慈光通信132号 (2004年8月)
死の魔王に勝て XI 前理事長・医師 梁瀬義亮
叡智により高次元界を体験する
宗教を虚構の妄想と思わせる教育が、明治政府発足以来、百年以上も続いた今の日本では、国民の知識層のほとんどすべてが宗教に対してアレルギー 的不信感を持っている。ことに既成教団の形骸化と堕落、インチキ新興宗教の跳梁と。その虚偽と醜怪さによってよけいにその不信感の度は強まる一方 である。 他面さまざまの葛藤や、病気、死等々いろいろと悲劇の多い人生の現実に打ちひしがれ、あるいは現代社会の軽薄な喜びの空しさの実感と、 もっともっと清く美しい真実の世界への憧れなどから、現代人の内心には「生と死の問題」の解決や「真の心の拠り所」を求める熾烈(しれつ)な願い(宗教 心)のあることも事実である。洋の東西を問わず、常人の考えられないような叡智(えいち)と大きな愛(慈悲心)をそなえた数多くの聖者が現れた。彼ら はその超天才的才能と常人ではとうてい不可能な精進努力によって高い高い次元の世界を実体験された。そして悟りの世界の偉大さを知った喜びととも に、空しく生き、空しく死んで逝く世の人達に大悲の涙を流されたのである。彼らはその実体験による叡智と限り無い大慈悲心から、身を粉にして人々 のために偉大な世界を体験するさまざまな方法を説かれた。その道は千差万別であるが、畢竟(ひっきょう)するところ吾人(ごじん)の心を占領する「第 一の心」を駆逐し、「第二の心」を無限に発展せしめる方法に他ならないのである。さらに換言すれば「3+α次元」(四次元より小)の人間界のαを無限に 大きくする道である。「第二の心」の発展につれて永遠の生命と光明、大慈悲と叡智の輝く幸せの世界(高次元界)が徐々に実体験されるのである。それが 宗教である。真正の宗教と高次元の学問とはある面では次第に酷似してくるものである。がしかし、ここで注意すべきことは「第二の心」の発展(高次元 界の実体験―宗教の悟り―)はいわゆる思索や思(し)惟(ゆい)によっては達成されない。それによって得られるものは、ただ「絵に描いた餅」にすぎない ということである。真摯(しんし)に自分の「第一の心」と「その心によって生きてきた過去」を懺悔(ざんげ)し、謙虚に徹して聖者を信じ仰ぎ、与えられた 道を至心に行ずることによって「第二の心」が発展し、そこにおのずから現れてくる「今一つの高い高い叡智と能力と慈悲」、それが宗教でいう「悟り」であ る。この叡智によって高次元界を体験するのである。 私は自らの求道の体験から確信を持って申し上げたい。 「真の聖者を仰いで上述の如く進めば、 必ずその聖者の実体験された輝く高次元界を我々も体験できることを。」(付言…宗教に志す人に申し上げたいことは、人間の世界には正しい宗教が沢山 あるということである。これは人間界より高い次元の世界が数多くあり、したがってそこに至る道もさまざまであるからである。各自自分の信ずる道を 最高と思ってよい。しかし自分の信ずるもの以外は「誤りである」「邪教である」と考えてはならないのである) 生死岸頭に立つ諸兄、どうか希望を持っ ていただきたい。既成の概念を放下してそれぞれにご縁のある真の聖者を仰ぎ信じ、教えられた道を真心をもって実践されて高次元界に味到し、病魔、 死魔より解脱されんことを心から祈るものである。さらに老婆心ながら今一度申し上げたいことは、この際、もっとも心すべきことは、示された道を素 直に信じ、たゆまず実行することの大切さである。前述の譬えの如く、木こりのおじいさんの言葉を絶対信じてその道を行かねばならない。下手に変な 知恵を働かすと、とんでもない方向へ迷ってしまうのである。たとえその道が嶮しくて自分の考えでは一見外のもっと平らな道の方が村へ通ずるように 思えても、敢えておじさんの実体験の教え通りに進まねばならぬ。 (註) 当今は極めて多くの贋物や悪魔の化身が宗教家と称して、あるいは美辞(びじ) 麗句(れいく)を並べあるいは嬌態を示し、あるいは威嚇(いかく)して虎視眈々(こしたんたん)、諸兄の菩提(ぼだい)心を食い物にせんと狙っているので ある。それは実に巧妙至極である。くれぐれも御注意されたい。