諸外国のリサイクル成功例を習って、日本でも是非、国という単位で動き始めて頂きたいと思います。
(レイチェル・カーソン著)
慈光会会員 井西 治
(この文章の形式
『』のマーク 本文引用箇所
↓のマーク 筆者の感想 )
『アメリカ合衆国だけでも、毎年五百もの新薬が巷に溢れ出る。実に大変な数であって、その組合せの結果がどうなるか、何とも予測しがたい。人間や動物の体は、毎年五百もの新しい化学薬品に何とか適合してゆかなければならない!そして私たちのからだに、動物たちのからだにどういう作用を及ぼすのか、少しもわからない化学物質ばかり…
散布剤、粉末剤、エアゾールというふうに、農園でも菜園でも庭園でも森林でも、そしてまた家庭でも、これらの薬品はやたらと使われている。だが、益虫も害虫も皆殺しだ。鳥の鳴き声は消え、魚のはねる姿ももはや見られず、木の葉には死の幕がかかり、地中にも毒はしみこんでゆく。そして、もとはといえば、わずか二、三の雑草をはびこらせないため、わずか二、三の昆虫が邪魔なためだとは…。地表に毒の集中放火をあびせれば、結局、生命あるものすべての環境が破壊されるこの明白な事実を無視するとは、正気の沙汰とは思えない。』(引用C)
↓鋭く優しく生命を見つめるカーソン女史の熱い思いと、深い嘆きが切々と伝わってきます。しかし加害者たちはこの必死の警告を、どれほど真剣に受けとめたのでしょうか。こんな報告が書かれています。「庭いじりに使うスプレー殺虫剤の容器の缶には危険性の注意書きが張ってあるが、小さな字で印刷してあるので面倒くさくて読む人は殆どいない。いったいどれくらい読まれるものか、ある会社が調査をしたが、注意書きを張ってあるということだけでも知っていたのは、百人中一五人もいなかった。」そうです。このような手口で、危険性はできるだけ伏せ、殺虫効果の表現だけを大きく訴えるのは企業の常套手段です。結局女史の警告などは殆ど無視され、被害は益々増大を続ける一方です。現在終日放映されているテレビコマーシャルなどにも、詐欺すれすれの誇大広告などが手をかえ品をかえ大衆に呼びかけてくるので、よくよく注意が必要だと思います。
『農業も原始的な段階では、害虫などほとんど問題にならない。だが、広大な農地に一種類だけの作物をうえるという農業形態がとられるにつれて、面倒な事態が生じてきた。まずこの農業方式は、ある種の昆虫が大発生する下地となった。単一農作物栽培は、自然そのものの力を十分に利用していない。それは技術屋が考える農業のようなものである。自然は、大地にいろいろな変化を生み出してきたが、人間は、それを単純化することに熱をあげ、そのあげく、自然がそれまでいろんな種類のあいだにつくり出してきた均衡やコントロールが破壊されてしまった。自然そのもののコントロールのおかげで、それぞれの種類には適当な棲息地があたえられていた。だが、新しい農業形態がとられ、たとえばコムギばかりがつくられるとなると、まえにはいろんな作物があったため十分発生できなかったコムギの害虫は思いきりふえてくる。』(引用D)
↓これは先年テレビで見た話ですが、今日本ではこのような栽培の方法を「指定産地」という制度で運営しているそうです。指定産地とは、定時、定量、定質を原則として生産する産地のこと。例えば白菜指定産地として決められた生産地では原則として「決められた時に、決められた量を、決められた質で生産し出荷する」という契約だそうです。われわれの小さな家庭菜園でも今年まいた豌豆の後には異った種類の種をまく、これは連作障害による生産低下を防ぐためで、野菜栽培の常識だそうです。その常識を無視した白菜の連続的な栽培は、カーソン女史の報告にあるように、集中的な害虫の発生がおこる。そのため植え付け前には先ず土壌の消毒から始めるのですが、目だけを出した作業衣で、大型ドリルのような器具を土中に突っこんで消毒薬を注入する光景は凄まじいものです。
(以下、次号に続く)