慈光通信141号 (2006年2月)


自然と生命をとりもどすために VIII

前理事長・医師 梁瀬義亮

【この原稿は、昭和五〇年(一九七五年)六月二九日高松市民会館で行われた梁瀬義亮前理事長の講演録です。】


健康と食物・食物と農法・農法と心

私の農業研究
 私の所へおいで下さる患者さんにも必ずその方の生活を一緒に吟味させて頂いて、こういう理由で病気が起こるものだから、一応は薬で抑えるけれど、これは本当は 薬では治るのではないのだから、というようなこともご説明申し上げて一緒にやらせてもらいました。ところが、昭和二十七年の五月に郷里へ帰りましたが、その年の 秋にふとしたことから野菜というものが栽培の仕方によって違ったものができるということに気が付いたのです。これには逸話がありましてね、ちょうど自分の家の裏 に小さな菜園がありまして、私の家内は農村出身なものですから、そういうのを作るのが好きで一生懸命作ってくれておりましたが、私はあまり興味がなく店で買って くればいいのにと思っておりました。ところが秋に山手の農家の人が私の所へなすびをとどけて下さった、それを頂いたのです。そうすると、とてもおいしいのです。 「おいしい」と言いますと、「いやそんなことはない」といいます。しかし「たしかにおいしい」。そんなことからふと気がついたのです。よくよく注意してみますと 、菜っ葉でもしぼむのがおそい。田舎のなすびなんかでも美味しい。そして長持ちする。これはおかしい。野菜が栽培する方法で違うのはおかしいと思って山手の親しい 農家に尋ねに行ったのです。そしたらそこのご主人がこんなことを申していました。「『硫安』で作っているのでおいしくないのです。私の家では牛を飼っていて、 たくさんの堆肥を入れているからおいしいんだ。」「作り方でそんなに違うのですか。」といいますと、「それはすっかり違いますよ。それは野菜でも米でも作り方で すっかり違いますよ。」と、教えて下さった。それで非常におどろきました。野菜が作り方で違うのだったらこれはひとつ少しそういう方面を調べてみようと思って、 そして文献を調べにかかったのです。そうしますといろんな事が書いてあった。特に牧畜方面で、化学肥料で育てた牧草を食べさせていると、牛がよく病気になるし、 受胎率も悪くなるという。これは大変なことだ。「野菜を食べろ」ではなくて「どのように栽培した野菜を食べろ」でなければならない。こういうことに気づきまして、 ひとつこれから農学の勉強をしようと思い、それから農業の本をたくさん買ってきて勉強するとともに、裏に有りますところの土地を開きまして私なりの実験畑を作り、 又、方々の農家を訪ねていろいろのことを教えて頂きました。これは大変ためになりました。自分が本を読むだけではなく、実施している人の話を聞かせてもらった ことは大変ためになりました。
 それで分かったことは、結局、化学肥料で作ったものは形は大きく、色がきれいすぎるけれど、味は悪く、香りはなく、そして腐りやすいということでした。また栄養 価値が低い。ある学者がビタミンCの測量をやってみると、化学肥料で作ったトマト、ハクサイのビタミンCは堆肥で作ったものの半分くらいだった、という報告も表れて います。それに対して完熟堆肥で作った野菜は形は少し小さいが、色は自然色でつやが良い。味は大変よろしい。そして香りがよく腐敗とか変質がしにくい、栄養価が高い、 こんなことが明らかになってきたわけです。そして香りですが、フランス人は香りとか味覚とかに大変敏感だそうですね。一昨年、カリームッドさんというフランス人が 私の所へ訪ねてまいりまして、私達の農園で作ったイチゴを差し上げました。そうすると、「日本へ来て初めて香りあるイチゴを食べた。」と言っておられました。そして 食事でレタスをだすと、「このレタスと今、自分の泊まっているホテルのレタスは同じものか。」といいますので、「それは同じものです。」というと、「いや違う。この レタスはとても香りがあって甘みがあって少しねばりがある。ところがホテルのレタスは香りがなくて、水っぽく、食べるとパリパリする。」と言っておられました。 そんな差もあるんです。
 それから家畜のことですが、牛が牛舎から逃げ出しますと、けっして化学肥料でよく肥えた土地の牧草を食べに行きません。必ずあぜの痩せた雑草を食べに行きます。 よく知っています。このようなことがあるのです。このように現在の農法というものは形とか量とかを求めるために考えられたもので、生命に対する意味、健康のために どのような意義を持っているかは無視されてきた、ということに気がついてきたのです。
 そこで私は生命という立場から農業というものを考えねなければならないと気づきましてやりました。私がとりました方法は自分と親しい農家の人と一緒にいろんなこと をやると同時に、たくさんの農家を訪ねてまわって、そこの畑なり田を観察して、そしてたとえばウンカが発生するとそのウンカが発生した田にどのような肥料をやり、 どのような植え方をし、どのようにしたかをくわしく調査しました。これは大変有効だったと思います。そうして、私の農業研究がちょっとずつ進んできたわけです。

