慈光通信#112-#152



老後への私案 (10)

  

梁瀬 義亮




 ここからは私の私案ですから皆様に生意気を言う訳ではないのです。私も家では「じいさん」と
してやっておりますが、私の年寄りとしての心掛けもこれから出ております。

  まず第一に、生きるのではなくて生きさせていただいているのだという自覚を毎日自分で反省します。
大自然に、そして父母に、そしてご先祖に。家に大勢の患者さんが来てくださる。その患者さん或い
はご近所の方に、その他の大勢のお方に、生きさせていただいているのだという自覚をもう一度持ち
ます。ですから朝、戸を開けると大自然を必ず拝みます。それからお仏壇には必ずお参りしてお勤め
をします。これは私の当然の生活なのでございます。それから自分の徳の低いことは分かっています。
立派なことはできません。けれども、少しでもお役に立ちたいという気持ちを、私は持っております。
ですから、下駄が散らかっていたら直させてもらう、これだけでも少しはお役に立つことです。うち
の嫁が色々としてくれますが、ちょっとでも世話をかけないように、ちょっとでも何かお役に立つよ
うにと思っております。それから年を取るとどうしても動作が鈍くなったり、汚いことが多いですか
ら出来るだけ身を謹むように気をつけております。又、年をとると色々と都合もありますでしょうけ
れど、私は出来るだけ風呂はしまい風呂に入れさせてもらって風呂の掃除をさせてもらいます。これ
が私のせめてもの身の慎みでございます。私の喜びなのです。それから私は、フィリピンでもそのほ
かでも、色々なことで死の淵を何回か通って参りました。それでも生きさせていただきこの光を見せ
てくださった仏陀と多くのお祖師様方、それから先輩方、特に私の両親に対して、いつも忘れずに一
日に二〜三回は必ず仰いで感謝させていただいております。私のやっております行動の基にあるのは、
永遠の生命があるのだという一つの確信なのです。それから所謂仏教徒で言えば「仏陀在す」クリス
チャンで言えば「ゴッド在す」ということになりますが「偉大な光があるのだ、許しと救いの光があ
るのだ。」という、私が一生かかって得させていただいた確信、これが私の今生きる、或いは行動の
一番の基になります。これによって生きている事そのものに喜びを感じる訳です。生きて良い事があ
るから楽しいのではなく、生きさせてもらっている事自身が喜びであり、光であるという事の基は永
遠の生命があり、来世もあり、それから仏陀在す、真理の光が常に在すという確信でございます。こ
れが私の老いを送る一つの行動の基になっている訳でございます。勿論不十分ではございますが。 
(テープ切れ目 空白)

しかしこの世間には、似て非なる所謂『宗教』なるものが非常に多いのでこれには充分気をつけて
いただきたいと思うのです。この光の中にあって、この救いの上にありながら、この言葉だけを真似
をして使うようなものが非常に多いのです。私がこういうお話しを申し上げて非常に尊いお心を起こ
された方が、そういうものの餌食になる例がたくさんありましたので申し上げるのです。それだけは
気をつけてください。お釈迦様はそういう事を非常にご心配なさって、そして本当の真理であるとい
うしるし、三つの法印を亡くなる前に説いて残されました。何かといえば、一つは仏教語で言えば諸
行無常印、人生のお金儲けとか病気が治るとか出世をするとかそういうことだけを説いている宗教は、
本当の真理ではないという事です。人生の出世とか、お金儲けとか、家内安全とか、これらは例え今
病気が治っても、いずれいつか病気で死ななければいけない訳です。お金が儲かっても、そのお金で
必ずしも幸せになるとは限りません。そのうち病気になるかも知れません。このようにエゴの上に成
り立った世界の内容で人々を引き寄せるものは仏法ではない、仏教という名をしていても間違ったら
いけないぞというしるしを一つ残されました。第二番目は諸法無我印、我、自我、エゴ、自意識を強
調し強くする教えは宗教ではないということです。例えば宗教をやっているという人で「私は宗教者
です。私は神様、仏様に救われるものです。尊い者です。あなた方悪い者は地獄へ落ちなさい、私は
天国へ行きます。」というような顔をした人がおります。これはだめです。宗教ではないのです。あ
くまで謙虚に自分というものの中へ入ってゆく。道元禅師はこれを「回光返照の退歩を学す」とおっ
しゃいました。自分の中へとって返し、謙虚に謙虚にすすむ教えでないと本当の真理ではないと教え
られました。第三番目は涅槃寂静印、永遠の光明と永遠の生命の世界があるのだ。この光に照らされ
る世界があるのだということ。そしてその世界を体験する具体的な方法を説いてないものは仏教では
ない。例えば永遠な世界のことばかりを説いて、ではどのようにしたら良いのだというと、その方法
の説かれてないようなものもあります。これは言葉によって酔わせ、言葉に酔っているのです。いい
事を言って酔う訳です。生かされるとか、そのほか色々なことについても酔わす訳です。そうではな
くて、こういう世界があるのだ。そしてこの世界へいくのにはこのようにしたら良いのだ。こうした
ら実体験が出来るのだという具体的な道を示されたものでないといけないのだということを教えられ
ました。

