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老後への私案

  

梁瀬 義亮


 
1988年6月23日 於 五條市公民館 高齢者を対象にした講演会

 それから、豆についてですが、達者な人のことをまめな人と言いますのも、豆が体に大変良いと 言うことの表れです。大豆は非常に体に良いのですけれども、消化が悪いので良く噛んで頂かな いといけません。歯の悪い方は、そのままではあまり食べない方が良いのですが、納豆とか、豆腐 とか、あるいはきな粉にしますと消化はずっとよくなります。きな粉の場合は砂糖入れ過ぎないよ うにして下さい。先程の菜っ葉も同様でして、年とられて歯の悪い方は、細かく刻むなり、よく煮 るなどして、柔らかくして頂いて下さい。あまり繊維が多すぎると胃を悪くすることもあります。
 もう一つ付け加えさせて頂きますと、麦飯を食べる事は大変良いのです。最近はつぶし麦がありま すので、食べ易くなりました。それから、家族の者が嫌うので思うようには食べられないという方 は、ご飯の上に麦をおいて炊きますと、麦は軽いので、上に浮きます。そこで、上だけをすくい取 りますと、嫌いな方には入りません。麦飯食べると腹が減る、と良く言いますが、これは非常に 消化が良くなるからで、通じも良くなります。昔、軍隊におりました時、兵隊に白米だけ食べさせ ていた時分には、皆、脚気でへたってしまっていたのですが、麦飯食べさせてからそれが起こらな くなりました。このように、麦飯は大変いいものです。これもご記憶に入れて下さい。陽の季節、 太陽の良く照る時に出来てくるお米と、陰の季節、太陽の少ない時期に出来てくる穀物の両方食べ るということは、何か非常に良いようです。
 それからもう一つ甘い物についてですが、前にも一度詳しくお話ししたことがありますので、簡単に終わらせて頂きますが、、これは孫さん方にもよくよく気をつけてやっ て下さい。今は甘いものが大変多いのですが、これ食べていては駄目です。年をとりましてから、 飴を始終なめているお方も多いですし、お菓子もよく食べますが、これはいけません。布団の上で しりもちついて足の骨が折れたとか、背骨が折れてしまったとか言うような方がありますが、これ は、骨がボロボロなのです。 この頃は子供でもそのようになりまして、野球でボールを投げたとたん に腕が折れたとか、自転車で足を着いたら大腿骨が折れたというような子供もでてきております。 或いは、背骨が頭の重みに耐え兼ねて曲がってきていると云うような子供も出来ているようです。  最近、慈光会の販売所へお勤めの方の八〇歳を越しておられるお父さんですが、自転車に乗っておっ てひっくりかえり、溝へ落ちて、相当ひどく足を打ったのです。それでも骨も折れませんでした。  よくこれで骨が折れなかった、たいしたものだと、お医者さんも感心していたという事です。この方 は、その娘さんの勧めでしじゅう添加物の入っていないじゃこをご飯にかけたり、海草を食べたり、 カルシウムの多いものを食べておられたのです。 八十にもなって大腿骨折をやりますと、手術が 大変ですし、そのまま、ガタガタと弱ってしまいます。そして、第一痛いです。 大腿骨折するか しないかで、年寄りの一生は大体決まってしまいます。 健康というものは、有る時ありがたさが 分からなくて、なくなったら分かるものですが、どれ程幸せなことか分かりません。 
 甘いものだけはくれぐれも気を付けて下さい。特に、ジュース類は随分砂糖が多いので、充分 気を付けて下さい。 芋、豆、菜っ葉の話とそれから甘い物の注意をさせて頂きましたが、お年をとられるについて、あまり 塩気を取り過ぎないようして下さい。昔の人は大体、塩辛いものが好きなようですが、これは気を 付けていただきたい。このような訳で、病気という火事を起こす火元は、甘いものを沢山食べると か、野菜を食べないとか、ほんのちょっとした事でございます。
 次に肉食よりは魚の方が良いということも知っておいて下さい。あまり肉は食べない方が良いの です。又、魚でも上等の養殖の魚よりは、普通の魚の方が良いのです。魚と云えば皆様ご存じかと 思いますが、とんでもない虫がいるということが、最近分かって来たのです。 この辺でもきずし (締め鯖)を食べますが、この虫は、酢に漬けただけでは死なないのです。 塩漬けだけでも駄目 ですが火を通せば大丈夫です。 これに随分大勢の方が被害に遭って手術をしなければならないよ うな事になったりしています。 あの森繁さんが、胃を切ったのもこのためです。それで鯖、鮭、 イカ等こういった物は、なるべく生では召し上がられない方が良いようです。 誠に残念な事です けれども、段々、生のお魚は食べられないような時代が来たということを知っておいて、気を付け て下さい。
 それから食べ物と同時に運動不足ということが、非常に体には悪いのです。最近はちょっと出掛 けるのにも自動車やバイクを利用しますが、これは大変悪いのです。こまめによく動いて頂きたい のです。 大体長命する人は皆こまめです。無精者はあまり長生き出来ないようです。それに皆さ ん知っておられる通り長命な方は小柄な方が多いようです。 大きな人は割に長命な方は少ないよ うです。これは大きいから悪いのではなく、大きい人はどうしても動かないのではないかと私は思 っているのです。 大きくても、こまめに動く癖をつけておれば長命になるだろうと思っておりま す。 これにも気を付けておいて下さい。 特に歩くことは非常に大事であります。それから運動 すると云っても体力に合った無理のない運動が大事です。 一時ジョギングが流行りましたが、 最近のアメリカでは廃れてしまいました。これは無理にジョギングすると害があるからです。 丈 夫な方で慣れた方はなさっても良いのですが、急にジョギングをしますと背骨を傷めたり、関節を 傷めたり、心臓を悪くしたりします。やはり歩くということが非常に大事で一番自然なのです。 歩くのもブラブラ歩かずに、サッサと歩くことが非常に大事です。努めて良く歩いて下さい。 と もかく、じっと座り込んで、テレビを見て、飴をしゃぶっていたらこれはもう命がない。(笑い) こう思し召して下さい。 やはり、やることをやらなければいけません。
 (以下、次号に続く)
 

