慈光通信#112-#152



老後への私案 (9)
  

梁瀬 義亮




この光は、丁度太陽の光がこの地上に於いて、善人にも悪人にもどんな人にも注がれているように、
どんな人にももっとまんべんなく注がれているのです。この地上の太陽の光は、その中に住んでい
るモグラやミミズや或いは深海に住んでいる魚には届きません。そしてこの光は、確かに我々に食
べ物や幸福を与えてくれるけれども、我々の不幸を完全には救ってくれることはできません。そし
てこの光は、私達の寿命の尽きる時には消えてゆく訳です。けれども、お釈迦様やキリスト様やそ
の他の聖者方のお言葉によれば、もう一つの光は善人にも悪人にも一切の上に平等に注がれていて、
そしてあらゆる不幸を救ってくれる。唯、人々はエゴに基づいた愛憎の人生のエネルギーの為に、
この光を見ることができないだけなのです。又、その光のエネルギーをいただく事もできなくなっ
ているだけなのです。法然上人様のお歌に「月かげの いたらぬさとはなけれども ながむる人の 心
にぞすむ」というお歌があります。お月様はどこにでも光っているけれども、お月様をじっと見て
喜びを感じる人というのは、ある心を持った人だけです。そのように真理の光、真理の慈光という
ものはだれにも平等に注がれている。どんな時にも、どんな所にも、どんなものにも、人間だけじ
ゃなくどんな生命にも注がれている。だから、もし私達が謙虚な心になってある事をすればこの光
を受けられる。そして何年かかかってこの光を見ることができ、光の中に住むことができたならば、
この光のエネルギーを得て非常に素晴らしい永遠の生命と光明を私達のものにすることができるの
だ。その方法はこうだと言って説かれたのが仏教であり、キリスト教などの色々なお教えです。こ
ういう教えはお釈迦様のお教えもキリスト様のお教えも共通している筈です。唯、具体的なその話
の進め方は、もちろん違います。けれど、こう言った意味では共通しているのです。今の言葉を仏
典で申しますと『観無量寿経』というお経に「仏心とは大慈悲これなり。無縁の慈を持って、一切の
衆生を摂す。」というお言葉があります。仏心、宇宙の真理、これは光のことです。この光とは大
慈悲そのものである。無縁の慈、これということのない、だれにでもどんなものにも一切の人を救
おうとしているエネルギーなのだ、この光を見なさい、この光のエネルギーを得なさいというのが
仏教の根本の教えと思われます。キリスト教も同じような意味の教えと思われます。
私の仏縁をちょっと申し上げますと、小学校五年生の時に叔母の死を見て、それ以来一心に死とい
うものの解決を探して参りました。そして色々と勉強をしたけれど、なかなか分からなかったので
す。私は大変疑い深い男であったし、信じにくい男でしたから、全面的には仏法の教えを信じるこ
とが出来ませんでした。しかし、その代わりに色々なことがありました。そしてついに四十二歳の
時に「この光を見るのは自分の力によって見るのではないのだ。お前の持っている努力やお前の持
っている力では、絶対見ることは出来ないのだ。ただ、尊い人のおっしゃることを、言う通りにつ
いて行ってその通りにしておれば、そしたら見えるようになる。」と言う不思議な啓示を法然上人
が与えてくれたのです。不思議なことはあるもので、色々な事が起こるのです。何故不思議なこと
が起こるかというと、この光、この特殊な光はこの地上のエネルギーとは違うエネルギーですから、
