死の魔王に勝て  (IV)
  


財団法人慈光会 前理事長・医師  梁瀬 義亮



【この文は一九八九年に『死王に勝て』として掲載した文ですが、『死の魔王に勝て』として再掲載させていただきます。】

  
                    

第1章 生死岸頭に立って
 

◇心の動揺で血がにごる(続き)
私は仏教以外にも正しい立派な宗教があると信じているし、心からそれを敬愛しているのである。だから読者諸賢で、すでに正しい宗教をお持ちの方は、「仏陀」や「祖師」の代わりにそれぞれの信ずる教祖や聖者を入れ替えていただいて結構である。(中略)それについては次に申し上げる四つの項目について十分御注意、ご配慮いただきたいのである。

 第一項  近代思想の人間中心、人間至上的な考え方から宗教も人間の心の産物であり、畢竟するところ心を豊かにするための心の飾りにすぎぬと独断し誤解して(これは誤りである。宗教とは科学では正しく認識し解決することのできぬ事実の正しい認識法であり解決法である。後述)「同じ高嶺の月を見る哉」で仏法もキリスト教もその他の宗教も、結局はみんな同じことだという今の世のインテリ層の―いや最近は宗教家でもそんなことを言う人が多い―軽薄な宗教観は絶対に持たないでいただきたい。どの星も同一平面上にあるように見えるからといって、地球から同じ距離にあると言ったらおかしいだろう。仏教は仏教、キリスト教はキリスト教等々…それぞれ別である。同じ高い山に登るにしても、登山道が異なれば案内人も装具も違うだろうし、必要な体力、気力、登り方もそれぞれ異なるように、各宗教はそれぞれの祖師に信順し、必死にその教えられた道を進む、それが真の宗教者である。

 第二項  これは第一項と関係あることであるが、最近仏教やキリスト教やヨーガその他の教えを凡人の心で適当に判断し、ブレンドして甘い言葉を作り上げ、それに陶酔して自ら悟ったかの如く幻覚し、求道の人をも錯覚せしめる仏教者や、あるいは人間の情緒的な恍惚と悟りとを混同して、その恍惚を得るために仏祖のお教えを利用している仏教者が大変多い。恍惚と悟りとは別である。近代思想や近代科学の本質を理解せず、それを唯一の真理と錯覚し、その枠にはまるよう自己流に似而非仏教を作り上げているのであろう。空しい自己陶酔であり、生死岸頭には無用無益である。真面目で真摯な人にこのようなことが多いだけに、よけい悲しい現今の現実である。

 第三項  意識的あるいは無意識的に仏陀や神の使徒やその他の聖者の尊いお言葉をうまく利用し、またそのような恰好をして人々を信用せしめ、結局は利己的に信者の心も財も吸い取り魔道に陥れる悪魔的輩が、今の世には文字通りウジャウジャしている。しかも実に巧みに騙すのである。真理を求める心を起こした人が、たちまちその餌食になる例を多く見て、心を痛める。よくよく御注意願いたい。
 その教養や目的が金儲け、病気治し等々、現実的なものが主であったり、変な超能力を売り物にしたり、金や財や色を要求するものには絶対に近づいてはならない。
第四項  こういうふうに物事を思い、こういうふうに物事を考えると人生を明るく、あるいは感動的に、あるいは力強く渡れる。例えば「有り難い、有り難い」とすべてに感謝の念を持って日暮しするとか、何事も善意にとったり考えたりするとか、生き甲斐を何かに見つけるとか等々、世渡りのための心がけ的な教えを広める団体が戦前、戦後多く現れた。これは良いことであるが、明治以来の政策で正しい宗教的情緒を失った現代の日本人は、これを宗教と思っている向きが大変多い。また最近仏教の専門の人々の講話を聞いてもこの類の話が主になる例が大変多い。これは大変な誤りである。生死岸頭に立たされ、生と死の問題を眼前に突き付けられた人にとって、明るい世渡り術、感動の世渡り術的な教えは全く無用である。
 以下、死と対決する突き詰めた生死岸頭の覚悟を論じたい。 (以下、次号に続く)


 



《慈光会会員 山本様の句と添え文を紹介させていただきます。》
 農薬は元より買わず茄子植う
 
 

