慈光通信139号 (2005年10月)


自然と生命をとりもどすために VI

前理事長・医師 梁瀬義亮

【この原稿は、昭和五〇年(一九七五年)六月二九日高松市民会館で行われた梁瀬義亮前理事長の講演録です。】


 栄養ということを盛んに申しますけれど、これも調査でわかったことですが、肉体運動をするということがいかに大事かということです。いくら立派な食物をとり、 完全な栄養をおとりになっても、運動しない人はダメなんですね。逆に、お酒をたくさん飲んだり、タバコをのんだりする人でも、肉体労働をよくやる人は、解毒作 用が非常に強いわけなんです。
 例えば焼酎を飲む習慣のある土方の人を調べてみると、天気が続いて土方仕事のある時はたくさん飲んでいても病気にならないんです。しかし、雨続きになってく ると、やはり習慣で飲むものですから、すっかり身体がまいってしまうんですね。だから運動することは非常に大事でございます。
 先程、和尚様のお話で、姿勢、呼吸を教えていただきましたが、これは実に大事でございまして、ほうぼうに出かけますといろんな健康法を研究しておられる方に お会いして、お教えいただくわけなんですけれど、例えば禅寺で長いことお世話になったことがあるんです。和尚さんがいつも、「おまえ、鼻とヘソが一線になるよ うに、耳と肩が一線になるようにうなじを伸ばし、アゴを引け。」とおっしゃるのですが、姿勢は非常に大切です。
 そして呼吸ですが、それは精神的のみならず、肉体的にも非常に大事なことであって呼吸によって私達の身体は非常にきれいになる。そういうことを知っておいて 頂きたいのです。それから、いつも肩の力をぬいてリラックスさせておくのが重要である。肩こりの人ばかりを数多く調査したことがあるんですが、そういう人達は 人と応対するときにすぐに肩と首に力が入るんですね。
 ある時私のお世話になった和尚さんがこんなことを申しました。「この頃の人間はヨーロッパ式に物事を教えてもらってノドで声を出して、頭で物を考える。そして 肺で呼吸をする。しかし達人になろうと思ったらまず、腹で呼吸して、腹でもの事を考えて、声はというと踵(かかと)から出せ。」(笑)とおっしゃる。これも実際その 通りだなあと思うことがございます。
 それから生まれつきの体質というものが非常に大きな要素になっております。このおかげでせっかく苦労して調査しながら、データがでなかったわけです。先程申 しましたように一升酒を飲みながら九十くらいまで生きておったり、野菜をおあがりなさい、海草をおあがりなさいといっても肉ばかり食べている人もおりますが、 これは生まれつきの体質で私達ではわからない様々な要素が働いております。けれども、このいかんにかかわらずこのような麦御飯なり玄米御飯をいただいて、白砂 糖を少なくして野菜、海草、大豆を多くして、そして、適当に小魚などの動物性のものをそえる。肉食は少なくする。そして油を適量にとって果物はおやつ程度にす る。そしてタバコは十本、お酒は一合以内にして、できればやらないで、よくこまめに運動して、姿勢、呼吸によく気をつけて、それから正しい人生観なり世界観な りのもとに動いておりますと、それは生まれつき弱い人でも本当に丈夫になれるんです。こんなことが調査の結果分かってきたわけなんです。

実験第一号は私
 こういう傾向がわかってわかってまいりまして初めて実験したのが実はこの私だったんです。私が県立病院に勤めております時、この調査をはじめましてから朝早く 出て夜遅く家へ帰ってくる。本当に疲れます。そして身体も弱ってきたというわけで、私の家内が当時生活の苦しい中にも特別私に栄養のあるという御馳走を準備して いてくれたわけなんです。自分は随分粗食しながら私にはいつも、肉だとか、何だとかいって買ってきて、気を配ってくれたわけなんですが、私もそんなことしちゃ悪 いというんだけど、せっかくしてくれるし、これだけひどく仕事をして病気をしちゃいけないと思って、その好意をちょうだいして頂いておったわけなんですよ。それ にもかかわらず疲れ果てて一ヶ月くらいすると、寝込んでしまったり、時々高い熱を出したりする。そうすると「あんた御馳走を食べさせているのに弱いね」というん です。そういわれるとはなはだ面目ないんです。
 ところがだんだんと調査が進んで昭和二十六年になってこういうことがわかってくるとさては私の一番弱くなる原因は、うちのお嫁さんの御好意によるものだ(笑)と いうことがわかってまいりました。それから私はこういう食生活にきりかえたんです。そして、皮膚の鍛錬をしたり、病院に行くにも電車で行くのをやめて歩いていっ たりして、しっかりと運動していますとすっかり元気になって、もうちっとも病気しないようになってしまいました。このようにしてまず自分で実験の第一号をしたわ けです。            (以下、次号に続く)