第一項より第四項までの注意事項(特に第三項)を三読四読されんことをおすすめする。 (「死の魔王に勝て」のP26〜P29) 私は仏縁が深く、幼い頃より「生と死」の問題に目覚めて仏道を歩んできた。いろいろと人生の葛藤(かっとう)に悩み、幾度か生死の境を彷徨(さまよ) いながら、不思議な仏光に護(まも)られて七十一歳の今日まで生き長らえ、仏道精進をさせていただいてきた。もとより悟りにはまだまだ遥かほど遠い 私ではあるが、それでもひたすら信(・)と乏しいながら精一杯の行(・)のお蔭で、貧しい心であるにもかかわらず、堅く堅く真如、如来の実在を確信さ せていただくことができ、またその余光のほのめきを実感させていただいているのである。このお蔭で三年来生死岸頭に立ち、病苦に責められながらそ れがそのまま仏道修行の道場となり、心の平安と歓びを常にいただいている訳で、ただただ仏祖に無限の感謝を捧げるのみである。 同じ生死岸頭に 立って病苦と死の不安に懊悩(おうのう)されている諸兄に、正しい信仰による活辞のあることを申し上げ、絶対帰依の道をお示しし、そこに至る障害除 去の法を申し上げてきた次第である。 各人それぞれ御縁ある正しい(・・・)宗教(・・)に絶対帰依(信)されることにおいて活路がある。以下、私は仏 教について御説明しよう。 御縁あるお方はこれによって正しい仏教を理解し、絶対帰依され、永遠の生命と光明を見出されんことを祈るのである。 【註】「死の魔王に勝て」の続きは「仏教」のお話になります。ご興味がおありの方は、柏樹社より「死の魔王に勝て」と題して出版されていますので、ご参 照下さい。
前理事長梁瀬義亮が逝去致しましてから、既に11年の歳月が経ち、来年5月には13回忌を迎えようとしております。先ごろ、これを機に前理事 長の記念館を作る計画が発案されました。前理事長の遺しました、著書、蔵書、原稿、講話録、手紙等と共に、ゆかりの遺品(医療機材、白衣、写 真等)を一堂に集め、整理分類保管し、また一部は展示閲覧出来るようにしようというものです。 前理事長が遺しましたメッセージは、混迷を深 める現代の状況の下で、私達の進むべき道を明確に示しており、その必要性は益々増してきております。また、将来の子孫のための指針となること は、間違いのないところであります。 ここに、この資料室が、世を憂え、あるいは苦悶する人々の、真の解決への縁(よすが)の一端を担えれば、 との思いから、この計画を実施することを決定いたしました。 場所は、現販売所の2階、慈光会館に併設する予定です。 資料の収集は既に始め られており、整理分類に取り掛かろうとしているところです。この記念館をいっそう充実したものにするためにも、皆様の中でなにか前理事長ゆか りの品をお持ちの方がおられましたら、是非御一報下さいますようお願いいたします。 以上、記念館の完成に向けて、どうぞ皆様がたのご協力 ご支援を、宜しくお願い申し上げます。 2004年8月1日 (財)慈光会 理事長 梁瀬 義範
去る七月一日、長年に亙って慈光会の協力農家として慈光会を支え続けて来て下さいました西尾喬さんが亡くなられました。 西尾さんは大正十一年 のお生まれで、梁瀬先生より二つお年が若くていらっしゃいました。昭和三十五年に、梁瀬先生の治療を受けられた時、先生から勧められたのを契機 に、完全無農薬有機農業に踏み切られました。爾来、44年の長きにわたって慈光会協力農家としてのみならず、日本の有機農業の先駆者としても、献 身的に力を尽くして来て下さいました。西尾さんの畑には有機農業を目指す数多くの人々が全国から見学に訪れました。 西尾さんが有機農業に携わる ことになった経緯について、西尾さんの奥様が、十七年前の慈光通信に一文を寄せて下さっています。引用させて戴き、往時を偲ばせて戴きたいと思い ます。 《思えば昭和34、5年頃でしたか。梁瀬先生が農薬の恐ろしさを初めて世に訴えられ、反論の多い中にも、農家と消費者の方を救われんが為に、各方 面に熱心に陳述されるお姿に、すっかり感服致しました。私もパンフレットを読ませて戴いたり、病気でご厄介になる都度、農薬害をくりかえし承りま した。自分たち農民は科学的なことは何も知らない。無知ほど恐ろしいものはない。