これを三法印と申します。これに付け加えますならば、その道を行じて実体験する人がいなかっ
たら嘘です。こういうことを皆様ひとつご参考にしていただきたいと存じます。こんなことを最後に
申しましたのは、誠に申し訳ないのですが私が今までこのようなお話しを申し上げまして後でとんで
もない変なものに引っ掛かってとんでもない人になってしまった方もないことがないのです。申し訳
ないと思っておりますので、最後に一言だけこのような事を申し上げました。法然上人の「月かげの
至らぬ里はなけれどもながむる人のこころにぞすむ」というお歌のように、我々の上には救いの光が
あるのだ。一切を許し、我々のあらゆる罪を許し、あらゆる悪・煩悩を許す光があるのだ。我々のす
ることは、ただ謙虚にその光を仰いでそしてその道を実体験なさった偉大な人の後をついてゆくのだ、
そしておっしゃる通りに実行してゆくのだ。こういうことを申し上げてこの話を終わらせていただき
たいと思います。どうもありがとうございました。
(拍手)
                          
   【完】



アメリカでのリサイクル事情

  

国際交流員 ローランド・リケッツ




          私は日本の職場に慣れるまでの間、何度となく「これはどこに捨てるのですか?」という質問を繰り返しました。そして、どんな紙くずも、プラスチックも、発泡スチロールもその他の燃えるゴミも全部同じところに捨ててよいと知ってとても驚きました。

アメリカでは、物を捨てるときに、十分注意を払う必要があります。日本では、単に、「燃えるゴミ」と「燃えないゴミ」に分けますが、アメリカでは事情が大変違っています。「再利用可能なゴミ」と「再利用出来ないゴミ」とに分けるのです。

セントルイスでは、市民はゴミをすべて種類別に分けなければなりません。その中でも燃えないゴミと再利用出来ないゴミ(発泡スチロールなど)だけを収集してもらうことができます。同じように「危険ゴミ」(使い古したカーオイルや古電池、その他の危険なごみ)も収集してもらえますが、「危険ごみ」は環境に害を及ぼさないように設計されたゴミ処理場にずっと保管されることになっています。

地域のガレージには、再利用するごみのために9つのコンテナが設置されています。茶色いガラス用、緑のガラス用、透明なガラス用、ペットボトル用、新聞紙用、白い紙用、厚紙用、スチール用、アルミ用です。これらのコンテナが満杯になると、地元のリサイクルセンターに持って行って空にしてくるのが私の役割でした。

アメリカでは、リサイクル運動というのは、環境問題に関心のある人だけが取り組む事柄ではなく、法律として決められていて、市民の義務になっているのです。    ****************************

以上の一文はアメリカからおいでになってこの五條地区の人達に英語を教えて下さっていた国際交流員(五條市教育委員会管轄)リケッツ氏が慈光通信へと投稿して下さったものです。氏は慈光会の会員として、よく買い物にも来て下さっていました。(現在は転勤)

今、五條市では古紙値下がりの影響を受けて、古紙、古布等のリサイクル運動がストップした地区も出て来ました。子供会や自治会が中心になって行っていましたが、古雑誌などがお金を出さないと引き取ってもらえない現状では、ボランティアも続かなくなくなってしまったとのことでした。

リケッツ氏の投稿に見られるように、ヨーロッパやアメリカでは、国や州が主体となって、リサイクルの問題に積極的に取り組んでいます。

例えば回収した古紙を、トイレットペーパーや紙、ノートなどの原料(塩素漂白しない)として用い、出来た製品を学校や官公庁が率先して使うようにし、又、企業にある程度の使用を奨励すれば、古紙リサイクルの輪は回り始めます。

