前理事長・医師 梁瀬 義亮
(昭和五十年三月二五日に書かれた原稿です。)
化学肥料と農薬を主体にした近代農法は土を殺し、天敵を殺し、欠乏且つ毒性あるその農産物は人
を殺す。所謂「死の農法」である。
有機農法、即ち「土から出たものは土にして土に返せ」の原理に基づく農法は、「生態学的輪廻の
法則」に忠実な農法で、人間の農法はこれ以外にない。所謂、堆肥農法の中にのみ農はあり得る。
堆肥の材料の蒐集法と堆肥のつくり方の工夫の中にのみ農法の進歩があると私は信ずるのである。
私は十六年前残留農薬による日本国民の総慢性中毒化が進んでいる事実を知り、これについての
啓蒙運動に乗り出したのであるが、同時に、十年先には必ず無農薬有機農法の必要な時が来ること
を確信して、その基本的研究を協力農家と行って来たのである。そして、今までの有機農法の失敗
の最大原因がわかった。即ち、今まで「土から出たものは土へ返せ」と言われて、生の有機質が土
中に埋められてきたが、こうすると、酸素が少ない土中では有機質が嫌気性の腐敗を起こし、その
ガスが根を傷めるので病虫害が出る。必ず地上で好気性条件下で醗酵させて「土にして」から土に
返す必要があることを確めた。「土から出たものは土にして土へ返せ」、或いは、「完熟堆肥は土
の中、未熟堆肥は土の上」という標語が有機農法の「土つくり」のテクニックである。このように
して、有機質で土を肥やすと作物は病虫害が少なく味よく、持ちがよい。他面、生物界のバランス
という意味で、「害虫」のある程度の存在を大切にするということも、有機農法の特徴である。害
虫は益虫の餌である。害虫がなくなれば益虫が滅び、益虫が滅べば害虫が大発生する。作物の五パ
ーセントは害虫にくれてやることが、人間が健康な食を得るために必要である。このことは、人間
の食物は五パーセントぐらい虫がついているのが正しい食物であるということである。少しの虫食
いも許さぬ形と色のみで農作物を評価する現市場では、有機農法を推進し、日本民族を護ることが
出来ない。 (以下、次号に続く)
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(1998年10月18日 五條市市民会館での講演を要約したものです。)
日本子孫基金運営委員 三宅 征子
皆様こんにちは。今日はお招きいただきましてありがとうございます。わたくしは日本子孫基金というところで仕事をしております三宅と申します。どうぞよろしくお願いいたします。慈光会さんのご活動というのは今の世の中で、私たちにとりましては、光明とも言えるような一つの方向を見せてくださっていると思うのです。わたくしも地域で小さな生協に関わっておりまして、また、田んぼを借りまして仲間とお米を作ったりしております。そういった農に関わる、ものをつくる仕事に多少なりとも関わることが出来ますと、生き物である農産物の問題というのが少しは見えてくるような気がしております。そういう中で、いかに皆様がたにとってこの慈光会さんのやってらっしゃる活動が大事なことかということを改めて強調させていただきたいという風に思います。是非、こういう活動が各地で広がっていくことを願っております。今日は「慈光会、第二回の学習会」ということで環境ホルモンというテーマで進めさせていただきます。
わたくしども日本子孫基金では設立してから今十五年目の活動に入っているのですが、その設立の当初に掲げた目標が「一千年先の子供たちを守りたい」ということだったのです。そういう思いを込めて「日本子孫基金」という名前にしたわけです。しかしここへ来ましてなんと「一千年先」どころか一部のデーターに拠りますと、「二一世紀の中頃には、もしかしたら人類が次の世代を残せなくなるかも知れない、種の存続が危ぶまれるような事態になるかもしれない」というような、非常にショッキングな事例が出てきているわけです。人間の男性の精子が減少してきて、生殖能力がなくなってしまうではないかというような事例です。最初にこの事を発表されたのはデンマークのコペンハーゲン大学の、スキャケベク教授という方だったのです。実は、環境ホルモンを考えるという会でスキャケベク教授がされている研究の中身を教えていただこうということでお招きをしたのです。そして教授に直接お話をいろいろうかがいますと、まさに精子が減っていることだけは確実だとおっしゃっておられました。「どのくらい減ってきているか、実際どういうような現象が現れているかといった詳しいことは、これから研究がされてより明らかになってくると思われるけれども、精子が減っていないという研究が出ることは多分ないと思う」とこういう風におっしゃったのです。確かに、人間の生殖能力をなくしてしまうぐらい精子が減少しているかどうかという問題は、そうすぐにわかるものではないと思われますけれども、日本でも幾つか、この精子減少に関する情報というのが出てきております。
日本人の精子の調査において一番大きいと思われるのは慶応大学です。人工受精の研究をするために日本人六千人分の活力のある精子が提供されてそれが保管されていたのです。その調査の結果、三〇年で一割減少しているという結果がでたということなのです。これは六千人という数を調べた上でのことですから、かなり現実的な数字という風に思えるわけです。ここで、三〇年で一割減っているだけ、というふうに捉えるか、やはり一割も減ってしまっているというふうに捉えるかによって、多少ニュアンスは変わってくると思われますが、いずれにしてもそのスキャケベク博士がおっしゃっるように、減ってきていることだけは確かだ、と言えます。そこで、今世界中で統一的なマニュアルに基づいた調査方法により、精子の減少を厳密に調べるという実験が開始されております。日本もそれに加わって実験が始まったところです。この報告が出ますと、かなり今の状況にあった形で精子の数が実際どうなっているか一つの方向性が出てくると思います。