地上に起こり得ない事が起こってくるのです。これを奇跡と言います。普通、色々な新興宗教等の
新聞を見てみると、こんな奇跡があった、こんな事があったとそれを得意にしておりますけれども、
そんなことは小さい事です。例えば、高いところから転げ落ちたけれどもケガをしなかったと得意
になっている。けれども「そんなのは、初めから落ちないようにしてくれたらいいじゃないか。」
という理屈もあるわけです。そうではなくて、高いところから落ちたけれども、ケガをしなかった
というこのことを通じて、我々の心が信ずることの出来ない光を体験することが出来るようになる
ことが尊いのです。奇跡そのものが尊いのではないのです。松村さんのお父さんの場合もそうです
ね。「肝臓病の痛みがとれた。」「そんなものモルヒネの注射をしたら痛みなんかとれるじゃない
か。」「一年三カ月命が延びた。」「そんなものどんな事もある。延びたといってもしょうがない
じゃないか、どうせ死ぬのだから。」と言うような理屈もあるのです。そうではないのです。その
ことを通じてお父様が心に、そして魂がご覧になったあの偉大な光が尊いのです。奇跡そのものが
尊いのではないのです。実は私もこういうことをやっていますと色々な事がございました。時間も
ございませんので、色々申し上げることは出来ないのですが、私は戦争の時フィリピンの戦争で機
械化部隊に属しておりましてその部隊が全滅しました。私も負傷しました。引き下がってくる途中
でイゴロットという蛮族に捕まった者は、全員首を切られて皆殺されたのです。ところが、私を捕
まえた土人がたまたまカトリックの信者だったのです。そして英語を喋れた。私と何か言い合い
したときひょっとブッダ、仏様という言葉が出てきた。それから急に彼の気が変わって、夜、私を
おぶって村を抜け出して逃がしてくれた。お陰で私は生きさせてもらいました。これは不思議なこ
とです。イゴロットに捕まった者は絶対に生きる筈がないのです。百発百中、全員首を切って殺さ
れるのです。それが今、このように生きさせていただいております。けれども、その助かったこと
を強調する訳ではないのです。この起こるべからざる事が起こることによって、私が不思議なこと
を有り難かったと思うことによって、何かが私の心に起こってくる訳なのです。
私は法然上人の不思議な啓示を受けて以来、上人のおっしゃる通りの事をしてきて、だんだん分か
って来ました。まだまだ徳は低くてこんなことを言ったらお恥ずかしい次第でございますし、まだ
まだ付け焼き刃です。けれどもそれも許されるという事も私は分かっているのです。この地上に生
きている限り、私が人間である限り不純な要素はいっぱいあるのです。けれども今まで申しました
あの光のエネルギーによってそれも許されるのです。今から一千二百年位前に出られた源信僧都と
いう奈良県出身の尊い聖者が『信心あさけれども 本願深きがゆえに』という言葉を残されておりま
す。お前達の信心は浅いけれどもこの上からくる光はあまりにも深いから、それでも許されるのだ
という事を、教えられております。しかし許されるのだからいいのだとは私は思いません。許され
ておるから余計に私は自分を鞭打つ気持ちでおります。けれどもそれでも許されているのだという
事を、私は知っているのです。ですからこうやって不徳のままに喜んで生きさせていただいており
ます。(以下、次号に続く)



