慈光通信#112-#152



共存共栄(生かされ、生かし、又生かされる)
  

前理事長・医師 梁瀬 義亮


    
       
私は一介の医者でありますが、単に疾病を薬で治すことに飽き足らず、疾病の根元を追求して、生命
問題へ、更に生命を養う食物の研究へ、次いで食物の元たる農学へ進んで参りました。そして、生命
の世界の中でこんなことを考えています。

昨今、公害、戦争、食糧不足等々、暗い話があまりにも多いのですが、恰も、火事という現象は大
変複雑ですが、火元は、至って簡単である如く、この複雑な社会問題も根元は人類の考え方の簡単
な誤りから生まれていると。

私達が学校で習ったことは、「自然」という、人間と対立した「物」がある。その「もの」を人間
がとってき生活する。又人間が人間同士、人間と他動物はすべて、互いに生存競争し、相手に打ち
勝って生きてゆくのだということでした。

ここに、対立と断絶の前提があります。しかし、よくよく生命の世界を観察すると、これは錯覚で
す。自然は大生命体で、その大きな生命の営みの中に数多くの生命が生かされている。そして、各
生命は互いに生かされ、生かし、又生かされるという有機的な結ばれの中にあることが分かり感動
するのです。

動物の世界で行われる弱肉強食は実は、動物の共存共栄の姿です。弱い草食動物を強い肉食動物が
食べる。しかし、肉食動物が矢鱈に増えて、草食動物が絶滅することがありません。お互いに敵の
均衡を保って生きてゆきます。若し、肉食動物を滅ぼすと草食動物は増加して、結局、草が無くな
って草食動物は絶滅するのです。

動物は弱肉強食という方法で共存共栄していますが人間の世界は大自然という人間次元を越えた実
在の恵みの中でお互いが愛と慈悲の心で、いたわり合い、分かち合うことにより共存共栄するので
す。又この愛と慈悲は他動物にも及ぶのです。

奪い合い殺し合うことがなければ、あの余計な戦争や軍備や様々の競争による無駄なエネルギーの
ロスは無くなり、すべての発想が現在の文明のように「殺し、奪う」でなくて、「生かし、生かさ
れ」「与え、与えられる」になりますと、文明の様相は一変するのです。殺すこと、奪うことの発
想から起こった近代文明が病気と貧乏と戦争と公害の中に滅亡をもたらすことに反し、愛と慈悲の
根底の上の文明は、豊かさと、平和と繁栄です。

公害はテクニックの誤りによるものではなくて、人間の考え方の誤りによるものであることを再確
認するのです。「公害は科学によっては解決されない。それは宗教によってのみ解決する。」と言
った米国の有名な公害学者の言葉が思い出されます。(完)



交通エコロジー、ご存じですか? パート2
  




五條市のような地方都市や農村部では、今や一家に一台はおろか、二台、三台と自家用車やバイクを持っているのが当たり前の時代になりました。自家用車のCO2排出量は総運輸排出量の50%を占めているそうですから、(交通モビリティ財団調べ)自家用車の使い方も工夫次第でCO2削減に大いに貢献できることになります。先号でリポートしたエコドライブ以外に、何か良いアイディアはないでしょうか。
ここでは斬新な工夫、ヨーロッパの「カーシェアリング」というシステムをご紹介してみましょう。
これは、複数の人と車を共有して車の台数自体を減らし、さらに各個人もなるべく車を使わない生活を目指す、という試みです。(以下「ドイツを変えた一〇人の環境パイオニア」より抜粋含む。白水社刊)
 
 カーシェアリングは次のように行われています。
 年会費二四〇マルク(約二万円)払ってカーシェアリングの会員になる。するとすべてのステーション(駐車場)にある「金庫」を開けられるパーソナルキーとハンドブックが渡される。ハンドブックには利用できる自動車のモデルとステーションについての情報が載っている。
 自動車の予約は一日のいつでも電話でできる。車が突然必要になっても、一時間前ならたいていは確保できる。車種はミニバスから小型自動車まで希望に応じて選べる。
 予約したステーションに行き、ステーションの金庫から希望した車のキーを取る。ステーションはレンタカー営業所と違って、住宅地近くにあることが多い。無人なので、自分で自動車の状態を点検する。幼児用の椅子などの備品も広範囲にわたって用意されている。
 使用後は再びステーションにとめる。出発日時と返却日時、走行距離を帳簿に記入し、金庫に車のキーとともに残す。協会によっては自動的に個々の移動距離が自動車に記録される場合もある。

 カーシェアリング協会は自動車の整備や手入れを含め、すべての管理を行います。会員は電話と金庫のカギを持つだけでよく、車の使用料は、使用時間と走行距離に応じて支払えばよいのです。また、これまで車の盗難や走行距離のごまかしといった問題はほとんどないそうです。
 次にカーシェアリングの利点をあげてみましょう。
 車の購入費、駐車場代、保険、修理費、洗車など、自動車にまつわる費用と手間が全く要らなくなる。
 色々なタイプの自動車を必要に応じて使い分けることができる。
 移動手段の選択肢が広がる。(車を所有していると、車に乗らないと損だと思い車を利用する機会が増える。)
 自動車が必要なときはいつでも乗れる。
 乗る回数と距離を減らすほどお金を節約することになるので、おのずと自動車利用が減り、公害を少なくする結果になる。
 
