慈光通信145号 (2006年10月)


自然と生命をとりもどすために 12

前理事長・医師 梁瀬義亮

【この原稿は、昭和五〇年(一九七五年)六月二九日高松市民会館で行われた梁瀬義亮前理事長の講演録です。】


健康と食物・食物と農法・農法と心
恐ろしい農薬中毒
ここで健康ということについて一言申し上げたいと思います。病気と健康ですね。お医者さんが言われる病気というのは、その臓器に変化の起こったものを病気といわれます。ところが病気の前にご自身にだるいとか、疲れるとかいった症状が現れます。その時にお医者さんへ行っても病気だとは言ってくれないわけです。臓器自身に変化が起こった時にはじめて病気というわけです。その時は相当ひどいのであって、本当は病気の前に発病準備状態という状態があるわけです。こんな状態にほとんどの日本人がおかれておるわけです。まず、本当の健康というものは体重が重いとか少ないといったものではないのです。太っている、痩せているは生まれつきの質です。犬でもポインターは細いし、土佐犬は太いのです。この平均を取ってポインターをふくらまし、土佐犬を小さくすると両方とも病気になります。人間だってそうであって、太い人は太くて健康であり美しいのであって、細い人は細くて健康で美しい。これでいいんですよ。だからゆめゆめ平均体重なんかを考えないように。どうすれば健康かというと、まず朝起きた時、しゃんとしていることです。それから、さあこれから仕事をしましょうとさっと気分が起こってくるということ、これがまず健康ということです。やれやれ今日も夜が明けたかと思うようになると、これは発病準備状態です。朝起きたらさっと仕事をしようと思わなければならない。それから肩を凝らす人は良くない。健康な人は肩なんか凝るもんじゃないんです。これは何か生活にまちがいがあるか食べ物によるものです。それから疲れやすい。そう疲れるもんじゃないんです。この頃お医者さんに行くと原因が分からなければ疲れだとおっしゃる。健康な時は疲れるもんじゃない。なかなか疲れるもんじゃないんです。立っておれなくなるほど疲れても、一晩寝て起きれば必ず治っておるはずです。それが非常に疲れやすくて疲れが翌日まで残っておる状態は発病準備状態で何かあるんです。その大きな要素の中に先程申しました欠乏状態があるか、こういった毒物が入っているかの2つを考えてみて下さい。このような農薬中毒が多かれ、少なかれ日本人のみんなに出てきているのです。
 ここで印象に残っている一例を話してみます。私の町にね、ずいぶん大きな古い農家がありまして、2町ほどの土地を持っておりまして老夫婦と若夫婦と孫が三人おったんです。その若夫婦というのは養子とりで非常に真面目でよく働くし村でもほめられていた。模範生だからというので、ホリドールの散布の指導員にされた。その人は真面目な人で自分もやり、人にも指導しておりました。そのうちにその人が黄疸になって倒れました。マスクをして長そでをきてやっていたのに倒れたのです。私が往診を頼まれて行ったのです。これは治りにくいもので、三ヵ月ほどしてやっと治りました。ところがその人が寝ている間に私が使ってはだめだぞといっておいたホリドールをその奥さんが撒いたのです。そして、その時は厳重に防備してやったのでその場は倒れなかったけれども、すんでから頭が痛いといって一週間ほど寝込んでしまって、それが治ってから後にだんだん頭がおかしくなってきて、ノイローゼのようになって私の所へ来ました。そして診察させてもらい、ホリドール中毒だから気を付けるように言って返しました。まもなくホリドールを飲んで自殺してしまいました。そしてお婿さんは三ヵ月ほどして治りましたが、すっかり性質が変ってしまい今までのあの温厚なまじめな人がすっかり荒々しく乱暴な人に変わってしまいました。そのうちに家を飛び出しました。老夫婦が家をごとごとやっておりましたが病気でなくなり、小さい子供三人が取り残されたという、実に悲惨な例があります。
 これに類する例はたくさんあるんです。消費者の一例で私の町のある家で、評判のきれいな奥さんがおったんです。その人が私の所へ診察に来られた。あの色の白い奥さんが黒い顔して来られた。診察してみると口の中がひどい口内炎を起こしているし、農薬中毒だと思うんだけど心当たりはありませんかと言うと、私は美容のために昼ごはんは食べなく果物ばかり食べていると言うんですね。昭和三十五年ですから、果物に多くのホリドールをかけていた時です。それは良くないと言ってもその当時あまり農薬について言われてなかったので私の言うことを聞かないんです。そして帰っていきまして、もう私の所へは来なかったのです。そして二ヶ月ほどたって私の所へ来ました。あの色の白かった人が、“しぶうちわ”のようになっていたんです。まっ黒になって、聞いてみるとあれからいろいろの病院を回ったと言うんですよ。健康に良いからといって果物ばかり食べていたと言うんです。それで診察させていただきますと、リンパ腺が腫れているんです。血液を調べてみますと白血球が三万二千ありました。まもなく大きな病院に入りましたが白血病で亡くなりました。これは小さい子供二人残されまして、本当に悲惨なことになりました。こういったような恐ろしいことがたくさん起こっているわけです。
                                                      
