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老後への私案
  

梁瀬 義亮


 
昭和六三年六月二三日(一九八八年)
(於 五條市公民館 高齢者を対象にした講演会)

 

梁瀬でございます。

本日の標題を敢えて「私案」と書かせて頂きました意味は、私ごときはつまらない者なのですが、少し勉強させて頂いたこと、あるいは、経験させて頂いたこと、あるいは、自分が信じさせて頂いていることを申し上げて、皆様のご参考にして頂くという気持ちで「私案」と書かせて頂いた訳でございます。そういう気持ちでおりますのでどうぞご了解頂きたいと思います。

私も老人の中の一員に入れて頂いた訳ですが、最近は老人福祉ということが非常に充実してまいりました。設備が大変良くなったことは誠に有り難いことです。しかし、老後の幸せというものは、やはり、外的な設備の問題もさることながら、一番大事なものはまず、健康なのです。

それからもう一つは心の問題でこのことをちょっと申し上げてみます。 世の中にはありあまる程お金を持ちながら、なおかつ、がつがつがつと汚いことをして、足らん足らんと思っておる人もおれば、程度はございますけれど、貧しくても豊かな、教養の深い、満足な生活を送っている方もおられます。又、横から見ると羨ましいような幸福な環境におりながら、不平ばかり言っている人もおるかと思うと、窮塞のような状態にありながら、本当に拝みたいような喜びの生活をしている方もおられます。ですからやはり外的なものよりも、健康と、そして内的な、私たちの心と言いますか、世界観、人生観、生命観、こう言ったような問題が、大変私達の幸福にとって大事と存じます。それでまず最初、私も医者のはしくれでございますので 、今まで私のやって来ましたことを基にして、健康のことについて申し上げてみます。

最近老人医療が非常に丁寧にされるようになりましたが、ここで良くお心得願いたいことは、次のことなのです。病気を火事に例えれば、この火事に対して、消防車を非常に強力にするということは大変よいことです。我々にとって素晴らしいことです。しかしながら、いくら消防車を強力にし、或いはいくら火の見やぐらを沢山作っても、火事はなくなりません。火事をなくするのは何かと言えば、当たり前のこと乍ら、各人の火の用心であります。これが、火事を徹底的に押さえる方法です。これは当然のことです。いくら消防車を沢山作っても、皆が火の用心をおろそかにしていれば、いくらでも火事は起こります。ついには、消防車の水で町が壊れてしまうようなことすらも起こり得る訳です。火の用心が火事をなくすのであって、消防車は、火事に対する応急処置であります。こういうことは当然のことです。

このことを現在の医学で言いますと、薬とか手術、これは消防車にあたるものであります。皆様が救急の病気の時には、確かに今の医学は、素晴らしい力を持っております。たいしたものです。けれども今の医学は、一七兆もの金を使って医療が行われておるに拘わらず、病人は増える一方です。なぜかと言えば、火の用心に当たる社会生活、日常生活が現在非常におろそかにされているからです。これを指導する人も殆どいないのです。皆さんが病院に行っても、生活指導されたということは殆どないと思います。失礼かも知れませんが、お医者さんも病気のことばかり夢中になって、生活ということを忘れているのです。これをもっと簡単に言えば、火の用心が大変良くて、火事が起こらなくて消防車がみな錆び付いてしまったのが、理想的な町です。

同じように、生活が良くて、一七兆の医療費が要らなくなってしまった、これが理想なのです。現に、世界一の健康長寿国と言われるフンザ国は、医者のいない国だということを聞いております。生活がいいから、病気が起こらない。だから医者は必要ない、という状態だそうです。

このような意味で少し生活について、皆様にご参考になることを申し上げてみたいと思います。 私達の日常生活には、物質的なものと、精神的なものとがあります。まず物質的な面で申しますと、一番大事なものは、食べ物です。食べ物は非常に健康と関係あるのです。

