「食の未来」上映会レポート(3)
2番目の問題・・・世界規模での種苗(しゅびょう)の独占
今まで農家が自家採取していた種子を、農家が買わなければならなくなったとしたらどうでしょう?農家は出費が増えますが、種苗会社は儲かりますね。遺伝子組み換え種子は、農家が必ず種子を買わなければならない仕組みになっています。
例えば、モンサント社は、種子の価格に特許料を上乗せして販売しています。(通常の種子の価格の4〜5倍)そこに、その種子に効力のある農薬をセットで売りますから(農薬をセットで買わないと、種子の特性が全く無意味になります。たとえば「除草剤を撒いても枯れないように遺伝子組み換えした大豆」と「除草剤」は必ずセットで売られるのです。)農民にすると大変大きな出費になります。そして翌年、農民は、又、遺伝子組み換え種子と農薬をセットで買うことになります。収穫した種子を蒔くと、特許侵害になるからです。こうして、「農家の自家採取による種子の保存」ができにくくなってゆく訳です。それは少数の種苗会社が描いているシナリオどおりの世界市場独占に向かっています。
種苗独占の問題の中には次のような問題も起きています。
1990年代、アメリカ合衆国が保管管理する「種子バンク」の現場に大手の種苗会社が入って、遺伝子操作していない種子にまで次々と特許を取っていったのです。「その種子の特許をまだだれも取っていないから」という理由で・・・。モンサント社は推定1万1千の特許を持っています。特許を取られた種子はもはや自由に売買したり使ったりすることが出来なくなります。企業の狙いは、特許種子以外の全てを排除し、市場を独占し、大きな利益を上げることに他なりません。地球上に住む生物に公平に与えられた種子という共通の財産。空気や水が無償で与えられ次の世代に受け継がれていくように、種子もまた農民の手から手へ無償で受け継がれて行くべきはずのものです。生命特許の問題は倫理的に見ても極めて大きな問題なのです。
3番目の問題・・・「ターミネーター技術」と「トレーター技術」の問題
「ターミネーター」と言っても映画の事ではありません。映画でもそうでしたが「ターミネーター」の意味は「終わらせ屋」「終結させる人(物)」です。ターミナルは「終点の」「終わりの」「最後の」という意味。すなわち、ターミネーター技術とは種子の命を終わらせる技術なのです。一代目は成長し、種子が採れます。しかしそこで採取された二代目の種子を蒔いても、それは発芽しません。種子の中に毒素が出来て自ら死んでしまうのです。日本語では「自殺種子」と訳されています。農民は二代目を蒔いても芽が出ないので、必ず種子を買わないといけなくなります。特許を持つ種子会社は毎年種子が売れて、その利益が確約される訳です。
「トレーター技術」というのはさらに進化した技術です。トレーター技術で生産された種子は土に蒔いて、水をやっても発芽しません。特殊な薬剤をその上から散布しないと芽は出ないように遺伝子組み換えされているのです。特殊な薬剤はもちろん種苗会社が種とセットで販売します。
遺伝子組み換え種子を開発するに当たって、メーカーが大義名分としてあげていた「人類を飢えから救う」という項目はとっくにどこかへ消え去っています。蒔いても、芽が出ない自殺種子と、蒔いても特殊な薬品をかけないと発芽しないトレーター種子。この技術が人類を益々飢えの危機にさらすものである事は間違いありません。
「もしターミネーター作物の花粉が昆虫や風によって通常品種の畑に運ばれたとすると、ターミネーターの花粉によって受精した卵子はみな毒素遺伝子を一つ持っています。その種子が植えられて、発芽しなかったときに初めて影響がはっきりします。農家にとって死んだ種子は大問題です。」(「食の未来」テキストより抜粋。
4番目の問題・・・遺伝子汚染の問題
映画の中でも出てきましたが「スーパー雑草」なるものが出現しています。従来の除草剤では枯れない雑草です。これは遺伝子組み換えされた種子から成長した植物の花粉が雑草と交配しできてしまったものです。今まで、地球上に存在しなかった植物です。
また、メキシコでは現在、何百種類もの、とうもろこしがありますが、これは種類が多いほど、色々な条件に耐える多様性があり、飢饉の時でも全滅を免れうるので、種類が沢山あるということは、大変重要なことなのです。その在来種に遺伝子組み換えのトウモロコシが見つかりました。地元の農民は表示の無い米国の遺伝子操作されたトウモロコシを買い、一部を食べ、残りを種子として使ったのです。その花粉が在来種と交配してしまったのです。1998年にメキシコは遺伝子組み換えトウモロコシの栽培を禁止しました。
しかし、一度種子が遺伝子汚染されると、人の力では止めることが出来ないと言われています。風が運ぶ花粉を、昆虫が運ぶ花粉を、人はコントロールすることが出来ません。鳥が食べ、動物が食べて運んでゆく種子を監視し続けることは出来ません。
今、私たちにできることは?
