健康と食物・食物と農法・農法と心 |
恐ろしい農薬中毒 |
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合成洗剤を地域ぐるみで石けんに切り替え、よみがえった里があります。今月号では講師のお話の中から、そんな私達の本当の故郷(ふるさと)とでも呼ぶべき地域での例をお伝えしたいと思います。
北海道、釧路空港から東に70キロ、太平洋に面した所に厚岸(あっけし)という町があります。ここは昔から入り江が深い良港で魚介類も豊かでした。「アッケシ」とはアイヌ語で「牡蠣のたくさん取れる場所」という意味もあるそうです。ところがその豊かな海に異変が起こり、1983年(昭和57年)養殖していた牡蠣が大量死を起こしました。漁師さんたちはそれ以前から、異変に気づいていたといいます。古老たちはその原因を「上流部の森林伐採や農薬、酪農による糞尿、生活排水の増加による水質悪化」と分析しました。又、昔から言い伝えられている「山の木を伐れば川が暴れる」との言葉に、町の若い人々は行動を起こし始めました。「森林が豊かな海を育む」とのコンセプトの上に、「厚岸町緑水会」という林業グループを組織し、まず上流の森を復活するために植林を始めました(92年)。
一方、主婦などの間では、家庭排水に関心が向けられ、家庭排水の中でも最も問題の大きい合成洗剤を見直す動きが出てきました。「厚岸せっけんの会」はそのような経緯の中で結成されました。合成洗剤はなかなか分解されずに残留するので、川や海の生態系に壊滅的な打撃を与えるのです。逆に石けんは川に流れ込むとすぐ分解され、カルシウムせっけんとなって、魚達のえさになります。厚岸の町議会でも「水質保全、環境保護の為にせっけんに切り替えよう」との議題が取り上げられ、96年より町内にある保育所、給食センター、病院、老人ホーム、庁舎など公的施設で石けんが使用されるようになりました。調理や洗濯の時だけでなく洗面、歯磨き、シャンプーと、生活全般に使われる洗剤類を合成洗剤から石けんに切り替えて行ったのです。
97年からは全国に先駆けて、石けん購入費用を助成する制度ができました。厚岸町ではコンビ二にも石けんが置いてあるのだそうです。又、紛らわしい名前の合成洗剤(「除菌石けん」等とネーミングしてある。)を間違えて購入しないように、本物の石けんにシールを貼るなどの目印をつける工夫がされました。
これらの長年の運動が実を結び、ついに、厚岸では牡蠣、ホタテが復活しました。現在では厚岸の牡蠣は肉厚で大きいと評判を呼び「ブランド」となり、一般より良い値で取り引きされるようになったそうです。「自然環境を守ること」は、又、「自分達の生活も守られること」につながる事を、厚岸の町は教えてくれているような気がいたします。
新潟の五頭(ごず)温泉郷では石けんに切り替えて、ほたるが復活しました。
きっかけは、下流で無農薬でコシヒカリの栽培を目指していた農家から、「上流の温泉から化学物質(合成洗剤)が流れてくると無農薬栽培が出来ない、どうにかならないものか?」との話が持ちかけられたことでした。というのも、五頭温泉郷のある笹神村では、16年も前から「有機の里 ささかみ」を宣言して農薬や化学肥料を使わない農業を目指してきたからです。笹神村のこの運動は大きな評価を受け、1996年には、第一回環境保全型農業推進コンクールで見事農林水産大臣賞を受賞し、笹神村は環境にやさしい農業をしていることが全国的に知られるようになっっていました。
旅館協同組合の会合で下流の事情が話し合われ、2000年より18軒ある全ての温泉旅館で石けんシャンプーを使うことになりました。それ以降、田んぼや川べりにホタルが飛び交うようになり、一時は少なくなっていたイワナやヤマメ、カジカも川に還ってきました。
澄んだ湧き水で炊いた笹神村の有機米や村内で収穫された大豆から作った味噌、醤油、又、有機米と湧水で作られた日本酒もだんだん知られるようになり、ホタルの里という評判とあいまって、五頭温泉を訪れる観光客は50%も増えたそうです。又、地元で生産された醤油などは東京のデパートなどでも販売されるようになり、販路の拡大にもつながりました。村をあげての取り組みが豊かな成果をもたらしたのです。
長谷川氏はこのような地域の例を挙げて、私達の身の回りから「化学物質を減らしてゆかねばならない」ことを力説されました。
私達が合成洗剤を使うという事は、自分一人だけの問題では決してない事、使ってしまうとその結果は、川を汚し海を汚し、牡蠣やホタルの棲めない環境にしてしまう事を、教えていただきました。
そして、それに気づいて合成洗剤を止めると、自然は見事に復活し、私たち人間は自然から再び豊かな恵みを与えられるということも教えていただきました。
合成洗剤の問題は考えてみれば単純な事です。消費者が合成洗剤を使わなければ、それで解決する問題なのです。
周りの人々はインパクトの強いテレビのコマーシャルの影響を受けて、「合成洗剤が怖い」などと思ってもいないのが大勢(たいせい)でしょう。一人でも多くの方に、この現実を伝えていかなければならないと思います。