 (以下、次号に続く)

                           



サプリメントにご用心

(青汁とサプリメントの違いとは?)

 

 サプリメントの売上が医薬品を抜いて伸びている、と言われるようになった昨今ですが、それと平行するようにサプリメントによる健康被害も新聞等に報道されるようになりました。ガンに効くはずのアガリクス商品に発癌促進作用が確認された、と厚生労働省が発表したのは今年の2月の事です。(商品名「キリン細胞壁破砕アガリクス顆粒」。他にも2種類の商品が検査中)又、大豆に含まれるイソフラボンを抽出したサプリメントに対しては一日摂取量30r以内という安全基準案がまとめられるなど、従来何の規制も無かったサプリメントのあり方を見直す動きも出てきています。
 いくら食品から抽出したと言っても、その過程で化学的操作を行い、サプリメントとして取り出される時には、元の食品の自然の性質はそのまま残ってはいません。サプリメントが食品というよりは医薬品の性質に近く、摂取する場合は医師と相談するほうがよい、といわれるゆえんはそこにあります。
 一方、サプリメントとよく間違えられるものに青汁があります。青汁は野菜を絞ったままのジュースですから、これはまぎれも無く「食品」と呼ぶ事が出来ます。これを乾燥させたものもやはり化学的行程を経ていませんから「食品」ですね。この青汁は梁瀬先生(前理事長)が患者さんの治療の為に用いて多くの効を奏したというものです。保健の為にも、先生は青汁を飲む事を勧められました。青汁の中には、人間が未だ解明しきれないXファクターがあって、それが、効を奏す、と先生はおっしゃっていました。サプリメントの中にはそのXファクターはありません。その青汁療法の創始者遠藤仁郎博士(倉敷中央病院元院長・故人)にも次のような著述がありますのでご紹介してみましょう。

 薬ではダメ
遠藤仁郎
 ところで、ナッパ青汁の目的が習慣食に不足するミネラルやビタミンを補う為であれば、まずいナッパを食べ青汁を飲まないでも薬局へゆけばよいのではないか、と誰しも考える。なるほど、ビタミン剤、ミネラル剤はいろいろできてはいる。そして製品の信頼性に問題はないとしてもはたしてそれだけで、本当に必要な栄養素のすべてがみたされるだろうか。
 栄養学は進歩し何もかもわかったかのように思われがちだが、その実、分かっていることはほんの僅かだけで、まだわからないことがいっぱいある。その分かっているものとわからないもののすべてがそろって、はじめて本当に完全な食になるのだから、分かっているものだけしか含まれていない薬ではとうてい栄養の完全は望めない。どうしても自然の食べ物で、栄養学が必要と教えているすべての成分がそろったもの、すなわち良質ナッパにたよるしかないことになる。(「ナッパ青汁食概説」遠藤仁郎著より抜粋)(尚、青汁の材料にするナッパは必ず完全無農薬有機栽培されたものであること。)
 自然から与えられた食物の中には自然が配した不可思議なバランスが有ります。あまり人工的に化学的操作をした物は、人間にとっては、本来の食べ物ではなくなってしまいます。自然から与えられた食物を自然のままに頂く事が人間の生命を養う上でとても重要であることを両先生は医師としての長年の経験から、私達に伝えてくださっているのではないでしょうか。