 ドイツのベルリンで最初のカーシェアリング協会ができたのを皮切りに、現在ではヨーロッパの二五〇の都市にカーシェアリングのステーションがあります。目下、ドイツだけでも一万五〇〇〇人が参加しており、ヨーロッパ全体の参加者は二万人だと言われています。一九九一年に五つのカーシェアリング協会が合同してヨーロピアン・カーシェアリング協会になってからは、その成長率は年五〇パーセント以上だそうです。
 ヨーロピアン・カーシェアリング協会の調べによると、一台の自動車がこういう形で共有されるだけで、五台分の車が節約され、一年間に四万二五〇〇キロメートルの自動車走行が節約されるそうです。また、車の台数が減ることにより、騒音、排気ガス、交通事故の危険が減り、生活の質が向上するという大きなメリットが生まれてきます。一方、個人的には、車を所有し維持するための経費が大きく削減されるため、それぞれの家庭ではその費用を好きなところに転用し、よりゆとりある豊かな生活を送ることが可能になってきます。
 自家用車を持たない生活を実行している家族では、夫は自転車通勤をし、夫人も自転車の前後に子供たちを乗せ、さらに後ろに「荷車」をつけて重い荷物を運ぶなど、自転車をフル活用しています。ヨーロッパでは自転車専用レーンが広々と確保されている都市が増えつつありますし、自転車のオプションも様々に整備されています。この家族はどうしても車がひつようなときだけカーシェアリングを利用しているのです。
 「家族全員ででかけるときは大型の自動車を利用できるし、一人のときは小型を選べばいいの。幼児用の椅子やスキーを乗せる付属品もととのっているので、カーシェアリングはとても便利ですよ。」とその夫人は手放しでカーシェアリングをほめています。
 このように、生活のぜい肉が随分とれた暮らしがここでは実現しているようです。職住近接で通勤距離が比較的短いことや公共交通機関と道路網が大変よく整備されていることなど、日本とは様々な面で条件が違ってはいますが、日本でも自家用車を一日中走らせている人はごくわずかです。車はたいてい車庫や駐車場でほとんどの時間じっと止まっています。使わない時間を譲り合って、他の人々と共に利用するという「カーシェアリング」システムのこの合理性は、おおいに見習うところがあるのではないでしょうか。



慈光会第二回学習会リポート
  



 
 去る十月十八日「環境ホルモンとダイオキシン」をテーマに慈光会第二回学習会を開催致しました。当日は新聞や機関紙などで学習会を知った会員以外の方の参加もあり、約七〇名が熱心に講師の三宅征子氏(日本子孫基金運営委員)の講演を聞き、学習いたしました。内容につきましては次号以降に掲載させて頂きます。
 慈光会では今後も引き続き様々なテーマで学習会を開かせて頂く予定です。正しい情報を得て、行動や選択の判断基準を得るためにも、奮ってご参加下さい。
 尚、当日資料としたポスター(日本子孫基金作成)に残部がありますのでご希望の方はお申し込み下さい。
  四部一組 五〇〇円  子孫を絶やす環境ホルモン  食卓にひそむ毒性物質  
   ダイオキシンの原因を断つ  不安な遺伝子操作食品



「沈黙の春」を読んで (6)

(レイチェル・カーソン著)
  

慈光会会員  井西 治



                  (この文章の形式 『』のマーク 本文引用箇所  
↓のマーク 筆者の感想 )
        

  『癌の原因になる物質をあたりにばらまいておいて、みんな平気でいる。でも、そのむくいが私たちにはねかえってくることは、最近の事件を見ればはっきりわかる。一九六一年の春、合衆国政府、州、個人の孵化場のニジマスのあいだに肝臓病が大流行した。合衆国東部でもみなマスが癌になり、三歳以上のマスが残らず癌になった養魚場もあった。これは水の汚染による人間の発癌をおそれた国立癌研究所環境癌部門と魚類野菜生物管理局が、腫瘍のできた魚はかならず届けでるよう指示したために明らかになったのである。
  なぜまた合衆国の広い地域に癌が発生したのか、正確な理由はいま研究中だが、孵化場の餌に何か原因があるらしい。餌には信じられないくらいいろんな化学薬品や医学薬品が付加されている。このマスの話は、さまざまな点で大切だが、とくに発癌力のある物質がある種の生物の環境に入るとどうなるか、その例として無視できない。いろんな種類の、数多い環境発癌物質にもっと注意をはらい、コントロールしなければならないことを教えるいい例だ、とヒューパー博士はいう。』(引用9)
  ヒューパー博士については、「何年にもわたって癌研究の分野で数々のすぐれた業績をあげ、その発言は高く評価されている博士の答えは、こうした問題に思いをこらし、一生を捧げた人だけがもつことのできる豊かな経験と判断の正しさに裏うちされている。」と紹介しています。それは、かいつまんでいうとこういうことになります。
  〈伝染病の蔓延を防ぐのは、予防と治療の二つで、一般には「奇跡のくすり」があったからだというが、本当は環境から病原菌を消したからだ。癌の場合も同じで「奇跡の治療法」がいまに見つかると、治療面ばかりに力をいれても、発癌物質の源を断つ工夫をしなければ、癌征服も夢におわるだろう。たとえ見つかったとしても、発癌物質はそれを上回る速さで犠牲者を増やす〉と博士は言を費やして癌の予防を力説しています。それなのにどうして博士のいうように、予防という常識的な対策を、今すぐにもとろうとしないのか、とカーソン女史は迫ります。
  理論は実に単純明快、いわれてみればその通りです。いまや革新的な医療技術の発達と医療設備の充実、そして画期的な医薬開発によって、われわれは計り知れない恩恵を受けています。しかし、にも拘らず病院にあふれる患者の多さはどういうことでしょう。この現状は、ヒューパー博士やカーソン女史が憂えることの事実をそのままに物語っているように思います。  

慈光通信#112-#152