私は、昭和二三年以来、ずっと、生活特に食生活と病気との関係について調査し続けて来ました。結論から申しますと、昔から「芋、豆、菜っ葉」と言うように「日本人は、芋と豆と菜っ葉とをよく食べたら病気にならないのだ」と、こういう簡単な話なのです。これは本当に正しいことで、長い間の経験から出て来た立派な真理でございます。これについて申しますと、まず、菜っ葉ですけれども、皆様は、最近の菜っ葉といえばすぐ白菜とかキャベツとかレタスとか白い野菜を好まれますけれど、これらは非常に栄養価値が低いのです。やはり青い、小松菜とか真菜といったグリーンの濃いものがよいのです。ホウレン草もよいのですけれども、ホウレン草は、ちょっと変わった野菜で、蓚酸という成分が多く含まれています。ホウレン草を生で沢山食べると、蓚酸が腎臓に石になって出て来て、腎臓結石症という病気を起こします。そこで、ホウレン草は必ず湯がいて食べなければいけません。ポパイのホウレン草で、ホウレン草を食べていれば元気になるんだと皆さん思いますけど、やはり必ず湯がかなければなりません。普通に食べている分には大丈夫ですが、無茶苦茶食べるとたとえ湯がいても、蓚酸症が起こる可能性があります。それから、うまい菜というのがございます。ふだん草といいますか、トウジシャといいますが、これもやはりホウレン草ほどではないけれど蓚酸がありますから、茹でて食べて下さい。その他はそんなに問題はありません。青い野菜を忘れないようにして頂きたいということ、これが大事です。グリーンの野菜、これは素晴らしい栄養素なのです。牛が青い物食べてあんなに大きくなるのも理屈があるのです。

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慈光会のホームページを開設いたしました

   

慈光会会員  内藤 ゆき子


     

アドレスはhttp://www.mirai.or.jp/~gassho/です。【註:""に移転しました。2007年5月18日現在】

英語サイトと日本語サイトに分けてあります。日本語の方には、慈光通信を随時掲載いたします。現在は、第8〇号を載せています。入荷中のお野菜・果物などの情報も組み入れ、安心でおいしい旬の食べ物を会員の皆様に召し上がっていただく一助になればとも考えております。

梁瀬先生は、ご自身の健康が損なわれてからも尚一層、活発な著作活動に励まれ、御著書の英訳の意義は、「一つには、宗教的情緒が失われて久しいこの日本に、海外から仏教を逆輸入して貰うことです。」と、話して下さいました。そこで、英語サイトは、「愛する子孫のためにご尽力下さい」、「無農薬有機農法」などの英訳の他に、今後は、先生の仏教についてのお話しを盛り込んで世界へ発信したく思っております。

このホームぺージを作るきっかけとなったのは、「遺伝子組み替え作物の件で米国の有機農法認定団体・OCIAに問い合わせたい。」との、松村仁さん(註:慈光会販売所主任)からのお電話でした。まず、慈光会の良き友人、マーク・カプリオさん(註:梁瀬先生の著書の数々を英訳。現在立教大学助教授。)に、遺伝子組み替え作物は英語で何というのかを教えて貰うことから始めて、インターネットを探索していきました。それまでは、インターネットは無用の長物として、emailで友人と交信する以外、見向きもしていなかった私なのですが開いてみて感心することしきり。Genetically modified crops/seed(遺伝子組み換え作物/種)を入力して探索ボタンを押しますと、それはそれは、大変な量のファイルが掲載されているのがわかります。遺伝子組み換え推進派と反対派両派入り乱れて画面を占領します。ここから有機農法団体が出していそうなファイルをとりだします。

取捨選択して、やっと辿り着いたOCIA。ここには、OCIAの具体的な活動内容、遺伝子組み換えの作物/種へ移行していく世界の趨勢に深い疑問を投げかけるエッセイ、有機農法実践農家として認証されるための厳密で具体的な規定内容などが満載されていました。このサイトで、問い合わせ先が判明し、遺伝子組み換え作物についての松村さんの質問にOCIAから直接答えを得ることができました。

慈光会のホームページも、国内はもとより遥か大海原を越えて、皆々様の疑問や質問や要請にお答えできる場に育てて頂ければと願い開設した次第です。ご意見ご提案をお気軽にお寄せください。

また、この誌上をお借りして、慈光会職員・提携農家の方々が、会員(人類全体)の方々に、より安全な食物を提供するために、日々計り知れないご努力と御心を尽くして下さっていることに対して衷心より感謝の言葉を申し上げたいと思います。有り難うございます。 内藤ゆき子拝

