死の魔王に勝て(1)
  


財団法人慈光会 前理事長・医師  梁瀬 義亮



   【この文は一九八九年に『死王に勝て』として掲載した文ですが、今月号より『死の魔王に勝て』として再掲載させていただきます。】

        

不治の病は本当に不治か

 不治の病だと宣言されても決して絶望してはならない。不治という意味は、近代医学の薬(それはほとんどが化学薬品である)や手術等では治せないというだけのことである。

 近代医学は唯物論的な立場に立ち、分析を主な方法とする一つの医学で、それは一九世紀以降ヨーロッパで発達した。この医学は病気を病気という時点で各臓器において捉え、細胞単位(現今はもっと細かく細胞内部構造まで)にまで分析して病因を探し、そして主として物理的、化学的な考え方と方法で処置し治癒せしめようとする一つの医学である。この近代医学では生物と機械とを差異あらしめている生命力(生態学的な意味の生命)が、あるいは軽視され、あるいは看過されている。

 昭和二十三年(一九四八年)、ある病院内科に勤務中に、私は、病気は病気として独立、単独にあるのではなくて生活と密接な関係にあることに気がついた。そして生命力ということに思いをいたした。生命力、それは生活環境のさまざまな病因の侵襲にもかかわらず、生命体を健康状態にあらしめる生物独特の内在エネルギーであり、同時に病気治癒の内在エネルギーでもある。

 生活とはその生命力を活性化するための人間の営みと考えられる。そして、生活の誤りその他によって生命力が発揮できず、衰えて病気という現象がさまざまな臓器に現れるのである。(人間の数多くの臓器は決して各個別々にあるのではなくて、密接な連関においてあるのである)生活匡正による生命力の恢復を考えず、ただ病気という現象を病気という時点で物理的、化学的方法で治そうとしても、それは生命力の恢復のない救急的、一時的治癒であって、病気は治せても病人は治せていない。むしろ薬や手術の副作用で、病気を治して病人をつくる」という結果にすらなるのである。現代医学が二十兆近い莫大な費用を使い、さまざまな治癒方法を擁しながら病人が増加の一途をたどっているのは、まさにこのことを物語っているのである。

 さて不治の病と宣言されたらどうするか。まず己が生命力を振り返ろう。太陽は燦々と生命の光を与えつづけてくれている。木々草々は、あるいは緑の風を薫風にそよがせ、あるいは美しい花を香らせて「生命だ」「生命だ」と歓喜の声をあげている。  大自然は我々に内在生命力活性化のための大慈悲のエネルギーを、惜しみなく与え続けてくれている。その愛のエネルギーを、自分は無知のため拒否していなかったか。

◇まず食生活から
 火成岩性酸性土壌に住み、農耕民族として永年生きて来た日本人の食生活は、水成岩性のアルカリ土壌に住むもともと牧畜民族の欧米人のそれと同じであってはならない。日本人が忘れてはならないのは十二分のナッパ、イモ、マメ食(遠藤仁郎先生御提唱)と海草食である。これらは日本人に欠乏しがちなミネラル、ビタミン等を補給してくれる。また酵素源でもある。米は半搗きにする。麦を混ぜればさらに良い。化学肥料成分や農薬を含有した物はエネルギーが少ないのみか、マイナスにすらなるから十分注意してほしい。(市販の果物や野菜、特に季節外れの野菜類は危険である。またインチキな贋有機農薬野菜や果物が多く出回っているので注意!)遠藤先生御提唱の青汁療法は難病、奇病等不治の病に卓効を示すことが大変多い。ぜひ試してみてほしい。(青汁に関する遠藤先生の本をよく読んでから実施すること。この際、特に農薬の害の注意が必要である)農薬汚染の農作物のほか十分搗いた白米、肉、魚ばかりの偏食、甘いものの過食、インスタント食品、その他の食品添加物の多い食料品、さまざまな人工飲料、酒(決して一合を過ごさぬよう、できるだけ禁酒]、たばこ、医薬品の濫用などは大自然のエネルギーの拒否である。  大自然のエネルギーを拒否すると血が濁る。そのために生命力が低下してついにこの難病が起こったのではないかをよく振り返る。

 食を正すと(特に青汁服用)、大自然のエネルギーが十分入ってきて血を浄化してくれる。さすれば、衰えた生命力が恢復して不治の病も治ってくるのである。  食物の摂り方の誤り、あるいは農薬や食品添加物のような人工合成化学薬品の摂取により、大自然のエネルギーを拒否した時、人間の生命力は活力を失い、心身ともに駄目になってしまう。その実例を申し上げることにする。 