私共は「一千年先」ということを一つのターゲットとして、今私たちがすべきこと、ということで様々な問題を取り上げてきたのですが、その一千年先を待つということではなく、今すぐにいろいろな問題が明らかになってきたということが、非常に大きな問題という風に捉えているところです。(以下、次号に続く)
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(レイチェル・カーソン著)
慈光会会員 井西 治
(この文章の形式
『』のマーク 本文引用箇所
↓のマーク 筆者の感想 )
「沈黙の春」エピローグ
『いまこの地球にいぶいている生命がつくり出されるまで、何億年という長い時が過ぎ去っている。発展、進化、分化の長い段階を通って、生命はやっと環境に適合し、バランスを保てるようになった。何年とかいう短い時間ではなく、何千年という時間をかけて、生命は環境に適合し、そこに生命と環境の均衡ができた。時こそ、欠くことのできない構成要素なのだ。それなのに、私たちの生きる現代からは時そのものが消え失せてしまった。 めまぐるしく移りかわる、いままで見たこともないような場面…それは、思慮深くゆっくりと歩む自然とは縁もゆかりもない。自分のことしか考えないで、がむしゃらに先をいそぐ人間のせいなのだ。』(引用 )
カーソン女史は、生きる現代からは「時」が消え失せてしまったと嘆き、それは自分のことしか考えないで、先を急ぐ人間のせいなのだと怒り悲しみます。三○数年前に、世界に呼び掛けたこの声をどうして地球上の人々は受けとめようとしなかったのでしょうか。惜しんでも帰らない大切な時を失っていきました。
『でもけっして望みがないわけではない。一九世紀の終わりから二○世紀のはじめにかけて伝染病が流行したころにくらべれば、一つの重要な点で、今のほうが期待をもたせる。そのころ、いたるところ、病原菌があふれていた。いま発癌物質でおなじだが、病原菌を意図的に環境にばらまいたのではなかつた。人間の意志に反して、大部分の発癌物質は、人間が環境に作為的に入れている。そしてその意志さえあれば、大部分の発癌物質をとりのぞくことができる。
化学的発癌物質が私たちの世界に入ってくるのには、二つの道がある。一つは、皮肉なことに、みんながもっとよい、らくな生活を求めるため、もう一つは、私たちの経済の一部、ならびに生活様式がこのようなおそろしい化学薬品の製造や販売を要求するため。』(引用 )
化学物質の海に首だけを出して漂うわれわれに、まだ生き延びる望みがあるといいます。その道は二つ、強い意志を持って、もっとよいらくな生活を求めないことと、経済と生活様式のために化学薬品の製造、販売を求めるのを止めることである、と説きます。
『「自然の征服」…これは人間が得意になって考え出した勝手な文句にすぎない。生物学、哲学のいわゆるネアンデルタール時代にできた言葉だ。自然は人間の生活に役立つために存在する、などと思い上がっていたのだ。応用昆虫学者のものの考え方ややり方を見ると、まるで科学の石器時代を思わせる。およそ学問とも呼べないような単純な科学の手中に最新の武器があるとは、なんと恐ろしい災難であろうか。おそろしい武器を考え出してはその矛先を昆虫に向けていたが、それは、ほかならぬ私たち人間の住む地球そのものに向けられていたのだ。』(引用 )
もっとよい楽な生活がしたい、その欲望のために人間は、生命の母体である地球の自然環境を破壊しつつここまで来ました。生きとし生けるもののために、もうその破壊はやめよう、自然の素晴らしさに気付いてほしい、今ならまだまにあう。そしてこのかけがえのない地球をわれわれの子孫に残すために共に考えよう。これが「沈黙の春」の全編を貫く、カーソン女史の魂の叫びであります。
私はその叫びの深奥に、神秘に満ちた自然への深い畏敬と、限りない自然の慈愛に頭を垂れて祈る至高の愛の姿を見ました。
このような形で、「沈黙の春」をお伝えしてきましたが、それは予期したようにできたかどうかは分かりません。ただ一人でも多くの方にこの書を読んで頂きたいとの思いから、そのためには、著者の文章に触れて頂くのが一番いいのではないかと考えてのことでした。しかし又、全体の中からごく僅かな部分を抜粋引用することで、著者の真意をどれだけ誤りなく伝えることができるだろうかという不安もありました。でもそれはこの書をお読みいただくことで解消して下さるよう願っています。
前出のように、梁瀬義亮先生は「沈黙の春」に先立つこと三年、「農薬の害について」を発表され社会に大きな警鐘を鳴らされました。引き続いて「生命の医と生命の農を求めて」の書を著され、「農薬による死の農法から、大自然と共に生きる生命の農法を」と説かれました。それは又先生が叫び続けてこられた「死の文明」から「生の文明」への謂に他なりません。『「生命」という厳粛な事実を忘れて暴走する巨大な怪物、それが現代社会である』と喝破され、『同じ母なる大自然の子であるという自覚から、「生かされ」「生かし」「また生かされる」という共存共栄の原理に立ち返ろうではないか』と呼びかけられています。
今「沈黙の春」を読み終え、カーソン女史の叫びと重なって聞こえてくる先生の声を、あの時の感動と共に思い起こしています。小文『「沈黙の春」を読んで』はそんな思いの中で書かせて頂きました。 合掌
「生命の医と生命の農を求めて」(梁瀬義亮著)「沈黙の春」(レイチェル・カーソン著)「複合汚染」(有吉佐和子著)。是非お読みいただきたいと思います。
(この一文は、編集の都合上、誠に申し訳ございませんでしたが、井西さんのご了解を得て、一部割愛させて頂きました。全文をお読みになりたい方は、慈光会までお申し出下さい。)
(生命の医と生命の農を求めて」は本年二月復刻版が出版されました。地湧社刊二千円、慈光会にもございます。