(註:内藤さんは、マーク・カプリオさんと共に、梁瀬先生の著書五冊の英訳をしてくださった方です。又、その他の方面でも、その英語力で慈光会をサポートして下さっています。)

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《原子力発電所は、不要です》

   
     

原子力発電所関連施設の事故が続いています。もんじゅのナトリウム漏洩火災事故、東海村の再処理工場の火災爆発事故など、大きく報道された事故についてしか、印象に残っていませんが、このほかの事故・故障は九五年度一年間だけでも、四八件にのぼっています。さらに、今年の四月一五日には、新型転換炉「ふげん」で過去五年間に放射能漏れ事故を一八回も起こしていたことが明らかになりました。そして、この事故のことは、一度も報告されていなかったのです。(「原子力資料情報室通信」より)

動燃(動力炉・核燃料開発事業団)の、このような一連の「事故を隠したり、小さく見せようとしたりする体質」は本当に問い直されねばなりません。しかし、動燃が解体され、よい体質の機関がたとえ据え直されたとしても、原子力発電の根本的問題は何ら解決されていないことを忘れてはならないでしょう。「動燃の体質」と「原発の危険性」とは二つの全く異なった問題だからです。

重大なことは「事故が起きた」という現実ではないでしょうか。  それでは、一体どのようにして事故は起きたのでしょう。たとえば、東海村の再処理工場の場合ですが、新聞や機関紙には次のように報道されていました。

私達は、この報道から「人間のすることに『完全』はあり得ない。」という簡単な結論を導き出すことが出来ます。一万回に一回の故障確率といわれたスペースシャトル・チャレンジャー号が、わずか二十五回目の打ち上げで、私達の目の前で爆発してしまった事実は、その顕著な例に他なりません。

一方、確率論から言うと、「三千炉年(一つの原子炉を一年間動かして一炉年、十ある原子炉を一年動かして十炉年と数える。)に一回の割合で大事故が起こる。」という専門家による計算があるそうです。(「脱原発への道」野草社刊)事故が起こる可能性が大いにあることをはっきり認識するならば、命の惜しい人なら誰でも「原発関連施設は縮小し廃止して欲しい」という結論を導き出すことでしょう。

では、もし事故さえ起こらなければ、原発関連施設は人類と共存できるのでしょうか。原発を稼働した時に廃棄物として出てくる放射性物質が、未来の地球と全ての生物に与える危険性をご一緒に考えてみましょう。

例として、プルトニウムのことを取り上げてみましょう。プルトニウムという放射性物質は、地球上に天然には存在しない物質です。人間が原発を動かすことによって、大量に地上に存在するようになりました。

プルトニウムは、一gで日本の総人口にダメージを与えるほどの猛毒です。法令で定められた吸入摂取許容量は一人一年間に一八億分の一gという気の遠くなるような微々たる量です。逆に言えば、僅か一gで一八億人の吸入摂取許容量になるのです。そのようなプルトニウムが一〇〇万キロワット級原発一基で年間二五〇キログラム作られます。日本の原発は現在五一基。(世界の総数は四三〇基)原子力委員会が発表した日本のプルトニウム供給量は現在の所、九五〜一一〇トンとなっています。それは人類を何千回も滅亡させることが出来る量に相当します。

「通常時でも、施設(東海村再処理施設)の排気筒からはごくわずかな量のプルトニウムが出ている」と、新聞(朝日97/3/15)には事もなげに報道されていました。このプルトニウムやウランなどが今回の事故で「通常の一〇倍放出されていたことが分かった。」(3/15 朝日)のです。そして、この一〇倍という見積もりに対して、専門家の間から「低すぎる見積もりではないか」という声も上がっています。

プルトニウムは、核兵器の材料になります。僅か七〜八kgで原爆一個ができます。そのため軍事利用の懸念が常に持たれています。

又、プルトニウムは、一定量(約四kg)集まると勝手に核爆発を起こす性質があります。ですから、再処理工場では、プルトニウムが勝手に爆発しないように、絶えずコンピューターで管理制御し、一カ所に集まらないように分けています。