「キレる」も食事が一因
  




先般、「キレる、食事も一因?」という記事が新聞に載りました。最近話題になっている子供達のキレる行動と食べ物との相関関係を新しい視点で捕らえ直した記事でした。紙上に掲載されていたグラフには、「食べ物」と「問題行動を起こす子供」との相関関係が示されていましたので、そのグラフをご紹介したいと思います。(Webmaster註:グラフ省略)
このグラフは、食事内容によって子供たちを五グループに分け、作成されたものだそうですが、栄養に偏りのある即席物の摂取が多い子供ほど様々な問題があることが、わかります。
新聞記事や書籍等によりますと、「問題行動を起こす子供」について、考えられる三つの原因が以下のように上げられていました。
(1) 食事の質とそのバランスの悪さ
▽菓子やジュースやコンビニ食の摂取が多く、脳の健康に必要な栄養がとれていない。(福山市立
女子短大栄養学鈴木雅子教授)
(2) 砂糖の摂り過ぎによる低血糖症
 ▽砂糖の摂取過剰により、その反動として低血糖症を引き起こす。その結果、アドレナリンが
分泌されるので、興奮し、攻撃性が増す。(柏崎良子医師 マリヤクリニック)
▽「『キレる』『ムカつく』は低血糖症の典型的症状」であり、そのほかにも▼イライラする
▼機嫌がいいかと思うと突然怒り出す▼無気力▼疲れやすい▼震える▼頭痛などの症状が現れる。
(岩手大学臨床心理学 大沢教授)
(3) 食品添加物の影響
 ▽合成着色料、合成保存料、発色剤、酸化防止剤、化学調味料等の添加物が、脳や眼に影響を
与え、考える力を鈍くし、行動を粗野にする。特に三歳児までは、脳に有害物質が行かないように
する「脳血液中関門」が未発達なので、親が与えないように注意する必要がある。(いのち研究所
主宰 山田博士氏)
英国小児病院では、「落ち着きがなく、すぐけんか腰になる子供に(3)の添加物を除いた食事療法を行ったところ、八一%の子供に際立った改善が見られた」というデータを得ています。
アメリカの少年院では、特に凶暴な少年たちの食事を分析してみたところ、穀物の胚芽や新鮮な野菜・果物に含まれる栄養素が極端に不足していることが明らかになりました。一方、別の少年院では、「入所少年八〇〇〇人の食事からスナックや炭酸飲料を除き、フレッシュフルーツのジュースや新鮮な野菜、果物、全粒粉パン、チーズ、ナッツを与えたところ、暴力ざたや看守への反抗が半減した。」との報告があります。
さらに、ニューヨーク市学区で校舎のカフェテリア(選べる給食)の食事内容を変えたところ、子供たちの標準テストの平均点が一六点も上がった、という報告もあります。その内容は、従来の食事の定番だった「フルーツポンチ、コーラ、ハンバーガー、フレンチフライ、ホットドッグ、ポテトチップ」等のファーストフードやジャンクフードを見直し、飽和脂肪、砂糖を減らし、着色料や甘味料、合成保存料を使った食品をシャットアウトしたというものです。パンも食物繊維豊富な茶色いものに変えられました。その結果子供の学習能力や生活態度は大きく改善されました。
梁瀬義亮前理事長は、この問題について既に二十年以上も前に言及しており、しかも以上の所見では見落とされている「農薬の影響の恐ろしさ」を指摘しております。
「今、子供達にいじめ問題であるとか、自殺であるとか、登校拒否であるとか、自閉症とか、色々な問題がございまして、先生と生徒の関係がどうだとか、家庭と学校の関係がどうだとか盛んに臨教審でも論じられておりますが、私は一番大きな原因は食べ物だと思っています。それがちっとも取り上げられないのが残念でなりません。(中略)特に今の子供達が食べているようなもの、野菜不足のうえに、特にジュースやその他の甘いものを沢山やっておりますとカルシウム欠乏を起こして頭が異常になるのです。それに農薬や(農薬というのは脳神経毒です。)食品添加物が加わる。そのために異常が起こるのであると私は信じております。(中略)
ところが今の学校給食だって、多くがインスタント食品でしょう。そして、野菜でも果物でも全部化学肥料と農薬による近代農法のものでしょう。これは誠に悲しいことでありまして、慈光会をひとつ発火点にして、全国的に大きな運動を起こさせて頂きたいといつも願っている訳です。」(慈光会定期大会に於ける講演より)
前理事長は新聞を賑わす残忍な事件や、無謀な交通事故なども農薬や添加物などの入った食べ物の影響が大きいと指摘しておりました。日本国内だけでも年間使用量六十万トンといわれる農薬は、食べ物や飲み水を通じて私たちの体に年々確実に入りこんで来ています。そしてその農薬は、脳神経毒として働きます。(最近ではこれらの農薬が極微量で環境ホルモンの働きをする事も分かってきました。)
農薬、食品添加物、白砂糖の過食、野菜不足、バランスの欠如等、毎日いただく食事の中で、出来る限り注意して避けなければならないことです。
私たちが「毎日戴く食事を作るという事」は、「ホームマネージメント」(家庭管理)ではなく、「ライフマネージメント」(生命の管理)であると指摘した料理研究家がおられます。日々の食事の安全性とバランスに心を砕くことは、私たちが思っている以上に、人生、生命にとって重要な働きを担っている、という意味なのでしょう。子供達の問題行動に、食事の内容が大きく関わっていることが明らかになったわけですから、食事を作る人の役割は、本当の「ライフマネー

ジャー」であることを再確認したいものです。
子供たちの現在の様々な問題は、とかく精神論や、教育論で云々されがちですが、その根底に食べ物の問題が深く係わっているという医者や専門家の指摘に、もう一度耳をかたむける時が来ているのではないでしょうか。



慈光会の封筒が変わります。
  



再生紙使用は従来通りですが、宛て名を書く場所が二カ所でき、再使用(リユーズ)できるようになります。二度目に使う時は、先に書いてある宛て名をバツ(×印)で消して下さい。郵便局に問い合わせたところ、既に宛て名が全面に書いてあって、さらにもう一度使いたいときは、上に無地の紙を貼り付けて使ってもよいとのことでした。そのように工夫すれば、慈光会の封筒は三回使えることになります。封をはがすときは、再使用できるように慎重に。最後は、古紙リサイクルに出してください。
 県下のグループには、月謝袋のように使える印刷を施しました。繰り返して一〇回使えるようになっています。
かけがえのない木から作られる紙。大切に使わせていただきたいと願っています。