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今月から折々に、花野五壌先生(故人)の随筆と絵を、「大和あっちこっち」 より抜粋してご紹介致します。花野先生のこの画集に梁瀬先生は次のような一文 を寄せておられます。 「大自然をこよなく敬愛し、その深い生命に味到すること、先生の右に出る人は 少ないと思います。今回大和の温かい自然と深い古文化が先生の妙心妙手によっ てスケッチされ、それに先生の感慨深い文を添えられて出版されることになった ことは全く大きな喜びであり、又五条の誇りと存じます。」
 
 

金 剛 山

五條市野原より

金剛山は五條っ子にとっては肉親の親しさの山である。物心ついてから幾十年昼は北方に厳然 と屏風の様にそびえ立つのを眺め、夜は心の中にも又星のきらめく夜空にもくっきりと尾根筋をあら わしている。
郷里を離れている人もその心のどこかにその山容が場所を占めているはずである。そして金剛 山はわれわれにとってこの方向から見た形でなければ金剛山のような気がしない。吉野川と両方相呼 応して郷里の名コンビであろう。キラキラ光る水面に日々、季節季節の変化を見せて逆さに山容を投 影する川面は美しく山と川が合奏している。この投影の青を乱してアユがはねる。いかだが流れ下る 情景はもう遠い昔日の風景である。
五條高校の教師の頃、絵の好きな一女生徒が家からの通学の途、金剛山を朝夕眺めてある朝こ んな事をポツンと話した言葉がある。今朝の金剛山は特別美しいなあと口に出すと一緒に歩いていた 友達がチラリと山を見上げて不思議そうに、いつもの金剛山と変わりはないが、との返事に、美しさ を素直に心に受けとめることの出来る自分の幸を思いますと。
科学が進歩し、生活が便利になり栄養は満ち足り、物が金さえ出せば殆ど何でも入手できる世 の中は誠に有り難いに相違ないが、ただ人々の心の問題、思索の精神が低俗化し美しさに感ずる心が 急速に年を追うて稀薄になっていくようで全く残念なことである。
とまれ山は美しい。大どかな空間を抱いて麓にひしめく町々を覆い守る様に、遠い太古からこ れからこれから先も永久にこの何物をも包み込む様な寛容さ。郷里を暫く離れて都会の暮らしを余儀 なくされて帰郷した時や胸中に何かつかえるものを感じたときなどよく麓の大きい池の堤に出かけ て、峰に向かって喉いっぱいの大声を出すと金剛の峰は、かすかながら答えてくれる山彦を聞くと心 がさっぱり洗われて、ほくほくするような胸に温もりを感じ明日への希望が涌くのである。


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「死の魔王に勝て」(Conquering the Infernal King of Death) 英訳本の海外発送が終了しました。

梁瀬先生が心血を注いで書かれました著書「死の魔王に勝て」の英訳本が念願かないまして、今春完成致しました。 この翻訳はひとえにマーク・カプリオ氏と内藤ゆき子氏のご尽力とご奉仕によるものです。 慈光会では、完成した「死の魔王に勝て」の英訳本を海外発送する準備を進めて参りましたが、この九月にすべての発送を完了致しました。発慈光会では、完成した「死の魔王に勝て」の英訳本を海外発送する準備を進めて参りましたが、この九月にすべての発送を完了致しました。発慈光会では、完成した「死の魔王に勝て」の英訳本を海外発送する準備を進めて参りましたが、この九月にすべての発送を完了致しました。発慈光会では、完成した「死の魔王に勝て」の英訳本を海外発送する準備を進めて参りましたが、この九月にすべての発送を完了 この著書は先生最晩年のご病気の中から、その体験を通して書かれたもので、重い病に苦しむ方々への、先生の慈しみ溢れる最後のメッセージこの著書は先生 近代医学に見放された人々へ、「生命の医」の立場から、具体的な治療提言をすると共に、その人々の本当の救済、魂の救済の道をも提示して近代医学に見放された人々へ、「生命の医」の立場から 先日、アメリカから、第一便のお礼状が届きました。


