溶き散布をしていた光景を思い出し、石灰はアルカリが強く殺菌作用があり、地上に落ちた分は土中に溶けpHを整えるため、一挙両得とばかりにその手法を拝借し、実行してみることにした。家庭菜園に教えられるとはプロとしていかがなものかとも思うが、「これも大自然の神様からの思し召し」と一向に気にしない耕人である。栽培地の土作りはまず苦土石灰と消石灰を全面に撒き、トマトは肥料の吸収力が異常に強いため元肥は一切入れず前作の残りの肥料プラス地力で育てる。

苗は大きく成長しポットに一本ずつ上げてゆく。気温も上がり、みるみるうちに成長し、5月中下旬に黒マルチを張り支柱を立てた畑に定植。定植一週目で前述の水溶き石灰を不安な心を持ちつつも散布をする。その後苗は順調に育ち、一段、二段と実を結んで行く。一般の栽培では、花落ちしないよう植物性ホルモンを使用するが、当会では自然交配のためそこで活躍するのが電動デンタルブラシ、いつか使うためにと購入したまま使うことなくそのままになっていたものがトマト栽培に役立っている。ミクロの振動が花粉を飛ばし受粉を促す。トマト栽培の最大の敵は菌による病気で一度菌に侵されたトマトはまず再生することはないため少しでも早くその苗を抜き去る。気温も30℃前後となり、トマトは一気に背を伸ばす。一段果はピンポン玉、二段果もトマトの形を葉の間からのぞかせる。中玉・小玉共に一房に10球ほどがたわわに実る。その頃の耕人は、後に起こる大災害のことなど、知る由もなくいささか天狗になりつつあった。学生時代同じ釜の飯を喰った仲間の中にトマト栽培一筋の友がいる。彼は一般栽培ではあるが、研究熱心で大型ハウスでの大規模な栽培を行っている。その彼に夜な夜なトマト栽培について教示いただく中で「タバコガに注意せよ」との忠告を受ける。「タバコガ」について調べてみると、今の農業界での困りもので、トマトだけではなくあらゆる作物を喰い荒らす最強の害虫とのこと。トマト栽培に於いては、実が青くまだ小さい時にその幼虫に食害されるとトマトに大きな傷が付き腐敗する球も多く、一度に大量のトマトを廃棄する事もあると言う。しばらく後、話を聞いて心に渦巻いていた不安が的中し、気温が上昇すると共にたくさんの憎きタバコガが姿を現した。一気に栽培意欲が失せ、只々茫然と見るしか方法はなく、真っ赤に熟したトマトを採ってしても半分は食害されている。採っては捨て、採っては捨てを繰り返し、食害されたトマトの姿はまるで穴が掘られたカッパドキアの奇岩のようで、穴の奥から住民の幼虫がこちらをジッと睨む。実に飽きると次は茎、そして葉と手当たり次第に食してゆく。友人にそのことを告げると「農薬で一発」との答え、こちらからは「バカヤロウ」の一言を返す。ほとんどの作物は土、水、空気、肥料、そして適地適作、これらを守れば大概の作物は立派に育つ。しかしこの「タバコガの対処方法」を色々なところで調べてみても、有機農法で使用可のJAS農薬やホルモンを狂わせる臭いなどが出てくるだけで、私が求める答えがない。また一からトマト栽培を学習し直し、来年に向け体制を整えるのみである。

いつもの年なら秋の風が吹き出す9月中旬、秋冬野菜の種を後から後へと大地に落としてゆく。遡る事一か月前、トレイで育苗した苗はすこぶる調子が悪く、早生種で早く蒔いたものほど最悪の育苗となった。この夏の異常な暑さを考えつつ一日も早く食卓へとの思いが仇となってしまった。8月下旬以降に蒔いて育てた苗は60点位には育ち、何とか畑に定植し防虫ネットの砦に守られ育つ。9月は種蒔きゴンベイが大活躍。大きな大根種から極小の葉菜の種まで、広い畑を種を播きながら何往復も力強く進む。その中、極小の種を落とす時には機械の微妙な調整が必要となり、ゴンベイのコントロールは私の腕にかかっている。今やゴンベイは頼りになる私の相棒となった。気温がまだまだ高いため虫たちは元気いっぱい。播種をした畝には即座にネットを掛け、裾を土でしっかり押さえヤンチャな害虫から守る。ここまでしてやっと終了となりホッと一息をつく。

猛威をふるった酷暑もやっと去り、セミの鳴き声も山の農場から消えた。涼しく心地よい風が心寂しさを含む風へと変わり、土を耕す私の頬を撫でてゆく。吉野川の川面を染めた夏祭りも遠い過去のように感じられる。お盆に行われた吉野川花火大会では、山下清画伯が表現した静かで素朴な光景とは対極の、「これでもか」と言わんばかりの大花が夜空を染めた。我が家の二階から見る花火は木製の窓枠が額となり、まるで近代芸術かのようである。片手にビール、片手にナッツ、終演の乱れ打ちに最後は一本の赤火の筋が夜空を高く高く駆け上がる。「ドーン」という大きな音と共に大輪が夜空を埋め尽くし、静かに消えてゆく姿に私の夏は終わり、心は畑と共に秋へと向かう。

立秋に生を受け、酷暑にも敗けず って健康な耕人より