「食の未来」テキストは次のような提案をしていますのでご紹介してみましょう。
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遺伝子組み換え作物をなくし、国内生産を増やして安全な食料と環境を獲得するための提案
(1) 地元の有機農業生産者を探し、直接購入する。
(2) 国内の有機農産物を農家が再生産できる適正価格で購入する。
(3) 生産現場に出向いて栽培や収穫貯蔵などについて学ぶ。
(4) 外国の農産物はフェアトレード(※)の農産物を購入する。
(※フェアトレードとは:貧困のない公正な社会をつくるための、対話と透明性、互いの敬意に基づいた貿易のパートナーシップです。フェアトレードは、アジアやアフリカ、中南米などの農村地域や都市のスラムなどに暮らす人々に仕事の機会を提供することで、貧しい人々が自らの力で暮らしを向上させることを支援しています。小規模農家や手工芸職人に継続的な仕事をつくり、農薬や化学肥料に頼らない自然農法や、生産地で採れる自然素材と伝統技術を活かした生産によって、持続可能な社会を目指しています。以上「ピープル・ツリー」ホームページより抜粋)
日本の農業は、担い手の高齢化と安価な輸入農作物の増加により危機に瀕しています。そして政府は今までの家族主体の農業から企業や集団による大規模化、機械化に舵を切ろうとしています。その行き着く先は、単一作物の作付け、農薬や化学肥料の多用と、それによる環境破壊であることは明らかです。こうした工業的農業を支え、種子と食料支配を目的に開発されたのが、特許で武装した遺伝子組み換え作物です。
一方私たちが目指すのは、自然の摂理に則(のっと)った農業と、そうして栽培された生命力ある安全な食料です。ここに有機農業の原点があります。そして地元に根ざした生産と消費のつながりです。
身土不二(身体と土は一つのもの)を原則として展開してきた日本の有機農業運動が、米国に渡りCSAとして発展し化学農業に代わるものとして期待されています。これがカリフォルニア州内では、多くの支持を得て遺伝子組み換え作物の排除に力を与えています。
ドキュメンタリー「食の未来」は、遺伝子組み換え推進企業や行政への非難に終始するのではなく、それを買い支える私たち一人ひとりが正しい選択をすれば変えられると語りかけています。
いつも買い物をするとき、子供たちに健康で明るい未来を選択してあげてください。そして、あなたのそばで、多様な作物を栽培する小さな有機農家を支えていただきたいと願っています。
(以上「食の未来」テキストより抜粋)
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人類の大きな過ち「遺伝子組み換え技術」
そもそも、遺伝子組み換えの技術そのものが不要なのです。
前回冒頭でご紹介した「ほうれん草豚」や「ひらめトマト」。莫大な研究費を費やして、そんなものを作り出して、一体何の役に立つというのでしょうか?