慈光仏教会様

まず初めに、《死の魔王に勝て》の著者、梁瀬義亮氏に、心からの尊敬と賞賛の意を表させていただきたいと存じます。 この著書は、今現在、末期医療を受けている方々を必ずや勇気づけて下さることと思います。
思慮深いご親切に、改めて御礼申し上げます。
合掌
オクスナード・ブッディスト・チャーチ
カリフォルニア、アメリカ合衆国

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《 原 子 力 発 電 所 は 、 不 要 で す 》

  

 
  今月は、先月号でお伝えしました、放射性廃棄物の恐ろしさを踏まえて、日本の原子力政策 の現状を、振り返ってみたいと思います。
 日本は今や、世界の先進国ので中で唯一の原発推進国となりました。欧米の主な国々では、チ ェルノブイリ原発事故をきっかけに原発推進政策を見直しましたが、その中で、日本とフランスの 二カ国だけが原発推進の方向を選びました。
 しかし、そのフランスでも、現在、ついに「原子力がすべてという時代は終わった」(ル・モ ンド紙 九七年四月八日)との考え方が大勢を占めるようになり、その結果、フランス政府は、プル トニウムを燃料とする高速増殖炉スーパーフェニックスを先日閉鎖しました。(九七年六月二〇日 NHK TVニュース) 処理の方法が分からない危険極まりない「放射性廃棄物という負の遺 産」をこれ以上増やさないためには原発を止める以外に方法はありません。 フランスでは原発推進 派の人でも放射性廃棄物を受け入れることには、拒絶反応を示しています。結局、放射性廃棄物が桁 違いに危険なものであるという認識が高まるにつれ「原子力はきれいなエネルギーである。」という 宣伝文句が、意味のないものであることが明らかになって来たのです。
 又、原発による発電はコストが安いという推進派の人の論拠は、再処理や将来の廃炉の経費を 低く見積り過ぎている、という批判も高まりました。更に、+αの経費として、二万年から一億年に 亙る管理の経費が安いはずも無いことは容易に推察できましょう。
 日本では、これまでプルトニウム利用のために限っても二兆円の国費(私達の税金) が投じられて来ました。この現状を原子力資料情報室の代表、高木仁三郎氏は次のように述べておら れます。
 「二兆円を超える国費は壮大なゼロを生み、さらに大きな事故の可能性を提示している。この 路線を転換できないのは、ひとえに、これまでの非を認めたくないとする官僚主義と、自らの延命の ために政府のプルトニウム政策を利用しようとする原子力産業の意向の故にすぎない。それは、まっ たく見通しのない技術への無制限の投資の継続という泥沼へ踏み込むものであり、国民を欺くもので ある。フランス政府が取り得たような、冷静な合理的決断を日本政府もとることを強く政府・原子力 委員会に対して要請したい。」
 又、英国の経済学者シュマッハー博士は原子力発電に関する論議について、次のように書いておられます。
 「人類の将来そのものに死活的影響を及ぼす重大論議が、あたかも二人のくず屋が量目で話を つけようとするかのごとく、もっぱら目先の利益だけで行われている。」(「人間復興の経済」・佑学社刊)
 目先の利益に目が眩んでしまって、一〇〇年後一〇〇〇年後に取り返しがつかない損であることに気づいたとしても、目が眩んだ当人達は既にこの世には居ないので、責任の取りようもありません。子孫に対する責任は、現在の私達が取るより他に方法はないのです。 日本だけに限って考えても、何千トンものプルトニウム、何万トンもの高レベル廃棄物、何十万トンもの低レベル廃棄物と、既に私たちは十二分に子孫に負の遺産を残してしまいました。そして、現在も進行形で増やし続けています。 子孫の幸福と平安を考える人なら誰でも、心から願っているのではないでしょうか。「私たちの子孫は、決して放射性廃棄物に脅えながら生活を送ってほしくない」と。
 日本でも「プルトニウム利用計画を中止し、原発は一日も早く止めて欲しい」との意思表示を し続けて、フランスの世論が政府を動かしたような結果を生むことを期待したいと思います。草の根 運動として、静かに粘り強く非暴力的な形で原発を止めるよう働きかけることが、今私たちに出来る せめてもの子孫に対する責任なのではないかと考えます。


現在、慈光会では「プルトニウム利用政策の中止を求める署名」を集めております。
           (九八年三月一五日集約)
 

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