慈光通信131号 (2004年6月)



死の魔王に勝て   X   前理事長・医師 梁瀬義亮

第2章 科学観を正す

 
 「いわゆる科学」のハードルを越える


 二十世紀に入って学問は急速に進歩し、今までの「いわゆる科学 」は大いに訂正されなければならないことが分かった。したがって「いわゆる科学」

によって指導推進されてきた子の近代文明も、早急にその考え方、進め方に革命的大改革を加えられねばならないのである。しかし残念なことに人類の

文明は相変わらず古い「いわゆる科学」の概念と方法に従って同じ路線を進み、刻々として 破滅の淵に近づいているのである。

 
◇生態学 


  二十世紀における人類最大の発見の一つは生態系の発見であり、生態学の確立であった。 生命という事実を抜きにしてきた今までの「いわゆる科学」
  
に対して、生命という事実をはっきり一つの事実と認めて生物界を眺めると、地球上のあらゆる生命体は決して今まで考えられていたように個々バラバラ

に生きているのではなく、互いに密接に連関しつつ、持ちつ持たれつの深い深い相関関係の中に一つのハーモニーを持って生きていることが分かった。

これを生態系という。そして生命という事実の認識の下に生態系を研究する学問を生態学という。例えば強い肉食動物が弱い草食動物を殺して食べること

は従来「弱肉強食」の生存競争の典型であるかの如く思われていたが、生態学的に調べると実はこれが両者の共生の姿であって、もし肉食動物がいなくなる

と草食動物はやたらに増えて草を食べつくし、やがて滅亡するのである。かと言って強い肉食動物がやたらに増えて弱い草食動物が減ってしまうこともな

く、常に一定の比率をもって共存しているのである。

 生態学によれば、地球上のあらゆる生命は大自然にコントロールされた「生態系の一員としてのみ」その生存が許される。 

  今の文明は地球上の生態系及びその本である「大自然そのもの」を破壊する暴走文明であって、必ず人類の破滅をきたすのである。生態学の原理に則って
  
急きょこの文明を改変しなければならない。また医学、農学、工学、政治学、経済学等々あらゆる学問は、「生態学的」と名づけたものにあらためてこそ、

はじめて人間社会に適合し役立つものとなるのである。
 
◇ 進歩した新しい科学の出現 


  アインシュタイン、マックスプランク、ハイゼンベルグ等々数多くの優れた天才的理論物理学者によって、既知の物理学の法則より遥かに広い妥当性
  
を持つ数々の法則が発見され、いままで「いわゆる科学」の中心となっていた物理学(古典物理学)の諸概念は大きく変わった。また天文学、数学も長足

の進歩を遂げ、上述の生態学と相まって、すべて最近の科学は大きく進歩し変わったし、さらに変わりつつある。したがって当然のことながら「いわゆる

科学」的な生命観、自然観、人生観、世界観、宇宙観などについてはこれを大いに改めねばならぬのである。しかるに今なお人々の頭脳を占領し、実際に

社会を動かしているのは古典的「いわゆる科学」とそれから導き出された人生観や生命観、自然観等々である。ここに近代文明破滅の最大原因がある。

最近も文化的に現代社会の指導的立場にある一知識人が、現代を「神や霊魂という虚構の薄れた時代」と称していた。「いわゆる科学」とそれに基づく生命

観や自然観などを過信し妄信するような人に指導されて、この文明は滅んでいくのである。

 ここで一つの実話を申し上げたい。 かつて名バイオリニストのメニューイン氏がベートーベンのバイオリン協奏曲を演奏した時のことである。演奏

が終わって万雷の如き感動の拍手の中に、突然一人の老人がステージへ駆け登って、メニューインに抱きついて叫んだ。 「君は天国に神様のおられる

ことを今日もう一度僕に思い知らせてくれた。ありがとう、ありがとう」と。その老人は偉大な物理学者アルベルト・アインシュタインであった。その

アインシュタイン博士が晩年、次のような言葉を残している。「宇宙は物質の機械仕掛けではなくて一つのMind (マインド・心)の如きものである」

 
◇ この項のむすび 


 「いわゆる科学」は決して偽りではない。しかしそれは上述の如き公理(根本仮定)の上に成立する人間世界の物質面の法則の一部であり、それから導き

出された生命観や自然観、人生観等々は人間社会の物質的一面のさらにその一部であるということを知らねばならない。言葉を変えて言えば、それは上述

の「第一の心」のみによって見られる三次元的(生命を見落とした唯物的)世界観、生命観、自然観、人生観などであって、人間よりも低次元の世界のもので

ある。これによって人間社会は低次元化され、結局滅亡するのである。 第一の心」によってほとんど占められながらも、なおかすかながら「第二の心」が

働いている。それが人間界(3+α次元―但し αは1より小)である。そして「第二の心」がより大きく人間の心を占めるにつれて、すなわち「3+α」次元の

αが大きくなるにつれて、より高次元の世界の出現が感得せられ、次第に「永遠の生命と光明(幸い)」の世界へ近づいてゆくのである。 以上によっておわ

かりの如く「永遠の生命」を求める旅路においては、我々がそれによって洗脳されてきた「いわゆる科学的」生命観、自然観、人生観、世界観、宇宙観等々

はまさに放棄すべき最大の障害物である。                                               (以下、次号に続く)