慈光会定期大会報告
   

 講演と音楽の集い

 音楽の部ご報告
 前号でお伝えしたとおり、「講演と音楽の集い」の前段は同志社大学名誉教授の西岡一先生の講演でした。特に「コロリ毒とジワリ毒」という毒物の分類の仕方が 印象的で、参加して下さった皆様からは「とても分かりやすいお話しで、改めて農薬や食品添加物等の怖さを認識し、食生活を見直す良い機会になった」との感想が 多数寄せられました。
 今月号では後段の音楽の部のご報告をさせて頂きましょう。

 京都市交響楽団のメンバーによる弦楽四重奏曲はヨハン・シュトラウスの「春の声」から始まりました。耳で聴くのではなく身体全体で聴く事が出来るのが、生演奏 の素晴らしい所でしょうか。
 誰もが知っている「ムーンリバー」「浜辺の歌」などの曲に続いて学校唱歌「故郷(ふるさと)」が演奏される頃には、曲に合わせてハミングをしたくなるよう な雰囲気が会場全体に漂っていました。
 舞台上は暗転して、梁瀬前理事長の散文詩の朗読が始まりました。
「夜空を仰ぐとき、そこには無数の星が美しく輝いています。オリオン、カシオペア、ペルセウス等々、懐かしい星座が何かを物語りつつきらめいているのです。星は すべて太陽です。数限り無い太陽の輝く果てしない大宇宙。最近の進歩した天文学は、この神秘的な無限の宇宙空間の色々な情報を教えてくれます。もちろん、天文学 は自然科学の一つですから、それは宇宙の真実の姿の三次元的截面(ルビせつめん)(切り口)にすぎないでしょう。しかし、地上では考えられない無限の広がり、桁 外れに大きな質量、途方もないエネルギー、限りない距離や時間の長さ・・・・・・、それは私たちに何かを示唆してくれます。
 果てしなく広がる三次元空間−−−宇宙。それは四次元界に没してゆくのでしょうか。星の輝く夜空は私たちに日常忘れている無限を、そして高次元界を思い起こさ せてくれるのです。」

 詩の余韻のなかに、牧村照子氏のピアノ演奏が始まりました。 ラフマニノフの「エレジ」、ショパンの「ノックターン嬰ハ短調 遺作」、ベートーベンの「ピアノソナタ テンペスト 第三楽章」・・・。音楽をこよなく慈しみ、 ことにベートーベンを慕い抜かれた前理事長の、曲に対する熱い思いが伝わって来るような、感動的な演奏でした。
そして、ピアノの後に演奏された弦楽四重奏の最後の曲はベートーベン作曲の「弦楽四重奏曲第16番作品135 第三楽章」でした。この曲は前理事長みずからが 「祈り」と名付け、過去の定期大会でも度々聴かせて頂いてきた曲です。
 そして前理事長の「祈り」の詩が読まれました。その詩をご紹介させていただきます。(「仏陀よ!」梁瀬義亮著より抜粋 詩の前部は略して朗読されました。)

祈り

 
ああ仏陀の慈光
真如の慧光
いまこの愚かな私が
末世の邪見と偏見、驕慢と錯覚の汚泥の中に
消えてゆこうとするこのみ光を
もう一度掘り起こそうと試みました。
公害と核の恐怖に満ちたこの暗黒の世に
愛する孫らを残してゆかねばならぬ悲しみに胸つんざかれ
身の程を忘れてこの願いを起こしたのです。
悪魔の世界観の跳梁するいまの世に
仏陀よ、この書がみ教えを正しく伝えることができるでしょうか
そのうえ仏陀よ
真如のみ光は人間の言葉では
明かすことができません。

  荒磯の波もえよせぬ高巌に
  かきもつくべきのりならばこそ
  いいすてしその言葉(ことのは)の外(ほか)なれば
  筆にも跡を留めざりけり(道元)

ひたすらに仏陀を仰ぐ謙虚な心と
み教えを信じ行ずるその実践の中に輝く
仏智の体験のみが真如の光をみせてくれるのです
仏陀よ
それは近代人にとって可能なことでしょうか
おお仏陀よ、あわれみを垂れ給え
つたない私の言葉(ことのは)を
み光もて真如の焔と化し
人々の心を鎖す無明の鉄扉を
打ちくだき、焼き切らしめ給わんことを
               合掌