 (以下、次号に続く)




海抜400m慈光会直営農場より発信。
 
 

 

 農場便り 12月

 金剛おろしが吹く季節になった。山の木々の葉は落ち、変わって太い幹や細い枝が重なり合い、美しい冬の造形をかもし出す。中でも広葉樹の林はひと際美しい。地表に目をやると、落ち葉の布団の上にはどんぐりや小楢の実が所狭しと落ちている。里山のふもとには天をも突くような渋柿の大木がある。葉はすでに落ち、たわわに実った実だけが冬の日差しに輝いている。

 そのままではいただく事の出来ないこの実も人の手を少し加えるだけで素晴らしい保存食に変わる。渋柿を収穫するために、何一つ道具を使わず木の頂上へと登る。ぎっしりついた実を腰に付けたかごにもぎ入れる。一杯になったかごを1本のロープで巧みに下ろす。取り終えた実は夜な夜な一つ一つ丁寧にヘタを残し皮をむく。まさに時間と根との戦いである。12〜15個を一つるしとし、民家の軒や蔵の軒に下げ、約1ヶ月間寒風にさらす。薄い柿色が日増しに赤みを帯び、渋が甘みへと変わってゆく。つるし柿について少し調べてみた。

 干し柿がお祝いの席に登場するのは、万物を“かき集める”に掛けてのことで元旦の朝お茶と共に戴くのが慣わしであったそうで、今ではおせち料理の紅白なますにも使われている。柿は栄養価も高く、干し柿は昔から養生食とされてきた。柿に含まれるシステインというアミノ酸は肝臓を丈夫にする作用があり、カリウムは利尿作用がある。又渋みの成分であるタンニンには血圧を下げる効果がある。さらにありがたいことに、殿方(私も含む)なら誰でも一度は経験があろうかと思われる二日酔い(世の中でこれほど辛いものはない・・・)にも効果を発揮するそうである。又甘みのおやつとしても美味である。太古より受け継がれた数多くのすばらしい食文化が近年忘れ去られていく傾向にある。人が生かされて行くために母なる大自然より賜ったこれらの知恵は、果たして次世代に受け継がれてゆくのだろうか。一抹の不安が残る。

 冬の自然探索に行かれる時には、真っ赤に軒場を染めるつるし柿のある集落を是非見ていただきたい。素晴らしい風景がいつまでも心に残る事と思う。

 これから益々寒さが厳しくなり、畑の作物も冬に向かい甘みが増し美味しくなる。近年の食生活は老若男女に拘わらず、西洋野菜中心であるように見受けられる。今一度、昔より作り継がれてきた日本野菜に目を向け今夜の献立に一品加えてはいかがだろうか。

 12月、1月、2月の出荷予定は次の通り。

葉菜・・ほうれん草、ビタミン菜、小松菜、水菜、チンゲン菜、ねぎ、白菜、キャベツ、春菊、ブロッコリー、カリフラワー、パセリ

根菜・・ ごぼう、和洋人参、大根、小カブ、じゃが芋、タマネギ、里芋、山の芋

果実・・ りんご、みかん、キウイ、レモン、八朔、清見オレンジ、干し柿

 以上の慈光会産の青果が店舗に並ぶ予定である。参考にしていただいて、暖かいコタツの中で、あれこれと色々なメニューを考えるのも又楽しい時間になるのではないだろうか。

冬空の下、出荷を終え自家用にと残されたつるし柿に野鳥が集まる。餌に事欠く厳冬期、鳥追いもせず、小鳥たちへの施しにとつるされた真っ赤なつるし柿が風に揺れる。心温まる情景である。

この1年間農場では色々なことがあった。大自然より数多くの教えもあった。何種かの作付けが失敗し反省もさせられた。この失敗を謙虚に受け止め、次に生かして行きたい。会員の皆様に何かとご迷惑をお掛けしたことをお許しいただき、来年はと今から色々な作付けを模索している。

 暮れが近づくと思い出されることがある。20数年前、知り合いの画家より送られてきた年賀状に描かれたつるし柿と文である。

     『色は黒いが味見ておくれ

              私しゃ大和のつるし柿』

 どうぞ皆様よいお年をお迎え下さい。                                     冬景色の農場より