死の魔王に勝て  (VII)
  


財団法人慈光会 前理事長・医師  梁瀬 義亮



【この文は一九八九年に『死王に勝て』として掲載した文ですが、『死の魔王に勝て』として再掲載させていただきます。】

  
                    

第2章 科学観を正す
 


  ◇心のエゴに気づく
    普通人間は日々何とも思わず暮らしているが、よくよく振り返ってみると実に強力な「エゴ」(利己心、自我中心的思想)の心で生活していることに気づく。
  まず自分が「生きるのが当たり前」と無意識、かつ無条件に信じている。「自分は絶対生きる権利がある」と思い込んでいるのである。したがって特別な精神的訓練を受けた人でない限り自分に不利な事態、ことに生存が脅かされるような状態に陥ると、他人や他の動物を犠牲にして憚(はばか)ることがない。人間が生と死の極限状態に陥った時の姿を、そして「エゴ」が如何に激しく恐ろしいものであるかを、私はフィリピン戦線において直(じか)にこの目で見てきた。
 また人間は自分の周りに世界(他人、他動物、植物を含めて)が「あるのが当たり前」と思っており、かつ周りの世界が自分とは無関係にあるものと無条件に直感的に信じこんでいる。すなわち自分と周りの世界との「断絶」の直感的信念である。そして自分の周りの世界を征服し掠奪する権利があり、それによって自分が(あるいは人類が)富み幸せになれると本能的に信じている。
 果てしない名誉欲や財欲、あるいは激しい自然破壊のこの文明はその現われである。また食欲や性欲などの欲望を果てしなく追求する権利があり、それによって幸せが得られると信じ、その追求のためには他人、他動物のことを微塵も考える余裕がない。グルメ旅行や売春ツアーなどはその現れである。
 この驕慢な心で「エゴ」を主張し、果てしなく欲望の満足を追求してウロウロ、キョロキョロと走り廻り、そして人生には生とともに死という厳粛な事実のあることを考えぬまま月日を送り、やがて老いが来、死が来て一生が終わる。これが普通の人間の一生である。
 この心を私は「第一の心」と名づけよう。
 しかし静かに私達の「生きているということ」を振り返ってみると、私達は父母によって「生みだされ、生かされた」のである。絶対に受け身である。自分の意志と力でこの世に出て来たのでもなければ、自分の力で一人前の人間に成ったのでもない。まったく父母のお陰である。父母の高恩はまさに海山の深さ高さのも比すべきである。
 また私達の周りの世界、すなわち大自然や他の人々とは決して断絶しているのではなく、そのお蔭で生かされてきたしまた現に生かされていること、及び他の動物も自分と同じ大自然に生かされ、同じく幸せに生きることを願う生命体(生きた魂)であることも厳然たる事実である。かく「生まれ」かつ「生かされ」ているという最も身近な、そして尊くもありがたい受恩の事実や同じ大自然の子であり同胞であるという感動的な事実を、「エゴ」と「欲望」の猛焔に目くらまされてまったく気づくことなく忘恩と無慈悲の一生を終わってしまうのである。
 これが前述の「第一の心」のみによる人生であり、その終焉(しゅうえん)の老いと死は哀れで悲しいものである。「第一の心」、私達が何気なく「自分」、「心」と思って生きているこの心が実は極めて大切な事実、尊い事実を見落とした大迷妄心である。しかし私達はある「縁」を得てー例えば尊く偉大な人を仰いだり、その教えにふれたり、あるいは偉大な大自然の景観に接して忘我の境を味わったり、(ある米人宇宙飛行士は宇宙船から望み見た大宇宙の荘厳かつ偉大さに、初めて「エゴ」の無い世界と無我の喜びを体験し、真の宗教の何たるかを知ったと告白している。米人宇宙飛行士達の中で帰還後、宗教信者になったり、あるいは牧師になった人も多いと聞く。