農場便り 10月

 秋の香りが日一日と深くなり、いわし雲やひつじ雲が真っ青なキャンバスに美しい絵を描く。今年もまた私にとって最大の敵、食欲の季節の到来である。口に出来る
ものすべてが美味、目に飛び込んでくるものをついつい口に運んでしまう。体重計の針が指す位置も夏から日増しに変わってきたようである・・・。
 秋の夜長ふとテーブルの上に置かれた雑誌を眺めていると、関西の食を紹介した美しい写真が目に入ってきた。一昔前ならお皿のメインには動物性のものがドカンと
置かれ、野菜類は隅に追いやられ小さくなっていた。それが今や時代は変わり、食材のすべてが主役を演じるようになった。野菜や芋、豆がメインの食材になり、食材
の持ち味が生かされ、芸術的な美を持ってテーブルに花を添える。日本の伝統料理では京野菜を知り尽くした食の匠が和の美を演出する。
 京野菜は今や関西だけでなく全国区の地位を得た。京都と耳にすればすぐ反応するのが大和人の性(さが)である。そこで一言申し上げたい。
 京野菜のルーツは大和野菜にあり、平城京を離れ平安京に都を移す時公家達は大和野菜があまりにも美味であるため、それを捨てがたく持ち去ったのが京野菜の始まり
であり、後全国に街道が発達し国中の美味しい野菜、芋、豆などが都に集まるようになり改良されたそうである。いずれにせよ「大和野菜」が起源であることは間違いない。
近年大和野菜を復活させようと努力しているグループも出来たそうだ。上方人は常に江戸を意識し、大和人は京を無意識のうちに気にかける。少々前置きが長くなったよ
うである。ここまで読まれると誰もが京野菜の紹介だとお思いだろうが、ここで大和人のへそ曲がりを出し、以前にも紹介した大根について今一度お話しさせていただく。
 昔大根、今や幻の大根といわれている大阪・田辺地区で生まれた「田辺大根」を紹介させていただきたい。戦前、現在の大阪市を中心に北・南河内で幅広く作付けされ、
戦後、ウイルス病や見栄えの良い他品種におされ絶滅への道を歩み、大阪の畑から姿を消した。近年、昔懐かしい地場野菜が少しではあるがテレビなどで紹介され陽の目を
見るようになってきた。2年前、田辺大根の種を20粒程知人からいただき、物好きな私は早速栽培したが、残念なことに既に他品種と交配されていて種子を採ることは出来
なかった。それ以後、田辺大根が私の頭から離れず、知人に頼み大阪田辺大根を保存する会に足を運んでいただき、少しの種を入手することが出来た。入手した種をもとに
自家採取した種を本年少しではあるが播種し、秋の日差しを浴び現在は葉が20cm位に成長している。田辺大根の特徴は葉のとげが少なく、蕪に近い葉で、肌は極めて細かく
美人肌、美味だそうである。短所は、私と同じくずんぐりむっくりの短足気味、病害虫にはあまり強くない。これからの気候や栽培上でトラブルがない限り少しではあるが
冬場の皆様の食卓にお届けできるようにと願っている。
 20世紀には度々武力による世界征服を企み、その度多くの尊い命が犠牲になった。21世紀は武力に経済が融合し複雑化され農業界にも今までにない大異変が起こった。種
子戦争である。遺伝子を組み替え、世界中の食糧を大企業がコントロールするというコンテンツで大きく動いているということを以前に聞いた。ローマは食糧を他国に委ね
滅んでしまい、現在の日本も同じ道を歩んでいる。美しい緑豊かな国日本、人類が入ってはいけない領域に迷い込んでしまった遺伝子組み換え種子が入り使用されぬよう、
私達国民一人一人が理解と自覚を持って見守っていかねばならない。
 秋の夜深く澄み渡った夜空を仰ぐ。そこには煌々と母のように優しく光を放つお月様の姿がある。星座群は月の放つ光に退散し、大きなお月様の中ではうさぎが餅をつく。
幼い頃読んだ童話で旅人に自らの身を捧げ月に昇ったうさぎの話を思い出す。しかしながら美しい昔話も大国によるアポロ計画によって崩れ去ってしまった。古(いにしえ)の
時代より人々が思い描いてきたお月様の姿もただの荒涼とした月の映像だけが脳裏に焼きついた。そんな中、中秋の名月にお供え物をする光景を目にした。心豊かな人々の自
然への畏敬であろう。
 ペッタン ペッタン今宵も夜空でうさぎが餅をつく。いつまでもいつまでも美しい光が私達を照らしめてくれる世の中でありますように。
                           ススキの穂が秋風になびく農場より