お医者様や学者先生方の日夜研究されたご意見は素直にお受けしな ければと心に決めました。主人とも話し合いましたが「農薬止めたら生活してゆけるだろうか?」と、ためらいます。然し病気の回数は増え、医療費は かさみ、精神的にも行き詰まる思いでした。畑に出ても働く意欲はなく、ぼんやりと座りこんだり、夫とつまらぬ争いをしたり、心苦しい日々でした。 丁度その頃、主人が盲腸炎になり、先生によくしていただきました。「西尾さん、農薬止められたらどうですか。」 先生の温かいお導きで農薬の使用 禁止に踏み切らせて戴きました。昭和35年長男出産の年でした。「小さな灯でも、ともしつづけていれば、やがてひろがってゆく。」その頃の先生の お言葉でした。 ご多忙な中に、毎月ご自宅で無農薬有機農業研究会をお開き下さり、大自然界の生態系を説かれ、人間は自然の中の一員であり、すべ ての生物と共存共栄でなくてはならない農業の原理をお説き下さいました。大気、土、水をよごさず、消費者の健康を願う農業でなくてはならぬ。農民 として実践しなければならぬ大切なことであることを肝に銘じました。 何よりも有り難いのは、毎月の仏教会で先生より大真理の法を承り、真理に反 しない道を歩ませて頂くのが仏道修行んであることを教わりました。過去を振り返って本当に恥ずかしいことばかりの自分が、真理のお光の中で土に生 きさせていただける幸せに感謝の念で一ぱいでございます。これからは、だんだん体力も衰えてまいりますが、命をいただける限り、この無農薬有機農 業を続けて、皆様に美味しいお米や野菜を召し上がっていただき、子孫に美しい土を残してゆきたいと念願いたします。 西尾 みち》 (昭和62年慈光通信第3号より抜粋) 西尾さんご夫妻は本当に夫唱婦随、一心同体、志を同じくされて、共に歩まれていらっしゃいましたから、この奥様の手記は、そのまま、又、亡くな られた西尾さんのお気持ちであったことでしょう。梁瀬先生を心から尊敬し、ゆるぎない信念の中で、完全無農薬有機農法を実践していらっしゃいまし た。 お悔やみに伺ったときに拝見した、西尾さんの凜とした最後のお姿は忘れる事ができません。私共が美味しいお米や野菜を安心して食べられるよ うにと、終日野良で働いて下さった為に真っ黒に日焼けしておられたお顔の色は、透明感のある清々しい白さに変わり、刻まれていた深いしわは、もう 見当たりませんでした。「今は、彼の地で、梁瀬先生に会っておられるに違いない・・・。」 西尾さんにお別れした方々の胸にはきっとこんな思いが 去来していたことでしょう。 先般、NHKで再放送された「心の時代」(梁瀬先生が1990年出演された番組)の冒頭で放映された五條の景色の中 に、西尾さんの畑や田圃が紹介され、そして、トラクターを運転なさっている在りし日の西尾さんの姿が映し出されていました。誠実なお人柄が、なつ かしく、しみじみと偲ばれました。慈光会の草分け時代に、梁瀬先生と苦労を共に重ねて下さった最長老が逝去されたことは悲しみではあります。けれ ども一方で、「後をしっかり頼みますよ。」と、メッセージを送ってきて下さっているようで、見えざる所で大いなる励ましを頂いているような実感が あります。 今、日々の生活の中で、西尾さんの作って下さった農作物をいただく時、このお米に私達が育まれ、この野菜、このお芋に私達の健康が守 られて来たことを思い、感謝の念で胸が一杯になるのです。 遠方にお住まいの宅配会員の安川さんはこんな詩を送って来て下さいました。
化学物質過敏症になられた苦しみの中で、安川さんは慈光会協力農家の農産物からいつもメッセージを受け取っておられます。「かけがえのない世 界」、それは梁瀬先生の「大気、土、水をよごさず、消費者の健康を願う農業でなければならぬ。」という教えを受け継いだ、協力農家の方々の、祈り にも似た思いから生まれてくるものなのかも知れません。確かに、祈りの込められた食物を頂く時、私達の命が強められる気がするのは、命の奥深い所 で、静かに伝わってくる何かがあるゆえかもしれません。 人の命を支え養うという本当に貴い使命のある仕事、農業に、信念と誇りを持ち、生涯を通 して力を尽くされた西尾さんに改めて感謝申し上げると共に、しっかり西尾さんの後に続かねば、と決意を新たにするものです。今はもう、彼の地で、 梁瀬先生と会っていらっしゃる西尾さん・・・ご冥福を心よりお祈り申し上げます。