「ほうれん草」と「豚肉」を食べれば、それですむことですし、そちらのほうが、よっぽど安全で美味しいことでしょう。「トマト」は夏にいただけばよいのであって、「ひらめ」の遺伝子を組み込んで冬に育てる必要はありません。夏野菜は体を冷やす働きがあります。夏に出来る作物を夏に頂けば、人間の体に良いように自然は出来ているのです。
目先の利便性で、大自然のシステムを壊してはなりません。人間中心のエゴで、大自然のシステムを変形してはなりません。
農業に関して言えば、自然の法則に従って、有機農業をすれば、栄養価の高い、香りの良い、日持ちのする美味しい収穫の数々が頂けるのです。化学肥料によって、土中の生態系を壊すことも無く、農薬によって多くの生命を殺害することもなく、環境汚染もしなくてすむのです。脳神経毒である農薬の影響を受けて人が異常な行動に出ることも、大変少なくなることでしょう。田んぼや畑の広がる里山には、蛍や蜘蛛やミズスマシなどの小さな昆虫たちが帰ってきて、のどかで静かな自然の営みが、展開されてゆくに違いありません。
人間も自然の一部です。大自然によって生かされている他の生物たちと密接不可分の関係にある生命体なのです。地球を公転させ、自転させ、地球上の水を循環させ、多くの命を育む大自然・・・その不可思議な叡智を、謙虚に学び、大自然に生かされていることを自覚し、他の生命を生かそうとすることこそが、真に人間が生かされる道筋なのではないでしょうか。遺伝子組み換え技術は不要です。
子供の過激行動の原因は食品添加物?
消費者リポート07年9月27日発行「第1380号」より転載
子供が集中力をなくし、すぐかっとなって過激な行動に走るHLD症候群が、合成食品添加物によって助長されることを確認したとする研究結果が発表されました。
報道によると、この研究はイギリス・サウサンプトン大学の心理学者スティーブンソン教授によるもので、結果は2007年9月6日発売のイギリス医学誌「ランセット」に発表されました。
研究は3歳の子供153人と8〜9歳の子供144人を対象に、与える飲み物を添加・無添加で2つのグループに分けて行いました。6週間にわたって実験を続け、子供たちを観察した結果、添加物を摂取したグループのうち、10%程度がHLD症候群の定義に近い行動をとるようになったそうです。
スティーブンソン教授は、合成添加物が子供の健康に悪い影響を与えることが明確に証明されたとして、「HLD症候群の原因は複雑で、合成添加物を避けるだけでは予防できないが、それによって少なくともひとつの原因を取り除くことができる」と指摘しているそうです。(07年9月6日付け『時事通信』より。吉村英二氏まとめ)
農場便り 10月
涼しい秋風が夏の日差しで焼けた肌を心地よく撫でてゆく。周りの田園は黄金色に埋め尽くされ、早生米から順に刈り取りが始まった。一枚一枚と日を追って収穫され、実った稲穂に隠れていた彼岸花の真っ赤な花が姿を現す。電線にはツバメが一列に並び、南に帰る旅支度を始める。その姿もいつの間にか消え、真っ青に澄み渡る空には赤トンボだけが気持ち良さそうに秋風に乗る。実り豊かな田園風景に赤トンボは良く映える。
盛夏を超え酷暑となったこの夏、焼け付くような日差しにも負けず、初秋の風が吹く頃までたわわに実ったきゅうりも今は枯死し、カラカラになったつるが風に揺れる。ここにも秋を感じ「ご苦労様でした。」と声をかける。人も隠れてしまうほどの大きさに育った里芋も盛夏の勢いは無く、大きな葉が力無く垂れ下がる。いつまでも続く暑さの中、農場では夏作から秋冬作へと準備を進める。