無農薬農法の試み
 その時に大変なことが起こったのです。それが森永のヒ素ミルク事件でした。昭和三十年の夏、わけのわからない子供さんがやって来る。どうもわからない。熱が出て、 身体が黒くなって肝臓が大きく腫れて、どんな病気かと思って一生懸命に調べておりましたが、ふと気がついたことは全部人工栄養児だということですね。これはおかしい と思って飲んでいるミルクを調べてみると全部森永のミルクです。そこで他社のミルクと交換すると症状は非常によくなる。そのうちにまた、その子らがやって来る。 調べてみると私が「やめとけ。」といったミルクをまさかと思ってもういっぺん飲ませてみたというんですね。そうするとまた同じ症状が出てくる。それで私は森永のミルク の問題だと思って、森永の本社へお知らせしたことがあるんですけれど、その時の子供さんに表れたヒ素ミルク中毒と同じような症状の患者さんが昭和三十二年ごろから たくさん私の地域に発生したのです。どうも不思議なんです。病名としては肝炎ということで私達医師会では肝炎が非常に流行していたということになっていたんですが、 肝炎にしてはおかしい。あまりにも脳の障害、神経障害が強すぎる。それに口内炎が多すぎる。変な皮膚の着色が出てきている。なんだか森永の毒ミルクの子供と似ているから 何かこれは毒物だと思いまして、その毒物の探索を始めたのです。しかしながら、まさか野菜やくだものが私達に中毒を起こすとは夢にも思いませんでしたので、いろいろと 調べたあげく、メリケン粉(小麦粉)を調べたりしてもどれもだめでした。とうとう二年間かかりました。昭和三十四年の二月でした。はじめてこれは何か野菜が原因であると いうことになってきて、そしてだんだん調べてみると、出荷前にホリドール(パラチオン)をかけるというのが当時、野菜作りの秘訣ということになっているということが分かり ました。それでそのことを保健所へ知らせ、色々な報道機関へ発表していろいろな事件が起こりましたが、その時に得たこと、それから農薬を使っておる農家の方のいろいろな 症状及び農薬に対するものの考え方等についていろいろと考察を進めました。そして得た結論は第二のノアの洪水がやってくる。十年後には、日本人の体の中には大変な毒が たまって、第二のノアの洪水である毒の洪水の中に日本人が沈んでしまうということに確信を持ちまして、そのことを発表させて頂き、その啓蒙活動をやると同時に十年後には 農薬を使わない農業が必ず要求されるし、必要となってくる。その時のために基礎実験をやっておかなければならない。農業というのは単に頭で考えているだけではだめであって、 実際やってみなければならない。だからその基礎実験をやろうと決心しまして、そして私の地方で農薬散布中にひどい目に会って、弱りはてた農家の人と協力しまして、私の手で 無農薬の農法の基礎実験をやろうということを申し合わせたわけです。それで「健康を守る会」という会を作って無農薬農法の試みをやりかけました。
                                      
 (以下、次号に続く)