この夏の暑さは記録的。大阪市の最高気温が三十度を下回ったのは七月に入ってから二日だけです。ここ五條の地でも、盆地ですから極めて暑く、 「暑さ日本一」に輝いた(?)日も何度かあったほどです。関東方面では四十度を越した日もありました。温暖化現象に、都市部ではヒートアイランド 現象が加わり、夜間の気温もあまり下がりません。都市では土がほとんどアスファルトに覆われているため、大地が熱を吸収することができません。昼 間温められたアスファルトが夜になって放熱を始めますから、気温はなかなか下がらないという訳です。 そこで、東京など都市部では「打ち水運動」 が奨励されるようになりました。地域ぐるみで打ち水をすると、最大で二度近く気温が下がった記録があるそうです。打ち水に使う水は、上水を用いず に、風呂の残り湯、溜めておいた雨水(樋から落ちる雨水を簡単に溜め置ける器具が随分普及しています)、洗濯の排水、お米のとぎ汁等の水を利用し ます。一斉に上水道の水を撒いたら、今度は水不足になりますから。 大阪や金沢市ではNPOが市民参加の打ち水イベントを企画しているそうです。 又、イベント当日は、「大阪水都再生基金」が打ち水に利用する「下水処理水」を提供するそうです。 昔は夕方になると各家庭で一斉に打ち水をする 習慣がありましたが、今では水不足も手伝って、打ち水をする人の数がすっかり減ってしまいました。この猛暑を乗り切るために、今こそ、昔の良き習 慣を復活させよう、という訳です。 この運動の目的は「地表の温度を気化熱を利用して下げる」というものですから、今まで何げなく下水に捨ててい た水も、外に撒く習慣をつけたら良いだけのことかもしれませんね。昔、母親が、雑巾掛けに使った水を庭木に撒いたりしていた記憶がよみがえって来 ます。使った水も、昔は無駄にしなかったのですね。 都市にもっと緑の樹木を植え、できるだけアスファルトをはがして土の面積を増やし、道路は透 水性舗装にして保水能力透水能力を高め、ビルの屋上や壁を緑化して、と、気温を下げるにはまだまだ様々な工夫があります。でも、個人的に実行する のはむずかしいですね。 それにひきかえ、打ち水運動は、明日からでも自分ですぐ実行できます。皆様も参加されてはいかがでしょうか。そして、良 いという実感があれば、周りの方々にも勧めてみましょう。(註:合成洗剤を使ったすすぎ水は、土に撒いてはいけません。土中の生命を殺してしまい ますから、草や木が枯れる原因になります。)
去る6月27日(日)と、7月4日(日)との二回に亙って、前理事長梁瀬義亮医師が出演致しました番組が教育テレビで再放送されました。(NH Kからの連絡が入ったのが急だった為、前号でお知らせすることが叶いませんでした。) 放送された番組は、1990年に放映された「心の時代《い のちの発見》」で、理事長が亡くなる3年前に収録されたものです。 この連日の猛暑に、異常気象、温暖化現象の兆しを見て、地球の未来を案ずる方 も多数いらっしゃることでしょう。毎日飛び込んでくる考えられないような残虐なニュースに、この人心の荒廃は何が原因なのかと疑問を抱く方もい らっしゃることでしょう。 前理事長は、40年以上前からこのような時代の到来することを予見し、様々な形で世に警鐘をならし続けて参りました。 近代文明社会は、どこをどう間違ってバラ色の文明を築けなかったのか、番組では、こうした疑問に応(こた)得(う)べき内容になっています。 先般 の再放送終了後には、多数のお問い合わせを頂き、解決を求めておられる方々が本当にまだまだ大勢いらっしゃる事を改めて認識致しました。 番組を 見逃した方々のために、慈光会では番組を収録したビデオの貸し出しを行なっております。ご希望があれば、慈光会販売所までお申し込み下さい。尚、 番組の内容を前理事長が手ずから加筆、推敲編集してまとめた小冊子「いのちの発見」が慈光会から出版されています。併せてご案内致します。 (一冊263円)(ビデオの貸し出しは無料ですが送料はご負担下さい。ダビングはご自由に行って下さい。)