一年で一番暑い時期、7月にキャベツ、ブロッコリー、カリフラワーを播種する。日除けの下、パレットに一粒ずつ種を落とし、一日も欠かすこと無く毎日毎日潅水を行う。午前の涼しい時間帯には出来るだけ日光を取り入れ、日差しが強くなる頃から日除けで幼苗を守る。約一ヶ月かかって苗を育て圃場に定植、ここでも乾燥に注意し、ホースを引っ張り潅水を日々繰り返す。灼熱の太陽、憎き害虫の攻撃にも負ける事無く成長し、9月には20cmまでの大きさに至った。8月初旬に播種した大根も他の作物の隣で根を地中深く伸ばし、その姿も大根らしくなってきた。除草作業にはかなりの時間を費やし、ここまでくると日々の成長を見ることや作業が楽しくなる。だがここ2〜3日頭の中を常に過ぎることがある。先日カボチャの管理に行った時にイノシシの足跡を発見、今年もまた来たなと身構えた。その一週間後たわわに実をつけたカボチャは見事イノシシの胃の中へと消えてしまった。本年のカボチャは育ちが良く、最高の食味であったことだろう。決して逃がした魚は大きかった太公望ではない。怒り冷めやらぬ内に今度は憎きイノシシの眼は他の畑に向けられた。ミミズや小虫を求め、あの憎らしい鼻で畑の土を掘り起こす。無論人様が栽培している作物などお構いなし、一晩であの灼熱に耐え成長したキャベツ、ブロッコリー、カリフラワー、大根畑は無残にも掘り起こされてしまった。地上で又土に埋もれのたうち苦しむ作物、まさに地獄絵である。夜、落ち込みと共に怒りが湧き上がり何時までも寝付かれない。夜中、我が家の井戸に行き、頭より全身に井戸水を被る。冷水が昼間体に溜まった熱と怒りの熱を流してくれる。上の畑がだめならば下の畑がある。皆様にご迷惑をお掛けする事は出来ない。翌日早速次の計画に入る、が、これら3種はすでに播種期は終わっている。それでは他の作物は、と考え育苗中の白菜はすべて下の畑に、大根をすぐに播種、ほうれん草、小松菜、ビタミン菜と全力で畑の準備、播種、潅水を繰り返す。時に大自然は試練を与える。自然の中に於いてこれ位は試練の内に入らないのであろうか・・・。現在秋の陽の中、野菜たちは順調に成育している。
月に一度程度時間を作り、デパ地下や大手スーパーに果物や野菜のリサーチに行く。全国から集められた作物が所狭しと並び、この時期にこの作物が、と思われる物もかなりある。これらすべてが有機野菜であればと心より思う。大量に並べられた高原野菜を見ると、10代の頃、信州の高原野菜生産農家へ住み込みでの実習を思い出す。この時期の蔬菜は病虫害が多く発生し、2〜3週に1度は農薬散布を行う。輸入作物も危険であるが、国産作物も年間を通じ決して安全とは言えない。無理をせず、四季折々の作物をいただくことが環境にも体にも優しいのではないだろうか。
彼岸が過ぎ秋も深まってゆく。ススキの穂が光り輝き、山栗の実もイガから顔を覗かせる。農場内の道にはほその木の実が一面に落ち、周りの風景が秋色に染まってきた。食物も秋の色に変化し、天候不順や害虫、害獣の悪戯で野菜の生産が追いつかない日々が長く続いた。品薄であった食卓の野菜の色合いも日増しに増えていく事と思う。「あともう少しお待ちください。」秋の夜長、テレビの画面に目がいく。バイオ燃料についての放映で、バイオ燃料はトウモロコシやサトウキビなどから作られ、公害を出さないエネルギーとして注目されている。しかし食糧をエネルギーに変える事により飢えに苦しむ国々は今以上に食糧が不足することになる。日本でも休耕田を使い米よりバイオ燃料を作る、という案が出されているようである。「水穂の国と言われ、天地の神々より授かった尊い食糧を一粒たりとも無駄にしてはいけない」と小さい頃から親に教えられてきた。「米をエネルギーに」何と罰当たりな話であろうか。視点を変えることにより平和な地球をと願う。経済の豊かさは決して人類を真の幸福へと導いてはくれない。一代で巨額の富を得た紀伊国屋文左衛門、晩年彼は江戸の長屋に住み静かな日々を送ったそうだ。彼の言葉に「私はありとあらゆる贅沢の限りを尽くした。しかしそれは何一つ心の安らぎにはならなかった。今こうして秋月のもと七輪で秋刀魚を焼き食する事は何物にも変えがたい最高の贅沢である」と。
秋の名月は富める人にも貧しく苦しむ人にも同じ光を心の中に照らし、日頃の雑踏を忘れ、時間を忘れさせてくれる。人類の歩む道を美しい光で照らしてくれますようにと仰ぎ手を合わせる。煌々と光り輝く月の横を柔らかな紫色の雲が流れる。
月より団子の農場より