遺伝子組み換えワタによる借金で4万人の自殺者(インド)


 インドの中心的農産物、綿花の生産に携わる農民が、今、存亡の危機に瀕しています。1995年から今日に至るまでの10年間で、すでに4万人もの自殺者が出ているというのです。殺虫用農薬を服毒し、大変苦しんで亡くなってしまうケースも多いようです。これは尋常な出来事ではありません。一体どうして、このような悲劇的事態が起きてしまったのでしょうか?
 かつて綿花の生産は高い収益性があり「白色のゴールド」と呼ばれていました。しかし農法の近代化によって綿花生産はお金のかかるものとなり、殊に遺伝子組み換え種子が導入されてからはなおさらコストがかかるようになりました。なぜなら、組み替え種子は通常の種子の価格の4〜5倍もするからです。(価格には開発会社への特許使用量も含まれている。)
 遺伝子組み換え種子の開発会社「モンサント社」の売り込みを地方政府が熱心に支持したため、多くの農民は高額にも拘わらず組み替え種子を購入しました。農民は「組み替え種子を使えば収量が上がり、高い収益をあげられる」という開発会社のうたい文句を信じた訳です。しかし、殺虫剤の散布が少しで済み害虫に強いはずの組み替え種子からは思うような収穫が上がりませんでした。それどころか、収穫の見込みが全く立たない農民すら多数出る有り様でした。収穫量が上がらなかったのは全て農民の責任となり、農民に残されたものは、膨大な借金のみでした。その高利に苦しんで自殺するケースが後を断たないのが現状なのです。
 インド科学技術エコロジー財団のヴァンダナ・シヴァさんはこの現状を見て
「遺伝子組み換え技術による種子独占によるものでジェノサイド(大量殺戮さつりく)以外の何物でもない」「綿花生産地帯の農民の自殺が増えているのは、高価で自家採取できないハイブリッド種子や遺伝子組み換え種子への依存を深めた結果である。」との声明を発表しました。
 自家採取できない種子は、農民にとって買う以外に入手方法がありません。種子開発会社モンサント社はこの種子と農薬をセットで販売していますから、農民から二重にお金を受け取れる訳です。又、同社は、「ターミナル種子」と言って、種を蒔いても次の世代で種子が結実しない種子を研究開発しています。自社の特許を守る為だそうですが、「ターミナル」とは「終着の・末期の」という意味があります。まさに利潤追求の行き着く果てのアイディアではないでしょうか。蒔いても種が出来ない種。地球温暖化が進み農産物が生産できにくくなってきている現在、種子に関するこれらの問題はとても深刻と言えましょう。
 一方、ビハール州やオリッサ州といった自給自足農業の貧しい地域では、殆ど自殺者が見られない、というデヴィンデル・シャルマン氏の報告があります。従来の農業、農法を踏襲している地区では、種を自家採取できますから、特許料を含んだ高価な種や農薬を購入しなくて済んでいます。貧しいながらも購入するお金が不要なので、借金苦は免れるという訳です。けれども、こうした一部の地域を除いて、借金に苦しんでいる自殺予備軍はインド全土にまだ多数存在している、との事です。 この悲しい現実は決して対岸の火事ではありません。現在、日本のお米(稲)もそのターゲットに入っています。種子市場独占を虎視眈々と狙う種子開発会社は世界中を標的としているのです。
 又、遺伝子組み換え種子はさらに多くの深刻な問題を派生させています。一度自然界に放たれてしまうと、もはやコントロールのきかない「遺伝子汚染」が、その最たるものです。遺伝子組み換え作物の花粉が他の植物と交配し、汚染は広がって行くのですが、現在、既に「スーパー雑草」が出現しています。有機農業を守るためにも、慈光会では引き続き息長く反対運動を続けてゆく所存です。  これからの時代、私達が有機農業を守り抜く事の意味は、一層重要となることでしょう。種子は大自然からの贈り物です。特定の企業が独占して取り扱うことは許される事ではありません。農薬も化学肥料も遺伝子組み換え技術も不要です。大自然の法則にのっとった有機農業こそ永久に循環することが可能な生態系のサイクルに合った農法であることを改めて確認したいと思います。
(この記事は、会員の方が日本語に翻訳して提供して下さった英字新聞〈International Herald Tribune〉の記事をベースにして書かせていただきました。)