野生動物との共存を

 
 NHKの「ご近所の底力」という番組をご存知ですか?先日の番組のテーマは「野生動物から農産物を守るにはどうしたらよいか」という事でした。  慈光会直営農場もイノシシの被害に遭って来ました。五條に続く山の村では、サルの被害も多い、と、会員の方から折々に聞いています。岩手のりんご協力農家山口さんの所では 熊にりんごを食べられたことがありましすし、和歌山の協力農家中田さんの所ではイノブタにみかんを食べられる被害がでています。友人の畑は春にヒヨドリの来襲に遭い、せっかく 出た芽を全部食べられてしまった、と聞かされていました。こうした被害は年を追うごとに増えてきています。よいアイディアがあれば農家は是非取り入れたいと思うことでしょう。  さて番組では、色々なアイディアが紹介されました。例えばシカは臆病で人間の匂いを嫌うので、畑の周りに「人毛」(床屋さんで頂いて来る)を入れたネットを棒の先から下げて 吊るしておくというアイディア。これは効果てきめんだそうです。又、シカやイノシシが噛み切ったり掘り返したり出来ないように工夫した囲いネットも紹介されていました。ネットの 下方を地面に垂らして長めに引きずらせている為、下の地面を掘ろうとしても、自分がネットを踏んづけているので、動物達は掘り返す事が出来ないのです。  サルには発信機を取り付けて、村に入ってきたら音楽が鳴るように設定し、入ってきた時には村人総出で鍋などをたたいて脅し、人間が怖いものである事を知らせる工夫が紹介されて いました。サルは賢いので、本当に怖いと分ると、近づかなくなるそうです。  「でも・・・」と番組を進行するアナウンサーは言いました。「これって、全て対症療法ですよねえ・・・」  アナウンサー氏の言うとおり、野生動物も、何か食べなければ生きられません。今までの場所に出没しなかったら、対策が手薄な別の場所に出没することでしょう。  その次に紹介されたのが、熊が村に下りてこないよう工夫した、栗栖さんという方のアイディアでした。その村ではこの工夫をしたお陰で熊と出会う機会が激減したというのです。  かつて栗栖さんは仕事で、捕まえた小熊を処分しなければならない立場に立たされたことがあったそうです。その、つらい体験から、どうしたら、熊が里に下りてこなくなるのかを 必死で考え、ある方法を思いつきました。その方法とは山に植林された針葉樹を切り出して、カチ栗に植え替える、というものでした。カチ栗は熊の好物。他の野生動物のえさにも なるのです。食べ物が山にあれば動物達は好き好んで里には下りてきません。しかし、ただ植え替えると言っても誰も動きません。そこで栗栖さんはカチ栗の材木としての価値を強調して 周りの人々を粘り強く説得しました。植え替えれば、材木としての価値も上がるし、熊たちも餌があるので里に下りてきて悪さをしない。一石二鳥のアイディアでした。  今、栗栖さんの地方の山々の尾根沿いの一角は見事にカチ栗に植え替えられています。  前理事長も、山の尾根沿いを落葉樹にすると、落葉した葉の養分が山全体に降りてくるからよいのです、と申しておりました。そしてただ植えるのではなく、その土地と生態系に合った 木を植えることが重要だそうです。  栗栖さんたちはこれから町の人々の協力を受けて、山や、里山の再生に力を注がれるそうです。  童話「木を植えた人」は、半生をかけて広大な荒地を森にかえた一人の人の物語です。静かに、黙々と、日々木を植え続けた人の歩んだ道のりの後には、豊かな緑の森、森の木の実に よって生かされる動物たち、森の蓄える水によって流れる川、川に育まれる川の中の生き物達、水の恵みを受けて始まった川辺の人々の生活、森が生み出す清らかな空気など、豊かで恵みに あふれた世界が広がっていました。「木を植えた人」の再来、栗栖さんもそのお一人でしょう。  かつて原生林は厳密な植物の生態系によって形作られてきました。広葉樹、針葉樹、落葉樹、常緑樹が不可思議な棲み分けをし、木々の生活は営まれていました。雑木林も沢山あったこと でしょう。今、植林、植林で、山は本来の姿をすっかり失ってしまいました。日本の山、森、林の再生はやはり自然の姿に戻す事が、遠回りのようで一番の近道なのではないでしょうか。 そして、唯一、野生動物達と幸せな共存が出来る方法なのではないでしょうか。森を再生する道については、今後とも折々にレポートさせていただく予定です。  



青汁のすすめ(あらゆる病気の予防と治療のために。特に癌の予防と治療のために)

   
 食生活にイモ・マメ・ナッパと海藻の大切さを忘れずに!!
これが炯(けい)眼(がん)高徳の遠藤仁郎博士の慈悲の叫びです。
日本人の健康に最も大切なビタミン、ミネラル、酵素の大切さを叫ばれたのです。更に博士は緑の菜っパ類をたくさん摂ることが如何に保健のみならず治療に有効であるかを発見し、青汁療法を提唱して、素晴らしいり臨床成績を得られました。過去二十年間、私も青汁療法を臨床に応用して予想以上の好結果を得ています。現代医学では難治とされる慢性病の治療には食生活の改善と青汁療法が精神生活の改善と相俟って唯一無二の根本治療法であると云えるでしょう。またこれは一切の病気の予防法、健康増進法であり、殊に子供の健康増進に有効です。皆様に毎日々々青汁をたくさんのむことを心からおすすめします。
それについて特に注意すべきことは
1 市販(・・・)の(・)野菜(・・・)は(・)絶対(・・・・)に使って(つかって)はだめです。
   必ず完全無農薬、無化学肥料の慈光会のもの、或いは自家栽培のものを材料にして下さい。
2 ホーレン草とウマイ菜(フダン草)は青汁材料としては不適です。これらは蓚酸(しゅうさん)を含んでいて腎結石の原因になります。
3 ミキサーを使うときは水を少し入れます。
  廻転は遅いほうを使い且つ、回転時間は短くしてください。(一分以内)。これは成分が壊れる恐れがあるからです。
4 飲む量は病気の予防、健康の増進のため一日一合。病気の治療のため三〜五合
  或いはそれ以上が必要です。一般に飲む量が不足です。

