慈光通信134号 (2004年12月)



自然と生命をとりもどすために II   前理事長・医師 梁瀬義亮

【この原稿は、昭和五〇年(一九七五年)六月二九日高松市民会館で行われた梁瀬義亮前理事長の講演録です。】

健康と食物・食物と農法・農法と心

  

「医学」の発達と「生命力」の低下


 現在、医学が非常に発達しました。立派な病院がどんどん建ち、大学の医学部は立派な施設とたくさんの学生と教授陣を備えて研究に従事し、それで

一体病気がどれほど減ったかと申しますと、実に昨年度(一九七四年現在) の医療費は四兆円というお金を使っております。減っていないどころではな

く、どんどん増えているわけなのです。 日本人の病人の数は、昭和三〇年から四六年の間に約三倍になっております。現在の医学が急性の病気、肺炎

であるとかいろいろな化膿性疾患であるとかを応急処置として命を救ってくれるという点では非常に優れた能力を持っておりまして、これは医学の恩恵

であります。しかるにその反面、白血病、肝臓のいろいろな病気、肝硬変、腎臓の病気、心臓血管系の病気、こういったものがもうびっくりするくらい

増えてきているわけで、ガンの発生の激しいことは、子供にまで波及してまいりまして、子供の病気での死亡率で一番高いのがガンになってしまいまし

た。 まだまだこれがどんどん増えるでしょう。ことに最近三〇歳代、四〇歳代のガンの発生がびっくりするくらい多いわけなんですね。何か胃の調子

が悪いと、胃ガンじゃないだろうかとか、何かあるとそこのガンじゃないだろうかとか、すぐに心配になるくらい多いわけです。これはいくらガンの検

診車が回って調べに来てくれてもだめなんです。どうしたらガンが防げるのか、どのようにしてガンをなくするかということをしっかりとやらなければ

いけないのでございます。 また肝臓疾患の多いことにもびっくりします。病院に行ったら若い人が肝臓病でどれほど入院しているか、腎臓病も同様で

す。こんな大きな顔になってしまって、ぶらぶらしている腎臓病の子供が病院に行ったらびっくりするほど多いのです。こんな有様でございます。 こ

れはおかしいのであって、医学というのは発達したら病人がなくならなければならないのに、どんどん増えるということが非常におかしい。これは非常

に矛盾なんですね。医学が発達して病人が増えるということは医学の本質的なことから考えて矛盾なんですが、現実にそうなっておるわけです。これは

何か大きな欠点があるに違いない、これを私は長らく考えてきたわけなんです。それから一方とても恐ろしいことが起こってきた。それは何かという

と、肝臓ガン、重度身体障害児だとか、精神薄弱児だとか、あるいは若いお母さんが流産、死産をするのが非常に多くなってきてこれもびっくりするく

らいなんですね。 昭和四六年度の報告によりますと、大体三百万人のお母さん方が妊娠して、二百万人しかまともに分娩できない、というような状態

になっております。奇形がどんどん多くなるということは民族の将来にとって実に悲しい、恐ろしいことなんです。 それから体力はどうであるか。明

治の初期、日本においでになって日本人の健康あるいはいろいろなことを随分詳しく調べられたドイツのベルツ博士は、日本人の体力、気力の偉大さに

驚嘆され、「これは実に恐るべき民族だ。いずれ世界に大雄飛するであろう。」ということをおっしゃられました。そのひとつの現われともいいましょ

うか、もちろん戦争というのは悪いことではありましょうけれども、日露戦争において、あの酷寒の満州の地で世界一の大陸軍団であるロシアと、劣っ

た武器を持って四つに組んで後に引かなかったという、あの体力は、ベルツ博士の言葉を裏書する事実だと思うのです。その世界一強かった日本民族が

一九六八年のメキシコオリンピックの後の記念事業としての世界体力テストで、世界最低であったといいます。わずか七〇年ほどの間に最高の強い体力

を持った民族が最低の体力しか持ってない民族に落ちぶれてしまったという現実がございます。 また最近は、中・高校生に成人病がどんどん増えてく

る、ということが大変な問題になっている。こういうことを総括してみますと、私達日本民族の生命力といいますか、バイタリティは非常に低下してき

ておるということが考えられるのであります。しかし、そういうことを言うけれども平均寿命は延びているじゃないか、ということがすぐ皆様のお心に

浮かぶでしょう。どの講演会に行っても後でその御質問を受けるんです。ここではっきりこれについて述べておかねばなりません。 平均寿命が七〇を

越したということは、そのまま日本人の生命力が強くなって、今の方が七〇歳まで平均して生きられるんじゃ決してないということを知っていただきた