  





重曹活用で毎日のお掃除を安全に

    
  重曹がお掃除に意外な力を発揮するのをご存じですか? 今、一般的なお掃除には多種類の危険な合成洗剤や合成化学薬品が使われています。それ

らを使わなくても、重曹を使えば、安全にお掃除することが可能です。重曹は弱アルカリ性なので、汚れを分解し、落としやすくするからです。手にも

環境にもやさしいナチュラルクリーナーといえましょう。重曹を活用して、安心お掃除を始めてみませんか。 主な使い方を以下にご紹介してみましょ

う。
 
◇部屋のお掃除に 



  ◎ガラス:水にぬらしたスポンジに重曹をつけながら磨くと、がんこなガラス汚れもピカピカに。合成洗剤の窓用クリーナーは不要です。

 
◇台所で 


  ◎クレンザーの代わりに、茶シブ、タバコのヤニ、シンクの汚れ、お鍋の磨き粉に。クレンザーより粒子が細かいので、ステンレス製のものも
  
傷つける心配がありません。魔法瓶の水アカもスポンジに浸した重曹でこすると良く落ちます。 ◎冷蔵庫、レンジ、流し周りの汚れたところに重曹を

振りかけ、スポンジや歯ブラシで磨けばピカピカに。 ◎お鍋やフライパンの焦げ付きを落とすには、お鍋に水を入れてから重曹を小匙2杯くらい入れ

煮立たせます。火を止めて数時間放置して置くと、焦げが魔法のようにスルリと浮き上がって来ます。あとはタワシなどでこすれば簡単にきれいになり

ます。(但し、アルミ製の鍋は黒っぽく変色しますので避けて下さい)

  ◎まな板で肉や魚を調理した後、重曹を振りかけて洗うと、汚れも生臭さも良く落ちます。生臭くなった手も重曹で洗って下さい。重曹には脱臭作用
  
があります。

 ○注 危険な合成洗剤はまな板洗いには使わないで下さい。合成洗剤や合成殺菌剤はまな板に残留し、調理した食べ物に付着して体の中にはいって来

ます。そうなると体に様々の悪影響が出て来ます。 本題からそれますが、まな板の殺菌は食酢と塩で十分行うことができます。酢1/4カップ+食塩大

匙1/2+水3/4カップの酢水を作り、まな板やふきんを漬けます。酢水に浸したふきんでまな板をくるんでも殺菌することが出来ます。

 ◎魚焼きのグリルに重曹を敷き詰めて焼くと、臭いがしません。グリルを洗うときは重曹をそのまま利用して洗うことが出来ます。

  ◎冷蔵庫や冷凍庫の脱臭に。空き瓶や牛乳パック(底のある下半分を切り取って使うと便利)に入れ蓋をせずに隅に置きます。2カ月位は脱臭効果が
  
期待出来ます。2カ月経って交換した物も捨てないで、お掃除に使います。

 
◇トイレで 


  ◎夜、お休み前に一つかみ、便器にふりかけておくだけで翌朝は爽やかにリフレッシュしています。
  
  ◎便器の黒ずみも重曹で。割り箸の先に10cm四方の布を巻き付けて少し水でぬらして先に重曹を付け、汚れを落とします。きれいになったら水を流
  
します。

  ◎小瓶や可愛らしい器に重曹を入れ、好みのエッセンシャルオイルを1〜2滴たらします。トイレの脱臭剤と芳香剤を兼用するすぐれものの出来上がり
  
です。香りが消えたら取り替え時ですが、捨ててはいけません。重曹はそのままトイレ掃除や排水口の脱臭剤(後出)として使えます。

 
◇お風呂場や洗面所で  


  ◎スポンジを軽く湿らせ重曹をつけ、湯垢がついているところを軽くこすります。細かいところは歯ブラシに重曹をつけて磨くときれいに落ちます。
  
 ◎排水口の脱臭には1カップを目安に流して下さい。(悪臭がする時のみ)(浄化槽にも同様に使えます。)

  ◎ホコリや髪の汚れがついたヘアブラシを重曹を入れた洗面器に浸けておくときれいになります。

(慈光会では「パックス重曹」を扱っていますのでご利用下さい。尚、食用に使われる時は食用の重曹をお求め下さい。)

  





農場便り 6月 

                                                                                                  