私も十七歳の時、十国峠から仰いだ暁天の「霊峰富士」の神秘、神聖、荘厳さに打たれ思わず息がつまり、滂沱(ぼうだ)たる涙は止めようもなく忘我の境の中に「生命の実在」を実感し、また自分の一生の進むべき道の啓示をうけたありがたい経験がある)、あるいは肉親の死に遭い、言語に絶する極限の悲しみの中に、あるいは大病その他で生死岸頭に立って真剣に自己生命を振り返った時等々、そこに「第一の心」とは異なった今一つの心境が現われる。盲目的「エゴ」の主張と果てしない欲望追求の心の大波が収まり切った、忘我寂静の境出ある。この境に入った時、父母により、多くの人々により、また大自然によって「生みだされ」「生かされ」てき、また現に「生かされている」という尊い事実、一切の生命が同じ母なる大自然の子であり、同胞であるという感動的事実に対する正しい認識と強い感謝と感動の念が生まれ、「忘恩」と「奪うこと・殺すこと」に明け暮れた過去に対する深い反省と懺悔が現われるのである。同時に大自然の偉大な超生命が直観され、大自然が単なる偶然の支配する物質ではなく、絶妙の美と叡知と能力と慈悲を具(そな)えた大生命であることをもはっきり理解できて、果てしない感動と畏敬の念が湧き起こって来るのである。夕陽に映えるオーゴエ河畔の大自然の中で「生命への畏敬」という大哲理を豁然(かつぜん)として悟られ、その哲理に徹した一生を送られたアフリカの聖者、故アルベルト・シュバイツァー博士の御心境もかくやと覚える心境である。
 澄み切った静寂、感恩、大慈悲の喜びのこの心を「第二の心」と名づけよう。
 「第一の心」、それは「エゴ」と果てしない「欲望の追求」に満たされており、その眼は「物質」しか見えない「肉眼」である。この心と眼のみを頼りに歩む時、人生は一時の快楽はあっても結局は不満と争いの連続であり、またその終焉は恐怖と絶望の死の淵である。
 「第二の心」その眼は心眼である。この心を養い続け、この心眼を澄まし清め続ける時、そこに果てしない喜びと感謝の「光明」と、「永遠の生命」が実体験されてくる。その時もう「死」は恐るべき「死の魔王」ではなくて、「永遠の光明と生命」への希望の旅の一里塚であり真理の使徒のお迎えとなるのである。
 ここで注意すべきことは「第二の心」の目覚めを以て仏教の目的としている仏教者や教団(他の宗教でもそんなことが多かろう)をよく見かけるが、それは大きな誤りである。「第二の心」の開眼は仏教(あるいは正しい宗教)の入り口へ辿りついたにすぎない。確かに仏陀は私達の心が完全にそして永遠に寂静状態に安定し「エゴ」と欲望の炎が完全に大慈悲と懺悔と慎みの聖火に変じきった時、そこには常識では考えられない高次元の叡智が現われ、超高次元界を体験する超能力が現われることを説かれた。だが現実には私達凡夫の心の中の「第一の心」の猛烈さは猛台風の何万倍もの強さであり、たまに現れる「第二の心」はそれに比して一本の乙女ローソクの火のように微弱である。事実ちょっとした現実の事件によっても、たちまち目覚めかけた「第二の心」は消え失せ、「第一の心」のみが吹き荒れるものである。「第二の心」の目覚め、これから仏道修行がはじまる。しかも仏陀は断言された。「この道(仏道)を行ぜよ。必ず『第一の心』の嵐は静まり、『第二の心』の火は果てしなく大きくなって迷いの闇を破る悟りの光となる」と。生死岸頭、恐怖と絶望の大嵐の中、死の濁流の岸に茫然と立ちすくむ哀れな旅人に向かって仏陀釈尊は叫ばれる。
 「人々よ、今からでも遅くない。私の教えるこの方法を行じなさい。濁流は渡れる」
 「そして人々よ、ここへおいで、ここは永久に平安だ」と。
 また多くの聖者方は叫ばれる。
 「人々よ、仏陀釈尊のみ教えにいささかの誤りもない。仏道を歩みなさい。この道を歩めば必ず『永遠の生命と光明の世界』に到ることを私達はこの通り実体験している。人々よ、恐れず勇気を出して進むのだ」と。
これが仏道である。(他宗教の方々も参考にされたい)   (以下、次号に続く)