諸外国のリサイクル成功例を習って、日本でも是非、国という単位で動き始めて頂きたいと思います。



「沈黙の春」を読んで (3) 

(レイチェル・カーソン著)
  

慈光会会員  井西 治



                  (この文章の形式 『』のマーク 本文引用箇所  
↓のマーク 筆者の感想 )
        

         『アメリカ合衆国だけでも、毎年五百もの新薬が巷に溢れ出る。実に大変な数であって、その組合せの結果がどうなるか、何とも予測しがたい。人間や動物の体は、毎年五百もの新しい化学薬品に何とか適合してゆかなければならない!そして私たちのからだに、動物たちのからだにどういう作用を及ぼすのか、少しもわからない化学物質ばかり…

散布剤、粉末剤、エアゾールというふうに、農園でも菜園でも庭園でも森林でも、そしてまた家庭でも、これらの薬品はやたらと使われている。だが、益虫も害虫も皆殺しだ。鳥の鳴き声は消え、魚のはねる姿ももはや見られず、木の葉には死の幕がかかり、地中にも毒はしみこんでゆく。そして、もとはといえば、わずか二、三の雑草をはびこらせないため、わずか二、三の昆虫が邪魔なためだとは…。地表に毒の集中放火をあびせれば、結局、生命あるものすべての環境が破壊されるこの明白な事実を無視するとは、正気の沙汰とは思えない。』(引用C)

↓鋭く優しく生命を見つめるカーソン女史の熱い思いと、深い嘆きが切々と伝わってきます。しかし加害者たちはこの必死の警告を、どれほど真剣に受けとめたのでしょうか。こんな報告が書かれています。「庭いじりに使うスプレー殺虫剤の容器の缶には危険性の注意書きが張ってあるが、小さな字で印刷してあるので面倒くさくて読む人は殆どいない。いったいどれくらい読まれるものか、ある会社が調査をしたが、注意書きを張ってあるということだけでも知っていたのは、百人中一五人もいなかった。」そうです。このような手口で、危険性はできるだけ伏せ、殺虫効果の表現だけを大きく訴えるのは企業の常套手段です。結局女史の警告などは殆ど無視され、被害は益々増大を続ける一方です。現在終日放映されているテレビコマーシャルなどにも、詐欺すれすれの誇大広告などが手をかえ品をかえ大衆に呼びかけてくるので、よくよく注意が必要だと思います。

『農業も原始的な段階では、害虫などほとんど問題にならない。だが、広大な農地に一種類だけの作物をうえるという農業形態がとられるにつれて、面倒な事態が生じてきた。まずこの農業方式は、ある種の昆虫が大発生する下地となった。単一農作物栽培は、自然そのものの力を十分に利用していない。それは技術屋が考える農業のようなものである。自然は、大地にいろいろな変化を生み出してきたが、人間は、それを単純化することに熱をあげ、そのあげく、自然がそれまでいろんな種類のあいだにつくり出してきた均衡やコントロールが破壊されてしまった。自然そのもののコントロールのおかげで、それぞれの種類には適当な棲息地があたえられていた。だが、新しい農業形態がとられ、たとえばコムギばかりがつくられるとなると、まえにはいろんな作物があったため十分発生できなかったコムギの害虫は思いきりふえてくる。』(引用D)

↓これは先年テレビで見た話ですが、今日本ではこのような栽培の方法を「指定産地」という制度で運営しているそうです。指定産地とは、定時、定量、定質を原則として生産する産地のこと。例えば白菜指定産地として決められた生産地では原則として「決められた時に、決められた量を、決められた質で生産し出荷する」という契約だそうです。われわれの小さな家庭菜園でも今年まいた豌豆の後には異った種類の種をまく、これは連作障害による生産低下を防ぐためで、野菜栽培の常識だそうです。その常識を無視した白菜の連続的な栽培は、カーソン女史の報告にあるように、集中的な害虫の発生がおこる。そのため植え付け前には先ず土壌の消毒から始めるのですが、目だけを出した作業衣で、大型ドリルのような器具を土中に突っこんで消毒薬を注入する光景は凄まじいものです。

(以下、次号に続く)

慈光通信#112-#152