《今月は『大和あっちこっち』より花野五壌先生の絵と文を紹介させていただきます》
葛城山上へロープウエーでもう着いたのかと思う位の時間で山上に着く。高い山上へ来た気持ちがしない。しかし途中で耳がツーンとなっていやおうなしにその高さを知らせてくれる。急に涼しい。下界を見おろし、隣の金剛山を見上げ山頂で写生をして下山は山中の山道を歩く。下へ下への急坂を下る。登るときには感じなかった高さの実感が今度は自分の足がおしえてくれる。道は静かで山気がさわやか、山の空気はうまい。セミがなく。どんなセミかその声は何かの機会の部品がはずれているような妙な音である。麓に近くぼつぼつ汗ばんで来る時耳にひびく水の音に滝の近い事を思いながら下っていくと行者滝につく。水は冷たく霧は涼しい。なお降りると櫛羅の滝である。雨の少ないためか水量は少ないが岩組はやっぱり美しい。木の葉の重なるうす暗い岩壁から落下する透明な水の太い筋。途中の岩頭に当たって飛散する水の放射状の光。ぬれた岩膚の様々な色、スケッチしながらつくづく思う。岩のむずかしさである。この形の変化とガリガリしながらお互いがしっかりとかみ合った岩膚の表現はお手あげである。こんなときに心に浮かぶのは中国の古画や日本の文人画の水墨による山水画の技法である。雪舟の絵の岩膚、岩の組み合わせ、宋元の大家の水墨画等全く自然以上の高い表現で水の落下の形がそのまま神々しいまでの深い精神を称えている。
山を出ると下界は急に暑く、今度は自分の背筋に汗の滝。
農場便り 8月
道には壮大なロマンがある。地球上に道は縦横無尽に走る。その中、特に有名なのがシルクロードである。西はローマ、東は奈良へと続き、太古の人々は夢を抱き旅をした。雄大かつ荘厳な風景はテレビ番組などで特集され目が釘付けになったことは記憶に新しい。
『道』は歌詞の中にもよく使われている。それらの歌の中、何か一曲をと言われると口に出るのがジョン・デンバーの「カントリーロード」である。大自然を彼の素晴らしい感性で歌い上げている。20数年前には走るとモクモクと土煙の上がった慈光会の農場までの凸凹道はパイロット開発と同時に舗装道と化した。毎日通う私にとっては快適な通勤道となった。が、それも農場の入り口まで。農場のゲートを一歩くぐると純粋なカントリーロードとなる。農園内には仕事の利便性を見据え何本かの農道が整備されている。ゲートより左に登ると果樹園に、直進すると蔬菜園へと続く。無農薬無化学肥料による栽培は地力によって決まる。力のある土は主に好気性完熟堆肥によって作られる。慈光会も堆肥場で作られた完熟堆肥をほ場に持ち込む。2tダンプに山積みされた堆肥は大変な重量である。それを一日何往復もし、運び込む。20年間酷使された農道はづたづたに傷つき悲鳴を上げる。雨の日もお構いなしに通るものだから、あちらこちらにくぼみが出来る。ついに園内道はラリーコースのようになってしまい、うっかりスピードを出そうものなら天井まで跳ね上がってしまう。ここ10年あまり我慢に我慢を重ね通り続けたが、いよいよ限界を感じ「舗装をするしかない」と決心し計画を立てる。舗装距離約200m。明日からは鍬をつるはしに持ち替え、土木作業に職種を変える。よろずや家業である。パワーショベルで整地をし、クラッシャー(砂利)を敷く。転圧機で地表を固め、枠組みをし、金網を敷き、最後にコンクリートを流し込みこてで仕上げていく。見る見るうちに凸凹道はドイツのアウトバーンのように(?)姿を変えていく。4〜5日して型枠を外す。(開通のテープカットはなし)
早速新しい道を通って堆肥を運び込む。秋きゅうりの準備である。毎年お盆前後で夏きゅうりが姿を消すため、3年前より試作し本年から本格的に作付け450本を定植した。6月下旬、幼苗が長雨に叩かれ夜間の気温の低下と共に地温も下がり、葉の色が日増しに薄くさめていく。ここ最近(7月中旬)温度が上がり、何とか持ち直しつつある。
【秋きゅうり】この地域ではきゅうり栽培は春・夏・秋作が行われているが、春作は化石燃料を使用するため、当会では行っていない。秋作は適した品種を選び6月中旬から7月中旬にかけてトレーやポットに播種、播種時期が遅くなれば収穫量にも影響する。本葉2枚で定植、この時期を逃さないのが良作のポイントである。きゅうりはなすと同じく肥料、水共にとても大食いであり、不足することを極力避ける。特に秋きゅうりは土用の厳しい環境には敷き藁などで保護する。大変ではあるがこまめな管理により秋風が吹き、虫の音が聞かれる頃まで収穫ができる。『秋なす嫁に食わすな』というが秋きゅうりはどんどん食していただきたい。
農作業は額から滝のように汗が流れる。先日「いい汗をかく」という言葉を耳にした。この言葉の意味は単に体を動かし、健康のために汗をかくというのではなく、人や社会のために尽力し汗を流す、これが本来の意味だそうである。日頃の行動を大いに反省し、いい汗を流すよう努力したいものだ。
話は前に戻るが、園内道を舗装することにより私共は幸せを感じるが、迷惑をこうむっているものもいる。舗装道の上を右に左にせわしなく動き回る無数の蟻である。彼らは地道の方が歩き易いのだろう。こちらをじっと見、何か苦言を発しているように私の目には映る。一言「ごめん」と言いたい気持ちである。広域農道と同じく林道もまた多く作られている。関西の屋根と言われる紀伊半島を南北に走る大嶺山系、その自然環境は世界中の学者から注目されている。この山系にも人の手が入り、林道がいたる所に作られている。経済性だけを重視し、自然環境は無視状態である。近くには世界有数の降雨量をもつ大台ケ原もある。大雨の度大量の土砂が流出し、美しい沢に流れ込む。林道もほとんど利用されること無く廃道になっている所も数多く、無残な姿が後に残されている。手遅れかもしれない。しかし諦め捨て去るわけにはいかない。人々の正しい世界観により悲惨な山々がもとの美しい姿に返ることを願う。その時、物質ではない目に見えない素晴らしいプレゼントが大自然より届けられるだろう。
ひぐらしの涼しげな羽音が聞かれる盛夏の農場より