 被害者が加害者に?
「遺伝子組み換えイネの研究開発中止を求める署名」報告        

 
                      

 十月末日第一次集約を終えました。会員の皆様には地元、県下、宅配利用の遠方の方々共に多くの署名をして頂きました。中には、慈光会へ見学に見えて、署名用紙を持って帰り、署名を集めて返送して下さった方もいらっしゃいました。
 慈光会では、早速、東京の取りまとめ団体「遺伝子組み換え食品いらないキャンペーン係」迄、会員の皆様の署名を送らせて頂きました。  前回の署名と反対運動のケースでは、結果的に、愛知県とモンサント社が共同開発していた除草剤耐性稲「祭り晴」が開発中止になっています。今回も、岩手県と北海道で中止になることを祈りたいと思います。
 遺伝子組み換え技術は、人間の愚かな目先の利益を優先し、大自然の微妙不可思議の仕組みを破壊してゆく技術です。慈光会では今後とも、「遺伝子組み換え食品反対」の立場を貫いてゆく所存です。
 ご協力ありがとうございました。  




農場便り 12月        

 
                      

 吐く息が白い。朝霜は今月に入り何度降りただろうか。季節は確実に冬へと移った。暖冬とは言え農場の朝夕はとても冷える。夜空に満天の星が見える日は放射冷却が起こり、翌朝田畑や土手などに霜柱が立つ。四つんばいになり、地表に顔を近づけじっと観察する。そこには美しい氷の芸術が光る。有機質の多い土は黒っぽい柱、赤土は褐色の柱、水分の多い所は白く透明に近い氷柱が鋭利な肌を朝日に輝かせる。
 昔から、冬の寒さは土質を良くすると言い継がれ、厳冬の農作業には寒起こしといわれる作業がある。寒起こしをする事により、雑草の芽や種を枯らし土中の害虫や雑菌の繁殖を防ぐ。また深く掘り起こすことによりたくさんの空気が土中に入り、好気性バクテリアや良性のカビの繁殖を促すなど利点は多数ある。しかし冬眠中の昆虫や小動物にとっては至って迷惑な話だ。慈光農場も1月に収穫を終え、空いている畑はすべて寒起こしを行う。稀にこういう珍事も起こる。土の中からごろんと大きなかえるが出てくることがある。体の動きはぜんまいの切れかけたおもちゃのようだが、目だけは寝ぼけまなこで、こちらをじっと睨んでいる。思わず「ごめん」、すぐに手に取り草むらへ。穴を掘り、臨時のベッドを作り、そっと寝かせる。「よく寝てたのに起こさんといてや」と土中よりかえるの声が聞こえたような・・・・・。
 これから厳しい寒さに耐え益々おいしくなる冬野菜、寒気という調味料が作物を甘くそして柔らかくし、野菜好きの人にとっては最高の旬を迎える。
 京野菜の中に水菜がある。地味ではあるが、その細い体は厳冬にも耐え抜く強さがあり、昔から関西では水菜といえばハリハリ鍋であった。そのシャキシャキとした歯ごたえは冬の食卓には欠かせないものであった。が、残念なことにその生産量は年を追うごとに減少している。
 ここで水菜について説明させていただく。
 あぜの間の清流で育てられた事から、この名がついた。京都原産のもので、関東では京水菜(京菜)とも呼ばれる。濃緑色のギザギザの葉と白いすらりとした茎をもつ野菜で、シャキッとした歯ざわりが持ち味。調理法は、浅漬け、ハリハリ鍋や独特のしゃきしゃき感をいかすため、熱湯でさっと湯がいた後、ごま油で炒め塩、ゴマ少々で味付、又はサラダに使ったりする。サラダ用水菜もあり、生でヨーグルトとマヨネーズで和えたり、ポン酢とマヨネーズを合わせたもので和えたり、ドレッシングでいただいても美味。タコやツナ缶を入れたり、かつおをふりかけると青臭さが消えておいしい。しゃきしゃき感を残すように、煮すぎない、炒めすぎないのがポイント。
 以上のように色々な料理法がある。繊細に見えるが病害虫にも強い野菜であり、か弱いが芯はしっかり者の京美人と重なって見える。
 昔、霜柱で根を上げられた5cm位の麦を踏みつける作業があった。頬かぶりをしたお百姓さんが朝日を浴びながら、畑の麦を踏んで歩く。今では昔話の一コマとなってしまったが、踏みつけられた麦は力強く頭を持ち上げる。根は硬く土の中に広がり、地上部の何倍もの長さに伸びていく。現代人も冬の麦のように何事にも力強く真っ直ぐに生きて行きたいものである。
 以前に冬の美しい森の木々のことを書かせていただいたが、他にも素晴らしい冬の自然がある。夜空にちりばめられた冬の星座もその一つである。天体は古代ギリシャの人々をも彷彿させロマンを抱かされる。中でもオリオン座、ふたご座、おうし座や最近話題になった火星が夕空に一際美しく輝く。そのような数多くの星座を見ることに感動を覚え、また日々の小さな事に取り乱されている自分自身をも反省させてくれる。何億光年と気の遠くなるような彼方より発せられた光が今私の目に届く。感動以外の何物でもない。今も夜空を見ると思い出されるのは、夜中往診を終え帰宅した前理事長が、じっと夜空を見つめていた姿である。どのような願いを込めて星空を仰いでいたのであろうか。この美しい夜空を農場の作物たちも見ていることだろう。
 会員の皆様、この一年慈光会の作物を愛しご利用いただきましてありがとうございました。                        

    夜空が美しい農場より