 有吉佐和子の『複合汚染』にも紹介された開業医の梁瀬義亮という方が奈良県の五條市に居られました。日本でいち早く農薬の害を訴えた方でした。僧籍にもおられた先生は崇高な志の元、農薬で苦しんでいる農民や、徐々に健康を蝕まれていく消費者の為、自らも農業の研究に取り組まれ昔ながらの無農薬・有機農法を説かれ協力農家と共にその輪を広げられたのでした。
 ある日、梁瀬先生のお話を聞く機会に恵まれて、全く鍬を持ったことのない私が野菜作りの本を片手に、人様に助けてもらいながらも畑を耕すことに成りました。豆を蒔けば豆が出来ると言う当たり前の事に生命の不思議を実感し、心から太陽や雨に感謝し大地の恵みを頂く喜びを味わいました。思いもよらない事に天の恵みは野菜だけでなく、多くの旬、そして子供達との掛け替えのない思い出と成って今も残っています。




慈光会の皆様へ
            慈光会会員 兵庫県 服部暁子
 
                      

 まず皆様に厚くお礼申し上げます。 主人は先般手術をしましたが、お医者様から退院後の玄米食を勧められました。慈光会にお電話したところ、早速玄米や黒豆、小豆などが届きました。
 退院して初めて自分の家で炊いたのが慈光会の玄米だったことがその後の回復に拍車をかけてくれました。なにしろおいしくておいしくてついおかわりをしてしまいます。はじめに送っていただいた5キロが二週間でなくなってしまい、あわてて十キロ単位でお願いすることになりました。松村さんには「腹八分目よ」と笑われましたが・・・・。
 主人は結婚以来二十余年、一度も台所へ入ったことのなかった人ですが、玄米食をはじめてから、お米を研ぐところからはじまり、水加減、塩加減、火にかけて火加減までみるようになりました。はじめは、時々失敗もありましたが、このごろは、ほぼ、パーフェクトで、わが家の飯炊き人と一目置くようになりました。
 先日その主人が、
 「玄米を洗っていると一粒一粒光っているんや。」
と申します。私ものぞきこむと、確かに主人の手の中で一粒一粒きれいに光っています。こんなにきれいな尊いものが、身体の中に入ってまた身体を浄化してくれるのですね。一粒一粒にありがとうの気持ちでいただいています。そしてこのお米を丁寧に育てて下さいました農家の方に感謝申し上げます。田植え、草取り、稲刈り、雨の降る日や、風の日、カンカン照りの日、お米づくりの方の尊い一年がこの一粒に凝縮されているような気がします。
 主人はそんな命の糧に元気をいただいて、日毎に元気になっていっています。本当にありがとうございました。そして、これからもよろしくお願い申し上げます。




 農場便り 6月
 
 