農場便り 10月

   
 青く澄みきった空、カラカラに乾いた夏の大地はしっとりと湿る秋の大地に変化した。朝露も日増しに多くなり、早朝草むらを歩くと足元がしっとり濡れ、足音に驚き陰から飛び出したコオロギの動きも弱々しく、秋の季節の寂しさをより深くする。
 畑の作物も力強く根を下ろす夏野菜から秋冬野菜へと変化し、作物と共に生える雑草も又変化してゆく。秋冬作用に耕運して畝を上げ播種したものや苗を植え付けた作物も元気よく育つ。日が経ってから畑を見る。立ったままでの目線では秋冬の雑草も目に入る量は大したことはないが、腰を落として屈んで地上に目をやると見事に緑の絨毯が作物を取り囲むようにびっしりと生える。雑草に攻め立てられた野菜軍、このままでは落城を迎えることになる。そこに現れたホワイトナイト、除草鍬を武器にバッサバッサと退治して行く。が、大自然の目はよく見ており、ホワイトナイトを見逃してはくれない。青空高くより中型の戦闘機「アブ」の出現、真夏は小型機「モスキート」(蚊)に攻められ、知らぬ間に目の届かない所にそっと止まり、服の上から私の柔肌に太い針を「ブスリ」、飛び上がるほどの電撃が体中を走る。汗拭き用のタオルで追っ払うがしつこく付きまとう。大きな身体、有り余るほどの血液を持ってはいるので小さな虫ごときにいくらでも差し上げるが、後々3〜4日は残る痒みが辛い。春と秋にはもっと小さな「ブヨ」の攻撃を受け一週間は痒みに耐えなければならない。これも自然の中の姿である。
 さて、今月紹介させていただく野菜をあれこれ頭の中で模索するも中々良いテーマが浮かんで来ない。夏の暑さで頭の中まで枯渇したのか、隣で家人にマンネリ ワンパターンと冷やかされ「ムッ!」となる。 気を取り直して、今回は一年を通じて消費される玉ねぎを紹介させていただく。
 原産は遠く中央アジアから地中海沿岸とされ、古くはエジプト・メソポタミア時代より栽培されていた。ほとんどの作物はシルクロードを経て中国、韓国から日本に入って来たが、玉ねぎに関しては1770年に南蛮船で九州の長崎 出島に伝わるが、当時は食用にはならず観賞用として栽培された。食用としてはアメリカより伝わり、時代は明治にまで遡る。玉ねぎの種類は黄玉種、白玉種、赤玉種、小玉種、シャロット種と多く、9月上旬から中旬に真っ黒の種子を苗床にばら蒔きししっかり潅水をする。乾燥が一番の敵であり、ほとんどの場合稲刈りを済ませた水田の裏作で栽培され、酸性土を嫌い、粘土質より砂系の多い土に10月中旬から下旬頃より12月までの間に株間10cmで一本ずつ定植する。栄養価は糖質が多く、ブドウ糖、蔗糖を多く含みカリウム、亜鉛、リン、ビタミンB1・B2・Cを成分として蓄えている。硫化アリルは目を刺激し涙を誘う。また発汗作用があり、絞り汁を5〜6倍に薄め飲用すると咳や痰を切る。その他血栓やコレステロールの代謝、サラサラ血液、高血圧、糖尿病、動脈硬化、脳血栓、脳梗塞、癌などに効果がある。ビタミンB1の食品(豚肉、かつお、大豆など)と共に摂取するとより効果が上がる。栽培上でも害虫や病気に強く、年間通して貯蔵出来、和洋中すべての食材として使え、美味、まさに大自然からの贈り物である。本年もまもなく和歌山県粉河町・慈光会歴30有余年のみかん農家・中田さんの田んぼにて有機質肥料たっぷりの大地で栽培される。美味で健康食の玉ねぎを沢山食して頂きたい。