い。これはどんなことかというと、今死ぬ人の年齢を平均すると七〇歳を越したというだけの話で、今生きている人が七〇歳まで生きられるというのと

は話が違うんです。もっと詳しく申しますと、現在の保護一点張りの社会環境、ことに抗生物質等の薬に守られて明治を生きてこられたお年寄りが長く

生きておられるということ、それから赤ちゃんが非常に少ないうえに、同じように保護一点張りの社会環境で非常に恩恵を受け、大変死亡率が低いので

す。お年寄りがなくならずにずっと生きておられることと、赤ん坊が少なくて死なないということ、これによって亡くなる人の年齢を平均してみると、

一見寿命が延びたかのように見えるんですけれど、民族の生命力というものは、今申したような事実からみましても明らかに、体力、気力とも低下して

きているわけなんです。このことと先ほど申しました日本人の体内にある毒物ですが、その度合いは世界平均の一〇〇〜一五〇倍といわれております。

 そのようなことから総合して農林省の西丸先生は「三〇年先にはもう四〇歳程しか生きられなくなる。そういう時代が来る。その時にはもう民族は自

立することが出来なくなるだろう。」などと恐ろしいことを言っておられますが、決してこれはいい加減な話ではないということが考えられるのです。

現状がそうなんです。もうそれが年々、体力が弱り病気が多くなっていくのを実際臨床にあずかっておりますと感じられるのです。  

                                                       (以下、次号に続く)
 






どんな原発も危険です

   

一刻も早く脱原発社会の実現を


III.パーフェクトな安全対策とは?

  こんなクイズがあります。 問題「踏み切り事故を完全に無くすにはどうしたらいいでしょうか?」 警報機の音を大きくする、遮断機を二重にす る、警報音が鳴り出す時間を早める、等々、様々な工夫が頭をよぎることでしょう。しかし、正解はこうです。「踏み切りを無くす」 これを実行した のが新幹線でした。新幹線には踏切が無いので踏切事故は皆無です。どんなに安全対策を練っても踏切が有る限り、踏切事故は起こってしまうのです。 科学の粋を集めたチャレンジャー号が2回も空の藻屑と消えてしまったのと同様に。 原発も同じ事です。原発が有る限り原発事故が起こる可能性は存 在し続けます。原発の事故を無くするには原発を無くすることです。

IV.原発は廃止へ

 原発の安全性の問題が取り上げられると、とかく、マスコミ等では「原発がある」ことを前提に議論が進められます。しかし、原発の存在そのものの 是非を問う姿勢を常に持つ必要があると思います。 慈光会では「脱原発」という立場を一環して貫いてまいりました。例え原発事故が起きなくても、 人間の管理能力を越える放射能が沢山できてきて、生物とその子孫の生存を脅かすことは必定、と考えるからです。 原発は「隔離の技術」と言われて きました。「稼動中の放射能」と「廃棄物としての放射能」を、如何に完全に人間社会から隔離するか、という技術です。その技術を確立し完璧に維持 してゆかなければ、人間は生存することが出来ません。しかし現時点で隔離技術の確立は出来ていません。又、完璧に維持する見通しも立っていませ ん。原発は見切り発車していたのです。 原発を稼働すると出来てくる「プルトニウム」は半減期が2万4000年以上あり、たった1gで18億人(世界の 人口の三分の一近く)の許容量を越える、という猛毒です。そのプルトニウムの在庫が、現在、世界で140ないし160トンあると推定されています。 (「暴走するプルトニウム政策」原子力資料情報室刊) 西暦2004年現在、2万4000年先の放射能隔離に責任を持てる人がいるでしょうか。今後2万4000 年の間に巨大な地殻変動、大洪水、隕石落下等の自然災害が起こらない保証はありません。たかだか100年の寿命しかない人間が、その240倍以上の寿命 を持つ「放射能」の技術に手を染めること自体、自分をパーフェクトな存在と勘違いした大きな驕りなのではないでしょうか? 例え石油が足りなく なってきても、安易に原発推進の選択をするべきではありません。私たちは既に、子孫の生存を脅かすのに十分な大量の放射性廃棄物を作り出してきて います。これ以上増やすことはもう道義的に許されません。 持続可能な発電方法が沢山あります。風力、バイオマス、太陽光、小水力、コジェネレー ション、潮力、等々、慈光通信紙上でも外国の例など沢山ご紹介してきました。原発ではない発電方法を選択しましょう。そして私たちは、すべからく 省エネを心掛ける日々を送りましょう。子孫に恐ろしいツケを残す原発は、一刻も早く止めるべき秋(とき)を迎えていると思います。  【完】




農場便り 12月


 
 