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「沈黙の春」を読んで A 

(レイチェル・カーソン著)  

慈光会会員  井西 治



                  (この文章の形式 『』のマーク 本文引用箇所  
↓のマーク 筆者の感想 )
        

恐るべき人間という一族

『この地上に生命が誕生して以来、生命と環境という二つのものが、たがいに力を及ぼしあいながら、生命の歴史を織りなしてきた。といっても、たいてい環境のほうが、植物、動物の形態や習性をつくりあげてきた。地球が誕生してから過ぎ去った時の流れを見渡しても、生物が環境を変えるという逆の力は、ごく小さいものにすぎない。たかが二○世紀というわずかなあいだに、人間という一族がおそるべき力を手に入れて、自然を変えようとしている。
ただ自然の秩序をかきみだすのではない。いままでにない新しい力…質の違う暴力で自然が破壊されてゆく。ここ二五年の動きを見れば、そう言わざるをえない。例えば、自然の汚染。空気、大地、河川、海洋、すべて恐ろしい、死そのものにつながる毒によごれている。そしてたいていもう二度ときれいにならない。食物、ねぐら、生活環境などの外の世界がよごれているばかりではない。禍いのもとは、すでに生物の細胞組織そのものにひそんでゆく。もはやもとへもどせない。 汚染といえば放射能を考えるが、科学薬品は、放射能にまさるとも劣らぬ禍いをもたらし、万象そのもの…生命の核そのものをかえようとしている。』(引用A)
↓地球に生命体が誕生したのは四○億年ほど前だそうですが、生命と環境は微妙なバランスを保ちながら生存に快適な自然を造り上げてきました。本当に想像を絶する長い時間をかけてです。ところが、たった二○世紀の間に恐るべき力を手に入れた人間という一族が、その自然の素晴らしい秩序を、急激に変えようとしている。それは自然の破壊であり、生命体存続の危機へつながる、というのです。私たちが求め続ける快適さへの欲望の果ての代償なのでしょうか。カーソン女史の言葉は、ずしりと胸にこたえます。
『実験で空中にまいあがったストロンチウム90は、やがて雨やほこりにまじって降下し、土壌に入りこみ、草や穀物に付着し、そのうち人体の骨に入りこんで、その人間が死ぬまでついてまわる。だが化学薬品もそれにまさるとも劣らぬ禍いをもたらすのだ。土壌深くしみこんだ化学薬品は地下水によって遠く運ばれてゆき、やがて地表に姿を表すと、空気と日光の作用をうけ、新しく姿をかえて、植物を滅ぼし、家畜を病気にし、きれいな水と思って使っている人間のからだを知らぬまにむしばむ。』(引用B)
↓こうして汚染された水はやがて海へ流れこみ、いわゆる「食物連鎖」の末に人体にたどりつく。今ではこの循環を常識として理解されるようになっていますが、一九六二年のアメリカ社会はまだこの警告の全てを受け入れるほどに成熟していなかったのでしょう。それどころか全米農薬協会が、この書の出版を妨害するためにマスコミや政界工作に二五万ドルの金を使い、又企業の研究開発部の学者たちが、先頭にたって、「カーソンの教えに信心深く従うなら、昆虫や病気が再び地球を引き継ぐことになるだろう」「ヒステリー女」「共産主義の回し者」などと女史への攻撃を続けたそうです。
この時期より少し前、日本では奈良県五條に、自身の肉体を実験に供しつつ農薬の害についての研究に没頭されている一人の医師がおりました。その先生のことを私が知ったのは、やはり有吉佐和子さんの「複合汚染」でした。有吉さんはその書の中で、先生との出会いをこのように紹介しています。
「私がこの仕事(複合汚染の執筆)にかかってから出会うことのできた最も立派な方を、今日から紹介いたします。レイチェル・カーソン女史がDDTに代表される殺虫剤は生物界の秩序を乱すと警告して『サイレント・スプリング』を発表した一九六二年(昭和三七年) 。それより一年も前に日本では奈良県五條市の一開業医が『農薬の害について』というパンフレットを自費出版していた。」有吉さんが最も立派な方と紹介されたその方が梁瀬義亮先生でした。
(以下、次号に続く)
慈光通信#112-#152