  農場の行き帰りに吉野川を渡る。行きは東方の景色が、帰りは夕日に輝く西方の水面がとても美しい。
 毎年4月中旬より河原にはたくさんのこいのぼりが青空に泳いでいる。大きな口いっぱいに風を吸い込み、気持ちよさそうに右に左にたなびいている。このこいのぼり、私の友人が各家庭の物置で眠っているものを集め、子供たちに夢をと4年前より毎年上げている。毎日こいのぼりが元気よく泳ぐ風景を見るのはとても楽しく、車で通る度ついつい横目で見てしまう。少々危険ではあるが、それにも増して力強く泳ぐこいのぼりはとても魅力的なものである。
 ここで、今慈光会直営農場および協力農家の畑で栽培されている野菜をご紹介させていただこう。まず初めに日常の食生活の中で一番よく食される葉菜である小松菜、チンゲン菜、ニラ、ねぎ、青しそ、キャベツ、暑さに非常に弱いレタス。次に夏の定番である果菜類のきゅうり、トマト、ピーマン、ナス、ししとう、かぼちゃ、にがうり、いんげん、オクラなどさわやかな野菜たちである。そして少し地味なる根菜類、人参、大根、ごぼう、里芋、さつま芋。葉菜、果菜、根菜、今現在順調に各畑ですくすく育っている。
 これからいよいよ梅雨期を迎えることとなる。作物によってこの時期を好むもの、そうでないものがある。好むものはさておき、この時期を一番の苦手としている作物にトマトがある。
 少しトマトについて説明させていただく。原産国は南米熱帯地帯で茄子科に属し、日本の気候には最も合わないとされている。一般では、以前は露地栽培されていたため雨天の度に殺菌剤を消毒、しかし7月上、中旬の高温多湿時にはべと病、カビ病、青枯れ病などが発生し栽培上たいへん苦労していた。そこで考えたのが雨除け栽培である。ハウス栽培の屋根の部分だけを張り、横は風通しをよくする。雨だけを直接当てずに育てる方法である。慈光会でもその方法で栽培している。早く食卓にお届けするため、トマトは2月にハウス内の苗床に播種する。この苗床にはさらにもう一重トンネルを張る等の工夫をこらす。20cm位まで育った苗を株間35〜40cmに定植する。この作物はとても肥料に敏感で、元来南米のがれ地がふるさとであり少しの肥料でも見逃さず、すべて吸収する。そのため元肥は殆んど入れず、前作の残りの肥料とPH調整に石灰、ヨウ燐などを入れる程度である。元肥を多投するとムクムク大きくなり葉が黒々と茂る。しかしその後が大変で、先ず花は咲けども実はつかず、実のつかない木は益々大きく茂り、待ってましたとばかりに病害虫が発生する。少しのテクニックで大きく変わるのがトマト栽培であり誤魔化しは一切きかない。一段花が咲き結実、ピン球大になった頃を見計らって地上に油かすや綿実かすを畝間に施す。決して一度に沢山与えてはいけない。これさえ守れば、暑い夏フレッシュな真っ赤に完熟した果実を口にすることが出来る。大きな口を開け「ガブリ」と丸かじり。幸せ!となるのである。完全無農薬、無化学肥料で育てている当会のトマトは本年度も今現在協力農家、川岸さんのハウスで順調に育っており、皆様の食卓にお届けできる日もまもなくである。(※トマト栽培は上級のテクニックが必要、病害虫には広葉樹の木酢がおすすめ)
 夕刻が迫り野良仕事を終える。心地よい疲労感と共に帰途につく。お日様が西の空を黄金色に染め、和泉山脈に沈もうとしている。吉野川の川面も夕日に染まり、その中をたくさんのこいのぼりが泳いでいる。美しいこの風景を見る度に思う。私たちが幼少の頃の美しい川はどこにいったのであろうか。水は澄みわたり、小魚が群れ泳ぎ、所々で銀色の体が空中に飛び跳ねる。美しい吉野川は私たち五條市民の誇りでもあり金剛山と共に何よりも愛されてきた。
 近代科学的発想のもと、今全国で河川の美化を進めている。しかし大切なのは一人一人の美しい心が河川に反映し、真の美しさを取り戻すことではないだろうか。かつての美しい吉野川が一日も早く戻ってくることを願う。そんなことをあれこれと思いながら自宅に到着。既におなかはペコペコである。ドアを開け、大声で帰宅したことを告げる。その時もう目は食卓の上にある。数多くの当会の野菜料理が所狭しと並んでいる。何よりの幸せ。心は清く平和である。明日も青く澄み渡った大空を力強く泳ぐこいのぼりが目に浮かぶ。                
       

かっこうの声が山々に響き渡る初夏の農場より
                                                                                           




玄米を健康的に食べる秘訣とは? 
 
 


  
 今、健康のために玄米を食べる人が大変増えていますが、食べるときにはちょっとした秘訣が必要です。  玄米には豊富な食物繊維が含まれていますが、その中でも不溶性フィチン酸という成分が多く、これは体に悪いものを吸着して体外に出してくれますが(「ダイオキシン」の学習会でも紹介しました。)それと同時に、ビタミンやミネラルも一緒に吸い込んで排出してしまいます。ですからビタミンやミネラルを豊富に含む海藻や青い菜っ葉を一緒に食べる必要があります。
           また、玄米には白米より多くのリンがあります。リンは沢山摂取するとカルシウムが体に吸収されにくくなります。又、リンにはカルシウムを体外に出してしまう性質もあります。ですから、カルシウムをたっぷり含むゴマや小魚などを一緒に頂く必要があるのです。
 玄米の食物繊維は消化が悪いのでよくよく噛まないと胃腸に負担をかけてしまいます。
 玄米を頂くときにはよく噛んで(一口20回以上を目安に)、海藻、青菜、ゴマ、小魚などを一緒に頂いて、ビタミン、ミネラル、カルシウムを必ず補うようにすることが大切です。
 (参照:「キッチンの知恵」医学博士 本多京子著)
※ 尚、梁瀬医師は玄米食が体に適応しない人もいるので、すべての人に向くとは限らない、とおっしゃっていました。特に、小さい子供にはむずかしく、半搗き米や七分搗き米が適当だそうです。(大人でも適応しない人がいますので、主治医とよくご相談下さい。