※青汁はなるべく作りたてをすぐ飲むことです。冷蔵庫に入れておくと、2〜3日くらいもちます。(遠藤仁郎博士「青汁は効く」主婦の友社刊 より抜粋)
※編集部付記
 忙しい現代人の為に青汁を粉末にしたものが「遠藤青汁の会」で作られています。(慈光会でも取り扱っています。)


農場便り 2月

   夜中に降った雪が庭の隅で実を結ぶ千両の上に綿帽子のように積もる。まだ目覚めやらぬ早朝、眠気眼でじっと目をやる。朝日を浴びて真っ赤な実や雪の結晶が大自然の宝石の ようにきらきら輝き、季節柄殺風景で沈みがちな我が家の庭の片隅に輝きをもたらす。その静寂を破り、軒に下げたつるし柿をひよ鳥がけたたましい声を上げついばむ。  「寒いですね。」が挨拶代わりのこの冬、近年稀な豪雪が日本列島を襲った。農場の温度計の水銀柱もマイナス6℃を指し、水分を含むすべてのものをカチンコチンに凍らせて しまった。毎年この時期にほころび始める梅のつぼみも固く閉ざしじっと寒さに耐える。一年で一番寒いこの時期、年明けと共に果樹の剪定作業が始まる。凍りついた大地に時折 吹く凍えるような北風の中、雪だるまのようにコロンコロンになるまで防寒着を着込む。しかし長靴の中で指先の感覚はなく、痛みだけを感じる。腰には剪定ばさみとノコギリ、 そして手には高バサミとチェンソーを持ち、最初に手掛けるのが梅、次には大石早生、柿と作業を進めていく。  畑一面に張り巡らされた棚に枝を広げるキウイフルーツもまたこの時期に剪定される。木はつる性で、根元の太さは直径30〜40cmにも及ぶ。実は11月中旬に収穫され、木はその後 落葉し冬眠に入る。収穫された果実はコンテナに入れ、冷蔵庫に高く積み上げ、庫内3℃で長期保存する。保存された果実は逐次追熟し、5月から6月ごろまで店頭に並ぶ。今月は そのキウイフルーツを紹介させていただく。  キウイフルーツはまたたび科植物。原産は中国大陸揚子江流域でアケビやサルナシのように自生していたものをニュージーランドで品種改良され、ヘイワードという種類が作り 出された。名前の語源はニュージーランドに生息するキウイ鳥に似ているところから名付けられた。日本には1970年の大阪万博で紹介され、その後栽培されるようになった。  栄養価は、ビタミンCが豊富で一個のキウイで一日の必要量の70%を摂取することが出来る。ビタミンCはコラーゲンの生成にかかわり、女性の永遠のテーマである美肌に大きく 貢献する。又、水溶性食物繊維が多く動物性タンパク質を素早く消化する力があり、便秘の改善にも一役かっている。さらに免疫力を高め、感染病や癌の予防、また血糖値の急激な 上昇を抑え善玉コレステロールを作り、高血圧、動脈硬化、生活習慣病から私たちの体を守ってくれる。近年騒がれているサーズの予防にも名を上げる。まさに現代人の救世主の ようである。  栽培法は、基肥には完熟堆肥をたっぷり入れ健康な木を作り、油カスやカニがらを入れ果実をより美味に仕立て上げる。4月、花が咲くと同時に受粉し、その後摘果、次に必要と しない枝を間引き取り、光を棚の奥深くまで取り込む。これらの作業をこなす事により大きな果実が収穫できる。一般で販売されている近代農法で栽培されたキウイフルーツは化学 肥料と農薬を多用し、実を大きくするためホルモン剤も使用される。さらに収穫一週間前に殺菌剤を散布するなど危険が多い。4月初旬、縦横無尽に伸びた枝の節に淡い緑色の芽が覗く。 長い冬眠より目覚めた芽は力強く伸びていく。本年も丸々肥えた大きな実が育つようにと期待に胸が膨らむ。  2月、まだまだ寒い日が続く。今年もインフルエンザが猛威を振るう。時に動物を媒体にスキあらば人体に入り込み生命までをも脅かす。前理事長の「病気は生活習慣を正すことに より自らの免疫力を高め外からの病原菌を押さえ、万が一病気になることがあっても軽症ですむ。」との言葉を思い出し、まず食習慣から芋、豆、菜っ葉、そして海藻、お酒も控えて と自分自身に言い聞かせる。外国のブラックジョークに「風邪をひいた。医者にかかれば7日間で治る。医者にかからなければ一週間で治る。」というのがある。あくまでも日々正しい 生活があってこそのジョークなのだろうか。  本年も生命の農法により会員皆様に美味で栄養価の高い作物をお届けできるよう、心身共に充実し農作業に励む。
                                 
 冬眠からまだ目が覚めぬ農場より