  山の木々が淡いパステルカラーからビリジャンを塗りつぶしたような深い色へと変わり、山の持つ力強さが見る人を圧倒する。 今年は気候のせいか

若葉がいつまでも美しく、長い間我々の目を楽しませてくれた。6月は旧暦で言えば端午の節句の月である。青葉もホトトギスも初鰹

も、新暦ではまだお目にかかることが出来ない。もちろん菖蒲もその一つである。気温の上昇と共に雑草の勢いはもう止まることなく、日々発芽、成長

を続け地表を覆う。農場担当者にとって非常に頭の痛くなるシーズンでもある。畑、果樹園共に雑草は、刈れども抜けども後から後からどんどん生え大

きく成長してゆく。特に幼苗は気を許すと雑草に負けてしまう。要注意である。人参の小さな芽の間に生えてくる雑草は、屈んで一本一本手で抜き取

る。根気との戦いでまさに修行を兼ねた作業となる。まだまだ人間の出来ていない私などは男ながらヒステリーを起こし、「雑草様、どうか畑以外で、

思う存分繁茂してください。」と手を合わせ身勝手なことをつぶやく。 

  しかし今海外では、その雑草が生えず、土地が荒廃し、砂漠化が進み大問題となっている。わが国ではありがたいことに、降雨量が多く高温多湿が
  
草や木を育て大地を覆い、自ら肥沃な土を創っていく。この恵まれた自然に感謝しなくてはならない。(先程の自分勝手な考えを深く反省・・・。) 

  以前にも紹介させていただいたことがあるが、雑草や雑木が山を

肥沃にし、水に生命を吹き込む。自然環境の中では雑木が葉を作り、葉を落とす。それらが堆積し、腐葉土を作り出し、山や森の生物を育てる。その自

然の摂理を、人類は堆肥という形で耕作地を肥沃にし、作物を育てる。生活の中で不要になった有機質や家畜の糞などを完熟させ、田畑に戻す。堆肥を

作る初期段階はまず糸状菌が猛烈なスピードで繁殖しセルロースなどの硬い繊維を分解し、時には70℃ぐらいまで温度が上がる。一時発酵の糸状菌に

変わり、放線菌が現れ二次発酵へと進む。この頃には、鼻をつく匂いはほとんど消え、香ばしい匂いに変わっていく。最後に微生物の働きで最高級の堆

肥へと仕上げを行う。堆肥が完熟に近づくにつれ、作物にとって有害なバクテリアやその他の悪い成分は有益な菌によって分解される。

 初期には生息していなかった小虫やミミズなどがバランスよく生態系を築きあげている。中には大物もいる。まん丸な体、美白の肌、ゆったりとした

動きのカブト虫の幼虫である。腐食が進んだ堆肥には必ずといっていいほど生息している。約一年かけて成虫になる。4月に堆肥の山を崩すとごろごろ

姿を現す。夏の終わりに産卵され、越冬した幼虫は堆肥を糧とし7月の初旬にかけてさなぎから成虫に、そして生息地の雑木山へと飛び去り、クヌギな

どの樹液を吸って夏を過ごす。そこには樹液をめぐって毎夜すざまじい戦いが繰り広げられてる。そこには、木の幹より染み出る甘い液を我先にと取り

合う姿がある。カブト虫やクワガタは蜜に群がり、近代人は石油に群がる。原油利権をめぐり尊い命までが奪われている。愚かなことではないか。アメリ

カの先住民は石油のことを「悪魔の水」と呼んでいたそうである。一日も早く平和な日々が訪れることを祈りたい。

 先般日本を震撼させた鳥インフルエンザ、日がたつにつれ国民の意識より遠ざかってしまったようである。そこで、慈光会岡養鶏場より皆様に。

 和泉山脈の頂にあり、眼下、南には紀ノ川が流れ、高野の山並みが続く。北西には泉州の地が広がり、関西空港から離発着する飛行機の機体を見ること

が出来る。そのような大自然の中に岡養鶏場がある。既にご存知かとは思うが、飼育法は平飼い養鶏で、鶏舎一部に陽光を浴びる場所を設け、鶏舎内は

常に山風が吹きぬける。エサは自家配合で、抗生物質や人口添加物は一切使用することはない。近年畜産業界に於いて、家畜投用抗生物質は、1060t、

その目的は病気対策、成長促進として使用され、その薬品によって新たな病気を生み出しているのが現状である。未だその実態が掴めない鳥インフルエ

ンザ、現代人の愚かな考えで経済優先、鶏の生命を無視した養鶏法によって生まれた病気であるように思われる。その矛先を今では自然界の鳥に向け一切

自己反省にいたっていない。何万年も以前より大陸間を飛来する野鳥に何の罪があるというのであろうか。

 私達も不摂生をし、摂理に従わない生活をすると、すぐさま多くの病気などに冒される。国のリーダーたる厚生労働大臣が「モー、ケッコー」としゃれて

いる場合ではない。岡さんの鶏は今日も元気一杯に自由に遊び、美味で栄養価の高い卵を産んでくれる。岡さんは皆様に安心していただける卵をと日々

仕事に精を出しておられる。 一方畑では、好機性完熟堆肥で育てられた夏野菜の根は土中深く張り巡らされ、すくすくと健康に育っている。瑞々しい

夏野菜はもうすぐ皆様の食卓に届く。田植えの準備が進む水田ではカエルが鳴き、山の木々からはセミの声が聞こえる。この農場便りが蛙鳴蝉噪になら

ぬよう、日々精進を重ねたい。                       草に覆われた農場より