青く澄みきった空、カラカラに乾いた夏の大地はしっとりと湿る秋の大地に変化した。朝露も日増しに多くなり、早朝草むらを歩くと足元がしっとり濡れ、足音に驚き陰から飛び出したコオロギの動きも弱々しく、秋の季節の寂しさをより深くする。 |
畑の作物も力強く根を下ろす夏野菜から秋冬野菜へと変化し、作物と共に生える雑草も又変化してゆく。秋冬作用に耕運して畝を上げ播種したものや苗を植え付けた作物も元気よく育つ。日が経ってから畑を見る。立ったままでの目線では秋冬の雑草も目に入る量は大したことはないが、腰を落として屈んで地上に目をやると見事に緑の絨毯が作物を取り囲むようにびっしりと生える。雑草に攻め立てられた野菜軍、このままでは落城を迎えることになる。そこに現れたホワイトナイト、除草鍬を武器にバッサバッサと退治して行く。が、大自然の目はよく見ており、ホワイトナイトを見逃してはくれない。青空高くより中型の戦闘機「アブ」の出現、真夏は小型機「モスキート」(蚊)に攻められ、知らぬ間に目の届かない所にそっと止まり、服の上から私の柔肌に太い針を「ブスリ」、飛び上がるほどの電撃が体中を走る。汗拭き用のタオルで追っ払うがしつこく付きまとう。大きな身体、有り余るほどの血液を持ってはいるので小さな虫ごときにいくらでも差し上げるが、後々3〜4日は残る痒みが辛い。春と秋にはもっと小さな「ブヨ」の攻撃を受け一週間は痒みに耐えなければならない。これも自然の中の姿である。 |
さて、今月紹介させていただく野菜をあれこれ頭の中で模索するも中々良いテーマが浮かんで来ない。夏の暑さで頭の中まで枯渇したのか、隣で家人にマンネリ ワンパターンと冷やかされ「ムッ!」となる。 気を取り直して、今回は一年を通じて消費される玉ねぎを紹介させていただく。 |
原産は遠く中央アジアから地中海沿岸とされ、古くはエジプト・メソポタミア時代より栽培されていた。ほとんどの作物はシルクロードを経て中国、韓国から日本に入って来たが、玉ねぎに関しては1770年に南蛮船で九州の長崎 出島に伝わるが、当時は食用にはならず観賞用として栽培された。食用としてはアメリカより伝わり、時代は明治にまで遡る。玉ねぎの種類は黄玉種、白玉種、赤玉種、小玉種、シャロット種と多く、9月上旬から中旬に真っ黒の種子を苗床にばら蒔きししっかり潅水をする。乾燥が一番の敵であり、ほとんどの場合稲刈りを済ませた水田の裏作で栽培され、酸性土を嫌い、粘土質より砂系の多い土に10月中旬から下旬頃より12月までの間に株間10cmで一本ずつ定植する。栄養価は糖質が多く、ブドウ糖、蔗糖を多く含みカリウム、亜鉛、リン、ビタミンB1・B2・Cを成分として蓄えている。硫化アリルは目を刺激し涙を誘う。また発汗作用があり、絞り汁を5〜6倍に薄め飲用すると咳や痰を切る。その他血栓やコレステロールの代謝、サラサラ血液、高血圧、糖尿病、動脈硬化、脳血栓、脳梗塞、癌などに効果がある。ビタミンB1の食品(豚肉、かつお、大豆など)と共に摂取するとより効果が上がる。栽培上でも害虫や病気に強く、年間通して貯蔵出来、和洋中すべての食材として使え、美味、まさに大自然からの贈り物である。本年もまもなく和歌山県粉河町・慈光会歴30有余年のみかん農家・中田さんの田んぼにて有機質肥料たっぷりの大地で栽培される。美味で健康食の玉ねぎを沢山食して頂きたい。 |
8月初旬、農場内のほその木の木肌に何箇所にも及ぶ傷があり、傷口より樹液がにじみ出ている。長年に亘りこの木を見てきたが初めての出来事であり、その先にはこの夏一番興味深い出来事が待っていた。時計の針が11時を回りお日様がすべてを焼き焦がす勢いで南中する。夏時間は早い時間から始まり、午前中の仕事を終えて昼の休憩に入る。その前に例のほその木を見て回る。沢山のカナブンが木に群がりガリガリ木の幹をかじる。木肌に傷を付けた犯人はカナブンであった。根元から高所までくまなく目をやり観察する。「いる、いる。」カブト虫である。カブト虫は当農場の堆肥の中で沢山生まれるので、さほど珍しくはない。ほかに何かいないだろうかと木をくまなく探す。「見つけた!」 ミヤマクワガタのオス、かなりの大物である。ノコギリクワガタのオスとメス、後は小さな平クワガタ、幼少の頃ならこの出合いは小躍りするほどの喜びであろう。昔読んだファーブル昆虫記と目の前の世界が私の中で重なり合う。足をずらし谷側に体を移した時、一瞬空気が凍りつく。暑い夏の正午、背中にひんやりとした冷気が走る。大物と出合う。歯をカチカチ鳴らし、近づく私を威嚇する「大スズメバチ」 これには到底勝ち目はない。そそくさ退散し、少し離れた所よりこれらの生態を観察する。カブト虫とカナブンの場所取り合戦が始まる。カブト虫が横から力ずくで奪い取ろうとし、そこにクワガタも参戦し三者入り混じり仁義なき戦いを繰り広げる。人類も地下エネルギーの甘い味を求め罪のない人々の尊い命を無視し血で血を洗う悲惨な戦いを繰り返す。智恵ある人間の行動も根底では昆虫と何ら変わりはない。ただ昆虫の場合、争いでは相手を死に至らしめることはほとんどない。8月下旬、木の根元にカブト虫の死骸が横たわり、そこに沢山のアリが群がる姿を目にした。暑い夏を生き抜き初秋の声を聞く頃、命尽き帰ってゆく自然のあり方もまた摂理ではあるが、命あるものの無情を感じた夏の終わりであった。 |
秋の夕暮れは早い。もたもたしていると日が落ち、周りの景色が闇間へと消えて行く。暗くなっても暑い夏季は周りの山がざわつき賑やかさがあるが、秋から冬にかけて空気はピーンと張り詰める。晩秋には弱々しい虫の音が一層寂しさを作り出し、静寂した景色が気弱な私を包み込む。 |
一年で最も過し易い季節を迎えた。畑で秋の陽を浴び大根は太く逞しく、白菜は葉を大きく広げ結球のための力を蓄える。どこか地味ではあるが、横でゴボウも葉を茂らせお正月に向け根を太く長く伸ばし大地を掴む。きな臭い世界に於いて会員の皆様が当会の野菜を口にされた時、食卓に笑顔がこぼれるようにと握る鍬に力が入る。どこまでも透明で美しく光り輝く10月の風が私の体を心地よく包んでくれる。
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秋の落日 幼心が一杯の農場より |