慈光会でも今後折々に「合成洗剤の怖さ」を繰り返し学習できる機会を作って行きたいと考えています。学習会での講師のお話、使ったビデオ、資料など貸し出ししています。どうぞ御利用下さい。【完】
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農場便り 8月
農場のゲートを入ると、道の両側に茂る木々が道に覆いかぶさり、緑のトンネルを作る。木々は自然に落ちた種が育った雑木で、殆どの木は名前がわからない。その中にリョウブという木がある。木の肌はサルスベリのようにつるつるで、これと言って何の特長もない雑木の中の雑木、言い換えれば純粋の雑木である。見栄えも悪く、山の掃除をするならば、最初に切り捨てられるであろう木である。しかしながらすべての生物が何か使命を持ってこの地上に生を受けており、人類もその一種である。このリョウブの木には7月から9月頃まで、あまり美しい花とは言えないが、白色に近い細かい花が咲く。花木には木や葉の形を楽しむもの、花の色や形を楽しむもの、そして香りを楽しむものがある。その中でもリョウブは香りを楽しませてくれる木である。数え切れないくらいに咲いた、あまり可愛くない花からは甘酸っぱい香りが漂い、周りの風景を包み込む。まさにまだ見ぬ極楽浄土の香りと表現すればよいのであろうか、暑い真夏に一時の安らぎを与えてくれる。シャネル、エルメスなどという高級ブランドの香水よりはるかに気品高い香りで私を癒してくれる。生物は人類が考える以上に突出した個性を持ち、見た目は地味であるが個性の強いものが多い。農作物では洋菜に比べ和菜は地味である。中でも根菜は地味な野菜の一つであろう。今回は根菜の中の「ごぼう」に華やかなスポットを当てて紹介させていただきたい。
ごぼうの原産地はヨーロッパから中国にかけてで、中国より薬用として日本に伝来した。あざみに似た花を咲かせるにもかかわらずキク科であり、関西系と関東系に分かれる。現在栽培されているのはほとんどが関東系で、滝野川や大浦と言った系統である。ごぼうの根を食べるのは日本と台湾だけで、世間では「色白は七難隠す」と言われるが、肌が真っ黒なごぼうにも素晴らしい効能や栄養があり、胸を張って店頭に並べられる作物である。効能と栄養は次の通りである。
カルシウム、カリウム、アミノ酸、ポリフェロールを多く含み、リグニンは腸内で発ガン物質を吸着し抗ガン作用をもたらす。ペルオキシダーゼも同じく活性酸素を消去し発ガンを抑え、さらに女性の敵である老化を防ぐ働きがある。同じくモッコラクトンはガン細胞への変異を抑制する。イヌリン(水溶性食物繊維)は便秘を改善し、糖尿病や高脂血症、動脈硬化から私達を守ってくれる。以上、これらの素晴らしい効能を頭に思い浮かべ、キンピラ、筑前煮、サラダ、天ぷら、たたきごぼう等おいしく調理していただきたい。注意していただきたいのは、ごぼうは繊維質が強いため、よく咀嚼するということである。
大自然からの恩恵は地上部だけではなく土中深くまでに至り、我々に多大なる大地の恵みを与えてくれる。ただ一つ欠点を挙げるとすれば、害虫も付かず、土質も選ばず、雨にも負けず、風にも負けず、夏、冬の厳しさにも負けず、病気にはいたって強い。しかしこの作物、土中深くに根を下ろし、揺さぶれども引っ張っれどもびくともせず、こうなればとスコップと開墾用の重いクワでごぼうに沿って溝を掘る。その深さは私の腰までになる。夏作のごぼうは非人道的、過酷な労働でゼイゼイ息をしながら収穫後の私はほとんど瀕死の状態である。あのきつい作業を思い、何とかならないか、と一生懸命智恵を振り絞り良案がひらめく。以前より、道やその他の工事で使用したユンボ(パワーショベル)、操作はお手の物である。早々リース店に行き、手ごろな大きさのユンボをリースし、トラックに積みいざ農場へ。少々緊張気味に、条間にアームを合わせ掘り進む。思い通りきれいに溝が掘れ、1mを越す深さにまで掘ることができた。この時以来ごぼうの作付け時、後々の作業を思い憂鬱になることもなくなった。皆様にはやわらかく香りの良いごぼうを食卓で楽しんでいただきたい。
猛暑はまだまだ続く。お日様がすごい力で大地を、私の身体をも焦がす。負けじと畑の作物は大地に根を広く張り巡らす。潅水をして回る日々はまだまだ続く。汗は額を伝い顎先から大地へ落ちる。麦藁帽子を持ち上げ大空を仰ぐ。真っ青に澄んだ空に真っ白な入道雲がまるで生き物のようにムクムク湧き上がる。秋アカネはまだ草陰で羽を休め、ニイニイゼミは夏の暑さを心行くまで楽しむ。 金時人参、西洋人参の潅水が終わると続いてきゅうり、セロリ、最後に葉菜にも潅水する。日は傾き、ニイニイゼミやアブラゼミからヒグラシへと羽の音が変わる。山の尾根や頂、谷の底深くから涼しげな泣き声がこだまする。若い頃には感じなかったこの鳴き声に年を重ねるごとに美しさと共に侘しさや悲しさを感じる。夕風が頬を撫ぜる。ほっと一息をつく瞬間である。純白の入道雲に夕日が染まる。「碧空慈光」前理事長が愛した言葉が頭をよぎる。さぁもう一息、早く水をと野菜からの催促の声が聞こえる。
金エノコロ草の穂が夕日に光る農場より