 8月初旬、農場内のほその木の木肌に何箇所にも及ぶ傷があり、傷口より樹液がにじみ出ている。長年に亘りこの木を見てきたが初めての出来事であり、その先にはこの夏一番興味深い出来事が待っていた。時計の針が11時を回りお日様がすべてを焼き焦がす勢いで南中する。夏時間は早い時間から始まり、午前中の仕事を終えて昼の休憩に入る。その前に例のほその木を見て回る。沢山のカナブンが木に群がりガリガリ木の幹をかじる。木肌に傷を付けた犯人はカナブンであった。根元から高所までくまなく目をやり観察する。「いる、いる。」カブト虫である。カブト虫は当農場の堆肥の中で沢山生まれるので、さほど珍しくはない。ほかに何かいないだろうかと木をくまなく探す。「見つけた!」 ミヤマクワガタのオス、かなりの大物である。ノコギリクワガタのオスとメス、後は小さな平クワガタ、幼少の頃ならこの出合いは小躍りするほどの喜びであろう。昔読んだファーブル昆虫記と目の前の世界が私の中で重なり合う。足をずらし谷側に体を移した時、一瞬空気が凍りつく。暑い夏の正午、背中にひんやりとした冷気が走る。大物と出合う。歯をカチカチ鳴らし、近づく私を威嚇する「大スズメバチ」 これには到底勝ち目はない。そそくさ退散し、少し離れた所よりこれらの生態を観察する。カブト虫とカナブンの場所取り合戦が始まる。カブト虫が横から力ずくで奪い取ろうとし、そこにクワガタも参戦し三者入り混じり仁義なき戦いを繰り広げる。人類も地下エネルギーの甘い味を求め罪のない人々の尊い命を無視し血で血を洗う悲惨な戦いを繰り返す。智恵ある人間の行動も根底では昆虫と何ら変わりはない。ただ昆虫の場合、争いでは相手を死に至らしめることはほとんどない。8月下旬、木の根元にカブト虫の死骸が横たわり、そこに沢山のアリが群がる姿を目にした。暑い夏を生き抜き初秋の声を聞く頃、命尽き帰ってゆく自然のあり方もまた摂理ではあるが、命あるものの無情を感じた夏の終わりであった。
 秋の夕暮れは早い。もたもたしていると日が落ち、周りの景色が闇間へと消えて行く。暗くなっても暑い夏季は周りの山がざわつき賑やかさがあるが、秋から冬にかけて空気はピーンと張り詰める。晩秋には弱々しい虫の音が一層寂しさを作り出し、静寂した景色が気弱な私を包み込む。
 一年で最も過し易い季節を迎えた。畑で秋の陽を浴び大根は太く逞しく、白菜は葉を大きく広げ結球のための力を蓄える。どこか地味ではあるが、横でゴボウも葉を茂らせお正月に向け根を太く長く伸ばし大地を掴む。きな臭い世界に於いて会員の皆様が当会の野菜を口にされた時、食卓に笑顔がこぼれるようにと握る鍬に力が入る。どこまでも透明で美しく光り輝く10月の風が私の体を心地よく包んでくれる。                       
 秋の落日 幼心が一杯の農場より