 木枯らしが吹き出した。今月初旬まで真っ赤に染まった柿の葉もいつの間にか北風にさらわれ、取り残された実と枝や幹だけが初冬の風景を作り出

す。柿山には人影はなく、小鳥だけが楽しく遊ぶ。 寒い鉛色の空の下、ウグイスの声が聞こえた。しかしこの時期ウグイスなど鳴く訳がない。自分の

耳を疑うが、確かに聞こえた。眼を凝らして林をじっと見ていると幾重にも重なった枝の中に鳥の姿を見つけることができる。丸みを帯びた体に、尾は

少し長く、口ばしは鋭く鍵型に湾曲した冬の使者「もず」である。漢字で「百舌鳥」と書き、その名の通り色んな鳥の鳴きまねを上手にする。そのもず

が、美声で日本人の心を魅了するウグイスを真似ているのである。農場に勤務して30年、初めて目にする光景に思わず笑いがこみ上げる。 農作業もあ

と幾日かで一年が終わろうとしている。年々気候が異常になる中、上半期はすこぶる快調に何事もなく過ぎていった。が、7月に入ると猛暑が日本列島

を襲い、毎日焦げ付くような日差しが作物に降り注ぎ、暑さを好む作物までもが夏バテを起こした。勿論私も例外ではなく、バテバテ、何とかならない

ものかと思わず愚痴をこぼした。嫌な臭いを撒き散らすカメ虫もその頃から異常発生し、きゅうりやナスなどの一部の果菜類、果樹では柿に多大な被害

を与えた。農薬の乱用により天敵が減少し、今やこのカメ虫は増え放題で、年々増大する農作物の被害を懸念する。 本年は早くから台風が何度も日本

列島を直撃した。この地方では風はさほど強くなかったものの、強い雨が小さな秋冬野菜の苗を叩いた。キャベツ、ブロッコリー、白菜、カリフラワー

等の幼苗はほぼ全滅状態、負けてはならぬと即刻パレットに播種をするものの、カリフラワー、ブロッコリー等は播種の適時期を既に過ぎており断念し

た。白菜は早生種を蒔き「早く芽を出せ」と一日に何度も気合を入れる。「気合だ!」ハラハラ、ドキドキの日が続き、この頃には晩生種白菜も播種。

9月中旬には平坦地の畑に定植し、これで年内から年明け2月までの白菜は確保できたと高をくくっていた。ところが南太平洋で発生した熱帯性低気圧が

日増しに成長し台風へと姿を変え、今までに経験のない大型台風が何度も日本列島を襲った。その度に畑は水に浸かり、一度水に浸かると根が弱り、見

るも無残な姿になった。以前聞いた、「温暖化が大型台風を作る」という環境学者の忠告が、今更ながら思い出される。これもまた人災なのだろうかと

頭を抱える。人類の底知れぬ欲望が尊い人の命までも奪う。 だめになってしまった葉菜類とは反対に、大根、人参、ごぼうなどの根菜類は元気に育

つ。根菜類は京野菜に多く見られ、歴史はさかのぼり、平安時代にはすでに栽培されていた。堀川ごぼう、京かぶら、京菜、九条ねぎ、万願寺とうがら

し、京ナス等と共になくてはならない京野菜、初冬より収穫される京人参を紹介させていただく。 播種は6月末から7月下旬、暑い夏を幼苗で越す。決

して暑さに強くはなく、播種から発芽まで毎日潅水が必要となる。栽培地は整地までの間、何度も耕運し、土の塊や肥料の塊をなくす。これが十分でな

ければ、タコの足のように分蘖(ぶんけつ)してしまう。肥料はたくさんは必要としないが、生育が極めてスローな作物だけに除草はこまめに行う。生育

期に乾燥させてしまうと、雨などの急激な水分の摂取により、せっかく育った根部にひびが入るので、乾燥は極力避けなければならない。これらの作業

をこなし、愛情を込めて育てること5?6ヶ月、真っ赤な金時人参が収穫され、紅白ナマス、きれいに型抜きされた煮しめなどとなって、まもなく迎える

正月の祝いの膳に色を添えてくれる。今はただ「いのししが、私たち人間より先にお祝いの膳を楽しむことがないように」という事だけを祈っている。

 秋以降野菜が少なく、会員の皆様には多大のご迷惑をお掛けし、心が痛む日が続いた。11月下旬より、徐々にではあるが量的には増えほっと一息、

しかしながら種類は未だ限られ、食卓を多種にて飾るまでには至っていない。 近年我が国もやっと少しながら食糧自給に重い腰を持ち上げたようであ

る。しかしながら、残念なことに、安全性に関してはまだまだ進んでいない。当会はいかなる条件下においても、前理事長が提唱した農法を守り実践し

ていく。 寒空の下、遅ればせながら、水菜、白菜、人参、ねぎ、その他数々の野菜が育っている。本年も残すところあと僅かになった。大自然の美し

さに、人の心の美しさに感動したこと、反対に国家間や民族間の争い、自然の猛威に涙することもあった。やがて迎える年こそ、正しい世界観より生ま

れる美しい社会に近づくことが出来ますように、と心より祈りまた自分自身も反省する。 怒りや悲しみは大晦日の梵鐘の音に乗せ空のかなたへ??。

                                                            師走の農場より