プルトニウムの半減期は、二四三九〇年という長いものです。人類が子々孫々に至るまで、即ち二四三九〇年の間、一日も休む事なくこのコンピューター制御をやりおおせたとしても、放射能は半分に減っただけで、なくなる訳ではありません。

プルトニウムには以上のような三つの恐ろしい特徴があります。しかし、原発からでる放射性物質は、プルトニウムだけではありません。その他に高レベル廃棄物、中レベル廃棄物、低レベル廃棄物と呼ばれるものがあり、それぞれの中に様々な放射性物質が含まれているのです。このうち、高レベル廃棄物について、どれくらいの量存在しているのか(日本が作り出したもののみ)、そして又、その毒性を検証してみましょう。

高レベル廃棄物は西暦二〇〇〇年までで一万九六〇〇トン蓄積する、という試算が出ています。(総合エネルギー調査会原子力部会)それを、保管する為に、大体一トンあたり一本のキャニスターと呼ばれるステンレス鋼の容器に詰め込みます。その際に、ガラス粉末とともに充填して固める、という方法が取られます。一キャニスターあたりの放射能は七〇〜八〇万キュリーに達し、これは一〇〇〇万人の致死量に相当します。そして、このキャニスターからは膨大な熱(百数十度から四百度)が出て来ますので、人間から完全に隔離しつつ絶えず冷やし続けなければなりません。また、そのような高温の中でのガラスの安定性も大いに危惧されています。このように問題の多いキャニスターが、これから原発を稼働し続ける限り、何万本となくできてくる訳です。「キャニスターの中には毒性も強く寿命も長い超ウラン元素(例えばネプツニウム二三七は半減期が二一四万年)が多量に含まれるため、その貯蔵は極めて長期の安全性を必要とし、投棄(処分)などはほとんど考えられない。」(「放射性廃棄物」 原子力資料情報室発行)

一方、低レベル廃棄物は二〇〇〇年までに、ドラム缶に換算して一〇三万本累積すると試算されています。低レベルと云っても二〇〇リットルのドラム缶一本に含まれる放射能は、恐らくは数百人の致死量に相当すると云われていますから、低レベルが毒性が低いと云うことにはなりません。

又、半減期の長さからその放射放射性廃棄物の毒性を考える場合には、次のような問題も出て来ます。即ち「放射能のなかのある種のものは、崩壊しても、崩壊した後で、今度は娘の核種といって、別の核種が生まれて今度はそれが生き残る訳です。このように、親が崩壊すると今度は子供が出てきて、その毒性が高いということがあって、最終的には一億年たっても非常に高い毒性が残り続ける訳です。」(同冊子より)  

人類の生存を脅かす極めて危険な放射能の性質ゆえに、「放射性物質に関する技術は隔離の技術である」といわれています。人間の命を脅かさないように放射能を如何に封じ込め隔離するか、という技術です。その技術は二万年、二〇〇万年、一億年以上安全で確実であることが求められています。即ち、原発初め再処理工場、プルトニウムの保管施設、高・低レベルの廃棄物保管施設は、今後一億年の間、戦争やテロ、火災や人為ミスといった人災から絶対に安全でなければなりません。さらに、地殻の変動、隕石の落下、火山の爆発、津波や台風と云った天災からも絶対に安全でなければなりません。さもないと人類の子孫は、絶えず放射能の危険におびえながら、暮らさなければならなくなります。

人類の子孫がある日、嘆かないように祈りましょう。

「たった一〇〇年間の電気を享受するために、私たちの先祖は一億年間のリスクを残して行った!」と。

今回のリポートで調べて来たことを辿りますと、、放射能というものが、人間にとって、微量で極めて毒性が高いことと、その半減期が、人間の寿命に比べて、桁違いに永いことがよくわかります。そのような危険の大きいものが原発を稼働することによって沢山できてくることも分かりました。そして、又、その安全な処理の仕方は、今のところ無いことも明らかになった訳です。  (以下、次号に続く)  

☆現在、慈光会では「プルトニウム利用政策の中止を求める署名」を集めております。国籍、年齢を問いません。(九八年三月一五日集約)

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